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B-29 64都市を焼く 1944年より1945年8月15日まで

2008年02月16日 | 読書日記など
『B-29 64都市を焼く
   1944年より1945年8月15日まで』
     奥住喜重・著/揺籃社2006年

この中には、広島、長崎の原爆も含まれています。広島の原爆の爆心は目標地点から250mしかはずれなかったという。長崎の場合は市街地が目標だったが3.4kmは離れたところが爆心であったという。



B-29開発はナチス攻撃を想定したはじめられたという。下「」引用。

「B-29開発の発端は、1939年の11月10日にさかのぼるという。時はナチス・ドイツがポーランドに侵入して、ヨーロッパにの第2次世界大戦が勃発した直後である。この日、当時はまだ陸軍航空隊(Army Air Corps, AAC)といったが、その首長のアーノルド少将(当時)(Henry H.Arnold, 1886.6.25~1950.1.15)が、行動半径2000マイル(3200km)で、B-17やB-24をしのぐような、超長距離の4発重爆撃機の試作開発に着手するように、陸軍省に許可を求めた。これは、ナチス・ドイツが南アメリカに拠点を確保した場合に、それを攻撃することを想定したものであった。
 1か月余りののち、12月2日には陸軍省の承認が得られた。明けて1940年、陸軍航空隊が発した仕様書には、ボーイング、ロッキード、ダグラス、コンソリデーテッドの4社が応じたが、その後、ボーイングとコンソリデーテッドの2社を残して、ロッキードとダグラスは競争から手を引いた。」

攻撃の時間は、世界時が使用されたという。下「」引用。

「作戦任務報告書、TMRの時刻表示は、特定の場合は別として、全て一つの標準時で統一している。それは24時間制のグリニッジ標準時、世界時で、日本標準時よりも9時間だけ遅れている。」

米国の公式記録といえど、限界は存在する……。下「」引用。

「グアムのXXIや第20航空軍の司令部が作成し続けた報告書は、旧日本軍の文書に比すれば確かに客観性において勝っているが、やはり限界は存在する。」

市街地に投下した弾種は17種類だという。
焼夷弾類から、破壊・殺傷用に混投した爆弾類まで、全部で17種。

I.B.類の説明。下「」引用。

「I.B.とはIncendiary Bombの略で、要するに焼夷弾であり、公称100ポンドのM-47系列のもの3種、および公称500ポンドのM-76、以上4種がこれに属する。」

G.P.類の説明。下「」引用。

「G.P.とは、General Purposeの略で一般目的弾と訳すが、要するに通常の破壊用爆弾である。H.E.と書かれもするが、これはHigh Explosiveの略で高性能爆弾と訳す。」

広島原爆の場合。下「」引用。

「現実の爆心は、照準点を南東に250mばかり外れた島美容院になったけれども、30700フィート[9400m]の高高度から自由落下させた結果としては、高い精度であった。」

長崎の場合は、長崎市街地の中央部に定めてあった。下「」引用。

「この照準点から3.4kmは離れ、有効破壊半径を1.1kmばかり飛び出して、浦上川沿いの松山町交差点南東80m地点が爆心となった。」

長崎原爆では、いろいろアクシデントがあったと、スウィーニーは書いている……。

ボックス・カーはどこを狙ったか







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