職場の生徒で、「勉強が楽しい!勉強してる時が一番幸せです!」という子がいる。
1体1で教えている子。
普通校では生徒が30人40人に対して、教員が1人で教えるとかは普通だけど、特別支援学校ではそうではなく、教員1人に対して、生徒は多くても3、4人程度。僕が現在「準ずる教育課程」というグループで教えているのは、生徒は基本的1対1、多くて1対2だ。
それで1対1で教えている生徒が、とても向学心が旺盛…と言うか、「問題を解いている自分が好き」というか、「もっと課題ください!」「もっともっと課題ください!!」という。いや、素晴らしいことだけどね。とは言えこちらも、試験の準備、授業の準備、してまたダンスのリハもあるので、そうそうポンポン課題を用意するのも難しい。いろんな問題集をコピーして渡せば簡単だけど、その子のレベルを考えて、難しい問題が多いと、その子のプライドというか、向学心を萎えさせてしまうかもしれない。なので、その子が解ける問題、ギリ解けそうな問題、ギリ解けなそうな問題、それぞれ考えたり、いろんな問題集を見てピックしたり、まー大変なわけ。
でも「勉強したいです!」と言われれば何か用意しなきゃだよな。いろんな問題集を見たり、考えたりして課題を渡すも、「もっとください!もっと!もっと!」という。今渡した課題が出来るかどうかわからないうちから「ください!」という。はちゃめちゃに難しい問題を渡して、その向上心ぶち砕いたろか?と、最悪最低な気持ちも湧いたが、そんなことは絶対にせず、
「問題を解くのも良いけど、例えば本とか読んでみたら?」
と提案した。聞いたら「ハリー・ポッター」や「ファーブル昆虫記」などは読んだことがあるらしい。まぁ、なるほどな…と。それで「何を読めばいいですか?」と言うので、「好きなもの」と言っても「わかりません」と。まぁ、だろうな。それで、その学校の図書コーナーにあった本を渡した。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(ブレイディみかこ著)』
これは僕も読んだことがある、とても良かった本だ。
これよりも前か後かは忘れたが、こちらの本を読んで衝撃を受けた。
「おうち性教育はじめます(フクチマミ・村瀬幸浩著)」
僕自身、性教育なんてまともに受けてこなかったし、当時の教員は頑張って教えていたのかもしれないけど、こちらには何も残らなかった。それは教員の問題ではなく、自分の問題だと思うし、社会の問題だと思う。
伊藤詩織さんの事件から女性差別に意識が向き、ウィシュマ・サンダマリさんの事件から移民・難民の問題に目を向けるようになった。まだまだ何も知らないし、自分の中にゴリゴリの差別意識も残っている。それをちょっとずつ、べったりと貼り付いたシールを剥がすように、学んで、知って、アップロードしている。まだまだ全然足りないけど。
『おうち性教育はじめます』は、性差別や、人種や階級による差別、人権意識、他にも自己肯定感だったり、アイデンティティなどに繋がり得る内容で、本当に「性教育って全てにつながる!!」と思わせてくれた。
そして『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、それら一つ一つにぶつかっていく少年、そしてそれを目の当たりにしていく母親の物語。父親も、ぶっきらぼうな感じだけど、めちゃ芯を食ったことを言ったり。え、これって『おうち性教育はじめます』の実践編じゃんか。と思った。
自分の思想を子供に押し付けてはいけない。以前、社会の先生で、自分の思いが強すぎて、左寄りの発言ばかりしてしまったら、生徒の数名はかなり右寄りな思考になってしまったと聞いたことがあり、その先生もとてもその当時の授業に関しては反省していた。
そう言う意味でも、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、「良い悪い」と言ってるわけじゃなく、こう言うことがあった。私はこう思った。あちらはこんな反応をした。と淡々と述べていくだけ。(なのにめちゃくちゃ面白い)
これなら生徒に薦めてもいいかなと。薦めておいて内容を忘れちゃってたらアレなので、改めて読み返してみた。
改めて、とても面白い。
本当に、この小さな本の中に、ものすごくたくさんのものが詰まっている。どんな感想が来るだろう。どんな感想でもいい。ま、最悪、読まなくてもいい。ぼくはあの子にこの本を薦めた。別にそれだけでもいい。
