ETUDE

〜美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。〜

パク・キュヒ ギター・リサイタル  (BSプレミアム:クラシック倶楽部)

2012-01-15 | BS、CS、DVDの視聴記
一昨日は13日の金曜日。
今年最初の月から「13日の金曜日」というのも少々気になっていたが、大きな事件もなく一安心。
そしてこの日、野田内閣も新しくなったが、くだらない失言等で貴重な時間と金を無駄にしないように、とにかく本気でやってください。
望むのは、ただそれだけです。

さて、この週末、録画しておいた番組をチェックしていて、私は画面に釘づけになった。
私をそれほどまでに驚かせてくれたのは、韓国生まれのパク・キュヒさん。
1985年生まれというから、まだ20代の若い女流ギタリストだけど、とにかく物凄い才能だ。
ブローウェルのソナタやリョベートの変奏曲等の難曲を軽々と弾きこなす技術の高さ、紡ぎだす音色の類まれな美しさ、トレモロの飛びっきりの美しさ等、個別に美質を挙げるだけならいくつでも出てくる。
しかし、彼女の凄さは、それらの美質がすべて音楽の表現のために使われていることだ。

最近のギター界の事情に対して少々疎くなってしまったので、彼女の活躍ぶりをあまり知らなかった。
オンエアされたのは昨年2月に東京で行われたコンサートの模様だったが、最初のスカルラッティから、その豊かで暖かい音楽性に私はすっかり魅了されてしまった。、
妙な言い方で恐縮だけど、「ギターでスカルラッティを上手に弾いてますよ」という感じが全くしないのだ。
楽器の存在を感じさせないというか、スカルラッティの音楽だけが空間に響いていた。
生のコンサートでは、時としてこのような現象が起こり、聴衆に大きな感動を与えてくれるのだけど、画面を通してこのような気持ちにさせてくれることは滅多にない。
その後弾かれたブローウェルのソナタも、実に生き生きと表現で、聴いていて嬉しくなった。
初演者であるジュリアン・ブリームの、骨格のはっきりした確信に満ちた名演とは随分スタイルが異なるが、彼女の自然で大らかな演奏は格別の魅力を感じさせる。
そして、この日の白眉は、バリオスの名作「森に夢見る」、そしてアンコールで弾かれた「アランブラ宮殿の思い出」。
いずれも情感豊かに歌い上げられていて、本当に心に沁みるような演奏だった。

この人の技術的にみた一番の長所は、脱力がほぼ完全に出来ていることだろう。
それが左手と右手のバランスの良さにつながり、右手を自由にコントロールできるからこそ、あの美しいタッチが生まれるのだと思う。
使用していた楽器は、ヘッドの形からおそらくフランスの名工フレドリッシュのものだと思うが、この名器との相性も抜群。
擦弦楽器(ヴァイオリン等)と聴き間違えるような大きなフレージングで、音楽を表情豊かに表現できるパクさん。
これからが本当に楽しみだ。
今度東京でコンサートがあれば、そのときは必ず行きますね。

☆パク・キュヒ ギター・リサイタル
<日時> 2011年2月10日(木)
<会場> 東京・武蔵野市民文化会館
<曲目>
■スカルラッティ(パク・キュヒ編曲)
・ソナタ ニ短調 K.32
・ソナタ イ長調 K.322
■リョベート:ソルの主題による変奏曲
■ブローウェル:ソナタ
■タレガ:椿姫の主題による幻想曲
■バリオス:森に夢みる
(アンコール)
■タレガ:アランブラ宮殿の思い出

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バッハ:ゴルトベルク変奏曲 by ペライア(p)

2012-01-11 | CDの試聴記
寒い!
一日中どんよりとした曇り空で、夕方にはきっちり小雨模様に・・・。
まさに天気予報通りの一日だった。

こんな日は、お気に入りの焼酎を片手に、晴れやかな音楽を聴くに限る。
モーツァルト? メンデルスゾーン?
いやー、ちょっと違うなぁ。
今日の気分はバッハだ。
そうだ、ゴルトベルク変奏曲にしよう。
そんなわけで、ペライアのゴルトベルク変奏曲を聴いた。

