磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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長崎 爆心地復元の記録

2007年02月02日 | 読書日記など
『長崎 爆心地復元の記録』
    調来助・編/日本放送出版協会s47年

長崎医科大学の教授の調来助。
執筆は他に、矢崎隆と松尾洋司。



カトリックに対する差別について書かれてあります。下「」引用。

「長崎は、二つの顔をもつ。明るい「陽の顔」が長崎旧市街だとすれば、暗い「陰の顔」は、キリシタン弾圧から原爆まで長崎の悲劇の一面を背負ってきた浦上である。加えて幕府以来の「キリシタン邪宗観」は、浦上に対するある種の偏見を熟成し、これは明治初期に禁令が撤廃されてから後も、さまざまな社会的差別として根強く残ったのである。たとえば「カトリックの師範学校へ入学させない。役所へ就職できない。また浦上山里小学校では、戦前カトリックの子弟が八割を占めていたが、教室でカトリック教義書を破り捨てる先生がいた」(片岡弥吉)」

浦上も以前のようなカトリック信者の地とは違うようになったという。

杉本亀吉という方は、救護が無秩序におこなわれていることに怒っておられたそうです。

しかし、あんな状況で思い思いでなく秩序をもって救護するのは困難でしょう。

地震の時も大変ですよね。

それ(地震)以上に大変だったとボクは思います。

救護するはずの人たちも、被爆されていましたね……。

そして、医療機器も薬もほとんどない状態になりますし……。

ナガサキ原爆について、永井隆博士だけでなくカトリックの人たちは「神の摂理」と考えられる方たちがおられたようです。下「」引用。

「なぜ浦上に原爆を落したのか、それは神の摂理であると答える。
 たとえば健康な人間でも時には病気する。人間に幸不幸がやってくるのは、神の摂理からである。病気になれば健康の有難さがわかるし、過去を反省する機会を与えられる。神は常に、人間に恵みと試練を与えられる。ちょうどわれわれが子どもを躾る時と同じように。
 原爆の悲惨さはいうまでもない。だが、とかく人間は逆境になると神も仏もあるものかという気持になる。それはやはり信仰の足りなさから来るものだと思う。ともすれば自暴自棄になりがちだった被爆後の苦しい生活をかろうじて支えてくれたのは信仰の力であった。」


無宗教のボクにはない信仰です……。
だからといって、非難なんてできないとボクは思います……。
宗教の自由も憲法で認められてもいますし……。

そして永井隆非難があったそうです。それについても書かれてあります。下「」引用。

「だから長崎でも「カトリック特有の“諦め”と安易な感傷などが商業ジャーナリズムに乗ってバラまかれていった」(『地人』昭和三〇年八月原爆特集号)という厳しい批判がなされた。しかし一方では、「永井氏は原爆に寛容ではない。原爆を生み出した戦争を否定し、戦争にいたる相互の憎しみを絶つための寛容、即ち“平和への寛容”を説いたのだ。これは原爆否定につながるのだが、一般には誤解されている」(片岡弥吉)という指摘があり、問題を後に残した。」


あの映画「この子を残して」のように「燔祭」について非難する人たちが、カトリックのなかにいたのでしょうか? そんな疑問もうかんできます。

あの燔祭うんぬんは、信者の代表として信者にむかっていったのに、問題があるとは……???

ここまで、介入しては、とうてい宗教の自由などないとボクは思います。


長崎市は観光都市に、戦後なっていきます。
その時、観光のために原爆を利用しようと考えられたようです。

永井隆博士もそのようなことを自己反省のような文章も書いておられると思います。
観光ではなく、平和のために永井隆博士も多くの仕事をなされたと思います。
その意味を伝えることが大切なことだと思います。

でも、観光があるから、ボクも修学旅行でいくことができたのですが……。










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