磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

赤岩栄著作集 2 永遠者の探求・ほか

2008年12月17日 | 読書日記など
『赤岩栄著作集 2 永遠者の探求・ほか』
   赤岩栄・著/教文館1971年

「永遠者の探求」
「イエスの譬」
「戦時中の文章」



--「III 戦時中の文章」
期待したが、概念的なことが並べられていた……。

しかし、「解説」にはこう書かれてあった……。下「」引用。

「また、活字で残っていない言動として、上原教会でも恰好だけのものにせよ礼拝前の国民儀礼を行なっていたことを岩永達郎が指摘しているし(月報2)、神社礼拝をしても偶像礼拝に陥るわけではないという神学理論をその才にまかせてある席でしゃべったこともあるらしい。」

偶像崇拝はいけないということは、像をこわがることではない。
--おろかな思想をもっている人たちが新教にはいる……。
写真さえも偶像崇拝というキリスト教団体もある……。

キリスト教という定義にもいろいろあるようだ……。下「」引用。

「キリスト教が何であるかを知るためには、先ずキリスト教の歴史を学ぶことが最も近道であると人は考えるかもしれない。確かにキリスト教の歴史を研究をすることは、キリスト教を知る上に助となる。」

ある人は、キリスト教とは、キリストの教えであり、完結しているもの。
--そして、歴史は愚かな人類の神への裏切り! という人もいる。
組織は666だという人さえもいる……。

ルターはコペルニクスを反論したつもりだ。下「」引用。

「ルターはコペルニクスの徒を攻撃して「聖書にはヨシヤが太陽をとどめたと書いてあって、地をとどめたと書いてないから、地動説はほんとうでない」と言ったそうであるが、聖書を楯に科学的な真理を否定するというような聖書の取扱いの正当でないことは、最早いうまでもないことであろう。」

これに対して、永井隆博士は。
--地球からみれば、太陽が動いており、太陽から見れば地球が動いているというようなことを書いていたと思う。
そして、銀河自体も動いている。
--聖書では、そんなことは書かれてない。
そもそも、学問が人を支配するためのものなら、それこそがオゾマシイ……。

奇蹟を軽蔑する人たち……。下「」引用。

「私たちにとっては奇蹟よりももっと日常性の中で神の恩恵に十分与っている。-略-」

世の中はそんな人ばかりではない。
苦しむ人、悲しむ人……。
そんな人たちがいることも、このころは理解できなかったのか?

聖霊は知識にのみあるような文章をかく。
ならば、その知識は著者のものであるから、聖霊もまた著者の化身だろう……。

エロスとアガペー……。下「」引用。

「聖霊によって動揺のない真の平安になり、私たちのエロース的な愛が、聖霊によってアガペー的な愛にかえられ、自己目的のために用いられた能力が、聖霊によって神に仕える能力となり、私たちの限界をもった人間的智慧が、神を識り神をあがめる智慧とされることを意味するものである。」

これも、観念だけで、現実の世界とは関わりがないことだろう……。

分割でないという……。下「」引用。

「カルビィンは、父と子と聖霊とは区別であって分割ではない」

聖霊は汚れるが、イエスも父なる神も汚れないだろう……。








index

目次



エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。