ヘンデルとスカルラッティのアルバムでもそうだったが、この人のバロック音楽は、とにかく典雅で瑞々しい。
そして弾力性に富んでいる。
ゴルトべルク変奏曲でも、その特徴はまったく同じだ。
冒頭のアリアが、ひたすら美しい。
このアリアの部分だけをエンドレスにしておけば、確かに不眠治療にも使えるだろう。
しかし変奏が始まると、音楽は俄かに生気を帯び始める。
第一変奏で特に印象に残るのはバスの闊達さだ。
リズミックで鮮やかで、しかも必要以上に出しゃばらない。
そんな理想的なバスの動きに支えられて、高音部も実に優雅に舞っている。装飾音のセンスの良さも特筆ものだ。
続く各変奏でも、それぞれのバリエーションの性格が見事なまでに描き分けられていることに感心させられる。
また耳を澄ませば、いたるところに愛らしい旋律が見え隠れしているのが良くわかって、その意味でも大変面白い。
そして、一連のドラマが終わって再びアリアに戻ってきたとき、私の心の中は見事なまでに晴れ上がっていた。
素晴らしいバッハだ。
ピアノで弾かれたゴルトベルク変奏曲の中でも、屈指の名演ではないだろうか。

ペライアは昨年せっかく来日してくれたのに、聴き損ねてしまった。
次回は何としても実演で聴きたいと思う。


■バッハ:ゴルトベルク変奏曲
<演奏>マレイ・ペライア(P)
<録音>2000年7月
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小菅優レクチャーコンサート 「謝肉祭と神の祝福」

2012-01-09 | コンサートの感想
今日は三連休最後の日。
今年初めてとなるコンサートを聴いてきた。
小菅優さんの「謝肉祭と神の祝福」と題したレクチャーコンサートだ。

「『祝祭と音楽』という大きなテーマが与えられていたので、前半は人間の祝宴、後半は悪魔の宴、最後に神の祝福というイメージで曲を選びました。ただ(自分自身は)クリスマスはドイツで鴨の丸焼きを食べ、お正月は日本でお節料理を食べたので、お腹いっぱいです」というユーモアたっぷりの小菅さんの話から始まった。

小菅さんの大ファンであることにかけては人後に落ちないつもりの私だが、何がそれほど私を魅了するのだろう。
プログラムに書かれていたのは、「高度なテクニック、美しい音色、若々しい感性、深い楽曲理解・・・」というフレーズ。
確かにそのとおりだ。
でもそれだけじゃない。一番の特長は、その音楽へのひたむきさと、まるで全ての音に生命の息吹が吹きこまれているかのような瑞々しさを持っていることだと思う。
だから、彼女の演奏を聴くと、聴き手はどんな場合でも、心躍るような晴れやかな幸福感に浸ることができる。
そして、今日小菅さんの演奏を聴きながら、もうひとつ感じたことがあった。
それは、バスの表現力の見事さだ。
といっても、ロシア系のピアニストにみられるような、ホールを震撼させるような強靭な打鍵からくるものとは全く違う。
むしろ柔らかな質感を持ったバスなんだけど、どんな場合でもしっかりハーモニーを支えながら、一方できっちりと自身の存在感を主張するといった類のバスなのだ。
音色的にもバスだけが遊離して異彩を放つようなことは決してないので、音楽はどちらかというと暖色系の響きの中で表現される。
私には、それが大変心地よく聴こえた。

