磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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青い目をしたお人形は

2009年08月07日 | 読書日記など
『青い目をしたお人形は』
   武田英子・著/太平出版社1981年

フレンド・シップ人形……。
--こんな歴史があったのです。



「戦争の時代を生きのびた人形たち」
--積丹半島の美国小学校、日高支庁の平取小学校・日高小学校、中川郡の白人(ちろつと)小学校ょを訪問する。

「人形がたずさえてきた旅券」がモノクロ写真で掲載されている。

「人形たちは殺された」という……。下「」引用。

「一九四一(昭和一六)年一二月八日、太平洋戦争がはじまった。少年少女たちは、いまや戦う「少国民」であり、やさしかった「ママ」たちは「小戦士」となったのである。少年少女たちは、「鬼畜米英許すまじ」「撃ちてし止まむ」と、教師たちに教えられ、おとなたちにはげまされて、碧眼金髪のアメリカ人形を「鬼畜米英」の身代わりとして撃ち、最初の「敵撃滅」の槍玉にした。」

ギュリック博士。下「」引用。

「ギュリック博士Sidney L. Gulickは、夫人とともに滞日二○年、伝道生活をとおして親しく日本を理解し、渋沢栄一には敬意をよせて交際したという。この時期は、ニューヨークにあって、世界児童親善会 The Committee on World Friendship Among Children の首脳のひとりとして活躍していた。」

安価な労働として排斥されていた日系人……。下「」引用。

「安価な労働力としてのアジア人の進出、なかでも日本人の勤勉な働きぶりは、アメリカの白人労働者の不快とするところだった。労働力としての競合ゆえに、日本人労働者はことごとに敵視されていた。
 日本人排斥の気運のなかで、一九一三(大正二)年にはカリフォルニア州議会が三○件あまりの排日法案を通過させた。-略-」

フレンドシップ・ドール、批判される。下「」引用。

「世の中はむずかしいもので、このようなほほえましい子供の友情の交換についても一部から反対があった。大正天皇の諒闇中にもかかわらず、かかるお祭り騒ぎをするのはけしからんという私宛の手紙も大分来たのである(関屋竜吉『社会教育事始め』)。
 批判はアメリカにもおこっていた。「友情の人形」とはまことに感傷的であり、そんなジェスチュアで国際友好の精神が養われるものではなく、本質的にいって不合理。日本人への批判のきびしいさなか、友情のポーズを示すのは、いたずらに誤解をもたらすのみ、というような冷笑的輿論があった。当時のアメリカの国内事情では、当然なことであったろう。」

野口雨情も……。下「」引用。

「そのとき、東京から野口雨情先生もおいで下さいました。つめ衿に黒服の質素なお姿でした。先生の童謡「青い目の人形」の替え歌で、
 青い眼をしたお人形は
 アメリカ生まれのドロシーさん
と、全校生徒・先生・父兄総出の合唱をしました。
 わたしの幼いころは、外国製のお人形さんなんて、とくに地方ではめったに見られない珍しい時代でしたので、金髪の眼のパッチリしたドロシーさんを大歓迎したものです(宮崎県鈴木笑子)」

原爆ドーム……。下「」引用。

「あのとき、広島での歓迎会は産業奨励館で催されました。女学生だったわたしも参加しましたが、ステージに汽船をかたどった飾りつけがされ、日米の国旗や、人形たちがはなやかにならべられました。
 当時、産業奨励館は、市内でもいちばんモダンな円屋根の建物でした。原爆でやられて、いまは骨ばかりの「原爆ドーム」として残っています。」

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愛知県北設楽郡の田峰小学校のもと校長鈴木勝男さんは、「上司の命令」とはっきり証言。
鈴木さんは、「人形に罪はないと」と教育勅語を納めた奉安殿の押し入れの天井に隠した。

許すなという敵愾心。下「」引用。

「公人として勤めた文部部門が、国民意識の昂揚と鍛練を主導するコースであり、いつかそれが「人形をも許すな」という「敵愾心」をうむ土壌となっていった。ぬきさしならない現実をみないわけにはいかない。」

NYタイムズも報道。下「」引用。

「人形の報道は国内のみならず、海外にも伝えれて、「ニューヨーク・タイムズ」は、戦争中に「アメリカの影響」を「根だやしにする」「熱狂的な人たち」によって「処分」されようとした人形が、人形を愛する人たちに救われ、ふたたび小さな人形は友情人形として復権した、と報じている。「ワシントン・ポスト」のウィリアム・チャプマン記者は、よくこの人形展の事実をとらえて報道していた。「押し入れから出てきた人形、アメリカの親善の象徴、名誉を回復」。このような見出しを掲げて、チャプマン記者は「青い眼の友情人形」の展示会は、「アメリカ人の心にも強い感銘をあたえるもの」と報じた。」

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「里帰り」した人形たち。
同地の「ロチェスター・タイムズ」が伝えたという。

ミス広島……。下「」引用。

「一九二七(昭和二)年、答礼人形として渡米した五八体の人形のうちの一体、広島県の少女たちの一銭醵金でつくられた「ミス・広島」は、メリーランド州ボルティモア市のウォルター美術館におさめられていた。-略-」







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