磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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女たちの風船爆弾

2009年09月29日 | 読書日記など
『女たちの風船爆弾』
   林えいだい・著/亜紀書房1985年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「小倉が長崎でなかったのは偶然でしかなかった。小倉で生き残った人びとは身替りになった長崎の人びとの冥福を祈りつづけなければならない。小倉に原爆が投下されていたら、彼女たちはじめ私は、この地球上から完全に抹消されていたであろう。風船爆弾の記録を残すことは、広島と長崎で犠牲になった人びとの鎮魂につながるものと信じている。」



原爆機……。下「」引用。

「綿入りの防空ずきんを頭からすっぽりかぶっているため、あまりの暑さに列車の下からはい出して恐る恐る空を見あげた。B29特有の鈍い爆音がして、ほんのちょっぴりのぞいた晴れ間に、ぎらぎらした銀色の機体が見えた。
 その機体はすぐに雲にさえぎられた。私がかい間見たB29が、原子爆弾を積んで長崎へ向かう魔神だとは、ずっと後になるまで知らなかった。-略-」

「2 小倉はなぜ狙われたか」 下「」引用。

「戦後、私の胸の中には、なぜ小倉に原爆を投下しようとしたのか、いつまでも疑問として残った。もし軍事目標であるならば、日本の産業の心臓部ともいわれる八幡製鉄所であるはずだ。小倉は軍都とはいえ、第十二師団はすでに久留米に移転し、小倉連隊は菊兵団としてビルマ戦線に派遣されている。目標となるのりは西日本最大の陸軍造兵廠と、山田弾薬庫しかない。
 その小倉造兵廠も北九州の空襲の激化に伴い、各地に工場疎開をして、工員の数は一万二千人の以前の三分の一以下になっていた。-略-」

風船爆弾を製造していたからではないか? と推理する著者。下「」引用。

「数年前、ふとしたことで、昭和十九年秋から二十年春にかけて小倉造兵廠でアメリカ本土を攻撃するため、風船爆弾の紙気球をつくっていたことを知った。-略-」

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『スミソニアン飛行叢書第九号』 下「」引用。

「そのうち『スミソニアン飛行叢書第九号』を読み、「もしも、細菌や毒ガスなどを使うことによって、この気球爆弾をさらに改善していたならば、その結果は米国にとって悲惨なものになっていたであろう」という記述にぶつかった。-略-」

メーカー……。下「」引用。

「風船爆弾の開発は、陸軍第九技術研究所(能登研究所ともいう)が中心になって行われ、部会では東大航研、中央気象台、それに精工舎、藤倉工業、国産科学、中外火工、横河製作所、久保田無線、三田無千所などのメーカーが協力した。
 最初、気球(紙風船)は、東京蒲田の国産科学で試作され、中外火工や藤倉工業などで生産された。だが、下請工場だけでは目標に達しないことがわかり、陸軍兵器本部造兵部の管轄下にある造兵廠が主体になって大量生産に入った。」

草パン……。下「」引用。

「刈り取ってきた野草は家で乾燥させ、学校でそれを集めて明治製菓戸畑工場で製粉した。
 それを小麦粉に混ぜて、“草パン”をつくって生徒たちは食べた。空腹だから仕方なく食べたが、喉を傷つけそうで水をがぶ飲みした。
「あの草パンは腹は太るけど馬糞みたい。ワラを食べている感じでした」」

七三一部隊と……。下「」引用。

「栄養失調と過労で倒れた武田さんは、風船爆弾を本格的に放球する時は直接タッチしていないが、一宮実験場で七三一部隊の将校と度々顔を合わせたというのだ。
 一宮実験場に、何故、七三一部隊の左官級の将校が姿を現していたのか。やっぱり私は軍首脳部に細菌
爆弾と毒ガス兵器攻撃の意図があったのではないかと疑った。-略-金子少佐が七三一部隊で細菌を研究していることを知っていたので、武田少佐は細菌爆弾の可能性をなんとなく尋ねた。
「もしも細菌戦というものに入った時、日本は絶対にアメリカにはかないませんよ。アメリカ本土が広いことと、奴らは底知れない生産力を持っていることだし、相手は決して黙ってはいません。当然、細菌の研究をやって報復してきますから」-略-」

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広島原爆を山口で見た人のことが書かれてある。

級友ヒバク……。下「」引用。

「広島に原子爆弾が投下された日、風船爆弾の原紙張りをした山口高女の級友二人が被爆した。」








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