スヌスムムリクの生々流転日記

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湯島聖天 天台宗 心城院 「柳の井」 

2014-02-03 23:00:00 | 湧水

湯島天満宮の男坂下に心城院という小さな寺院があります。

こちらで私が惹かれるのが湧水です。

所在地:東京都文京区湯島3-32-4

心城院栞による心城院の縁起

当山はもと宝珠弁財天堂と称し、湯島天神の一堂宇であった。湯島天神は菅原道真 公を祭神としているが、道真公は、藤原時 平公の讒言により九州へ流された時、その 冤罪をそそぐため聖天(大聖歓喜天・大聖歓喜自在天)さまに祈念され、その信仰が 篤く、ために「天満自在天」ともいわれ た。 ときに江戸の元禄7年(1694)、湯島天神別 当職の天台宗喜見院第3世宥海大僧都が、道真公と因縁浅かざる大聖歓喜天を湯島天 神境内に奉安するため開基されたのが当山 のはじめで、この聖天さまは比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられている。当山 は太田道灌時代には湯島天神の表門に当 り、また道灌の皓月亭跡とも伝えられた。 元禄の開基以来、当山は「湯島の聖天さま」として熱心な信者の参詣があり、有名な紀伊国屋文左衛門も当山に帰依された一 人であった。(文学博士・林家友次郎著 「聖天利生記」抜粋) 享保のころ、幕府の財政事情で、幕府が扶助してきた神社仏閣への支出を削減しよう と「富くじ」を発行し、江戸では谷中感応 寺(天王寺)、目黒不動龍泉寺とならび、 湯島喜見院が公認で富くじが行われ、「江戸の三富」といわれ、後に江戸各所で行わ れるようになった。 当時の喜見院は相当の領域があったが、明 治維新の神仏分離令の影響で惜しくも廃 寺、当然喜見院の隠居所的性格をもった当 山も廃寺の運命にあるところだったが、聖 天さまの御加護により湯島天神との本末関 係を絶つのみで、その難を逃れたのである。単独の寺院として歩み出した当山は、 建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名 を「心城院」と改めた。 当山は開基以来幾度となく発生した、江戸 の大火、大正大震災や東京大空襲の戦災に も遭うことなく法灯を伝えてきたが、約三百年の長い風雪に耐えた堂宇は老朽化し破損が甚だしくなったので、近年に改修され た。

(中略)

歓喜天の他に、十一面観音、宝珠弁財天、 出世大黒天等の緒仏天を奉安する当山 は、湯島天神別当喜見院が江戸三十三観音 霊場札所第7番であった関係で、同じく第7番札所として選定されている。商売繁昌、 家内安全、厄除、縁結び、受験合格、病気 平癒等、霊験あらたかな当山は三百年の昔 から信仰の篤い参詣者が絶えない。(下の画像入口の右側、心城院栞より)

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そしてこちらがその湧水です。

江戸の名水?厄除け「柳の井」
 
当山には、江戸名水「柳の井」があることから、「柳井堂(りゅうせい どう)心城院」と称されています。 江戸時代の文献『江戸砂子』・『御府内備考』・『紫の一本(ひとも と)』・『江戸志』などの「柳の井 男坂下」の項に、「この井は名水に して女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ垢落ち る。気晴れて、風新柳の髪をけずると云う心にて、柳の井と名付けた り」と記されています。
「柳の井」は古来より水枯れもなく、数滴髪に撫でれば水が垢を落とす が如く、髪も心も清浄になり降りかかる厄難を拂ってくれると伝えられ ています。この霊水の美髪・厄除けのご利益を求め、日々参拝者が訪れ ています。
また、関東大震災の時には、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の生 命を守った唯一の水として、当時の東京市長から感謝状を受けました。 (指定 文京区防災井戸)

なんとなんと、数滴髪に撫でれば美髪・厄除けの御利益があるそうです…

えぇ~撫でましたとも、数滴といわず…それが何か?( ̄^ ̄)

しかし井戸と呼ぶには少し違うような気がしますがまぁ~なんともきれいなお水が流れ落ちていました。

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放生池(心字池)

江戸時代の文献『江戸志』の「宝珠弁財天 男坂下」の項に、「江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(なが いさねもり。後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝う。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残 りたり」と記され、かつての池は太鼓橋が架かる程の規模だったようです。 この池の水源は「柳の井」で、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、「亀の子寺」として 親しまれておりました。

作家の久保田万太郎(明治22年~昭和38年)は、この池の亀を眺めて一句、 「きさらぎや 亀の子寺の 畳替」と詠みました。

元の池は亀の冬眠にも適した泥池でしたが、近年、周囲の都市化により池の水が抜け、亀の放生が困難となり ました。 かねてより亀池の復活を望む声が多く寄せられ、平成23年10月、篤信者や縁者の寄進により一部改修工事 が行われ、心城院の「心」の字形を模した「心字池」が完成しました。同年11月20日には放生会が行われ、6 0余名の方々により亀や金魚が放され、「亀の子寺」らしい賑わいをみせた一日となりました。 平成24年には、準絶滅危惧種のニホンイシガメの五つ子がこの池で産まれました。

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厄除け?開運 水琴窟

水琴窟は、茶人であり作庭家としても有名な、小堀遠州(1579~1 647)が初めて造ったと云われています。

当山の水琴窟に流れる水は、厄除けの江戸名水「柳の井」の霊水です。 この水を柄杓ですくい、中央の石へ流してください。したたり落ちた水 が地中に埋めた甕の中で反響し、あたかも琴を奏でたような妙なる音が 私たちを楽しませてくれます。癒しを与えると同時に、厄難をも拂って くれることでしょう。聴きづらいときは、脇の聴き竹に耳を添えて下さ い。

この水琴窟は、さいたま市の株式会社東農園・山下利隆様の「都心の由 緒正しい古寺で心穏やかなひと時を感じていただきたい」という思いに より、放生池改修工事を記念し、奉納されました。

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いや~、こちらの水琴窟の音もとてもここちのよい音でした~♪


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