ムーティ&ウィーン国立歌劇場の最終回のコジを観てきました。
少し遅くなりましたが、そのときの感想を。
<日時>2008年10月27日(月) 6:30p.m. 開演
<会場>東京文化会館
<出演>
■フィオルディリージ:バルバラ・フリットリ
■ドラベッラ:アンゲリカ・キルヒシュラーガー
■グリエルモ:イルデブランド・ダルカンジェロ
■フェッランド:ミヒャエル・シャーデ
■デスピーナ:ラウラ・タトゥレスク
■ドン・アルフォンソ:ナターレ・デ・カローリス
■指揮:リッカルド・ムーティ
■演出:ロベルト・デ・シモーネ
■ウィーン国立歌劇場管弦楽団
■ウィーン国立歌劇場合唱団
ずいぶん聴いてきたつもりのオペラだけど、実際の舞台に接するのはこの日が初めてです。
何カ月も前から、指折り数えて開演の日を待ちました。
期待が膨らみすぎて胸が潰れそうだったけど、終演後は、胸だけじゃなくて、それこそ身体中に感動が沁みわたりました。
私が聴きたかった理想のコジがそこにあったのです。
ムーティとウィーンのシュターツオーパー。
それだけでも、最高のコジが約束されているはずでした。
しかも歌手は、フリットリ、キルヒシュラーガー、ダルカンジェロ、シャーデとくれば、興奮するなというのが不思議なくらいです。
今年2月にウィーンで同じムーティの指揮、シモーネの演出でコジが上演されましたが、そのときからはフェッランドがフランチェスコ・メリからシャーデに変わっています。
まさに、当代最高のキャストといっても過言ではないでしょう。
このオペラは、ストーリーだけ追っかけると、はっきり言って矛盾だらけの茶番劇。(そこが魅力でもあるのですが・・・)
ところが、モーツァルトが魔法の粉を振りかけると、もうかけがえのない最高の音楽になってしまうのですから不思議なものです。
しかし、このオペラは難しい。そして怖い。
まず、登場人物が最初から最後まで6人しかいませんし、その6人すべてが粒揃いでないといけません。
誰か一人でも穴があると、あっという間に全体のバランスが崩れて、その穴だけがやけに気になって、オペラを楽しむどころではなくなってしまうからです。
また、全編ジョークの塊のようなオペラですが、少しでも媚びを売ろうとした瞬間に、聴き手はさっと醒めてしまいます。
だから歌手たちも、ひたすら大真面目に歌い、演じてもらう必要があります。
これら2つの条件を満たした時に、初めて「コシ・ファン・トゥッテ」というオペラは本来の魅力的な姿を現してくれるのだと思います。
この日の上演は、これらの要素を完全に満たしていました。
いや、そんな月並みな表現ではとても言い表せないなぁ。
ムーティのタクトが一閃するたびに、血の通った人生模様が舞台で次々と繰り広げられるのです。
歌手たちが真剣に演じてくれるからこそ、聴き手はつい笑ってしまいます。
しかし次の瞬間には、恋人に対する複雑な想いに心を馳せて、思わずもらい泣き・・・。
まさしく、この繰り返しでした。
そして、喜怒哀楽をものの見事に描写するモーツァルトの音楽のとびきりの美しさ。
モーツァルトだけがもつ「泣き笑い」の真髄を、とことん堪能させてもらいました。
歌手では、やはりフリットリ。
以前に比べると少しふっくらした感じもしましたが、あのミルキーボイスは健在。
舞台での存在感は格別で、フィオルディリージの芯の強さと優しさを見事に表現してくれました。「岩のように・・・」のアリアも、2幕のロンド「許して恋人よ」もともに素晴らしかった。コロラトューラの技巧もすぐれている上に、弱音が本当に綺麗。女王様感覚がないのもコジにはうってつけでしょう。
ダルカンジェロは、私のお気に入りのバリトンで、当代最高のフィガロ歌いだと確信していますが、今回のグリエルモもやはり抜群。
オペラグラスを通してみたその表情の豊かさと、張りのある歌唱には思わずうっとり。
シャーデが歌う1幕のフェッランドのアリア「いとしき人の愛のそよ風は」も、印象に残りました。
とくにリピートした後の弱音は、鳥肌が立つくらい美しかった。
うれしい発見だったのがキルヒシュラーガー。
ウィーン中で愛されているメゾは、やはりチャーミング。
私にとって、まさに理想のドラベッラでした。
しかし、私がうれしい発見と申し上げたのは、第2幕で新しい恋に揺れ動く姉に向かって歌うアリア「恋は心を盗む」を聴きながら、エディト・マティスの面影をみたからです。
何度も書いてきましたが、マティスは私の最も愛するソプラノです。
キルヒシュラーガーの歌い方、声、そして表情に、マティスとの多くの共通点を感じました。
マティスのもつ安定感にはまだ及びませんが、何よりも雰囲気が似てる。
