磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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いま、非情の町で

2009年09月25日 | 読書日記など
『いま、非情の町で』
   鎌田慧・著/岩波書店1998年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「倒産、リストラ、環境破壊、官政財界の腐敗……大恐慌の不安漲る町々にも、なお闘いをあきらめない人びとがいる。96~98年、非人情の風の吹き荒れる世紀末日本を東奔西走し、記録しつづけた現在進行形のルポルタージュとエッセイを集成。」



政治家と教育。下「」引用。

「政治家たちや高級官僚たちや、あるいは経営者たちが、なにがあっても「知らぬ存ぜぬ」で言い抜けようとしているのをテレビでみたりすると、彼らの厚顔や無恥に腹立たしくなるばかりでなく、「他人に迷惑をかけない」という人間関係の基本や「罪と罰」にたいする畏敬などを教えられてこなかった彼らの生活歴に関心をもたざるをえない。
「いったい、どんな教育を受けてきたのだろう」
 この場合の教育とは、学校教育のことばかりではない。彼らはたいがい、学校では優等生だったからだ。文字による知識だけを植えつけるのではたいしたことはない。むしろ害悪ともいえる。彼らが教わってこなったのは、人間的な教育であり、人間的なモラル、ということである。-略-」

『トランクの中の日本』のなかの一枚の写真について。下「」引用。

「たしかに、この一枚の写真は、少年からいきなり奪いとったものの大きさばかりか、これから生きなければならない長い苦難の道を示している。しかし、ほかならず、生き延びたものにその苦難を与えたのは、カメラマンが所属していた国の軍隊であり、その国が開発したもっとも非人道的な一発の爆弾だった。その投下の行為が論理的に否定されないかぎり、核開発競争ととどまることがない、というその後の歴史をもふくみこんでいるのかもしれない。
 とはいえ、米軍による原爆投下は、日本の侵略行為の延長線上にあり、まったく無駄な被害を食い止めえなかった責任は、徒に敗戦を引き延ばしていた日本の指導者層にある。一枚の写真はそれらのことをあわせて考えさせる。」

「悲しみの市--豊田市」
トヨタの創業者の名前がつけられているという。
--ローンで自動車をかう社員。
工場や社宅や独身寮は歩いていける距離ではないという。
--トヨタの社員は出身層別に会があるという。

「ギロチンは「有明海の子宮」を殺した」

「悲劇の村」=青森県六ヶ所村。下「」引用。

「この村には、知り合いが多いので、そんないいかたをしては申し訳ないのだが、実際のところ、この村ほど国から騙されつづけてきたところはめずらしい。-略-」

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--沖縄戦のことも書かれてあった。

田無署の特高と吉祥寺に住んでいた埴谷。下「」引用。

「大松チヨ子によれば、埴谷にはいわなかったが、田無署の特高がよくまわってきた。その頃から、埴谷は道路に面した出窓を背にして木製の肘掛け椅子に座り、客と相対している。そして、隣りの小部屋に籠もって、『死霊』に考えをめぐらしてつづけてきたのである。-略-」

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記者クラブ。下「」引用。

「マスコミと権力との緊張感が欠如している土壌として、記者クラブ制度がある。日常的に権力から情報をもらっていて、なんとも思っていない。餌づけされ、書かされていて、なお不思議に思わない。退廃である。それもあたかも秘密クラブのように、閉鎖的なのだ。この制度に新聞とテレビ局が乗っているかぎり、かならず、第二、第三のTBS事件が起こる。」

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