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[新版]東京を爆撃せよ 米軍作戦任務報告書は語る

2008年02月16日 | 読書日記など
『[新版]東京を爆撃せよ
   米軍作戦任務報告書は語る』
     奥住喜重・早乙女勝元(共著)/三省堂2007年

焼夷弾のなかには、クラスター爆弾と呼べるものがあったという……。



リト・モザイク(Litho-Mosaic、石版集成図という訳語もある)について書かれてありました。下「」引用。

「「1140661」
 この6ケタの数字はナガサキ原爆の照準点である。
 一九九五年の一一月七日、オランダのハーグの国際司法裁判所において、長崎市長・伊藤一長は、次のように訴えた。
「その後、本来の投下目標地点は、長崎市北部の浦上地区ではなく、旧市街の中心部であったことが明らかとなりました。もし原爆が人口の密集した旧市街上空で炸裂していたならば、長崎は、おそらく地上から完全に消え去っていたものと思います。」」

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焼夷弾(しょういだん)はまさにクラスター爆弾だったという。下「」引用。

「ノルウェー政府主導のもとに、クラスター爆弾の禁止に向けて条約を作ろうとする運動が始まっているが、筆者が以前から集束焼夷弾として訳してきたのは、実に Incendiary cluster、略称ICである。M69焼夷弾の系列は三八発しか束ねていないが、M50テルミット・マグネシウム焼夷弾は一一○発を束ねてあり、そのうち二○%(二二発)は爆発性で人員殺傷(消火活動妨害)用であるから、これはまさにクラスター焼夷弾である。クラスター爆弾は、ソ連がフィンランドに対して「モロトフのパン篭」を投下した時に誕生したと言ってよいであろう。」

そして、市民のものに対する攻撃だった。下「」引用。

「『日本-焼夷攻撃資料』の中には、例えば、次のような記述がある。
「二○都市の総人口一六六二万人の七一%、およそ一二○○万人の家を焼き払って、備蓄食糧、衣料等々を破壊する」。攻撃の標的は一般市民そのものであったと知るべきである。」

2007年、民営民立の「東京大空襲・戦災資料センター」の増築が完成、リニューアルオープン。

945年2月25日は雪、「雪天の大空襲(作戦任務38番)」だったという。

セント・エルモの火」……。下「」引用。

「「セント・エルモの火」は、目標附近の上空でも盛んに燃えて、自然現象らしく公平に、日本機のプロペラからも発した。それによってB29の搭乗員たちは日本機の型を、単発であるか双発であるか判別した。」

St Elmo's fire



日本軍の暴挙も忘れてはならないことですね。下「」引用。

「三月一○日の東京を中心とするB29の都市無差別爆撃は、国際法上、人道上、許しがたい暴挙であるが、実は日本軍による無差別爆撃の前史があったことをけっして忘れてはならないのだと思う。」









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