磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

D049.国とはわらわのことじゃ!

2005年11月06日 | 【小説】 レインボー...
IV.むらさき色の部屋(虹の世界)

D049.国とはわらわのことじゃ!





「そんなものは別にいなくとも、いいのだ」
 と王様はあきれていた。

「その通りでございます。国とは王のことであります。王が国を見せろということは、王様の宝を見せることであります」

「その通りだとも」

「国民は、お城の外よね」
「そんなものが見たいのか?」
「あっ、はい」

「執事、見せてあげなさい。わが国は民主主義であるからして、誠に国民は喜んでおるのじゃなあー」

「誠にそうでございます。法律で決まっております」
 と執事は頭を下げる。

「国民とは、いいものじや、わらわを尊敬し、わらわの為に働き、わらわを神のように、わらわを父のように思っておるんじゃぞ」

「そうなの……」
 ユリカにはわからないことだった。

「では、お城の外に出ます」

「そうか、執事、お前にはかわいそうなことをする。わらわがいるお城は天国じゃが、下界は悲しい。わらわが下界に住めば、そんなこともなくなるだろが……、お城のこともあるのでなあー」
 王様は、気の毒そうな顔をしている。

 そして、ユリカと執事は町へ出た。
 お城のまわりはとても奇麗な道なのに、少し離れると、泥水がかかりそうな道であった。

「小娘、おまえは変った人間じゃのう」
 執事はユリカをにらみつけていた。

 舗装もされていない泥道を行くと、泣いている老婆がいた。
 ユリカは駆け寄って「どうしたのですか?」ときいた。

「それが、年貢を治めることができず、馬を売ったのです」
「そうなの、可哀想ね」
「長年いっしょに働いていたので、悲しいったら、ありゃしないよ」
 おばあさんを気の毒そうに見るユリカ。
 
「でも、私はまだいい方だよ。隣の家なんか、年貢が払えないから、娘を売ったんじゃよ」
「あら、それで、豊かな国なの?」

「豊かです。王様は豊かです。どんな国の王よりもお金持ちです」
 と執事は威張っていた。

「そうなの……。この国が豊かなわけじゃないのね」
「いいえ、国は王様ですから、国が豊かなのです」

「この人たちは、どうなの」
「国王をしたっています」

「そうなの……」
 ユリカはおばあさんにきいた。

「そんなことは、言えないのよ。法律があるんですから」
「そうです。法治国家でもあります。民主主義国家でもあります」

「選挙もあるってこと?」
「あります」

「でも、王様が決めた人しか選挙に出られないのよ」
「それが正しい。誰でもだしたら、悪人でも議員になってしまうじゃないか。議員になるべきふさわしい人が議員になる。まさに、きちんとした国家です」

 道を歩いていると、痩せた子どもがボロ切れのような服を着ている。
「ねえ、何か食べものない」
「こら、そんなことを言ってはいけない。躾けがなっとらん」
 と怒り、執事は手に持っている杖で少年を叩いた。執事が鬼のように見える。

「これが、豊かで、そして民主主義なんですか」
「その通りです。あなたは変人ですか。そう見えないのですか」
「ええ、人々がかわいそうです」

「いいんです。彼らは鍛えられねばなりません。彼らはもっと努力すべきなのです。われわれのように努力を何一つしていないのです」
「本当かしら」

「そうです。ここの世界の人間でもないのに、くだらんちょっかいは出さないでくれたまえ」

 とても不愉快な気持でお城に帰ってきた。





閑話休題

「先端科学技術と人権」という本を手にしています。
環境問題=人権ということが、よくわかります。
この本は、ドイツと日本の学者が集って書いた本です。
かなり難解なのが残念です。

私はJ-WAVEというラジオをよく聴きますが、
『スローライフ』を提唱されています。
環境にもいいし、健康にもいいし、
人間的だし、素晴らしいなあと思います。
うらやましくもあります。

東京砂漠の真中のラジオ局が、
『スローライフ』に憧れている。





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[レインボー・ループ]もくじ








修学旅行

2005年11月06日 | 短編など
【本人評】この作文は中学校の育友会誌という学校がPTAに配布していたものに、掲載されたものです。相も変わらず、てきとうに書いてしまって、載せるというので、推敲してなどといわれましたが、無視してましたので、成績のよい美人のクラス委員が推敲して清書してくれたと思います。小学校のときの「修学旅行の思い出」も、成績のいい子が推敲と清書してくれたと思います。ぼくはそういうことが苦手でしたし、今も苦手です。書くだけなら、気楽にできるんですけど……。
この作文で気になるのは「神が黙にん」としているのは、「神は何もしない」位にしておいた方がよかったと思います。神は黙認などはしていないと考えます。まあ、キリストにまで、平和にしろと粗野な言葉を使っているのが、中学の頃の僕らしいことです。小学校のとき、友達の名前を書いたので叱られたので、この時は誰の名もかいてません。中学生のときの作文、生意気かもしれませんが、もしよかったらお読みください。