1体1で教えている子。
普通校では生徒が30人40人に対して、教員が1人で教えるとかは普通だけど、特別支援学校ではそうではなく、教員1人に対して、生徒は多くても3、4人程度。僕が現在「準ずる教育課程」というグループで教えているのは、生徒は基本的1対1、多くて1対2だ。
それで1対1で教えている生徒が、とても向学心が旺盛…と言うか、「問題を解いている自分が好き」というか、「もっと課題ください!」「もっともっと課題ください!!」という。いや、素晴らしいことだけどね。とは言えこちらも、試験の準備、授業の準備、してまたダンスのリハもあるので、そうそうポンポン課題を用意するのも難しい。いろんな問題集をコピーして渡せば簡単だけど、その子のレベルを考えて、難しい問題が多いと、その子のプライドというか、向学心を萎えさせてしまうかもしれない。なので、その子が解ける問題、ギリ解けそうな問題、ギリ解けなそうな問題、それぞれ考えたり、いろんな問題集を見てピックしたり、まー大変なわけ。
でも「勉強したいです!」と言われれば何か用意しなきゃだよな。いろんな問題集を見たり、考えたりして課題を渡すも、「もっとください!もっと!もっと!」という。今渡した課題が出来るかどうかわからないうちから「ください!」という。はちゃめちゃに難しい問題を渡して、その向上心ぶち砕いたろか?と、最悪最低な気持ちも湧いたが、そんなことは絶対にせず、
「問題を解くのも良いけど、例えば本とか読んでみたら?」
と提案した。聞いたら「ハリー・ポッター」や「ファーブル昆虫記」などは読んだことがあるらしい。まぁ、なるほどな…と。それで「何を読めばいいですか?」と言うので、「好きなもの」と言っても「わかりません」と。まぁ、だろうな。それで、その学校の図書コーナーにあった本を渡した。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(ブレイディみかこ著)』
これは僕も読んだことがある、とても良かった本だ。
これよりも前か後かは忘れたが、こちらの本を読んで衝撃を受けた。
「おうち性教育はじめます(フクチマミ・村瀬幸浩著)」
僕自身、性教育なんてまともに受けてこなかったし、当時の教員は頑張って教えていたのかもしれないけど、こちらには何も残らなかった。それは教員の問題ではなく、自分の問題だと思うし、社会の問題だと思う。
伊藤詩織さんの事件から女性差別に意識が向き、ウィシュマ・サンダマリさんの事件から移民・難民の問題に目を向けるようになった。まだまだ何も知らないし、自分の中にゴリゴリの差別意識も残っている。それをちょっとずつ、べったりと貼り付いたシールを剥がすように、学んで、知って、アップロードしている。まだまだ全然足りないけど。
『おうち性教育はじめます』は、性差別や、人種や階級による差別、人権意識、他にも自己肯定感だったり、アイデンティティなどに繋がり得る内容で、本当に「性教育って全てにつながる!!」と思わせてくれた。
そして『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、それら一つ一つにぶつかっていく少年、そしてそれを目の当たりにしていく母親の物語。父親も、ぶっきらぼうな感じだけど、めちゃ芯を食ったことを言ったり。え、これって『おうち性教育はじめます』の実践編じゃんか。と思った。
自分の思想を子供に押し付けてはいけない。以前、社会の先生で、自分の思いが強すぎて、左寄りの発言ばかりしてしまったら、生徒の数名はかなり右寄りな思考になってしまったと聞いたことがあり、その先生もとてもその当時の授業に関しては反省していた。
そう言う意味でも、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、「良い悪い」と言ってるわけじゃなく、こう言うことがあった。私はこう思った。あちらはこんな反応をした。と淡々と述べていくだけ。(なのにめちゃくちゃ面白い)
これなら生徒に薦めてもいいかなと。薦めておいて内容を忘れちゃってたらアレなので、改めて読み返してみた。
改めて、とても面白い。
本当に、この小さな本の中に、ものすごくたくさんのものが詰まっている。どんな感想が来るだろう。どんな感想でもいい。ま、最悪、読まなくてもいい。ぼくはあの子にこの本を薦めた。別にそれだけでもいい。