さて、今日の演奏の中でとくに素晴らしかったのは、最後に弾かれたリストの「孤独の中の神の祝福」。
小菅さん自身の言葉を借りると、
「若い時から難曲のリストの作品をたくさん弾きすぎたせいかもしれませんが、一時リストから心が離れかけたことがあります。そんなときに後期の作品群を知り、またリストに魅かれるようになりました。」
大体こんな内容だったと思う。
バッハの平均律の後という抜群のロケーションもあったが、リストを聴いてこれほど敬虔な気持ちにさせられたことは殆んどなかった。蓋し秀演と言うべき演奏。
その他の曲についても簡単に触れておきたい。

☆シューマン:「謝肉祭」
演奏の前に、オイゼビウスの表現に共通項があるということで、「ダヴィッド同盟舞曲集」から第14番を聴かせてくれた。
スフィンクスは楽譜通りの暗号めいた音型で演奏。
全編を通して躍動感に溢れた見事な演奏だったけど、どんなに速い部分にさしかかっても絶対滑ったような表現に陥らないのは、彼女の大きな美徳の一つ。

☆リスト:「メフィストワルツ第1番」
圧倒的に弾ききってくれた。でも悪魔のワルツなんだから、もっとえげつない表現でも良かったかもしれない。しかし、えげつない表現にならないところが、小菅さんの良さか・・・

☆バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第5番ニ長調
ニ長調が祝典的な表現に適しているということを、クリスマスオラトリオ、メサイアのハレルヤ等の例を示しながら説明してくれた。
楽譜を見ながらの演奏ではあったが、とても格調高いバッハだった。

いろいろ書かせてもらったが、新年早々素晴らしい演奏を聴かせてもらうことができて、今年はいい年になる予感がしてきた。
小菅さん、本当にありがとう。
また次回を楽しみにしています。

☆小菅優レクチャーコンサート 
<日時>2012年1月9日(月・祝) 14:00開演
<会場>東京文化会館 小ホール
<曲目>
■シューマン:謝肉祭「4つの音符による面白い情景」op.9
■リスト:メフィスト・ワルツ第1番
■バッハ:平均律クラヴィア曲集第2巻より第5番ニ長調
■リスト:「詩的で宗教的な調べ」より第3番「孤独の中の神の祝福」
(アンコール)
■シューマン(リスト編曲)「献呈」
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ブラームス:弦楽五重奏曲第1番ヘ長調 by アマデウス弦楽四重奏団ほか

2012-01-07 | CDの試聴記
木曜日から出張で大阪に来ている。
今年はお正月を大阪で過ごしたので、4日は東京に出社したが、ずっと大阪にいるような感じがする。
昨日デリケートな税務案件も無事に解決し、久しぶりに開放感をもった週末を迎えることができた。
いま、実家で珈琲を淹れながら、ブラームスを聴いている。
選んだ曲は、弦楽五重奏曲の第一番。
傑作と言われる六重奏とカルテットに挟まれて、幾分日陰の立場に置かれているが、私はこの曲が大好きだ。
ふくよかで明るい曲想は、いつ聴いても癒される。
とくに冬の朝に聴くこのクインテットは格別だと思う。

昨年震災のときに、避難所暮らしを経て、奇跡的に自宅に帰り着いた翌朝、無性に聴きたくなったのがこの曲だった。
当時家の中は目茶苦茶になっており、CDは散乱、スピーカーから音を出すなんてことは全く叶わなかった。でも、なぜかこの曲の第一楽章の旋律が何十回も私の頭の中を駆けめぐって離れなかった。
しかし、その後スピーカーから何とか音が出せるようになっても、こんどは肝心のディスクが見あたらない。ようやく聴けるようになったのは、7月になってからだった。
そんな経緯もあったので、スピーカーからこの曲が流れてきたときの嬉しさは、今も忘れられない。
そして、今日改めて聴いてみて、やはり魅力的な音楽だと思った。
アマデウスカルテットたちの演奏も申し分ない。
LP時代に好きだったベルリンフィルハーモニーのメンバーたちの演奏(PH盤)と並んで、ともに私の大切な宝物である。

