ETUDE

〜美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。〜

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 K.595 by クレンペラー&ハスキル 

2012-02-12 | CDの試聴記
「あなたが休日に聴きたい音楽は何ですか?」と直球の質問がきたら、皆さんならどう答えますか。
そんなの決まった答えがある訳ないでしょ、といったん言うしかないのだけど、私の場合は土曜日と日曜日で微妙に異なる。
土曜日は、ジャンルに縛られずに、その時の気分で聴きたい音楽を貪欲に聴いているような気がする。
一方、日曜日は比較的モーツァルトとバッハを聴くことが多い。
とくに日曜日の午前中は、何故か無性にモーツァルトの室内楽かコンチェルトを聴きたくなる。
土曜日は次の日も休日だという安心感からアグレッシブに、そして日曜日は明日からのことを考えて、本能的に心の安定を求めようとしているのかもしれない。

そんな訳で、今日もモーツァルトを聴いた。
曲は、K.595のピアノ協奏曲。
大好きなハスキルが巨匠クレンペラーと遺してくれた貴重なライブ録音だ。
何と言ってもハスキルのピアノが絶品。

第一楽章の冒頭、やや無骨な表現でオーケストラが演奏し始めるが、徐々に柔らかい表情に変わっていく。
そしてオーケストラの部分が終わり、ハスキルのピアノが入ってくると、音楽がみるみる生気を帯びてくる。
いつ聴いても凛とした美しい音色だが、ピアノが奏でるフレーズの最後で、ハスキルは一瞬ためらうかのように、ほんの少しだけテンポを落とし同時にディミヌエンドをかける。
有名なフリッチャイと組んだディスクではイン・テンポで通しているので、ライブならではの即興的な表現だと思うが、それが秋の空の如く澄み切ったこの音楽に僅かな陰りを与え、一層強い印象を残す結果に繋がっている。
そして、ピアノが旋律を弾いているときは勿論のこと、伴奏やオブリガードに回ったときの見事さは、まさにハスキルの独壇場だろう。
たとえば再現部近くのオケとピアノのやりとりの妙は、何度聴いてもため息が出るばかり。
続く第二楽章のラルゲットの慈しむような表情、豊かなニュアンスを速めのテンポに乗せて駆け抜けるフィナーレの見事さ、いずれも名演の名に恥じないと思う。
そして、忘れてはならないのがクレンペラーの存在。
いつもの巨大な造形美をいったん封印して、ここではハスキルを優しく包み込むような役割に徹している。
それが、隅々にまで血の通ったこの暖かい演奏という形になって見事に開花している。
そういえば、アラン・シヴィルをソリストに迎えたモーツァルトのホルン協奏曲でも、同様にクレンペラーが見事なサポートをしていたのを思い出した。
一見ミスマッチかと思うような組み合わせだけど、かくも素晴らしい演奏を聴かせてくれるのだから、音楽は分からないものだ。

そして彼らのディスクを聴きながら、私は植村攻さんの名著「巨匠たちの音、巨匠たちの姿(1950年代・欧米コンサート風景」を読んでいた。
実際にハスキルの演奏を聴かれた植村さんの文章を拝読させていただくことで、私もハスキルの生のステージに居合わせたかのような貴重な体験をさせてもらった。
以下、植村さんが初めてハスキルのK.595をロンドンで聴かれた時の箇所を引用させていただく。(指揮はルドルフ・ケンペ)

☆植村攻さん 「巨匠たちの音、巨匠たちの姿(1950年代・欧米コンサート風景」
1955年12月15日 ケンペ指揮ロンドンモーツァルトプレイヤーズ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595
ロンドンのフェスティバルホール

オーケストラによる長い序奏の間、ハスキルはみじろぎもせずに座っていたが、曲が進むにつれて彼女の頭が段々に下がってきて、彼女の指が第一打を響かせた時には、彼女の首が肩の線よりも低いように見え、鍵盤に吸いつくような感じになっていた。
しかし、そんな姿勢から彼女が打ち出した音を聴いた途端に、私はすぐに、これは今まで聴いたいかなるピアニストの音とも違うと感じ始めていた。どこが違うのかを言葉で言い表すのは実に難しいが、一つ一つの音が異常に高い純度で結晶していて、それらがきらめくようにつながっているというような感じであった。
彼女の指先は、柔らかく繊細であると同時にしっかりと力強く、それが実に明るい透徹した音を打ち出すのである。
(中略)
ハスキルはこの曲を、フリッチャイ指揮のバイエルン管弦楽団やクレンペラー指揮のケルンのオーケストラと録音している。それらを聴いていると、古いメカニズムが避けられない音の限界や制約を超えて、あの時聴いた「この世ならぬ音」を、何度でも心に響かせ感動を新たにすることが出来る。そしてそれは、私にとって実に有り難く貴重なことである。