これから絶対彼女を応援していこうと、心に決めました。
ひとりひとりの歌唱も上記のとおり素晴らしかったのですが、今回のコジで最も感動したのはアンサンブルの素晴らしさ。
とても全部を紹介できませんが、たとえば第1幕で出征の直前に歌われる5重唱「毎日手紙を書いて」。
何て柔らかくて優しい音楽だろう。
そして、船が出て行ったあとの3重唱「風よ穏やかに・・・」。
これはモーツァルトの書いた最も美しい音楽の一つだと思いますが、聴きながら心の中がこのときほど暖かくなったことはありません。
そして、何といってもウィーンフィルの素晴らしさ。
その魅惑的な音色、豊かだけど決して重くならない低音をベースにした独特の響き、もう溜息をつくばかりです。
オペラというものを知り尽くしたオケというのは、どんな主役にも負けなくらい重要なのですね。
些細な傷ができても、あっという間に治してしまう名医のような力。
歌手とともに音楽の中で語りあう表現力の高さ。
当たり前と言われればそれまでですが、この日もいやというほど思い知らされました。
たとえば、2幕でドラベッラが陥落したことを知った後、失意のフェッランドが歌うアリアの中間部。
そっと彼を励ますように奏でられる木管の何という優しさ。思わず目頭が熱くなりました。
また、コジでは、ブン・チャチャチャという8分音符の単純な伴奏音型が随所にでてきますが、彼らは何気なく弾いているにもかかわらず、それが実に音楽的。
やはり世界一のオーケストラです。
それから、書き忘れるところでした。
通奏低音のフォルテピアノが、もう抜群に良かったのです。
この絶妙の呼吸感が、どれだけオペラ全体をリードしてくれたか計り知れません。
ムーティも全幅の信頼を寄せていたことでしょう。
まだまだ書きたいことは沢山ありますが、いったんこれくらいにしておきます。
また、終演後の上野のギネスまで一緒にお付き合いいただいたユリアヌスさんにも、改めて感謝を申し上げたいと思います。
感動が2倍になったかも・・・(笑)
2年前にウィーンで味わうことのできた最高のフィガロ。
そして、いま東京で体験できた最高のコジ。
きっと一生忘れないでしょう。
マエストロ・ムーティ、ウィーンフィル、フリットリを始めとする最高の歌手のみなさん、本当にありがとう。
至福の3時間でした。
少し遅くなりましたが、そのときの感想を。
<日時>2008年10月27日(月) 6:30p.m. 開演
<会場>東京文化会館
<出演>
■フィオルディリージ:バルバラ・フリットリ
■ドラベッラ:アンゲリカ・キルヒシュラーガー
■グリエルモ:イルデブランド・ダルカンジェロ
■フェッランド:ミヒャエル・シャーデ
■デスピーナ:ラウラ・タトゥレスク
■ドン・アルフォンソ:ナターレ・デ・カローリス
■指揮:リッカルド・ムーティ
■演出:ロベルト・デ・シモーネ
■ウィーン国立歌劇場管弦楽団
■ウィーン国立歌劇場合唱団
ずいぶん聴いてきたつもりのオペラだけど、実際の舞台に接するのはこの日が初めてです。
何カ月も前から、指折り数えて開演の日を待ちました。
期待が膨らみすぎて胸が潰れそうだったけど、終演後は、胸だけじゃなくて、それこそ身体中に感動が沁みわたりました。
私が聴きたかった理想のコジがそこにあったのです。
ムーティとウィーンのシュターツオーパー。
それだけでも、最高のコジが約束されているはずでした。
しかも歌手は、フリットリ、キルヒシュラーガー、ダルカンジェロ、シャーデとくれば、興奮するなというのが不思議なくらいです。
今年2月にウィーンで同じムーティの指揮、シモーネの演出でコジが上演されましたが、そのときからはフェッランドがフランチェスコ・メリからシャーデに変わっています。
まさに、当代最高のキャストといっても過言ではないでしょう。
このオペラは、ストーリーだけ追っかけると、はっきり言って矛盾だらけの茶番劇。(そこが魅力でもあるのですが・・・)
ところが、モーツァルトが魔法の粉を振りかけると、もうかけがえのない最高の音楽になってしまうのですから不思議なものです。
しかし、このオペラは難しい。そして怖い。
まず、登場人物が最初から最後まで6人しかいませんし、その6人すべてが粒揃いでないといけません。
誰か一人でも穴があると、あっという間に全体のバランスが崩れて、その穴だけがやけに気になって、オペラを楽しむどころではなくなってしまうからです。
また、全編ジョークの塊のようなオペラですが、少しでも媚びを売ろうとした瞬間に、聴き手はさっと醒めてしまいます。
だから歌手たちも、ひたすら大真面目に歌い、演じてもらう必要があります。
