磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波講座アジア・太平洋戦争6 日常生活の中の総力戦

2009年07月09日 | 読書日記など
『岩波講座アジア・太平洋戦争6 日常生活の中の総力戦』
   倉沢愛子、他・編集委員/岩波書店2006年

どうも理解できないところもありました……。



「月報6」にこんなことが書かれてありました。下「」引用。

「弱い者いじめの感じが抜けきれず、幕末や中国革命の志士の物語と重ねあわせて考えたのだろう。まだ人間くさい軍国主義だった。」

弱い者いじめが人間臭い?

中国残留婦人……。下「」引用。

「「残留婦人」のほとんどは中国人の妻、又は「妾」になっている。避難の途中で家族とはぐれ、動けないところを中国人に救われて「結婚」した。収容所で寒さと飢餓に瀕し、「トウモロコシ二升で」中国人に身を売った。こうした証言は枚挙にいとまがない。しかしそうした女性をみる日本人の眼は冷たい。同郷出身者に「汚らしい」といわれ、帰国を断念したという証言もある。」

姫路の遊廓の記録……。下「」引用。

「たとえば、姫路の遊廓は、満州事変時に「業者及娼妓全員軍の慰安所的任務を遂行」したのを皮切りに、日中戦開始により「慰安婦としての役割を全面的に発起」することが求められ、太平洋戦争開戦後、「娼妓二十名以上を慰安婦として南方占領地へ派遣」している(『姫路市史』第一三巻上史料編近現代二、一九九四年、資料八○七)。」

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学童疎開をテーマにした映画『みんなわが子』の原作。下「」引用。

「目黒区立月光原国民学校の学童疎開の記録である月光原小学校編『学童疎開の記録』(一九六○年、未來社)をもとにしたもので、映画が作られたのもまだもっぱら疎開当時者の「われわれ」という語りのみが行われていた時期のものである。-略-」

もくじ

戦争未亡人……。下「」引用。

「また、当時のいわゆるカストリ雑誌は「性に悩む戦争未亡人」を格好の題材として取りあげた。
 『主婦之友』は未亡人の手記を募集し、後に『戦争未亡人の叫び--いとし子と耐えてゆかむ』(一九五二年三月)として刊行した。-略-」

未亡人というのは失礼だといいますね……。

「めぐみ会」 下「」引用。

「引揚運動に関わりながら、夫との再会を信じて運動に参加した妻たちが希望を失い落胆する姿を参手、それを慰めるため未帰還者の妻の集りを結成しようと呼びかけた僧侶がいた。そうして「めぐみ会」が京都の西本願寺で結成された。結成当時の社会は戦後復興を遂げ「もはや戦後ではない」とも称される中、妻たちは夫の帰りを待ち続けていた。めぐみ会には戦死公報を受け取った者も同じ夫を戦死で亡くした境遇の仲間として親睦会や身の上相談などの事業を続けた。」

もくじ

「抵抗の宗教/協力の宗教--戦時期創価教育学会の変容」島薗進・著。下「」引用。

「牧口、戸田らが逮捕されたのは七月六日で、その容疑について『特高月報』昭和一七年七月分は、「尊厳冒瀆並に不敬容疑濃厚」としている。また、具体的な例として、「牧口会長は信者等に対して「天皇は凡夫だ」「克く忠になどとは天皇自ら言はるべきものではない。教育勅語から削除すべきだ」「法華経、日蓮を誹謗すれば必ず罰が当る」「伊勢神宮など拝む要はない」等不逞教説を流布」したことをあげている。-略-」


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