☆クレンペラー&ハスキル・ライヴ
■モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K.201
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595*、
■モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
■モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551『ジュピター』
<演奏>
■クララ・ハスキル(ピアノ)*
■オットー・クレンペラー(指揮)
■ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
<録音>1956年9月9日 モントゥルー、ライヴ

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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル(1/26) @東京オペラシティ

2012-02-05 | コンサートの感想
この2週間は、緊急の出張も含めて、あちこち飛び回っていた。
その間ふくらはぎの肉離れに見舞われ、雪の札幌では本当に怖い思いもしたが、足の方も何とか無事に回復しつつある。
書きたいこともいろいろあるが、備忘録の意味も兼ねて、先月聴いたフリットリのリサイタルの感想から。

昨年6月、メト来日公演の「ドン・カルロ」ではネトレプコのドタキャンのあおりを受けて、結果的にあれ程楽しみにしていたフリットリのエリザベッタが聴けなかった。
いま思い返しても、本当に残念としか言いようがない。
過去の来日公演でフリットリが歌ってくれたエリザベッタ(ミラノスカラ座のドン・カルロ)、フィオルデリージ(ウィーン国立歌劇場のコジ・ファン・トュッテ)は、今も私の心の中で極めて鮮烈な思い出として残っている。
とくにスカラ座のドンカルロは、いくつか残念な部分もあったが、フリットリとパーぺの圧倒的な存在感と名唱がその不満を補ってあまりある素晴しさだった。

そんなフリットリが2年ぶりにリサイタルを開くというので、この日私は仕事を早々に片付けて、いそいそとオペラシティに向かった。
冒頭の「サロメの7つのヴェールの踊り」は、迫力はあるが、如何せん色彩感と官能性に乏しい。
リヒャルト・シュトラウスの音楽は、オケの表情だけでも、ふわりと空中に投げ出されてしまうような感覚を味わえるはずなのに、残念ながらそのような体験はできなかった。
でも、フリットリが入ったら、きっと変わるはずだ。
あの美しい「最後の4つの歌」を、彼女はどんな風に聴かせてくれるのだろう。
私は大きな期待をもって、次の曲を待った。

万雷の拍手に迎えられて、フリットリがステージに登場する。
辺りを払うというのは、まさにこんなことなんだろう。
まだ一音も発しないのに、圧倒的な存在感だ。
そして第1曲の「春」が始まる。
2年ぶりに聴くフリットリの声は、しっとりとして艶やかで、私を魅了した「あの声」だった。
なかでも、第3曲が本当に良かったなぁ。
しかし、オケにはまだまだ不満。
これはオケというよりも、指揮者のテナンの責任かもしれない。
テナンは、大仰なジェスチャーで指示を出すが、出てくる音がリヒャルト・シュトラウスに不可欠の精妙さに欠けるのだ。
誤解を恐れずにいうなら、mf〜ffの間で音楽が表現されているという印象がぬぐえない。
フリットリの歌が、ニュアンスにとんだ素晴しいものだっただけに残念だった。

後半は、オール・ヴェルディプロ。
1曲目はオテロのバッラビレ。
ここで音楽の神様が舞い降りてきた。
オケの響きに色彩感と生命力が宿ってきたのだ。
これは、いけるかも・・・
果たして、前半と衣装を変えて登場したフリットリが歌うレオノーラのアリアはもう絶品としかいいようのない名唱だったが、オケもフリットリと実にうまくオーバーラップできるようになってきた。
こうなったら、しめたもの。
その後は、もう無我夢中でフリットリの歌に酔いしれ、気がついたらもう一人のレオノーラのアリア(運命の力)が終わろうとしていた。

それにしても凄い。この人のヴェルディは凄すぎる。
抜群の歌唱技術とシルクのような美しい声は、どこか全盛期のヤノヴィッツを思わせるが、加えてフリットリの場合は劇的な表現力も併せ持っている。
こんなディーヴァが歌うヴェルディが極上のものにならないわけがない。

