黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京貧民窟をゆく~四谷鮫河橋04

2016-05-17 01:04:24 | ・貧民窟
かつて東京にあった3大スラムを歩くシリーズ。
前回に引き続き、四谷にあった鮫河橋(さめがはし)の貧民窟です。

明治30年代に、自ら残飯屋の下男として働いて貧民窟の実態を記録した、
ルポライターの松原岩五郎は、その著書『最暗黒の東京』で、
「残飯がない時は、捨てられた生ゴミや豚の飼料、
そして肥料用のジャガイモをもらって、それを貧民に売った」
と記しています。
貧しい食事と不衛生で悪臭に満ちた環境は、病気と犯罪の温床でもあり、
貧民窟の人々は、常に飢えと伝染病、そして強盗におびえながら暮らしていたのです。

■概略地図■


横線のエリアがかつての貧民窟。
付近の google map はこちら
前回は地図中央界隈を南北に歩きました。
今回は、戒行寺坂を登った寺通りから暗闇坂を下り、
若葉公園から暗渠を東へ進んで商店街へ戻るコースを見ていきます。


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若葉二丁目商店会の北外れに位置する戒行寺坂を登ると、
その上のエリアは、たくさんの寺が建ち並ぶ寺通りです。
これらの寺は、そのほとんどが江戸時代からこの地にある寺で、
今でも谷底を睥睨するように現存しています。(概略地図:14)






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寺通りの途中にある闇坂(くらやみざか)から、再び谷へ下ります。
かつて坂の両側に建つ松厳寺と永心寺(一つ前の画像)の茂みによって、
昼なお暗かったことからそう呼ばれるようになった坂。
距離が短いだけ、急峻な勾配の坂です。(概略地図:15)






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闇坂を下った地点にあるのが若葉公園。(概略地図:16)
公園の中央には、人工的に造られた水路があり、
わずかながら水流を確認できます。
これは以前の記事でも触れた、
貧民窟のエリアを流れていた桜川の源流水のひとつとなります。






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公園の一画には、少量ながら湧水が見られ、
公園内の人工水路を流れて、公園のへりから暗渠へと流れ込んでいます。
都内の暗渠の面白さの一つは、
その殆どの流域が暗渠になっている水流でも、
源流部分は開渠となっていることが多いことですね。






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若葉公園に端を発する暗渠路地の狭さは、
その道が、上流の暗渠であることを物語っています。(概略地図:17)
かつてはこの細流沿いにも、
多くの細民長屋が建ち並んでいたのでしょうか。
およそ消防車など入れない、細い路地の両側に密集する木造住宅を見ると、
震災時の非難などが心配になります。






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前回アップした三叉路の少し手前にあるマンション「ライフコート四谷」の前庭に、
変わった形の井戸ポンプがありました。(概略地図:18)
日さくという会社のベローナという井戸ポンプのようです。
すぐ脇に掲げられた解説板を見ると、井戸は防災施設の一部で、
画像には写ってませんが、井戸の左隣にあるベンチは、
非常時にかまどとして使えるベンチだそうです。
それ以外にもソーラーによる街灯やトイレ用マンホールなどが施工され、
災害時に形を変えて利用できる隠れた施設が集まる一画を形成しています。
こんな形の防災システムがあるなんて、全然知りませんでした。

続く


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