磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆体験記 ピカに灼かれて 第10集

2007年12月31日 | 読書日記など
『被爆体験記 ピカに灼かれて 第10集』
   生協原爆被害者の会、広島医療生活協同組合/
     生協原爆被害者の会広島医療生協1987年

医療関係者かと思って手にした本ですが、いろいろな方が書かれている本でした。



広島医療生活協同組合で検索してみますと、広島医療生活協同組合 広島共立病院というのがあります。

医療生活協同組合で検索すると、全国各地にあるようです。東京にも医療生活協同組合『養生会』がありました。


朝鮮の方も文章を寄せられています。下「」引用。

「それからね、朝鮮の人はみんな帰らにゃいけんといわれて、みんな知っとる人は殆ど北と南とでわかれて帰ったけど、うちといとこは二人とも残ったんよー。お金もないけえ、帰れんかったんよ。身内もおらんようになって一人よね。相談しとうても行くとこもなかったんよ。それでも朝鮮総連が四十年前ごろにできて、うちが会長になってリーダーで動きよったんよー」

よくわからない部分もありました。


B29の若い学徒? 下「」引用。

「当時司令部には、日本軍に撃墜された米国の爆撃機B29の搭乗員で若い学徒が十数名保護されていましたが、点検の結果、一名がなんとか生存しておりましたが、その他は全員行方不明で、恐らく被爆と同時に倒壊したものと考えられますが、別の部隊にも同様B29の搭乗員が保護されていたようで、両者を合わせれば、かなりの数の米軍爆撃機の搭乗員が祖国アメリカの投下した原爆によって斃死したわけで、核兵器が敵味方の区別なく、一瞬にして大量の人間を殺戮する恐るべき兵器であることを、この事実が立証していると思います。」

米軍が学徒隊をつくるほど、困っていたのでしょうか?……。


川内村義勇隊というのがあったそうです。
--建物疎開で170名近い人が、広島の中心地へ
その日、父と長女は川内村義勇隊として被爆死された遺族。
遺体のわかった人もほんの数名だったという。
そして、探しに行かれた家族のかたも原爆症に……。



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