黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #29 フォーリ・インペリアーリ

2011-05-08 01:26:39 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はフォーリ・インペリアーリ@ローマです。

前回までは古代ローマの中心地だった、
フォロ・ローマノをアップしてきましたが、
今回はフォロ・ロマーノの北側に隣接する、
フォーリ・インペリアーリ(皇帝の広場)です。

フォーリ・インペリアーリは、
フォロ・ロマーノが手狭になった帝政期に、
皇帝達が自分の名前を付けて造った広場です。
最初に造られたフォーリ・インペリアーリは、
BC54に、フォロ・ロマーノ北西に隣接した位置に、
カエサルが造ったユリウスの広場ですが、
これは後日、『夜のローマ』の回でアップするとして、
フォーリ・インペリアーリ通りを挟んで、
さらに北に広がる広場を見てみます。

フォーリ・インペリアーリ
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)

アウグストゥスの広場。(紀元前後)
カエサルの広場のほぼ真北に、
初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスが造った広場。
かろうじて数本残っている列柱は、
マルテ・ウルトーレ神殿の名残。
カエサルを暗殺したブルトゥスとカッシウスへの、
復讐戦の勝利を祈願したオクタヴィアヌスが、
復讐の神マルテを祀った神殿で、
この広場の中心的な存在だったそうです。





フォーリ・インペリアーリ
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)

トラヤヌスの広場。(100年前後)
トラヤヌスは五賢帝時代と呼ばれる、
ローマが最も安定した時代の2番目の皇帝で、
この時代、ローマ帝国の領土が最大になりますが、
この公共広場もまた、フォーリ・インペリアーリの中で、
最大かつ壮麗な広場だったそうです。

手前の低めの列柱が並んでいる場所は、
その並び方からもお分かりの様に、
かつてはバシリカ(ウルピアのバシリカ)があった場所です。
中央に写る高い柱はトラヤヌスの大円柱と呼ばれ、
高さ40mの柱面には、トラヤヌスの栄誉を称える、
細かなレリーフが全面に彫り込まれています。
また、死後神格化されたトラヤヌスの遺灰は、
純金の骨壺に入れられて大円柱の下に眠ったそうです。





フォーリ・インペリアーリ
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)

トラヤヌスの市場。(100年前後)
オクテヴィアヌスの広場とトラヤヌスの広場の、
間に造られたトラヤヌスの市場は、
大きくカーブを描いた巨大マーケットで、
中には青果、花、ワイン、香辛料をはじめ、
各種商店が並んでいたそうです。
二千年前に、既にショッピングセンターがあったことが、
驚きです。





フォーリ・インペリアーリ
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)

トラヤヌスの市場の南側。
市場の前面に当たる位置には、壁の一部が残る、
小さく区切られたスペースがいくつもありましたが、
解説板によると8世紀の病院跡とあったような。
場所によっては厨房を連想させる、
タイルばりのスペースもありました。





フォーリ・インペリアーリ
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)

これは何だろうとウィキで調べると、
「ロッジア」のページに、
「ドミティアヌスのテラスの上に載った、
15世紀のロードス騎士団のロッジア」
とありました。
紀元前後から9世紀、そして15世紀と、
気の遠くなる時間が積み重なって、
全てが廃墟化しているわけですね。





フォーリ・インペリアーリ
フォーリ・インペリアーリ(画像はクリックで拡大します)

フォーリ・インペリアーリの東のはずれのあたり。
これは何だかわかりませんが、
明らかに時代の違う建造物が渾然一体となっています。


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