ブラームス作曲
■弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op. 88
■弦楽五重奏曲第2番ト長調op.111
<演奏>
アマデウス弦楽四重奏団, アロノヴィッツ(ヴィオラ)

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謹賀新年 シューベルト:ピアノソナタ第13番イ長調 D.664 by ワルター・クリーン

2012-01-01 | CDの試聴記
新年おめでとうございます。

向こう100年語り継がれるであろう2011年も終わりを告げ、2012年がスタートした。
年が変わったからといって、状況が劇的に好転するはずもない。
しかし、何かが変わるはずだ。いや変えなくてはいけない。
そんな思いで今年最初の音楽として選んだのは、シューベルトのイ長調のピアノソナタ。

この曲には思い出がある。
社会人一年生のときのことだ。
新人にしては大きな案件を担当させてもらい意気込んでいた私は、初訪でお客様にけんもほろろに追い返され、さすがに落ち込んでいた。
そんな私に、クラシック好きの上司が「シューベルトのピアノソナタって聴いたことあるか?とても素敵だぞ。」と言って薦めてくれたのがこのイ長調のソナタだった。
早速その日のうちにレコード店に駆け込み、独身寮に持ち帰って聴いてみた。
確かケンプ盤だったと思うが、一回聴いただけで大好きになった。
それ以来、私にとって大切な曲であり続けている。

いまは実家に帰省しているので、ケンプ盤を聴くわけにはいかないが、ipodでワルター・クリーンの演奏を聴くことができた。
何と優しいピアノだろう。
しかも、その優しさを聴き手に押し付けてこない。
本当に素敵なシューベルトだと思う。
このクリーンのような姿勢で、日々過ごせれば、何かが変わるような気がする。

シューベルト:・ピアノ・ソナタ第13番イ長調 D.664
(演奏) ワルター・クリーン(P)
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今年一年を振り返って

2011-12-31 | CDの試聴記
今年も残すところあと一日。
本当に大変な一年だった。
大震災に始まり、政治も経済もかつて経験したことのないような危機的な状況になっているし、個人的にも、震災〜父の死〜母の手術等実にいろいろなことがあった。
そんな中、嬉しかったのは、11月の長男の結婚。
家族が増えるというのは、本当にいいことです。
昨日から夫婦で我が家に泊まりに来てくれているが、とても幸せな時間を過ごさせてもらった。

そして忘れてはならないのは、「人の絆」。
震災の時はたまたま東北へ出張していたが、避難所にいた私たちを案じて、お客様がご自宅に泊めてくださった。
ただ、ご自宅へお邪魔した時は、まだ全市停電中。
そんな中、奥様は懐中電灯片手に食事の用意をしてくださり、メインのお料理を食卓に持ってきていただいたその瞬間、電気がぱっと点灯したのだ。
まるでドラマのワンシーンのようだったが、居合わせた全員が、思わず「お〜!」という声とともに拍手喝采した。
この感動は一生忘れないだろう。
また、震災で自宅の大切な食器が割れてしまったことを知った友人が、すぐに素敵な食器を大量に送ってくれた時も、嬉しくって思わず涙が出た。
それ以外にも、家族の絆、友人との絆、仕事関係の仲間との絆、お客様との絆、もう全てが私を勇気づけてくれた。
このようにさまざまな「絆」を感じさせてくれたことは、逆に試練を与えてくれた神様に感謝しないといけないかもしれない。
一方、音楽のことに目を移すと、さぼりにさぼってしまったブログは、ただただ反省あるのみ。
来年は頑張ります・・・(汗)
また、コンサートに出かけた数も例年の三分の一くらいに減ってしまったが、感動的な公演も多かった。
いつもはベスト10を選んできたが、今年はベスト5ということで、最後に簡単にご紹介したい。
■バッハ:ロ短調ミサ(2月27日)
ブリュッヘン指揮 新日本フィルハーモニー
アーノンクールのロ短調ミサと並んで、これからずっと私の心の中で宝物になるような演奏。感動的だった。

■ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」(6月12日)
メトロポリタンオペラ来日公演 ノセダ指揮 ダムラウ、ドルゴフ、ルチッチ
大好きなダムラウが、さらに大きな存在感を持つソプラノになったと確信した。デセイと並んで現代最高のルチアだと思う。

■ベルリーニ:「清教徒」(9月24日)
ボローニャ歌劇場来日公演 マリオッティ指揮 シラグーザ、ランカトーレ、ウリヴィエーリ
フローレスは来なかったけど、この歌劇場の実力はやはり一級品。ランカト―レが尻上がりに調子を上げ、最後は圧倒的なエンディングになった。

■マーラー:子供の不思議な角笛ほか(10月19日)
エッシェンバッハ指揮 ウィーンフィル マティアス・ゲルネ(Br)
大好きなウィーンフィル。やはり外せない。前半は正直並の演奏だったが、後半のマーラーで化けた。ゲルネの圧倒的な名唱がウィーンフィルを覚醒させたのだ。これぞマーラーという圧倒的な名演。

■ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」(12月17日)
アレクセーエフ指揮 新日本フィルハーモニー
サントリーホールのP席で聴いたこともあるが、私も一緒に演奏しているような錯覚を覚えた。終楽章では涙が止まらなかった。
やはりベートーヴェンの力、音楽の力というのは凄い。ひたすら感動した。

番外編
■エディット・マティス 公開レッスン(2月28日)
最愛のソプラノ、マティスさんを生で見れただけでも最高。その魅力的な声は今も健在。
また是非とも日本に来てください。

ざっとこんな感じです。
来年はどんな一年になるのでしょうか。
私自身は、大いに期待しています。
これから実家に帰省します。
皆さま、よいお年を・・・。
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マーラー:交響曲第7番ホ短調『夜の歌』 by クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団

2011-12-28 | CDの試聴記
官庁は今日が御用納め。
私も30日は休暇を取る予定なので、仕事も年内あと一日だ。
さあ、頑張っていきましょう。

さて、最近読んだ吉田秀和氏の「フルトヴェングラー」という本の中に、次のような言葉が出てくる。
「何を語るか」「どう語るか」
この2つの言葉がとても印象に残ったので、少し書かせてもらう。

吉田さんは、概ね次のような意味でこれらの言葉を使っていた。
「何を語るかは作曲家の領域、どう語るかが指揮者の仕事」と割り切って考える指揮者が多いようだが、フルトヴェングラーは楽譜の中に封じ込められた生命を解放し、作品の語ってきかせる王国を音を通じて私たちの前に目に築き上げようとしていた。
つまり、フルトヴェングラーはどう語るかだけではなく、何を語るかについても自分の領域だと考えていたのだと。

私は、なるほどと大きく頷きながら読ませてもらった。
そこが、フルトヴェングラーの音楽における魅力の根源だったんだ。
逆に、何を語るかを持たずに(=自分の心の奥底から湧き出てくる何かを持たないまま)、楽譜に書かれた音符をそれらしく音として響かせることを目標にしているような演奏に出会うことがある。
聴いたときは耳に心地よく響いていたにも関わらず、しばらく経つと殆んど何の印象も残っていないような演奏等は、まさにその代表格だろう。
これでは聴き手に感動を与えられるはずがない。
仕事でも全く同じことが言えるわけだけど、やはり語るべきものをしっかり持って、それを自分の言葉で表現することが最も大切なのではないだろうか。

「どう語るか」という表現方法はフルトヴェングラーとまったく違うけど、オットー・クレンペラーもまさしく「語るべきもの」を持っていたマエストロだった。
そのクレンペラーによるマーラーの演奏を集めたボックスセットがリリースされたので、早速聴いてみた。
とくに印象に残ったのが第7番。

