
あれからもう2週間になろうとしている。理由はよくわからないが、ずいぶん昔のことのようにも思える。
何度かレポを書きはじめたのだが、うまくまとまらなくて正直細かいところは忘れてしまったことも多い気がする。コース図などを見ながら思い出して書いてみたい。


昨年は季節外れの大雪に見舞われ、寒さに震えながらのレースだった。今年も曇りで雨もありうるとの予報だった。さすがに雪はなさそうだが、アルプスを眺めながら走ることは今年もできないのかと少し残念な気持ちだった。
しかし、前日も当日もなかなかの好天に恵まれ、あちこちでまだ雪をかぶったアルプスの山々--といってもほとんど名前が分からないのだが--を見ることができて長野マラソンらしさを堪能した。
長野に向かう車からの眺めでもすでにあちこちで「おおっ!」と感動しまくっていたから、レースでは少し落ち着いて眺めることができたけれど、それでも時折り身に入る山の美しさは長野ならではで「おおっ!」と思わず声が出ることも何度かあった。
大会事務局にお願いしたいのだが、ぜひコース上のどこでどの方角に見える山がなんという山なのか、HP上でもパンフレットでもいいから書いておいてもらえると楽しみはさらに大きくなると思う。
風もあまりなかったんじゃないかな。それも走りやすかった理由のひとつ。

沿道はどこも市民の方たちでいっぱいだった。勇気と元気をいただき力に変えて苦しいところも踏ん張ることができた。
とりわけすごかったのが17kmすぎの「エムウェーブ」。狭い場所なので、道の両脇に観客のかたが詰め寄せている感じ。ここに入った途端沸き上がるような歓声に包まれてふるえるほど感動した。まさにオリンピック選手となって1位でゴールに戻ってきたかのごとき熱気だった。ここを走れたのは本当に幸せ。
後半、30kmすぎて苦しくなった。そこからは積極的に沿道に近づきずいぶんハイタッチをさせてもらった。ありがとうございました。

こんなことは初めてだった。とにかく走る前にやろうと思って用意したことが残らず全部できた。いつもなら1つや2つは忘れたり、時間がなくなってアップできないとか最後のトイレに行きそびれるとか、なにがしか予定の行動ができないのが常だが、後から思いかえしてもやり残したことはなかった。
当たり前だが、事前の準備といっても大事なのはレースまでの練習なのであって、十分な練習ができてなくては話にならない。

これまでほとんど記憶にないが、レース終盤の38kmあたりで吐き気に見舞われた。岩本能史の「非常識マラソンメソッド」に従ってアミノバイタルPROの顆粒もウエストバッグに4本忍ばせていた。10㎞、20km、30kmで摂取。さらにエネルギージェルも3個。15㎞、25km、35㎞で摂取。飽きないように、ウィダーのグリーンアップル味とパワーバージェルの梅、それに定番のSAVASピットインリキッドのピーチを携帯した。これが、おそらく引き金になった気がする。
私はなるべく身につけるものは少なくして走りたいと思っている。だからウエストバッグなど論外だったのだが、ランニングウエアはレース用になればなるほどポケットも少なく生地も薄い。ジェルとかゼリーをいくつも持ってたりすると(ゼリーなら1つでも)重さでランニングパンツがずり下がってきて気になったりすることが多かった。基本ピットインリキッド1つにアミノバイタルPROを1~2個でずっと走っていた(アミノバイタルをレース中に飲んだことは実は一度もなかったけど)。
1か月前の静岡マラソンで初めてウエストバッグにジェルやBCAAを詰め込んで走り、アミノバイタルの粉末にむせて「走りながら水分なしでじゃこれはきつい」と思ったにもかかわらずベストタイムが出たので、今回もウエストバッグを使用した。
ただ、それぞれ3度にわたって使ったのは初めて。粉末は給水所の前で摂取して水を取ったが、それでもとても苦しかった。半分は吐き出したりした。後半はもう給水所のアミノバイタルを見るだけでも気持悪くなる感じだった。
もちろんアミノバイタルが悪いわけではない。途中で飲むと元気が復活してくる感覚があったので今回も飲むのは大変だが摂取したわけだ。
ゴール後も気持悪くて、人工芝にうつぶせて回復を待った。お昼ごろから(わたしのゴールは12時過ぎ)まさに日差しが強くなって、背中をジリジリと焼きつけていた。様子を見ていたのであろう係員の女性がやってきて「大丈夫ですか?」と尋ねられるあり様。時計を見たら30分もそんな風にしていたようだ。
少しおさまったので荷物をうけだしに出口に向った。ものを食べる気にはまだならなかったが喉がひどく乾いていた。参加賞としてもらったのがまたしてもアミノバイタル。これには本当にがっかりしてさらに喉が渇いた。