昨年、大震災・原発問題で多くの音楽家が来日を拒んだ中、「こんな時だからこそ、大好きな日本のために力になりたい」と言ってくれたフリットリ。
ドタキャン歌姫の代わりに、準備してきた演目を替えてまで、穴があかないように必死で舞台を作ってくれたフリットリ。
そんな彼女が、この日も最高に素敵なコンサートをプレゼントしてくれた。
いつか、伝説のジャパンライブとして語り継がれるかもしれない。
少なくとも、私はずっとそう思い続けると思う。

☆バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル
<日時>2012年1月26日(木)7:00p.m.
<会場>東京オペラシティ コンサートホール
<曲目>
R.シュトラウス:
■歌劇『サロメ』より 「7つのヴェールの踊り」[オーケストラ]
■歌曲「四つの最後の歌」
ヴェルディ:
■歌劇『オテロ』より 第3幕 舞踏音楽(バッラビレ)[オーケストラ]
■歌劇歌劇『イル・トロヴァトーレ』より 
 レオノーラのカヴァティーナとカヴァレッタ「穏やかな夜〜この恋を語るすべもなく」
■歌劇『アッティラ』より 前奏曲 [オーケストラ]
■歌劇『シモン・ボッカネグラ』より "夕やみに星と海はほほえみ"
■歌劇『運命の力』より 序曲 [オーケストラ]
■歌劇『運命の力』より "神よ、平和をあたえたまえ"
(アンコール)
■プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」より氷のような姫君の心も
<演奏>
■指 揮:カルロ・テナン
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
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【追悼 レオンハルト】 バッハ:マタイ受難曲BWV244

2012-01-19 | CDの試聴記
レオンハルトが亡くなった。
享年83歳。
彼が遺してくれた数多くの素晴らしいディスクを通して、私はバッハの音楽の楽しさ、美しさ、そして奥深さを学ばせてもらった。
リヒターの求心的な演奏があまりに厳しく感じるときに、レオンハルトの演奏を聴くと不思議に心が和んだものだ。
平均律を始めとする一連の鍵盤楽曲も、私はレオンハルトの演奏でその魅力を知った。
リュート用の作品をチェンバロで弾いたディスクも強く印象に残っている。
ギターでは「ここは難所だから・・・」と勝手に諦めて楽をしてしまう箇所が、実は音楽的に重要な意味を持っていたことをレオンハルトの演奏から教わり、必死で練習したことが懐かしく思い出される。

そんな大恩人であるレオンハルトを偲んで、いったいどんな曲を聴けばいいんだろう。
いろいろ悩んだ挙句、いったん「ゴールドベルク変奏曲」にしようと決めた。しかし、それからもう一度考え直した。
1曲選ぶとなると、やはりマタイしかない。
そう考えて3枚組のこのマタイのディスクを引っ張り出し、CDプレーヤーにかけてみる。
久しぶりにこの名盤を聴いてみて、私は本当に心洗われる思いがした。
レオンハルトのマタイには、モダン楽器だとかピリオド楽器だとかの次元を超えた、内面から滲みだしてくる大切な何かがある。
とくにヴィーラント・クイケンのヴィオラ・ダ・ガンバが強い印象を残す「甘き十字架」以降、終曲の合唱に至るまでの崇高な美しさは、涙なしには聴けない。
決して大げさに語ることなく、バッハの音楽を真摯に忠実に再現することに徹した演奏というのは、かくもピュアで人の心に響くのだと改めて教えられた。
あの感動的な「まことにこの人は神の子だったのだ」という場面も、劇的な起伏を避け、どちらかというと淡々とした表現だ。
しかし、だからこそ、その言葉が天からの声のように響いてくる。

いま、きっと彼は天国で敬愛するバッハに手厚いもてなしを受けていることだろう。
ひょっとしたら、映画でバッハ役を演じたことなども話題になっているのだろうか。
大バッハのしかめっ面ではないとびきりの笑顔が思い浮かぶ。

レオンハルト様、本当にありがとうございました。
そして、これからは心ゆくまでバッハたちと語り合ってください。
私はあなたが遺してくれた宝物を、大切に聴き続けていきます。