正直に告白すると、マーラーの全交響曲の中で、この7番が私にとってもっとも遠い作品だった。
まず劇的な場面が少ない割にやたら長い。
そして楽しいのか悲しいのか、はたまた怒っているのか笑っているのか、聴きながらだんだん分からなくなってくることも、この曲が縁遠くなっていた原因だった。
誤解を恐れずにいうと、この曲を聴いていると、何やら得体のしれない動物と格闘しているような錯覚を覚えるのだ。
しかし、今回久しぶりにクレンペラーの演奏を聴いて、その「得体のしれないもの」に惹かれるようになってきた。
得体のしれないものを、クレンペラーは何の加工も施さずに、むしろ彼一流の接写レンズを使って大写しにしてみせる。
その結果、グロテスクで生々しい印象をうける箇所も出てくるが、それがかえって独特の快感につながっていく。
一方、4楽章のマンドリンとギターが参加する「夜の歌」あたりは、これ以上ないくらいチャーミングだ。
美しいものは美しく、グロテスクなものは変に化粧を施さずそのままの姿で表現されるクレンペラーのマーラー。
私はとても魅力的だと思った。
年末年始、きっと何回も聴きなおすことだろう。

苦手だったマーラーの7番が、少しだけ私に近づいてきたような気がする。

マーラー:交響曲第7番ホ短調『夜の歌』
<演奏>
 オットー・クレンペラー(指揮)
 フィルハーモニア管弦楽団(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)
<録音>1968年9月
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ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第7番 「大公」 by カザルス・トリオ

2011-12-23 | CDの試聴記
師走も、もう残すところ10日余り。
先週末、私にとって今年最後のコンサートになる第九を聴いてきた。
今年はアレクセーエフ率いる新日本フィルの演奏。
終始悠然としたテンポを守り、何一つ奇を衒った表現はない。ベートーヴェンの音楽の持つ力をひたすら信じて、実直に音を響かせていく。そして迎えた終楽章。器楽だけの長いフガートの後、合唱が歓喜の歌を歌い始めた途端、私の体の中で突如として抑えきれない感動がこみあげてきて、涙が止まらなくなった。
誰もが勇気づけられる素晴らしい箇所だけど、いままでこんなことはなかった。
この一年に起こったいろいろな出来事が頭の中を駆け巡り、それが私の中でベートーヴェンの音楽と完全に一体になったのだろう。
第九を聴いてこれほど大きな感動を得たことは、嘗てなかった。
演奏してくれた人たちの素晴らしさはもちろんだが、音楽の力、ベートーヴェンの偉大さというものを、改めて思い知らされた一日だった。

さて、いまお気に入りの珈琲豆(勿論バッハブレンドです!)を挽き、気持ちを込めて丁寧に淹れた珈琲を飲みながら、ベートーヴェンの「大公」を聴いている。
いや、実はこの一週間、何十回となくこの曲を聴き続けている。
今頃って言われそうだけど、きっかけは、村上春樹の「海辺のカフカ」。
この小説がブームだった時には、「大公」の特設コーナーができたとか。
恥ずかしながら、私はまったく知らなかった。
本の中で登場するのは、ハイフェッツ・フォイアマン・ルービンシュタインたちの演奏だ。
喫茶店の店内で流していた「大公」に興味をもった客の星野青年に、店主がやさしく語りかける。
「(この演奏は)ルービンシュタイン = ハイフェッツ = フォイアマンのトリオです。当時は、『百万ドル・トリオ』と呼ばれました。まさに名人芸です。1941年という古い録音ですが、輝きが褪せません」
まさにその通りだ。
「100万ドルトリオ」という呼称はあまり好きじゃないけど、この演奏を聴くと確かにずっしりとした手応えを感じる。
70年以上前のこの録音から放たれるオーラの強さと迫力は、尋常ではない。
録音時、ハイフェッツとルービンシュタインの音楽的な主張がかなり食い違ったそうだが、逆にその食い違いがこの独特のオーラにつながったのかもしれない。
そして中を取り持ったとされるフォイアマンが、実にいい味を出している。
ただ、これほど各楽器に「我も我も・・・」と自己主張されると、いささか食傷気味になってくる。