これら2つの条件を満たした時に、初めて「コシ・ファン・トゥッテ」というオペラは本来の魅力的な姿を現してくれるのだと思います。
この日の上演は、これらの要素を完全に満たしていました。
いや、そんな月並みな表現ではとても言い表せないなぁ。
ムーティのタクトが一閃するたびに、血の通った人生模様が舞台で次々と繰り広げられるのです。
歌手たちが真剣に演じてくれるからこそ、聴き手はつい笑ってしまいます。
しかし次の瞬間には、恋人に対する複雑な想いに心を馳せて、思わずもらい泣き・・・。
まさしく、この繰り返しでした。
そして、喜怒哀楽をものの見事に描写するモーツァルトの音楽のとびきりの美しさ。
モーツァルトだけがもつ「泣き笑い」の真髄を、とことん堪能させてもらいました。
歌手では、やはりフリットリ。
以前に比べると少しふっくらした感じもしましたが、あのミルキーボイスは健在。
舞台での存在感は格別で、フィオルディリージの芯の強さと優しさを見事に表現してくれました。「岩のように・・・」のアリアも、2幕のロンド「許して恋人よ」もともに素晴らしかった。コロラトューラの技巧もすぐれている上に、弱音が本当に綺麗。女王様感覚がないのもコジにはうってつけでしょう。
ダルカンジェロは、私のお気に入りのバリトンで、当代最高のフィガロ歌いだと確信していますが、今回のグリエルモもやはり抜群。
オペラグラスを通してみたその表情の豊かさと、張りのある歌唱には思わずうっとり。
シャーデが歌う1幕のフェッランドのアリア「いとしき人の愛のそよ風は」も、印象に残りました。
とくにリピートした後の弱音は、鳥肌が立つくらい美しかった。
うれしい発見だったのがキルヒシュラーガー。
ウィーン中で愛されているメゾは、やはりチャーミング。
私にとって、まさに理想のドラベッラでした。
しかし、私がうれしい発見と申し上げたのは、第2幕で新しい恋に揺れ動く姉に向かって歌うアリア「恋は心を盗む」を聴きながら、エディト・マティスの面影をみたからです。
何度も書いてきましたが、マティスは私の最も愛するソプラノです。
キルヒシュラーガーの歌い方、声、そして表情に、マティスとの多くの共通点を感じました。
マティスのもつ安定感にはまだ及びませんが、何よりも雰囲気が似てる。
これから絶対彼女を応援していこうと、心に決めました。
ひとりひとりの歌唱も上記のとおり素晴らしかったのですが、今回のコジで最も感動したのはアンサンブルの素晴らしさ。
とても全部を紹介できませんが、たとえば第1幕で出征の直前に歌われる5重唱「毎日手紙を書いて」。
何て柔らかくて優しい音楽だろう。
そして、船が出て行ったあとの3重唱「風よ穏やかに・・・」。
これはモーツァルトの書いた最も美しい音楽の一つだと思いますが、聴きながら心の中がこのときほど暖かくなったことはありません。
そして、何といってもウィーンフィルの素晴らしさ。
その魅惑的な音色、豊かだけど決して重くならない低音をベースにした独特の響き、もう溜息をつくばかりです。
オペラというものを知り尽くしたオケというのは、どんな主役にも負けなくらい重要なのですね。
些細な傷ができても、あっという間に治してしまう名医のような力。
歌手とともに音楽の中で語りあう表現力の高さ。
当たり前と言われればそれまでですが、この日もいやというほど思い知らされました。
たとえば、2幕でドラベッラが陥落したことを知った後、失意のフェッランドが歌うアリアの中間部。
そっと彼を励ますように奏でられる木管の何という優しさ。思わず目頭が熱くなりました。
また、コジでは、ブン・チャチャチャという8分音符の単純な伴奏音型が随所にでてきますが、彼らは何気なく弾いているにもかかわらず、それが実に音楽的。
やはり世界一のオーケストラです。
それから、書き忘れるところでした。
通奏低音のフォルテピアノが、もう抜群に良かったのです。
この絶妙の呼吸感が、どれだけオペラ全体をリードしてくれたか計り知れません。
ムーティも全幅の信頼を寄せていたことでしょう。
まだまだ書きたいことは沢山ありますが、いったんこれくらいにしておきます。
また、終演後の上野のギネスまで一緒にお付き合いいただいたユリアヌスさんにも、改めて感謝を申し上げたいと思います。
感動が2倍になったかも・・・(笑)
2年前にウィーンで味わうことのできた最高のフィガロ。
そして、いま東京で体験できた最高のコジ。
きっと一生忘れないでしょう。
マエストロ・ムーティ、ウィーンフィル、フリットリを始めとする最高の歌手のみなさん、本当にありがとう。
至福の3時間でした。