小塚原刑場跡、上の大きなお地蔵さまが首切地蔵です。
囲みの中は、その刑場の説明書き
小塚原刑場跡に建つ回向院
一葉記念館を見学後、商店街を通り抜けて、JR南千住の線路脇にある、小塚原刑場跡へ行きました。
イヤ~!、ビックリしましたね!
本当に線路の直ぐ側で、電車の走る直ぐ側の狭い所なのですよ。
側に建つ(回向院)も、ウツカリすると見落としてしまいそうな程でしたね~。
その説明書きも、トタンのはがれそうな上に書かれていて~、その文字を読むのがつらくなる程でしたね・・・。
江戸時代は、このような場所で刑を執行したのですね、、。
南無妙法連華経・・・、なむみょうほうれんげきょう・・・、合掌
ここで幕末の罪人とされた吉田松陰や、その仲間の方々が処刑されました。
回向院には、時間の関係で見学はしませんでした。
今回は、こちらで解散の時間となりました。
小塚原刑場跡(こづかっぱらけいじょうあと)⇒品川の(鈴が森)と並んで、江戸時代の刑場だった場所です。
間口60間余り(約108m)、奥行き30間余り(約54m)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまで、ここで磔(はりつけ)、斬罪、獄門などが執行されました。
現在は延命寺境内となっており、入り口に安置された首切地蔵(荒川区指定文化財)はこれら刑死者の菩提を弔うため、寛保元年(1741)に建立されたものです。
(解体新書)を著した杉田玄白、前野良沢らが刑死者の解剖に立ち会ったのもこの場所です。
すぐ北に位置する南千住回向院は行路病死者(行きだおれ)や、刑死者の供養のために開かれた寺で、腑分けのゆかりから「観臓記念碑」が建てられています。