あの日から、一年が過ぎた。
昨日の14時46分には、被災地の方々はもちろんのこと、多くの日本人が神様に祈りをささげたはずだ。
試練と言うにはあまりに大きなものだったけど、日本中いや世界中の人たちの祈りは、きっと神様にも届いていることだろう。
一日も早い完全復興を願わずにはいられない。
ところで、先週の金曜日は出張で秋田へ行ってきた。
秋田、3月、金曜日、講演・・・とキーワードを並べていくと、どうしても一年前の出来事を思い出してしまう。
しかし、雨模様の東京とは打って変わって、今年の秋田は快晴だった。
昨年途方にくれる我々を精一杯のホスピタリティでもてなしてくれた「メトロポリタンホテル」も、避難所としてお世話になった秋田拠点センター「アルヴェ」も、平時の活況を取り戻していた。
そんな中、セミナーも無事に終わり、一年前の忘れものを何とか受け取ることができたような気がする。
そして何よりも嬉しかったのが、昨年我々をご自宅に温かく迎えてくださったお客様に再会できたこと。
「日本人も決して捨てたものではない」と昨年書かせてもらったが、いまそれは確信に変わっている。
さて、いささか日が経ってしまったが、先週の日曜日に聴いた日露友好ショスタコーヴィチ・プロジェクトのコンサートの感想を。
そもそも私自身こんなイベントがあることを知らなかったのだけど、前々日にいつもお世話になっている
minaminaさんにお誘いいただいて、幸運にも聴くことができた。
このコンサート、プログラムがいかにも通好み。
とくにメインのショスタコーヴィッチの14番なんて、名曲と言われながら滅多に聴けない曲なので、楽しみにして日比谷公会堂へ向かった。
前半はシチェドリンのカルメン組曲。
冒頭は、あの華麗な前奏曲をイメージしていたので、チューブラベルで神秘的に始まったときは一本取られた気持ち。
歌劇カルメンのダイジェスト版ではなく、シチェドリンがこのオペラを主題にして感じたままを音楽にしたという印象。
なかなか素敵な曲でした。
それから、ティンパニの音が実に良い音だなぁと思って舞台をみると、読響OBの菅原さんだった。
何かとても懐かしい気持ちになる。
後半はいよいよショスタコーヴィッチの14番。
「死者の歌」という表題で呼ばれることも多いが、作曲者がつけたものではないということで、この日は副題なしという形でプログラムにも記載されていた。
この曲は11曲からなる歌付きの交響曲で、ロルカ・アボリネール・キューヘリベーケル・リルケという4人の詩人の作品を元に作曲されている。
歌付きのシンフォニーというとマーラーの「大地の歌」を思い浮かべるが、私が受けた印象はまるで違う。
マーラーの方は諦観を感じさせるものの、全体にエネルギーは中だけではなく外へ向けても発散されている。
一方ショスタコーヴィチのこの交響曲の場合は、上手く言えないが、音楽全体が大きなドームのようなものにすっぽり覆われていて、いかに中から大声で叫ぼうとも、そのドームのバリアに弾き飛ばされて外へ出ることができないような感じがするのだ。
誤解を恐れずに言うと、結果的に地中深くどんどん沈潜していかざるを得ないので、正直救いのない音楽という印象を強く受けた。
しかし、その絶望の淵を常時覗き込むようなこの作品に、私は何故か強く魅かれる。
そして、そんな自分がちょっぴり怖かった。
ただ、この日タクトを振った井上道義さんは、「どんな逆境の中でも人は尊厳をもって生きることが可能だということを、この作品から教えられる」とパンフレットに書かれていたので、私もこの曲をもっともっと聴きこんだら、いつの日かマエストロのような境地に達することができるかもしれない。
もう少し時間が必要なことだけは事実のようだが・・・。
貴重な機会をいただいたminaminaさんには、ただただ感謝です。
コンサート後にお付き合いいただいた二次会を含めて、本当にありがとうございました。

<日時>2012年3月4日 (日) 14:30 開演
<会場>日比谷公会堂
<曲目>
■シチェドリン: 「カルメン」組曲(ビゼーのオペラ「カルメン」による)
■ショスタコーヴィチ: 交響曲第14番 op.135
<演奏>
■アンナ・シャファジンスカヤ(ソプラノ)
■ニコライ・ディデンコ(バス)
■井上 道義(指揮)
■オーケストラ・アンサンブル金沢