私が今まで大切に聴き続けてきたディスクは、シェリング・フルニエ・ケンプたちの録音。
「百万ドルトリオ」の後で、聴いてみた。
やはり素晴らしい。端正で、気品に満ちていて、風格がある。
やっぱり、この演奏こそ「大公」の理想だ。

そんな風に思いながら、ふと部屋を見渡すと、片隅に積み上げた段ボール箱があった。
近々まとめて処分する予定のCDを詰めた段ボール箱だ。
何か引っかかるものがあって中を確認すると、カザルストリオが演奏した「大公」のディスクがあった。
最後にもう一度だけ聴いてみようと思いプレーヤーにかけてみる。
驚いた。本当に驚いた。
何と、ふくよかで瑞々しい演奏だろう。
高貴で、優しさに溢れ、加えてひたむきな情熱も併せ持っている。
たとえば第3楽章のアンダンテ・カンタービレ。
典雅なサラバンド風の主題に続き、第一変奏では、ピアノのアルペッジョに伴われて、カザルスが豊かに、そして息の長いフレージングで歌い始める。楽器の音というよりも、まるでカザルスという最もヒューマンな音楽家の心の声が、音となって表現されているようだ。
このときチェロを優しく見守るコルトーのピアノが、たとえようもなく美しい。そして、この二人が作り上げた雰囲気を、ティボーが見事に受け継いでいく。その後は、この神々しいまでの雰囲気を保ちながら、全員で音を紡いでいく。もうため息が出るばかりだ。
一方、先述の百万ドルトリオの演奏では、表情豊かに歌うフォイアマンに対してルービンシュタインも負けじと自己主張してくる。
このあたりがコルトーとの大きな違い。そしてハイフェッツが加わると、いよいよ三重協奏曲のような様相を呈することになるが、その分熱くスリリングな音楽になっていくことも事実。
この勝負、どちらがいいなんて簡単に言えるはずもないが、私はコルトー・カザルスたちの演奏の方がはるかに好きだ。

ちなみにティボー・カザルス・コルトーという名人たちによるこの演奏は、百万ドルトリオの録音よりもさらに古く、1928年に録音されたものだ。
もちろん原盤はSP。しかしこのCDへの復刻は奇跡的に上手くいっている。
むしろ音としてのコンディションは、百万ドルトリオよりずっといいくらいだ。

それにしても、いままで一体私は何を聴いてきたんだろう。
情けない限り・・・
しかし、結果的に間一髪のところで、この宝物を救い出すことができた。
そしてこのディスクは、まだ50枚ほどしか入ることを許されていない、CDラックの特等席に鎮座することになった。
今後も折に触れて聴くことになると思う。

<曲目>
■ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97「大公」
■シューベルト:ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 D.898
<演奏>
■カザルス・トリオ
 ティボー(Vn),カザルス(Vc),コルトー(P)
<録音>1928年11月19日
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フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調 by チョン・キョン・ファ&ルプー

2011-11-15 | CDの試聴記
長男の結婚に関する記事に対して、思いがけず多くの方から祝福のお言葉を頂き、本当にありがとうございました。
とても感激しております。
お陰さまで、息子たちもハネムーンから無事に帰国して、新しい生活をスタートさせました。
「日本のアイノラと言われるような家庭を」と、結婚式では彼らに発破をかけましたが、今はそっと見守ってやりたいと思っています。
何よりも健康で、どんなに小さくてもいいから日々感謝と感動の心を持って過ごしてくれたら・・・、ただそれだけです。