修学旅行
     三年四組 ○○○○(鱧男)

ぼくたち中三になると、修学旅行がある。
三泊四日で二十五日~二十八日いった。初は、なんとなく行くのがいやだったが、いったらいやなことはなく楽しかった。その楽しかったことを書きます。

二十五日に光号で岡山まで行き、ディゼルで広島までいった。広島の原爆ドームで写真をとり資料館でいろいろものを見た。

原爆で、まがったびん、人の服、人のただれたひふをした写真、ケロイドの写真、地形の写真、どれもこれもざんこくな写真や物ばかりであった。

感想一、人間は、弱い動物で、恐ろしい動物であると思った。人間は仲間を殺す。
自然にも、他のことでも、天災、地球のはめつに関することなど、問題がおおいのに、地球人の中も、仲よくなれない。意思の弱い動物でいちばんみっともない動物だと思う。そして、大へんにおそろしい動物だと思う。

感想二、ぼくは、いままでは神を信じていたが、こんな結果(広島で大ぜいのしんだこと)を黙にんしているなんて……。

いやちがう、キリストは、人間がわるい行動をこれ以上、発展させないために、広島の原爆をもくにんしていたのだ。しかし、しかし、人類は何だ、まだ、原爆だけではあきず水爆というおそろしいものをつくっていった。今も、死の研究をしている。

やめてくれ。人類をみじめにすること、人類を不幸にすること、神をうらぎること、人類の子供の未来を、破かいすること……。

平和が一番、平和が一番いい、そうだろう。キリスト、そうだろう、あんた。

しかし、こんな虫の声じゃ、○○国××国なんかにきこえない。しかし、広島を、死神の町から生神の町に変えたのはだれ、そう人間、でも一人だけでできると思う、いいや、町、全体の人が懸命に生神の町にした。そのように、水爆、戦争の反対を、ぼくたち人類が集って懸命にやったらよいと思う。それだけ人類が集れば強い……。

だけど、口だけでおわるような気がする……。“ああ、今日を生きよう”

それから、宮島に行き、厳島神社に行った。だが、あまりよくなかった。
京都の方が好きだ。京都がよいと、ただただ思った。

そして、大根屋に泊まった。しちゃかめちゃかという状態であった。

二日目、秋芳洞、秋吉台、自然とは偉大であり、ぼくたちのおこなっていることが小さく感じた。

そして自然は、美しい、そして、地味であるが、かがやきがあり、人間になにかを考えさしている。そして、自然は大いなる母、その母を、人間が、荒らしている。何かバカみたいな感じがした。そして、自然は生きているとものすごく感じた。

二日目の泊まる所は「楽天地」である。楽天地は、魚をようしょくしていて、海と海の間に、旅館があるという感じがした。

二日目の夜は、初めあばれただけで、すぐねた。

三日目、東光寺にいった。なにもかもが京都と違うやり方みたいだけど、同じ日本だから、やっぱり共通点があった。

そして、京都と同じく、おみくじは、自動販売機であった。味がない。そして京都と違って、よく石がつかってあった。

ぼくは、石より木の方が好きだ。しかし、今も昔もお墓や寺は、かわらないでいてほしいと思った。

松陰神社で、昔の人は、くろうして、ぼくのきらいな学問をやったんだなぁと思った。

三日目の夜は、阪急フェリーの上である。あまり寝ごこちがよくないので、ちょびっとしか寝なかった。すると先生方が、ぞろぞろ見回りをしておられた。眠たくないのかなあ……と思った。

そして九時半ごろに、神戸の港についた。赤ちゃけた色をしたきたない海だった。そして、バスに乗って田辺町に帰ってきたのだ。

最後に、修学旅行でぼくの考えたこと。人間は、人間が弱いので、知恵がつよくなって、そして科学を生んだ。

そして、科学によってころされた人たちがいる。何かへんな感じがした。人間をかばうためにつくったものなのに。

でも、ぼくは、自然、地球、宇宙、未来、人のことをかんがえて、自然かつ幸福にくらしていったらよいと思う。

ぜいたくあるいは、波のないことが幸福だとは思わない。







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アンネの童話

2005年11月06日 | 読書日記など
アンネの童話

この本はアンネ・フランクがその短い生涯のなかで、
書いてた童話です。
もちろん、「アンネの日記」のアンネ・フランクが
書いた作品です。

アンネは強制されて書いたわけではないことが、
このことでもわかると思います。

ぼくも子どものころから、書いているので、
とてもアンネ・フランクを身近に感じます。

「アンネの日記」で、アンネ・フランクのファンに
なった人で、まだ読みたいという方は、
この本を読まれてはいかがかと思います。

アンネ・フランクもシモーヌ・ヴェイユもユダヤ系ですが、
どちらも自分の目でしっかり見て、
自分の頭で考えています。
欲望に心を奪われて、都合のよい論理を展開している
人たちではありません。
尊敬すべき人たちだと僕は思います。




[平和のための読書]