磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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天よりの大いなる声-広島原爆体験記-

2008年06月20日 | 読書日記など
『天よりの大いなる声-広島原爆体験記-』
   日本基督教青年会同盟・編/東京トリビューン社1949年

神学者などになれば、神と肩を並べて、神はその神学者を裁かないと思っておられる人もおられるようですね……。
--関係のない私から見れば、牧師もただの人間としか思えないけれど……。
ただの人間として生きたジョン・レノンを尊敬するボクです……。



「改訂版によせて」末包敏夫・記。下「」引用。

「昭和二十四年四月十七日復活節の朝、「天よりの大なる聲」は全國にさきがけて廣島で最初に賣り出された。市民十七人の手になるこの手記は、奪うように市民の間に擴がつていつた。人々は一本を求めて霊前に供え、死者の冥福を心をこめて祈つた。本を手にして、初めて私は心の平安を得ましたと涙ながらに告白する母もあった。百部二百部と求めて、亡き愛児の記念のために友人や縁者の間に領つものもある。」

タイトルは聖書の引用らしいです。下「」引用。

「天より大いなる聲して「ここに昇れ」
というを彼ら聞きたれば、
雲に乗りて天に昇れり。
第二の禍害(わざわい)すぎ去れり、
視よ第三の禍害すみやからに來るなり。
   新約聖書黙示録第十一章十二節-十四説」

神の摂理といいたいのでしょうか?

まあ、クリスチャンでないボクが拘(こだわ)っても仕方ない……。

「平和と原子力時代」ラツセル・ダーギン記では、こう書かれてあります。下「」引用。

「戦争前にはほとんど知られていなかつた廣島が、今日は世界中に知れわたつて來た。実に廣島という名前は、多くの人々の心の中に、世界の國際関係の岐路に立つ悲劇的象徴となつている。即ち平和と一体になつた世界において、科学を建設的に使うか、望みなきまでに分裂した世界において、発明的天才の作つたものを分別に使つて、-略-」

この著者は精神的が好きなようです。

その精神がはたして、高尚なものか?……。
--飢えている人にパン一個も与えない高尚などあってたまるか!
そうとも思えるが、彼は与えている可能性は高いかもしれない?……。

今でいう保育士さんの体験記がありました。下「」引用。

「そこに居た子供は五人、保姆は三人だつた。
「オカアチャン!」
 子供の一人が、私の体に抱きついて來た。その瞬間、物凄い爆音! 崩壊音!」

この子どもたちも罪があるというのだろうか……。

「贖(あがな)いの地」木村文太郎・記。
--どうして原爆をキリスト教国が落としたのか? という質問に対して。下「」引用。

「私は返事に困った。米國でも、基督者もいれば、信仰に冷淡な者も多い。-略-「良いとか悪いとかの言う判断は、日本人として今すべきではない。またすることも出來ない。むしろ、歴史がそれを、公平に、正当にしてくれるだろうと思う。世界歴史は世界審判と言うから。-略-その時は、米國も日本も、共に正当に厳粛に審かれるであろう。それ故に、時に先立ちて審くべきではなかろうと思う。我々のすべき事は、審くことではなしに、責任をわきまえた内省であると思つている。」

これも結局は人間としてはいい加減な答えではないだろうか?
神がすべてを決めるだけなら、何も語る必要はないような気がする。
神は平和をつくりだすことを求めておられるのに、語るな! と教えているようなものではないか?
--そんなことでは教えに背いていないのか?

キリスト教者がおこなってきたことを、きちんと反省しないといけないと思う。

--力があるなら、弱い者を黙らせるとしたら、それは民主主義でもないだろう。
それが占領国の政策で、占領されてい日本国の国民だったというのなら理解できるが、占領国の政策を共にすすめていたら、民主主義ではなく共犯者と言われても仕方がないだろう。

キリスト者も日本でもいろいろおられると思いますが……。

反キリストとは何か?

クエーカー教徒ほど、平和的で平和をつくりあげてきた人たちもいないだろう……。
--もちろん、例外もいることでしようが……。

でも、彼らが主というイエス・キリストは十字架で殺したのではなく、殺されたということは歴史と信じておられるわけですね。

また、この本は宗教事業にあてられたという。下「」引用。

「本書出版の印税収入は挙げて、メモリアル・ホールとしての廣島YMCA会館の建築資金に」


日本の原爆記録 1






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