さて、今ボリュームを絞って聴いているのは、フランクのヴァイオリンソナタ。
大学時代、神戸の口腔外科で手術を受けた帰り途、梅田のレコード店でオイストラフとリヒテルが演奏したディスクに出会い、大変感動した話は以前書かせてもらった。
それ以来この曲が大好きになり、数多くのディスクを聴いてきた。
今日無性に聴きたくなったのは、チョン・キョン・ファがルプーと組んだ演奏。
初めて聴いたときは、線の細さというか若干神経質な表情が気になったが、実はとんでもない誤解だった。
この演奏、大変な名演だと思う。
しかし、ノーテンキな気持ちではとても聴けない。
聴き手も、姿勢を正して、彼らの演奏に立ち向かうことが要求される。
それほど内的な緊張感と集中力をもったフランクだ。
とくに第3楽章までの厳しい表現は類を見ない。
だからこそ、終楽章の開放感が、一層輝きを放つのだろう。
チョン・キョン・ファもルプーも、終楽章に入ると、もう待ちきれないといった様子で弾き始める。
まだ若かった二人が、それこそ夢中になって喜びをいっぱいに表現している。
本当に素晴らしい・・・
こんな演奏を聴くと、何だか私の心まで熱くなってくる。
やっぱり、フランクのソナタが大好きだ。

<曲目>
1. ヴァイオリン・ソナタ イ長調(フランク)
2. ヴァイオリン・ソナタ ト短調(ドビュッシー)
3. 序奏とアレグロ(ラヴェル)
4. フルート,ヴィオラ,ハープのためのソナタ(ドビュッシー)
<演奏>
■チョン・キョン・ファ(ヴァイオリン)
■ルプー(ピアノ)
■エリス(ハープ)
■メロスアンサンブル
<録音>
■1.2. 1977年
■3.4. 1962年
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バッハ:カンタータ第202番「消えよ、悲しみの影」《結婚カンタータ》 by コレギウム・アウレウム合奏団

2011-11-06 | CDの試聴記
昨日は長男の結婚式だった。
あっという間の一日だったけど、こんなにずっしりと実がいっぱい詰まった一日というのも、私にとっては初めての経験。
息子にとっては間違いなく「人生最良の日」のはずであり、私にとっても、人生で最も感動した日だった。
幼い頃アトピーに苦しみ、その後も決して物事を小器用に捌けるタイプではなかっただけに、人一倍苦労したことだと思う。
しかし、不器用でも正直に進むことの素晴らしさを私に教えてくれたのは、他ならぬ息子だった。
そして、息子の心優しい性格は、子供の時から現在に至るまでずっと変わることがなかった。
そんな彼が素敵な女性に巡り会い、縁あってこの日を迎えることができたわけだから、これから色々なことがあると思うけど、この日の感動を忘れずに二人で乗り越えていってほしい。
また、二人で乗り越えられないような試練なんて、ひとつもないはずだから・・・。
結婚式の挨拶で、私は、シベリウスに負けないような「日本のアイノラ」と言われる家庭を是非築いてほしいと話したが、まさに親としての私の本音だ。
末永くお幸せにね。

昨日、結婚式の前にホテルで聴いていたのは「フィガロの結婚」だったが、今日はバッハの結婚カンタータ。
敬愛するエディト・マティスがソロを歌う素敵なディスクは以前採りあげたので、今日聴いたのはマティス盤と並んで私が大切にしてきたコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
アメリングがソロを歌うこの演奏の明るさと美しさは、数あるディスクの中でもとびきり魅力的だ。
いつ聴いても素晴らしい演奏だけど、今日はさらに特別。
そういえば、そろそろハネムーンに向けて二人が飛び立つ時間だ。
体に気をつけて、思いっきり楽しんできてください。

バッハ:カンタータ第202番「消えよ、悲しみの影」《結婚カンタータ》
<演奏>
■エリー・アメリング(ソプラノ)
■フリッツ・ノイマイヤー(チェンバロ)[BWV202]   
■コレギウム・アウレウム合奏団(指揮:ラインハルト・ペータース)
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