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「戦争体験」の戦後史-世代・教養・イデオロギー-

2009年08月24日 | 読書日記など
『「戦争体験」の戦後史-世代・教養・イデオロギー-』
   福間良明・著/中央公論新社2009年

「ヒロシマ・ナガサキ」の一般の被爆者の体験は戦争責任もあれば平和責任も感じる優良なものと、イデオロギー論争との差を感じた。
この本では、イデオロギーの人たちのことを多くとりあげている気がボクにはした。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「アジア・太平洋戦争下、三○○万人以上犠牲者を出した日本。この「戦争体験」は、悲劇として語られ、現在では反戦・平和と結びつくことが多い。だが、戦後六○年のなかでそれは、実は様々な中心に、「戦争体験」が、世代・教養・イデオロギーの違いによって、どのように記憶され、語られ、利用されてきたかを辿り、あの戦争に対する日本人の複雑な思いの変遷をみる。」

体験なしの反戦闘争は、『きけわだつみのこえ』にも反対した。下「」引用。

「彼らは、社会党・共産党など従来の左派政党とは距離をとりつつ、沖縄条件返還闘争やベトナム反戦闘争などの反戦運動を展開していた。その彼らが、なぜ「反戦のシンボル」のわだつみの像を叩き壊さなければならなかったのか。-略-
 ここには、先にあげたような戦争体験と「反戦」「平和」の両立はない。-略-」

ラッセル卿は『戦争は疫病』とした。まさに疫病である。その病理学を知ることは、病から解放される道である。また、戦争体験をしることにより、戦争という流行り病のワクチンをうつことにもなっている。だが、積極的な平和では、構造的差別という体質改善をも訴えている時代でもある。

「戦争体験」は医学でいえば、ある意味「病理学」としてみていくものだろうとボクは思う……。
もちろん、どんな患者であろうと、「健康」な部分はある……。それを否定すべきでもないとも思うが……。

記憶をすり替えたような批判者・出隆。下「」引用。

「だが、出の戦後の議論は、出の戦後の議論は、戦時下の言動の実際を覆い隠すものであった。出の戦時への向き合い方は、-略-むしろ、露骨な戦争賛美に近かった。出は、一九四四年三月に『詩人哲学者』を出している-略-学徒出陣する大学生にこう語りかけている。
 もう何も言ふことはない。ただお願ひが一つある。諸君、美しく死んでくれ給へ。これが私のただ一つの願ひである。-略-」

京都学派は戦争協力のイメージが色濃かったという。

「崇高」は彼らの人間性を否定するための便法だという。下「」引用。

「-略-神風特別攻撃隊のことになると、私のクラスメートを含めて、語らなければらないことは多い。言われているほど、彼らの心情は崇高であったとは私は信じていない。いや、「崇高」とまつりあげることによって、死に臨んでの彼らのどろどろと流れる生きた血の部分を無視してしまうことになるのではないか、と怖れる気持ちがつよい。(『国家なき日本』)」

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虚像としての「わだつみ像」、星野芳郎。下「」引用。

「星野にしてみれば、それは学徒兵の実態と乖離したものであった。星野は戦時下の学徒兵の思考様式について、次のように回想している。
 大半の人間[学徒兵]は、自分のまわりの小さな世界をつくって、その中に逃げこもうとしていた。一方で、和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」などの世界に沈潜し、他方では麻雀や酒にひたるという状況で、戦争に進んでとびこむのでもなく、むろん反対するのでもなく、ただ戦争のことも、人生も考えまいとして、その日その日を送っていたのではなかったか。(「虚像としての“わだつみの像”」)」









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