磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマ・ナガサキの証言'86夏&秋

2007年12月20日 | 読書日記など
『ヒロシマ・ナガサキの証言'86夏第19号』
    庄野直美・鎌田定夫(編)/広島・長崎の証言の会1986年

チェルノブイリ原発事故のころです……。
会員・読者通信にも、その関連の文章がありました。
また、「チェルノブイリとヒロシマ・ナガサキ」広島の証言の会・編集委員会という掲載。

中国の毛沢東発言、「ハリコの虎」。下「」引用。

「中国の原爆観を考える上でまず問題になるのは、中国が原爆を「ハリコの虎」と呼び、その破壊力とそれのもたらす未曾有の悲惨を理解していないかに見えることである。たしかに毛沢東は一九四六年八月、アメリカの記者アンナ・ルイズ・ストロング女史に対して、こういった。
「原子爆弾は、アメリカの反動派が人びとわおどろかすために使っているハリコの虎で、見たところおそろしそうだが、実際には何もおそろしいものではありません。もちろん、原子爆弾は大量殺りくの兵器ですが、戦争の勝敗を決定するのは人民であって、一つや二つの新兵器ではありません」」

この発言でも、大量殺戮兵器であることは毛沢東は認めていますね。
しかし、兵器だけが戦争をするものではないらしい……。

中国は朝鮮戦争でもアメリカに敗けず、またベトナムでは勝利したと書く人たちもいる……。
--アメリカは多くの残忍な最新鋭の兵器を使ったベトナム戦争であったことは記憶に残っています……。

大量虐殺兵器に恫喝されているだけでいいのか? ともボクには思えます……。

戦争はもちろん反対ですが、恫喝も許せません!

恫喝する相手に力をかすこともよくないことにも思えますが……。

……複雑な気持ちです。


中国で井伏鱒二の小説『黒い雨』が翻訳されたという。
--森滝先生の教え子の子どもが訳したという。下「」引用。

「森滝先生が八十歳をこえた高齢なのに、いまも原爆反対の先頭に立って苦闘されていることを私は知っています。あの方は実に立派な、神様のような人です。私が息子に『黒い雨』の中訳をすすめたのは、先生の心をわれら親子の心とし、少しでも中国と広島の友好に役立ちたいと思ったからです。」

「南京大虐殺/重慶爆撃」、「韓国で「ヒロシマ」に逢って」沼田鈴子、「沖縄とヒロシマ」塚本弥生、「平和版画プロジェクト アドリアス・ズワンさん」安斎育郎などの文章もありました。



『ヒロシマ・ナガサキの証言'86秋第20号』
   鎌田定夫・庄野直美(編)/広島・長崎の証言の会1986年

「ヨーロッパ人の目で見た日本の平和行進」ドウッティ・I・アイラース(フランス・サン・エルヴ在住)」、「SDIで核廃絶は可能か-レーガンと中曽根氏へ-」安斎育郎(立命館大学経済学部教授)という文章がありました。

「語り部としての再出発」語り手 吉田勝二 下「」引用。

「最近歯が悪くなり、この口を開けられるような整形手術をしてもらうために入院しました。今一番の要求は「口を開くこと」です。-略-
 (九月十五日、長崎大学付属病院にて。記録・まとめ=川崎節子・鎌田信子)」

永井隆博士のことを、秋月医師が書いていました。
「棘は刺さったまま 竹中 鈴の遺品ノート」秋月辰一郎 下「」引用。

「カトリックの信者たちすべて永井先生の隣人であった。鈴姉もその頃、戦時下の教育や訓練、あるいは短歌の事で永井先生と接触が深かった。永井先生の情操、詩情、信念に特別の尊敬を抱いていた。私が永井先生とたもとを分かったことを、姉は私の偏狭と残念に思ったことであろう。」

この季刊の形式はこの号で終了。


長崎通信NO.85(2)「ギリシャ平和の旅」長崎原普協事務局長 岡村進


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