☆J.S.バッハ:マタイ受難曲BWV244
<演奏>
 クリストフ・プレガルディエン(テノール:福音史家)
 マックス・ファン・エグモント(バス)
 クリスティアン・フリークナー(ボーイ・ソプラノ)
 マキシミリアン・キーナー(ボーイ・ソプラノ)
 ルネ・ヤーコプス(カウンターテノール)
 デイヴィッド・コーディア(カウンターテノール)
 マルクス・シェーファー(テノール)
 ジョン・エルウィス(テノール)
 クラウス・メルテンス(バス)
 ペーター・リカ(バス)
 ラ・プティット・バンド男声合唱団
 テルツ少年合唱団
 ラ・プティット・バンド(シギスヴァルト・クイケン指揮)
 グスタフ・レオンハルト(総指揮)
<録音>:1989年3月
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パク・キュヒ ギター・リサイタル  (BSプレミアム:クラシック倶楽部)

2012-01-15 | BS、CS、DVDの視聴記
一昨日は13日の金曜日。
今年最初の月から「13日の金曜日」というのも少々気になっていたが、大きな事件もなく一安心。
そしてこの日、野田内閣も新しくなったが、くだらない失言等で貴重な時間と金を無駄にしないように、とにかく本気でやってください。
望むのは、ただそれだけです。

さて、この週末、録画しておいた番組をチェックしていて、私は画面に釘づけになった。
私をそれほどまでに驚かせてくれたのは、韓国生まれのパク・キュヒさん。
1985年生まれというから、まだ20代の若い女流ギタリストだけど、とにかく物凄い才能だ。
ブローウェルのソナタやリョベートの変奏曲等の難曲を軽々と弾きこなす技術の高さ、紡ぎだす音色の類まれな美しさ、トレモロの飛びっきりの美しさ等、個別に美質を挙げるだけならいくつでも出てくる。
しかし、彼女の凄さは、それらの美質がすべて音楽の表現のために使われていることだ。

最近のギター界の事情に対して少々疎くなってしまったので、彼女の活躍ぶりをあまり知らなかった。
オンエアされたのは昨年2月に東京で行われたコンサートの模様だったが、最初のスカルラッティから、その豊かで暖かい音楽性に私はすっかり魅了されてしまった。、
妙な言い方で恐縮だけど、「ギターでスカルラッティを上手に弾いてますよ」という感じが全くしないのだ。
楽器の存在を感じさせないというか、スカルラッティの音楽だけが空間に響いていた。
生のコンサートでは、時としてこのような現象が起こり、聴衆に大きな感動を与えてくれるのだけど、画面を通してこのような気持ちにさせてくれることは滅多にない。
その後弾かれたブローウェルのソナタも、実に生き生きと表現で、聴いていて嬉しくなった。
初演者であるジュリアン・ブリームの、骨格のはっきりした確信に満ちた名演とは随分スタイルが異なるが、彼女の自然で大らかな演奏は格別の魅力を感じさせる。
そして、この日の白眉は、バリオスの名作「森に夢見る」、そしてアンコールで弾かれた「アランブラ宮殿の思い出」。
いずれも情感豊かに歌い上げられていて、本当に心に沁みるような演奏だった。

この人の技術的にみた一番の長所は、脱力がほぼ完全に出来ていることだろう。
それが左手と右手のバランスの良さにつながり、右手を自由にコントロールできるからこそ、あの美しいタッチが生まれるのだと思う。
使用していた楽器は、ヘッドの形からおそらくフランスの名工フレドリッシュのものだと思うが、この名器との相性も抜群。
擦弦楽器(ヴァイオリン等)と聴き間違えるような大きなフレージングで、音楽を表情豊かに表現できるパクさん。
これからが本当に楽しみだ。
今度東京でコンサートがあれば、そのときは必ず行きますね。

☆パク・キュヒ ギター・リサイタル
<日時> 2011年2月10日(木)
<会場> 東京・武蔵野市民文化会館
<曲目>
■スカルラッティ(パク・キュヒ編曲)
・ソナタ ニ短調 K.32
・ソナタ イ長調 K.322
■リョベート:ソルの主題による変奏曲
■ブローウェル:ソナタ
■タレガ:椿姫の主題による幻想曲
■バリオス:森に夢みる
(アンコール)
■タレガ:アランブラ宮殿の思い出

