酔いどれ反省会

反省出来ない人の反省文

2019/5/28(火)くもり

2019年05月28日 21時21分36秒 | 日記
今朝の、川崎殺傷事件。ニュースを見て、心がガタガタになる。
そして犯人と言われている人も、自殺を図り、病院に搬送されたが、その後死亡したとのこと。
こんなどうしようもない事件がなぜ起こってしまうのか。

なんの理由もなく、子供たち、そこに居合わせた大人たちなどが襲われるのは絶対に許しがたい。
どんな状況であれ、誰に対してであれ、殺傷事件などが許される事はあり得ないのだが。
でも、子供や女性が狙われやすいというのは、本当に耐えられない。
たいてい犯人は成人以上の男性で、自分よりも力的に弱いと思われる人物を襲う。
それで自殺を図り死んでしまうなんて、どうしようもなさの極み。
犯人が生きていれば、遺族の悲しみや怒りの矛先も残されているけど、
犯人が死んでしまっては、それすらなくなり、悲しみや怒りは宙ぶらりんで
どこにも行けずただただ膨らむばかりになってしまうのではないか。

犯人に対して「自殺」なんて手段を選ぶのは卑怯でクソ野郎極まりない選択、
死ぬならテメー一人で死にやがれ!!と思う気持ちももちろんある。
本当なら死なずに、世界中から非難を浴びて、悔恨の念に苛まれて
苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、絶望の中で死んでいけばいいと思う。
そんな簡単に死んでんじゃねえ!!と思う。

こんな事件は起こってはいけない。
とは言っても、次から次へとこんな事件が起こる。
政府は「早急に対策を」とか言ってるけど、事故も事件も次々起こる。
誰かを責めたりできる事ではない。政府を責めたところで、
「じゃあ監視カメラを全街中と全家庭内のすべての部屋に設置して、
全ての人間にGPSを持たせて、体と心の健康状態をチェックするために、
全国民が毎日カウンセリングを受ける」なんて言っても無理な話。

「テメー一人で死ね!!」など言いつつも、その犯人(と言われている人物)の行動に対して、
ひとつも理解できないか、と言われるとそうでもない、、気がする。
「死にたい」とは、少なからず誰しも思う事がある、と思う。
それで、自分一人で死んでしまう人もいれば、
他人を殺して殺して、その勢いで自分も殺す、という人もいるのかもしれない。

「自分だけを殺す」というのは非常に恐ろしくハードルが高い。
それなら無差別に誰かを殺し、ハードル云々の感覚をバカにして自分も殺すという事なのだろうか。
そこで暴力団などに乗り込むのは「殺す」より「挑む」が強くなるので、
弱い人間にはその選択は出来ないのだろう。
「幸せそうな人々への怨恨」という記事も読んだが、まぁ、それもあるかもだけど、
結局は自分自身の劣等感、自信のなさ、被害妄想、それでいて理想が高かったりとか、
もしかしたら精神的な障害も少なからず発症しているのかもしれない。

とは言え、本当に「テメー一人で死ね!!!!」と言いたい気持ちはあるけども、
そうも言いきれない気持ちもある。

政府は「子供たちの安全を」とか言うけど、それって表面的な事でしょって思う。
なんでこういう事件が起こるのかをちゃんと考えないといけない。
なんで今回の犯人みたいな人が生まれるのかをちゃんと考えなきゃいけない。
弱い人間が増えている。

僕自身、非常に弱い人間である。
僕だって、このまま何もせずに歳を取ってしまったら、
こんなクソみたいな事件を起こさないとも限らない。
何も発散する場がなく、様々なストレスをためこむ一方。
子供や女性を救うのは当然だが、こういう人を生まないのも重要な課題。

こういう事を考えると「アート」というのが自分の中に浮上してくる。
何もかも「意味と実用性とハッキリした反応や効果がすぐに得られる」って事ばかりを求めて、
頭からつま先までがんじがらめ。
僕自身そうだけど、踊ってる時はわりとそれを忘れられる。
そういう場がないとやっぱりつらい。
ご飯を食べたり酒を呑んだりするのも好きだし楽しいけど、
やはり1人だと発散できないんだな。
一人作業は好きだし、そっちの方がやりたかったりするけど(絵を描いたり文章書いたり)、
それだって誰かに(外に)向かって発信しているわけだから、自分の中だけでは完結していない。
別にアートなんざやらなくとも、普段の生活の中で、外に向けた発散が出来ていたら良いのだ。
趣味、仕事、何でも良い。
それが何も無く、何もできず、悶々としている人を救えるのは、はやりアートだ。
もちろんアートだけじゃないけど、アートも十分救う事が出来る。
表面ばかりこねくり回して「改善」なんて言ってないで、もっと根本を見ないといけない。
根本を動かすのは、不可能なほど大変で、目を向けたくないのは確かにそう。
でも、何も悪い事もせず、日々をつつましく楽しく生きている人が、
なんの理由もなく殺されるなんて絶対にあってはいけない!!!!!

「アートが世界を救う」なんて大それた事を言うわけじゃないけど、
ダンスは確実に僕自身を救ってくれている。
そこがどんどん広がれば、いろんな人が救われるんじゃないかなぁ、と思うのだ。

意味とか何とかじゃなく、もっと体を通してダイレクトに心を動かすものが必要だと思う。
最近のアートは、頭を経由するものが多い気がする。それは結果、心を動かしもするけど、
頭を経由せず、体から心に届くものが、頭を使わず心を動かせるのではないかなぁと思う。

そうじゃなくても、めちゃつらい時は、美味しいケーキと美味しいコーヒーを飲んだりするだけで、
ちょっと救われたりもするかもしれない。

本当に死にたいときは、自分的に「ここが良い」という喫茶店を探して、
高くても良いからケーキセットを注文してみると良い。何かが変わるかもしれない。
いろんな喫茶店のケーキセットを食べてみたらいい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019/5/8(水)晴れ

2019年05月08日 21時43分09秒 | 日記
「平成」の次は「令和」と発表されて、はや1ヶ月以上経ち、
気づけばすでに、令和になって1週間が過ぎてしまっている。
元号が変わった。これはどれほど大きな事なのか。
今回の元号改変は、平成の天皇が退位なさる事での改変なので、
日本全体が、喪に服すわけじゃなく、
そうじゃないなら騒ごうぜ!!という感じ。
僕の部屋にはテレビが無いので、元号改変でどれだけ世間が盛り上がっていたのかわからない。
ラジオは聴いていたけど、ラジオでは特に盛り上がってはいなかった。
僕自身、「昭和」から「平成」をまたいだ人間ではあるが、
当時の記憶なんざ全くない。5歳か6歳で、全然自我は芽生えてたと思うのだが、
全然、本当に記憶にない。
落書きと、昆虫にしか興味が無い子供には、「崩御」とか「元号」などというのは、
ひとつも関係がなかったのだろう。
今回はそういうわけで、特に喪に服すわけではなく、とは言え騒ぎ立てるわけでもなく、
どうしよう?とは思えど、どうもしない、という答えしかなく、
令和になってまだ1週間だけど、何か「これをやった」という事があるとすれば
切れていたティッシュペーパーをようやく買った、という事くらい。
そしてそろそろ切れそうなシャンプーはまだ買っていない、という事くらい。
令和元年。ひとつもピンとこないが、元号が変わった時はこんな感じなのだろう。
とりあえず、毎晩の酒量は特に変わりそうもない。ちょい増え気味かなぁ。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする