磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉-

2011年04月14日 | 読書日記など
『会津という神話-〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉- MINERVA人文・社会科学叢書 158』
   田中悟・著/ミネルヴァ書房2010年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「戊辰戦争の死者は「犬死に」か--
白虎隊、佐川官兵衛、そして宮沢十三八…
「朝敵」という汚名を雪ぐべく苦闘した人々の軌跡。」



見い出しえなかった……。下「」引用。

「学徒動員を目前に控え、「己の近い将来に死しか見出しえない」境遇にあった学生たちは、その死に対する意味の充填を、田辺元に求めた。言い換えれば、あらゆる社会的建前にもかかわらず、彼らは己の死に得心のいく意味を見出し得ていなかったのである。-略-」

京都の会津藩。下「」引用。

「一八六二(文久二)年、容保は京都守護職に任命され、藩兵一○○○人を率いて入洛、本陣を金戒光明寺に置いた。京都所司代などを麾下に置き、会津藩士ともども尊攘派志士の取り締まりや京都の治安維持を担った。新撰組もまた、守護職預かりとしてその支配下にあった。」

天皇家と松平家。下「」引用。

「秩父宮と松平勢津子との結婚による、天皇家と松平家という「頂点」間の結びつきを越えて、「会津武士の共同体」は「天皇を中心とする近代日本の国家観念」へと統合された。」

戦後、〈会津の語り〉を規定したのは司馬遼太郎だという。
しかし、それは第二次世界大戦以後のことであるという。







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