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バッハ:ゴルトベルク変奏曲 by ペライア(p)

2012-01-11 | CDの試聴記
寒い!
一日中どんよりとした曇り空で、夕方にはきっちり小雨模様に・・・。
まさに天気予報通りの一日だった。

こんな日は、お気に入りの焼酎を片手に、晴れやかな音楽を聴くに限る。
モーツァルト? メンデルスゾーン?
いやー、ちょっと違うなぁ。
今日の気分はバッハだ。
そうだ、ゴルトベルク変奏曲にしよう。
そんなわけで、ペライアのゴルトベルク変奏曲を聴いた。

ヘンデルとスカルラッティのアルバムでもそうだったが、この人のバロック音楽は、とにかく典雅で瑞々しい。
そして弾力性に富んでいる。
ゴルトべルク変奏曲でも、その特徴はまったく同じだ。
冒頭のアリアが、ひたすら美しい。
このアリアの部分だけをエンドレスにしておけば、確かに不眠治療にも使えるだろう。
しかし変奏が始まると、音楽は俄かに生気を帯び始める。
第一変奏で特に印象に残るのはバスの闊達さだ。
リズミックで鮮やかで、しかも必要以上に出しゃばらない。
そんな理想的なバスの動きに支えられて、高音部も実に優雅に舞っている。装飾音のセンスの良さも特筆ものだ。
続く各変奏でも、それぞれのバリエーションの性格が見事なまでに描き分けられていることに感心させられる。
また耳を澄ませば、いたるところに愛らしい旋律が見え隠れしているのが良くわかって、その意味でも大変面白い。
そして、一連のドラマが終わって再びアリアに戻ってきたとき、私の心の中は見事なまでに晴れ上がっていた。
素晴らしいバッハだ。
ピアノで弾かれたゴルトベルク変奏曲の中でも、屈指の名演ではないだろうか。

ペライアは昨年せっかく来日してくれたのに、聴き損ねてしまった。
次回は何としても実演で聴きたいと思う。


■バッハ:ゴルトベルク変奏曲
<演奏>マレイ・ペライア(P)
<録音>2000年7月
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小菅優レクチャーコンサート 「謝肉祭と神の祝福」

2012-01-09 | コンサートの感想
今日は三連休最後の日。
今年初めてとなるコンサートを聴いてきた。
小菅優さんの「謝肉祭と神の祝福」と題したレクチャーコンサートだ。

「『祝祭と音楽』という大きなテーマが与えられていたので、前半は人間の祝宴、後半は悪魔の宴、最後に神の祝福というイメージで曲を選びました。ただ(自分自身は)クリスマスはドイツで鴨の丸焼きを食べ、お正月は日本でお節料理を食べたので、お腹いっぱいです」というユーモアたっぷりの小菅さんの話から始まった。

小菅さんの大ファンであることにかけては人後に落ちないつもりの私だが、何がそれほど私を魅了するのだろう。
プログラムに書かれていたのは、「高度なテクニック、美しい音色、若々しい感性、深い楽曲理解・・・」というフレーズ。
確かにそのとおりだ。
でもそれだけじゃない。一番の特長は、その音楽へのひたむきさと、まるで全ての音に生命の息吹が吹きこまれているかのような瑞々しさを持っていることだと思う。
だから、彼女の演奏を聴くと、聴き手はどんな場合でも、心躍るような晴れやかな幸福感に浸ることができる。
そして、今日小菅さんの演奏を聴きながら、もうひとつ感じたことがあった。
それは、バスの表現力の見事さだ。
といっても、ロシア系のピアニストにみられるような、ホールを震撼させるような強靭な打鍵からくるものとは全く違う。
むしろ柔らかな質感を持ったバスなんだけど、どんな場合でもしっかりハーモニーを支えながら、一方できっちりと自身の存在感を主張するといった類のバスなのだ。
音色的にもバスだけが遊離して異彩を放つようなことは決してないので、音楽はどちらかというと暖色系の響きの中で表現される。
私には、それが大変心地よく聴こえた。

