磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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大震災のなかで-私たちは何をすべきか-

2012年01月23日 | 読書日記など
『大震災のなかで-私たちは何をすべきか- 岩波新書 新赤版 1312』
   内橋克人・編/岩波書店2011年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「二○一一年三月一一日、東日本を襲った大震災は、何も問いかけているのか。大きな悲しみや喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆよかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、どんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら三三名が震災の意味、復興の形をつづる。」



「私らは犠牲者に見つめられている--ル・モンド紙フィリップ・ポンス記者の問いに」大江健三郎。
〔「ル・モンド」二○一一年三月一七日付に加筆して『世界』同年五月号に掲載〕

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山本太郎、緊急支援。下「」引用。

「出張先の東京で地震に遭った私は、緊急支援に経験を有する特定非営利活動法人AMDA(アムダ)とともに、長崎大学緊急医療支援班の一員として遠野に拠点を立ち上げ、震災直後から岩手県上閉郡大槌町で災害支援にあたった。北上山地東麓から太平洋岸に至る面積二○○平方キロメートルの大槌町には、約五○○○人が暮らす五ケ所の避難所があった。私達が支援活動を行った旧寺野弓道場はその一つで、約四○○人が避難生活を送っていた。-略-」

「原発関連死」スターリンと同様の人権侵害。下「」引用。

「避難所の強制によって、介護職が老人の表情を見ながら手づくりをしてきた一人一人の生活は一瞬にして崩壊させられた老人は死に追いやられている。これを私たちは「震災関連死」というコトバに倣って「原発関連死」と呼んでいる。まるでスターリンのやった強制移住ではないか。かたや独裁者の思いつきだが、こちらは民主主義とされた国の国会で作られた法律に基づいたものだという。しかし人生を破壊するのに変わりはない。大規模な人権侵害が民主的に行われているのだ。」

「生きていることから生きていくことへ--高齢者のまなざしから」川島みどり。下「」引用。

「「生きていることがまだ信じられねぇ」といいながら涙ぐむお年寄り。“つなみ”は長年連れ添った妻と家を一瞬にして奪い去ってしまったのでした。苦しく辛い胸の内に近づくすべも言葉もなく、その場を後にしたのでしたが、「だども生きなきゃなあ」という微かなつぶやきが聞こえた気がしました。-略-」

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僧侶……。下「」引用。

「南相馬農業高校体育館には一○○体近いご遺体が安置されていた。柩のに窓が閉じられたものは身元が確認された方。身元がかわらない方の窓は開けられたままだ。
 私はいままで僧侶として、死の周辺を歩いてきた。-略-
 しかし、それらは何の役にも立たなかった。一○○体ものご遺体を前にした瞬間、私の死を視た体験は崩れ去っていった。いままでの死とはボリュームがまったく違う、すさまじい死がそこにあった。柩の中の一人ひとりが、津波に襲われ、のみ込まれる瞬間、何を思ったのだろう、苦しかっただろう、痛かったであろうと、そんな思いが交錯した。それは強烈な痛みとなり、傷となって私の内面を襲った。-略-」

福島大学の避難所。下「」引用。

「福島大学も被災地として大学敷地内に避難所を開設した。多いときは一五○人ほどの避難者を受け入れ、四月三○日までおよそ一カ月間支援を続けた。-略-」

一杯のコーヒーと精神科医。下「」引用。

「精神科医は「がんばれない」トラウマを見つけ、治療することに汲々(きゅうきゅう)としてしまい、むしろ一杯のコーヒーで癒される人生の逆説を見落とすこともある。避難所はその条件を満たしてはいるが、人は寝るところがあり、食べるものがあり、着るものがあるだけでは生きる意味を喪失していく。贅沢や無駄やゆとりのある空間が人を甦生させる。-略-」

いろいろなもので人間は癒されているものでしようね……。
音楽、マンガ、お笑い、ペット、いろいろでしょうね……。

「法は人を救うためにある」津久井進。阪神淡路大震災の被災地で。下「」引用。

「被災から二カ月余が経ったころだろうか、ボランティア先の避難所で、「僕、弁護士の卵なんですけど、何か法律の相談事はありませんか」と聞いてみた。すると、たき火を囲んでいるオッちゃんが「兄ちゃん、そんなら罹災都市借地借家処理法って知っているか。ワシらには優先借地権ゆうのがあるんやで」などと逆に教えられたことがある。罹災法というのは、戦災復興の借地借家の特別法で、優先借地権というのは、本来は無権利になる借家人に借地権を与える特殊な権利である。弁護士による相談で教示されたとのこと。
 神戸の被災地の現場では、そんな特殊な法律も含め、法の知識が行きわたり、法が希望を与え、そして、その法を広めた専門家たちが存在していることを知った。このときボランティアとして関わった経験は、その後の弁護士の財産になっている。-略-」








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