磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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NHKアーカイブス 俘虜たちのシンフォニー

2007年03月22日 | 読書日記など
NHKアーカイブス2007年3月11日

俘虜たちのシンフォニー
日独の友好つづく


第1次大戦で戦っていたドイツ兵と日本兵の友好。

昨年、映画化されたという。

1994年に放送されたものであるという。

6月4日、鳴門で第九。かつてドイツ人俘虜が初の日本演奏。

徳島県鳴門板東俘虜収容所。

板東の鐘、小高い丘に、ドイツ人と日本人が平和を願って建立。

一番札所のある町。

異国の兵士をむかえる温かい心があったという。

坂東俘虜収容所跡には煉瓦が残されている……。

公園として整備され、ひっそりと記念碑があるという。

石造りの眼鏡橋はドイツの俘虜によってつくられたという。

ドイツ橋と呼ばれ、日本人との友好の橋。

ドイツの文化や生活も残したという。

パンづくりを捕虜をまもったパン屋さんが今もあるという。

ドイツ館も建設……。

俘虜の生活がわかる展示がされているという。

写真屋があり、捕虜生活を捕虜たちが撮影していた。

当時、写真展もおこなわれていたという。

写真から捕虜とはいえ、自由でのびのび生活していたという。

4600人のドイツ兵俘虜。12箇所に収容所。

その当時、体操など日本人が知らないことをドイツ人はしていたという。

音楽活動の多彩さが目をひくという。

いくつもオーケストラや合唱団があったという。

年間コンサート30回。

徳島市の最初の楽器店はドイツ俘虜から楽器をゆずってもらいつくられたという。

音楽活動だけでなく、自由に外出も許され、遠足などを楽しみ、板東の人びととの交流。

徳島県の酪農の基礎づくりに役立ったという。

【俘虜作品展覧会1918年】

絵画・写真展だけでなく、時計や冷蔵庫をドイツ人がつくったという。

徳島県知事や、五万人が訪れたという。

11人の俘虜がなくなり、慰霊碑が今もあるという。

ドイツの敗戦によって、俘虜たち解放。

その後も日本人とつきあう人もいたという。

ヘルマン・ボーネルは大阪外語大学でドイツ語教授として教鞭をとられたという。

ボーネルは収容所の知性と呼ばれていたという。

収容所でも勉強を教えていたという。



【松江豊寿・所長】
・彼らも「彼らも祖国のために戦ったのだから」と、いたわりの心でもてなそうされた。

【高木繁・大尉】
・所長補佐
・ドイツ語堪能。俘虜とも気さくにダンス。

【ドイツのブリューネ市】
・鳴門市民が第九で交流。



第九のふるさと

鳴門市ドイツ館










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