さて、今日の演奏の中でとくに素晴らしかったのは、最後に弾かれたリストの「孤独の中の神の祝福」。
小菅さん自身の言葉を借りると、
「若い時から難曲のリストの作品をたくさん弾きすぎたせいかもしれませんが、一時リストから心が離れかけたことがあります。そんなときに後期の作品群を知り、またリストに魅かれるようになりました。」
大体こんな内容だったと思う。
バッハの平均律の後という抜群のロケーションもあったが、リストを聴いてこれほど敬虔な気持ちにさせられたことは殆んどなかった。蓋し秀演と言うべき演奏。
その他の曲についても簡単に触れておきたい。

☆シューマン:「謝肉祭」
演奏の前に、オイゼビウスの表現に共通項があるということで、「ダヴィッド同盟舞曲集」から第14番を聴かせてくれた。
スフィンクスは楽譜通りの暗号めいた音型で演奏。
全編を通して躍動感に溢れた見事な演奏だったけど、どんなに速い部分にさしかかっても絶対滑ったような表現に陥らないのは、彼女の大きな美徳の一つ。

☆リスト:「メフィストワルツ第1番」
圧倒的に弾ききってくれた。でも悪魔のワルツなんだから、もっとえげつない表現でも良かったかもしれない。しかし、えげつない表現にならないところが、小菅さんの良さか・・・

☆バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第5番ニ長調
ニ長調が祝典的な表現に適しているということを、クリスマスオラトリオ、メサイアのハレルヤ等の例を示しながら説明してくれた。
楽譜を見ながらの演奏ではあったが、とても格調高いバッハだった。

いろいろ書かせてもらったが、新年早々素晴らしい演奏を聴かせてもらうことができて、今年はいい年になる予感がしてきた。
小菅さん、本当にありがとう。
また次回を楽しみにしています。

☆小菅優レクチャーコンサート 
<日時>2012年1月9日(月・祝) 14:00開演
<会場>東京文化会館 小ホール
<曲目>
■シューマン:謝肉祭「4つの音符による面白い情景」op.9
■リスト:メフィスト・ワルツ第1番
■バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第5番ニ長調
■リスト:「詩的で宗教的な調べ」より第3番「孤独の中の神の祝福」
(アンコール)
■シューマン(リスト編曲)「献呈」
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ブラームス:弦楽五重奏曲第1番ヘ長調 by アマデウス弦楽四重奏団ほか

2012-01-07 | CDの試聴記
木曜日から出張で大阪に来ている。
今年はお正月を大阪で過ごしたので、4日は東京に出社したが、ずっと大阪にいるような感じがする。
昨日デリケートな税務案件も無事に解決し、久しぶりに開放感をもった週末を迎えることができた。
いま、実家で珈琲を淹れながら、ブラームスを聴いている。
選んだ曲は、弦楽五重奏曲の第一番。
傑作と言われる六重奏とカルテットに挟まれて、幾分日陰の立場に置かれているが、私はこの曲が大好きだ。
ふくよかで明るい曲想は、いつ聴いても癒される。
とくに冬の朝に聴くこのクインテットは格別だと思う。

昨年震災のときに、避難所暮らしを経て、奇跡的に自宅に帰り着いた翌朝、無性に聴きたくなったのがこの曲だった。
当時家の中は目茶苦茶になっており、CDは散乱、スピーカーから音を出すなんてことは全く叶わなかった。でも、なぜかこの曲の第一楽章の旋律が何十回も私の頭の中を駆けめぐって離れなかった。
しかし、その後スピーカーから何とか音が出せるようになっても、こんどは肝心のディスクが見あたらない。ようやく聴けるようになったのは、7月になってからだった。
そんな経緯もあったので、スピーカーからこの曲が流れてきたときの嬉しさは、今も忘れられない。
そして、今日改めて聴いてみて、やはり魅力的な音楽だと思った。
アマデウスカルテットたちの演奏も申し分ない。
LP時代に好きだったベルリンフィルハーモニーのメンバーたちの演奏(PH盤)と並んで、ともに私の大切な宝物である。

ブラームス作曲
■弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op. 88
■弦楽五重奏曲第2番ト長調op.111
<演奏>
アマデウス弦楽四重奏団, アロノヴィッツ(ヴィオラ)

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謹賀新年 シューベルト:ピアノソナタ第13番イ長調 D.664 by ワルター・クリーン

2012-01-01 | CDの試聴記
新年おめでとうございます。

向こう100年語り継がれるであろう2011年も終わりを告げ、2012年がスタートした。
年が変わったからといって、状況が劇的に好転するはずもない。
しかし、何かが変わるはずだ。いや変えなくてはいけない。
そんな思いで今年最初の音楽として選んだのは、シューベルトのイ長調のピアノソナタ。

