2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はフォーリ・インペリアーリ@ローマです。
前回までは古代ローマの中心地だった、
フォロ・ローマノをアップしてきましたが、
今回はフォロ・ロマーノの北側に隣接する、
フォーリ・インペリアーリ(皇帝の広場)です。
フォーリ・インペリアーリは、
フォロ・ロマーノが手狭になった帝政期に、
皇帝達が自分の名前を付けて造った広場です。
最初に造られたフォーリ・インペリアーリは、
BC54に、フォロ・ロマーノ北西に隣接した位置に、
カエサルが造ったユリウスの広場ですが、
これは後日、『夜のローマ』の回でアップするとして、
フォーリ・インペリアーリ通りを挟んで、
さらに北に広がる広場を見てみます。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
アウグストゥスの広場。(紀元前後)
カエサルの広場のほぼ真北に、
初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスが造った広場。
かろうじて数本残っている列柱は、
マルテ・ウルトーレ神殿の名残。
カエサルを暗殺したブルトゥスとカッシウスへの、
復讐戦の勝利を祈願したオクタヴィアヌスが、
復讐の神マルテを祀った神殿で、
この広場の中心的な存在だったそうです。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
トラヤヌスの広場。(100年前後)
トラヤヌスは五賢帝時代と呼ばれる、
ローマが最も安定した時代の2番目の皇帝で、
この時代、ローマ帝国の領土が最大になりますが、
この公共広場もまた、フォーリ・インペリアーリの中で、
最大かつ壮麗な広場だったそうです。
手前の低めの列柱が並んでいる場所は、
その並び方からもお分かりの様に、
かつてはバシリカ(ウルピアのバシリカ)があった場所です。
中央に写る高い柱はトラヤヌスの大円柱と呼ばれ、
高さ40mの柱面には、トラヤヌスの栄誉を称える、
細かなレリーフが全面に彫り込まれています。
また、死後神格化されたトラヤヌスの遺灰は、
純金の骨壺に入れられて大円柱の下に眠ったそうです。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
トラヤヌスの市場。(100年前後)
オクテヴィアヌスの広場とトラヤヌスの広場の、
間に造られたトラヤヌスの市場は、
大きくカーブを描いた巨大マーケットで、
中には青果、花、ワイン、香辛料をはじめ、
各種商店が並んでいたそうです。
二千年前に、既にショッピングセンターがあったことが、
驚きです。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
トラヤヌスの市場の南側。
市場の前面に当たる位置には、壁の一部が残る、
小さく区切られたスペースがいくつもありましたが、
解説板によると8世紀の病院跡とあったような。
場所によっては厨房を連想させる、
タイルばりのスペースもありました。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
これは何だろうとウィキで調べると、
「ロッジア」のページに、
「ドミティアヌスのテラスの上に載った、
15世紀のロードス騎士団のロッジア」
とありました。
紀元前後から9世紀、そして15世紀と、
気の遠くなる時間が積み重なって、
全てが廃墟化しているわけですね。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
フォーリ・インペリアーリの東のはずれのあたり。
これは何だかわかりませんが、
明らかに時代の違う建造物が渾然一体となっています。
今回はフォーリ・インペリアーリ@ローマです。
前回までは古代ローマの中心地だった、
フォロ・ローマノをアップしてきましたが、
今回はフォロ・ロマーノの北側に隣接する、
フォーリ・インペリアーリ(皇帝の広場)です。
フォーリ・インペリアーリは、
フォロ・ロマーノが手狭になった帝政期に、
皇帝達が自分の名前を付けて造った広場です。
最初に造られたフォーリ・インペリアーリは、
BC54に、フォロ・ロマーノ北西に隣接した位置に、
カエサルが造ったユリウスの広場ですが、
これは後日、『夜のローマ』の回でアップするとして、
フォーリ・インペリアーリ通りを挟んで、
さらに北に広がる広場を見てみます。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
アウグストゥスの広場。(紀元前後)
カエサルの広場のほぼ真北に、
初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスが造った広場。
かろうじて数本残っている列柱は、
マルテ・ウルトーレ神殿の名残。
カエサルを暗殺したブルトゥスとカッシウスへの、
復讐戦の勝利を祈願したオクタヴィアヌスが、
復讐の神マルテを祀った神殿で、
この広場の中心的な存在だったそうです。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
トラヤヌスの広場。(100年前後)
トラヤヌスは五賢帝時代と呼ばれる、
ローマが最も安定した時代の2番目の皇帝で、
この時代、ローマ帝国の領土が最大になりますが、
この公共広場もまた、フォーリ・インペリアーリの中で、
最大かつ壮麗な広場だったそうです。
手前の低めの列柱が並んでいる場所は、
その並び方からもお分かりの様に、
かつてはバシリカ(ウルピアのバシリカ)があった場所です。
中央に写る高い柱はトラヤヌスの大円柱と呼ばれ、
高さ40mの柱面には、トラヤヌスの栄誉を称える、
細かなレリーフが全面に彫り込まれています。
また、死後神格化されたトラヤヌスの遺灰は、
純金の骨壺に入れられて大円柱の下に眠ったそうです。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
トラヤヌスの市場。(100年前後)
オクテヴィアヌスの広場とトラヤヌスの広場の、
間に造られたトラヤヌスの市場は、
大きくカーブを描いた巨大マーケットで、
中には青果、花、ワイン、香辛料をはじめ、
各種商店が並んでいたそうです。
二千年前に、既にショッピングセンターがあったことが、
驚きです。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
トラヤヌスの市場の南側。
市場の前面に当たる位置には、壁の一部が残る、
小さく区切られたスペースがいくつもありましたが、
解説板によると8世紀の病院跡とあったような。
場所によっては厨房を連想させる、
タイルばりのスペースもありました。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
これは何だろうとウィキで調べると、
「ロッジア」のページに、
「ドミティアヌスのテラスの上に載った、
15世紀のロードス騎士団のロッジア」
とありました。
紀元前後から9世紀、そして15世紀と、
気の遠くなる時間が積み重なって、
全てが廃墟化しているわけですね。
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)
フォーリ・インペリアーリの東のはずれのあたり。
これは何だかわかりませんが、
明らかに時代の違う建造物が渾然一体となっています。
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