磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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大空襲と原爆は本当に必要だったのか

2007年12月31日 | 読書日記など
『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』
     A・C・グレイリング(著)/
       鈴木主税、浅岡政子(訳)/河出書房新社2007年

この本を読んでいて、京都に原爆投下される順位が低かったのは、京都人の特質かもと思いました……。もちろん、全てではありませんが……。



戦争犯罪を定義して、ナチス・ドイツや日本を裁いたアメリカ……。下「」引用。

「「いかなる」一般市民にたいしてであっても、戦争前や戦争中に殺人、殲滅、奴隷化、強制移送などの非人道的な行為をはたらいた場合、その行為は『戦争犯罪』と見なされる」
  一九四五年十月十八日   アメリカ国務省から在ワシントンのイギリス大使へ」


しかし、アメリカはその定義は彼らの行為にはあてはめはしない。
彼ら(アメリカ)がすれば正義で、敵がすればテロだったりする……。
彼ら(アメリカ)は先制攻撃さえも許されているという……。

この疑問をもって、本を読みすすめていく。

フリッシュとバイエルズは連鎖反応で原爆ができると考えた。
原子爆弾は「使用すればかならず多数の一般市民を殺すことになる」と彼らは予測した。

科学者は主として抑止の観点で考えていたが、ローズヴェルトはそう考えていなかったようだ。

ボーアは原爆使用を止めようとしていた。
1944年5月16日、チャーチルと会談。
原子爆弾による攻撃がどれほど恐ろしい結果を招くか力説。
チャーチルはとりあわなかった。
1944年8月26日、ローズヴェルトと。
ソ連にも知らせるべきだ。
チャーチルは安全保障対策としてボーアを監禁するべきだとさえ考えていたという。


こんな説があるという。
ドイツに爆弾を落したのは、ドイツ人の文化を抹殺し、統治しやすくするためだという。下「」引用。

「地域爆撃作戦がドイツそのものの存在を消し去ろうという意図に付随するものだったか、ということだ。地域爆撃は「文化の抹殺」と呼びうるものを目指していたのだろうか?」

東京・大阪・神戸・広島・長崎……。
おもなところは焦土にかえられた……。
皇居にも空襲はあったという……。
京都・奈良……。
京都は「権力者の貸座敷」。


何しろ、民主主義で勝利したわけでなく、攻撃で勝利した……。
それは、忘れてはならないことだと思う……。

民主主義=軍事ではなく、軍国主義=軍事。
どこの国の軍隊でも、軍国主義……。
--自衛隊の精神はこの点では軍隊とは呼べないかもしれないとボクは思う。

憲法九条が大きいとも思う。


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