この曲には思い出がある。
社会人一年生のときのことだ。
新人にしては大きな案件を担当させてもらい意気込んでいた私は、初訪でお客様にけんもほろろに追い返され、さすがに落ち込んでいた。
そんな私に、クラシック好きの上司が「シューベルトのピアノソナタって聴いたことあるか?とても素敵だぞ。」と言って薦めてくれたのがこのイ長調のソナタだった。
早速その日のうちにレコード店に駆け込み、独身寮に持ち帰って聴いてみた。
確かケンプ盤だったと思うが、一回聴いただけで大好きになった。
それ以来、私にとって大切な曲であり続けている。

いまは実家に帰省しているので、ケンプ盤を聴くわけにはいかないが、ipodでワルター・クリーンの演奏を聴くことができた。
何と優しいピアノだろう。
しかも、その優しさを聴き手に押し付けてこない。
本当に素敵なシューベルトだと思う。
このクリーンのような姿勢で、日々過ごせれば、何かが変わるような気がする。

シューベルト:・ピアノ・ソナタ第13番イ長調 D.664
(演奏) ワルター・クリーン(P)
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今年一年を振り返って

2011-12-31 | CDの試聴記
今年も残すところあと一日。
本当に大変な一年だった。
大震災に始まり、政治も経済もかつて経験したことのないような危機的な状況になっているし、個人的にも、震災〜父の死〜母の手術等実にいろいろなことがあった。
そんな中、嬉しかったのは、11月の長男の結婚。
家族が増えるというのは、本当にいいことです。
昨日から夫婦で我が家に泊まりに来てくれているが、とても幸せな時間を過ごさせてもらった。

そして忘れてはならないのは、「人の絆」。
震災の時はたまたま東北へ出張していたが、避難所にいた私たちを案じて、お客様がご自宅に泊めてくださった。
ただ、ご自宅へお邪魔した時は、まだ全市停電中。
そんな中、奥様は懐中電灯片手に食事の用意をしてくださり、メインのお料理を食卓に持ってきていただいたその瞬間、電気がぱっと点灯したのだ。
まるでドラマのワンシーンのようだったが、居合わせた全員が、思わず「お〜!」という声とともに拍手喝采した。
この感動は一生忘れないだろう。
また、震災で自宅の大切な食器が割れてしまったことを知った友人が、すぐに素敵な食器を大量に送ってくれた時も、嬉しくって思わず涙が出た。
それ以外にも、家族の絆、友人との絆、仕事関係の仲間との絆、お客様との絆、もう全てが私を勇気づけてくれた。
このようにさまざまな「絆」を感じさせてくれたことは、逆に試練を与えてくれた神様に感謝しないといけないかもしれない。
一方、音楽のことに目を移すと、さぼりにさぼってしまったブログは、ただただ反省あるのみ。
来年は頑張ります・・・(汗)
また、コンサートに出かけた数も例年の三分の一くらいに減ってしまったが、感動的な公演も多かった。
いつもはベスト10を選んできたが、今年はベスト5ということで、最後に簡単にご紹介したい。
■バッハ:ロ短調ミサ(2月27日)
ブリュッヘン指揮 新日本フィルハーモニー
アーノンクールのロ短調ミサと並んで、これからずっと私の心の中で宝物になるような演奏。感動的だった。

■ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」(6月12日)
メトロポリタンオペラ来日公演 ノセダ指揮 ダムラウ、ドルゴフ、ルチッチ
大好きなダムラウが、さらに大きな存在感を持つソプラノになったと確信した。デセイと並んで現代最高のルチアだと思う。

■ベルリーニ:「清教徒」(9月24日)
ボローニャ歌劇場来日公演 マリオッティ指揮 シラグーザ、ランカトーレ、ウリヴィエーリ
フローレスは来なかったけど、この歌劇場の実力はやはり一級品。ランカト―レが尻上がりに調子を上げ、最後は圧倒的なエンディングになった。

■マーラー:子供の不思議な角笛ほか(10月19日)
エッシェンバッハ指揮 ウィーンフィル マティアス・ゲルネ(Br)
大好きなウィーンフィル。やはり外せない。前半は正直並の演奏だったが、後半のマーラーで化けた。ゲルネの圧倒的な名唱がウィーンフィルを覚醒させたのだ。これぞマーラーという圧倒的な名演。

■ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」(12月17日)
アレクセーエフ指揮 新日本フィルハーモニー
サントリーホールのP席で聴いたこともあるが、私も一緒に演奏しているような錯覚を覚えた。終楽章では涙が止まらなかった。
やはりベートーヴェンの力、音楽の力というのは凄い。ひたすら感動した。

番外編
■エディット・マティス 公開レッスン(2月28日)
最愛のソプラノ、マティスさんを生で見れただけでも最高。その魅力的な声は今も健在。
また是非とも日本に来てください。

ざっとこんな感じです。
来年はどんな一年になるのでしょうか。
私自身は、大いに期待しています。
これから実家に帰省します。
皆さま、よいお年を・・・。
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マーラー:交響曲第7番ホ短調『夜の歌』 by クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団

2011-12-28 | CDの試聴記
官庁は今日が御用納め。
私も30日は休暇を取る予定なので、仕事も年内あと一日だ。
さあ、頑張っていきましょう。

さて、最近読んだ吉田秀和氏の「フルトヴェングラー」という本の中に、次のような言葉が出てくる。
「何を語るか」「どう語るか」
この2つの言葉がとても印象に残ったので、少し書かせてもらう。

吉田さんは、概ね次のような意味でこれらの言葉を使っていた。
「何を語るかは作曲家の領域、どう語るかが指揮者の仕事」と割り切って考える指揮者が多いようだが、フルトヴェングラーは楽譜の中に封じ込められた生命を解放し、作品の語ってきかせる王国を音を通じて私たちの前に目に築き上げようとしていた。
つまり、フルトヴェングラーはどう語るかだけではなく、何を語るかについても自分の領域だと考えていたのだと。

私は、なるほどと大きく頷きながら読ませてもらった。
そこが、フルトヴェングラーの音楽における魅力の根源だったんだ。
逆に、何を語るかを持たずに(=自分の心の奥底から湧き出てくる何かを持たないまま)、楽譜に書かれた音符をそれらしく音として響かせることを目標にしているような演奏に出会うことがある。
聴いたときは耳に心地よく響いていたにも関わらず、しばらく経つと殆んど何の印象も残っていないような演奏等は、まさにその代表格だろう。
これでは聴き手に感動を与えられるはずがない。
仕事でも全く同じことが言えるわけだけど、やはり語るべきものをしっかり持って、それを自分の言葉で表現することが最も大切なのではないだろうか。

「どう語るか」という表現方法はフルトヴェングラーとまったく違うけど、オットー・クレンペラーもまさしく「語るべきもの」を持っていたマエストロだった。
そのクレンペラーによるマーラーの演奏を集めたボックスセットがリリースされたので、早速聴いてみた。
とくに印象に残ったのが第7番。

正直に告白すると、マーラーの全交響曲の中で、この7番が私にとってもっとも遠い作品だった。
まず劇的な場面が少ない割にやたら長い。
そして楽しいのか悲しいのか、はたまた怒っているのか笑っているのか、聴きながらだんだん分からなくなってくることも、この曲が縁遠くなっていた原因だった。
誤解を恐れずにいうと、この曲を聴いていると、何やら得体のしれない動物と格闘しているような錯覚を覚えるのだ。
しかし、今回久しぶりにクレンペラーの演奏を聴いて、その「得体のしれないもの」に惹かれるようになってきた。
得体のしれないものを、クレンペラーは何の加工も施さずに、むしろ彼一流の接写レンズを使って大写しにしてみせる。
その結果、グロテスクで生々しい印象をうける箇所も出てくるが、それがかえって独特の快感につながっていく。
一方、4楽章のマンドリンとギターが参加する「夜の歌」あたりは、これ以上ないくらいチャーミングだ。
美しいものは美しく、グロテスクなものは変に化粧を施さずそのままの姿で表現されるクレンペラーのマーラー。
私はとても魅力的だと思った。
年末年始、きっと何回も聴きなおすことだろう。

苦手だったマーラーの7番が、少しだけ私に近づいてきたような気がする。

マーラー:交響曲第7番ホ短調『夜の歌』
<演奏>
 オットー・クレンペラー(指揮)
 フィルハーモニア管弦楽団(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)
<録音>1968年9月
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