マツダファミリア(323)5代目 BD型(1980年 - 1985年)
いやぁ、このブログで医療従事者らしく、今猛威を振るうインフルエンザ予防の記事をいくつか書きましたけど、あはは、うかつにも、私、インフルエンザにかかってしまいました。(苦笑)
ということで、本日あった大川隆法総裁御法話には参加できず、ご報告とかは、後日になろうかと思います。
ということで、今日は得意の自動車記事を書かせていただこうかなと。
ホントは、今このブログの話題の中心が三菱VSスバルですので、ランサーエボリューションの時代に入る予定だったんですが、その前に、忘れちゃぁならねぇ超大物革命児が、日本にはいたのでございます。
それが上の画像、マツダファミリア5代目、通称「赤いファミリア」でございます。
「赤い」とか「革命児」とか言いますと、「ばくは、共産主義暴力革命肯定に転じたか⁉」と揶揄されそうですが(爆笑)、いやいや、私は平和主義者でございます。ファミリア革命も、赤色のXGがメチャンコ売れましたので、そう呼ばれております。
マツダ初のFF車 ルーチェロータリ―クーペ(ロータリーエンジン縦置き)
この赤いファミリアは、マツダの最初の横置きエンジンFF車です。
マツダ最初のFF車は、ルーチェロータリ―クーペですが、超少量生産で歴史を閉じております。
ただ世の中の小型車は大幅にFF化の波が押し寄せており、マツダファミリアが日本車では最後のFF車でありました。
で、今の自動車製品の99.9%は、ジアコーサタイプの横置きエンジンのFFで、そのきっかけは三菱ミラージュ(初代)だったのですが、そのジアコーサFFが、もっと大きなエンジンを積む自動車にまで普及できるようになるには、同じく日本の、マツダの赤いファミリ登場を、世界人類は待たなければならなかったのです。
マツダファミリアが何を世界に与えたのか。
それはジアコーサFFの欠点である、通称「FFの癖(くせ)」がなかったからです。
技術的には、それまで不等長だった左右のドライブシャフトの、等長化をしたからなんです。
赤いファミリアは、優秀なデザインがもてはやされて、丘サーファーを生んだとか、どうも軟派なイメージがありますが、世界に誇る名車中の名車でございます。
さて、ジアコーサFFだと、エンジンはボディ正中にはありません。
つまり、重いエンジンが左右のどちらかに寄らざるを得ないジアコーサでは、左右の重量バランスは絶対に取れません。
また、何よりタイヤに駆動力を伝える、ドライブシャフトの長さが違ってしまいます。
これだと、左右に伝わるトルク(回す力)も違ってしまいます。
これでハンドルが取られることを、トルクステアと言います。
自動車雑誌敵に言うと「FF車の癖」というやつです。
トルクステアは走り出せば問題はないのですが、自動車というのは加速と減速の連続です。
またカーブやコーナーでは減速しないわけにはいかず、ジアコーサFFは、走っている間に、しょっちゅうトルクステアに悩まされていたのです。
しかし赤いファミリアは、発売当初から、厄介なトルクステアが全くなかったのですね。
これには、世界が驚きました。
なぜ赤いファミリアにトルクステアがなかったかというと、長短2種類の長さを持つジアコーサFFのドライブシャフトをの長さを、短い方に統一して同じ長さにしたのですね。
長さが同じになれば、左右の車輪に伝わる伝達トルクは理論上同じですので、トルクステアは理論上なくなるのです。
そして赤いファミリアは、日本国内だけでなく世界で売れまくりました。
世界でも特にヨーロッパでは、このマツダ323(ファミリアの輸出名)は旋風を巻き起こしたと言えます。
当時の100万台生産最速記録はマツダ323ですから、メガヒット中のメガヒット作が赤いファミリアだったのです。
ヨーロッパで売れるには、ハンドリングが良好でなければ売れません。
今ある自動車製品は、ハンドルを切ったら切った分だけ曲がれますが、その始まりは、日本の赤いファミリアからなのです。
赤いファミリア以前のジアコーサFF車のコーナーリングは、どちらかと言えば不愉快だったはずです。
赤いファミリアの優秀なコーナーリングに危機感を覚えたのが、フォルクスワーゲン(VW)だったろうと思います。
赤いファミリアのころのベストセラーカーと言えば、泣く子も黙るゴルフでした。
当時の小型車のお手本と言えば、ドイツのVWゴルフⅠで恐らくマツダの赤いファミリアも、当然のごとくゴルフの影響は受けているんでしょうけど、赤いファミリアが性能や販売で猛追したので、ゴルフは世界基準車入りが遅れたと思うんですね。
そしてまぁ、カローラの時代が延長されたところがあると思うんです。
また赤いファミリアがヨーロッパで大ヒットしたことも、圧倒的な地位にあったゴルフ1が、ゴルフⅡを早く投入するかたちでモデルチェンジしてしまった背景にあるんじゃないかとも。
歴史的モデルVWゴルフⅠとゴルフⅡ、サイズがちょっと違うだけで、「モデルチェンジする必要あったの?」という違いですが、そこには日本から来た赤い刺客(ファミリア)からの影響、つまりシャーシや各種パーツを洗練させて、ハンドリング等を高級にして、寿命を延ばしたのではないかと。
透視図が見つからなくてはっきりしないのですが、ゴルフⅡは、ファミリアのような等長ドライブシャフトではないと思うのです。モンスターモデルがありませんから。
そしてゴルフⅢからは、等長下されていると思うんですね。なぜなら、ゴルフⅢからは大パワーのモンスターモデルが出てくるからです。
昔ながらの不等長ドライブシャフトだと、大パワーだとトルクステアが出て、まともに走れないからです。
ということで、赤いファミリアから今主流のエンジン横置きFF自動車は、私たちが知る、「ハンドルを切ったら切った分だけ素直に曲がる」ようになり、だからこそ、大型の強いパワーを持つ大きな車体の製品まで、FF化できるようになったんですね。
「日本って、けっこうやりよるわい。」と、日本車大好きな私は、いっつも思うちょるがです。
日本って、案外、始まりのところにいるような気がするんですよね。
とにもかくにも、様々なことが絡み合って。世の中も歴史も出来上がっているんだなぁと思う次第です。
これを仏教用語で、「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」と言うそうです。
今日は病みあがって間もないので、ここで筆をおきますが、赤いファミリアの後継の6代目が、ドエライ歴史を持っていたことを、いつか書かせていただければと思います。
(ばく)
みんなで学ぼう「重重無尽」
マツダ ファミリアCM 1982年