気分の悪かった自分に声を掛けてもらったこともその1つだが、レース前からスタッフの気がつくこと、行動が速いこと、物腰の落ち着き安心感などに感心するシーンは多かった。
たとえばごみを捨てに近づくと、担当スタッフは手が空いていれば自分からごみを取りに近づいてくれる。トイレ待ちの列が長いとみるや「小さい方なら、この先のトイレのほうが並ばずにできますよ」と教えてくれる。耳に入ってきた年配の男性の説明はとても感じが良くて安定感があった。
どういうトレーニングをしてきたのかわからないけど、他の大会ではあまり感じたことがないレベルの応対力だと思う。そのあたりも大会としての格というかプレミアムな感じがある。ある高い品格の様なものがありながら、だれに対しても公平かつ親しみやすさも感じられた。すばらしいです。

NHKランスマの撮影で、スマイルランナー優ちゃんにハブ君が参加していた。といってもわたしは二人ともお目にかかっていない。家人がスタート前の優ちゃんを発見して声を掛けた。TVの印象とちがってとてもほっそりしていたそうだ。もちろん可愛かったって。
ハブくんも家人が折り返してきたところを見つけた。
もう一人、4時間のペースランナーを務めた真鍋未央さんの姿も家人は見かけたが、わたしはファンなのに会えなかった。残念。走後地元のランナーと話していたら、彼は途中までサブ4を目指して真鍋さんと並走していたそうだ。うらやましい限り。
わたしは序盤でオリンピックランナーの尾崎好美さんが1人で走ってるのを見つけて「こんにちは」と声を掛けたら「こんにちは」と笑顔で答えてくれた。尾崎を抜かしちゃったとテンションがちょっと上がった。
高橋尚子さんとは2度ハイタッチを交わす。どこの大会に行ってもたいていいるしハイタッチで応援してくれる。彼女とのハイタッチはやっぱり力が湧く。ほんとうに有難い。
そうそう、もう1グループ。今年も熱い歌を聴かせてくれた大会テーマソングを歌うthe Canadian Clubの二人にもお礼を。








さて肝心のレース内容なんだけど、事前に立てたレースプラン(A)にのっとって頑張った。
けれども結果はついてこず。まだまだ実力が足りないことを痛感するレースとなった。歩かず、止まらずゴールしたもののゴールタイムは3時間33分46秒(ネット)だった。
ちなみにBプランは4分50秒前後のラップで押して行って、最後も少しペースアップする。比較的無理なく自己ベストは更新できる計画。これはほぼ静岡マラソンでのペースに近く、後半5分台に落ちたところを落とさないでゴールするイメージだった。
Aプランは、始めから実力以上というか、まだやったことのないレベルに挑戦する計画だった。本当なら、直前に30km走などで試しておくべきだったのだが、しないままチャレンジしたところに敗因があったと思う。4分40秒前後のラップを基本に早めの30km以降ペースアップする。3時間20分切りを目指す計画。作っていながら「速すぎるなあ」と思ってはいたが、結果もその通りだった。
歓喜のエムウェーブを過ぎ、ポイントの1つと考えていた五輪大橋に向けた登りでラップが4分50秒台になる。橋を渡ってからの下りで4分30秒台に復帰するもここから30kmまでほぼ4分50秒台半ばから後半のタイムに終始。
目標の一つと考えていた「ラップを5分台に落とさずゴール」(スタート直後の混雑によるものは除いて)に向けてこの10㎞も踏ん張っていた感があった。
結局肝心の33km以降、ラップは絵に書いたようにみるみる落ちてゆき、35㎞からの5㎞は5分15秒~50秒のJOGペースとなり、40km以降は6分台後半のLSDペースまで落ちた。吐き気も加わって何度も立ち止まる誘惑に足を引っ張られたが、ここで止まったり歩いたりすることは明らかにつらさから逃げようとする行為だと肝に銘じて、どんなに遅くてもいいから歩かず止まらずゴールするんだといいう強い気持ちだった。ここだけは自分をほめてもいい。
ラスト4kmと1㎞の2度にわたってラストスパートを試みたが100mも続かなかったと思う。山ほどの後続ランナーに抜かれ、ほとんど止まっているように感じられる走りに気恥かしささえ感じながらなんとかゴールにたどり着くことができた。
競技場内の数百メートルは芝生で足元も柔らかくとても長く感じられた。
前半が1時間41分20秒とほぼ計画通りだったが(計画は1時間42分10秒)後半は1時間52分26秒もかかってしまった。
雪で水浸しの道路を寒さの中走った昨年(3時間29分24秒)よりも4分以上遅い記録。前半が明らかに実力以上のオーバーペースだったことを裏付ける結果。
1にも2にもマラソンは前半抑えめ、中盤も押さえて、35㎞すぎで初めて脚を使うというレースパターンが大切だと感じ入った。
唯一の救いはチャレンジした結果の失敗だったこと。だからショックはそれほど大きくはない。30km以上のペース走を行うなどもっときちんとした準備が必要だった。
レース後「南魚沼」Tシャツのランナーさん、地元長野のうらやましい男性ランナーさんと親しく歓談させていただいたのも楽しかった。なんかきっとそういう大会なんだと思う。
この大会に関与したすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

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