気ままに雑記~♪

日々折々散歩したところや(シリーズお江戸散歩続編「お江戸駅から散歩」)心に残ること等を記録しています。

福寿草~♪

2007-03-21 12:36:54 | Weblog
蘆花記念館の入り口に咲いていた福寿草です~(^_^)♪
藁囲いの中で、暖かそうでした♪
黄金色(こがねいろ)の福寿草を見ていると、ほのぼのとした~幸せな気分になりましたよ~♪
今回は、こちらでそろそろと解散の時間となりました~、お疲れさまでした~!

今度はゆっくりと、こちらの公園の花の丘地区へ行ってみたいもの~、と、思いました~(^。^)♪

蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)

2007-03-21 11:57:57 | Weblog

蘆花恒春園は、文豪の徳富蘆花(とくとみろか)の住まいであった所です。
広~い公園は、蘆花の愛したユートピアであったようでした。やっと手に入れた自分の住まいを得た喜びは、その記念館を見ると、良く分かります。
静かな佇まいに咲いている梅の花を見ていると、蘆花の喜びが伝わってくるような気がしました~(^^)♪

徳富蘆花(とくとみろか)
本名:徳富健次郎(1868-1927)

熊本県出身の日本文学小説家
兄は思想家、ジャーナリストの徳富蘇峰
自然派詩人として活躍後、小説「不如帰⇒ほととぎす」がベストセラーになり、エッセイ「自然と人生」で、一気に人気作家となりました。
1907年北多摩郡千歳村粕谷(現世田谷区粕谷)に転居、以後20年間この地で過ごしました。
蘆花の死後、旧邸宅は夫人より東京市に寄贈され、現在蘆花恒春園として開放されています。
画像は、葺屋と、恒春園の名の由来記です。


芦花公園と蘆花恒春園!

2007-03-21 01:30:10 | Weblog

ミモザ、椿、沈丁花、水仙等の早春の花々の咲く住宅街を水際の散歩道に沿って、しばらく歩いて行くと、大きな木々に囲まれた、芦花公園(ろかこうえん)に着きます~(^_^)♪
ここの中心施設は、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)で、周辺の広場、緑地を含めて芦花公園と言います。
明治期から大正にかけて活躍した文豪、徳富蘆花の旧宅は、没後東京市に寄贈され、現在は東京都公園協会が管理しています。
開園は昭和13年、面積は6万8700平方メートルです。
園内には遺品を展示する蘆花記念館、母屋、書斎と寝室の秋水書院等があり、蘆花夫妻の墓があります。
花の丘区域には、季節の花が楽しめるそうですよ~♪今回は時間の都合で、そちら方面には行きませんでした~ザンネン!

花信風像~♪

2007-03-19 14:27:01 | Weblog

美しい花の寺の高源院を後に、今度は、一旦「千歳烏山駅」迄戻り、南方向にある芦花公園を目指して歩きました。
暖かい、少~しそよ風の吹く、気持ちの良い日でしたので、ルンルン~♪気分で、とても楽しく歩きましたよ!
途中、駅近くの烏山区民センターで小休止しました。入り口近くには、春風の中を歩いているような(花信風)という名の、ステキな像がありました~♪
一休み後、商店街を抜けて、住宅街の中を歩けるように作られた(水際の散歩道)へ出ましたが~、あららぁ~??、水際は無くて~、在った所に橋の石標だけがある道でしたよ~!(苦笑)、川は埋め立てられたようで、その上の道だったんですね~、「へぇ~」と言いながら、歩きました(笑い)~

烏山寺町(高源院ーこうげんいん)

2007-03-18 17:32:51 | Weblog

長閑な専光寺を後に、美しい池のある高源院へ行きました~(^_^)♪

茶道石州流いけい派の祖、いけい宋悦和尚が、元禄15年(1702)品川に開山した、臨済宗大徳寺派の寺です。

ここは、寺院群のなかでは屈指の泉水があって、その弁天池は、とても美しい池でした~(^^)♪
勿論、お庭も、素晴らしいものでした!

池のほとりに咲く、幸せの黄色い小さなトサミズキの花!に、心和みました♪

専光寺(せんこうじ)

2007-03-16 01:02:28 | Weblog
称往院を参拝後、関東大震災で穴の開いた梵鐘のある「妙寿寺(みょうじゅじ)」へ行きました。ここは、元、明治期の鍋島侯爵の屋敷であったという立派な客殿がありました~(^_^)♪

烏山寺町の一帯は、大正12年の関東大震災により東京は復興の区画整理を余儀なくされました。その計画によって浅草、本所、荒川、新宿等当時の東京市内にあった寺が、烏山に移転し、その数は26ヵ寺とのことです。
烏山では住民の手で地域の自然環境を守ろうと、日本で最初に(寺町の環境協定)を制定しました。各寺院の協力もあって、一帯は樹木の大きく育った優美な町となり「東京の小京都」と呼ばれるようにもなりました~♪
画像は、慶長9年(1604)創建の古寺(専光寺⇒せんこうじ)です。当初は品川にありました。ここには、浮世絵師の喜多川歌麿等の墓があります。

丁度、行った時には、まぁ~、ワンちゃん!、お賽銭箱の側で、番!しながら、御昼寝していましたよ~(^^)♪
画像の上で、クリックして下さいネ。見えましたか~?、(^^ゞ!ウフ

称往院(しょうおういん)

2007-03-16 00:05:06 | Weblog

妙高寺の次に、称往院へ行きました♪
この寺は、江戸時代、美味しい蕎麦で有名だった子院の道光庵の逸話で有名です~(^_^)
道光庵の庵主が蕎麦好きで、参拝客に手打ち蕎麦を振舞ったことから人気を呼び、終いには寺だか蕎麦屋だか分からないようになってしまいました。
その為、称往院では道光庵に蕎麦禁止令を出しました。
「不許蕎麦」の石柱を建てたのです。その石柱が寺の入り口にあります~(^^)!
又、お寺には、芭蕉の高弟の寶井其角の墓があります。

烏山寺町(妙高寺)

2007-03-14 11:45:24 | Weblog

「えるもーる烏山」の商店街を通り過ぎて、甲州街道を渡り、中央自動車道が見えてくると、烏山寺町の始まりです~(^_^)♪
東京の小京都と呼ばれているとのことで、あちらこちらと~、美しい梅の花がとても綺麗に咲いていましたよ♪

始めに妙高寺を参拝しました。
寛永2年(1625)浅草今川戸に開山した寺です。天保の改革を行った水野忠邦を始め、日本画の速水御船、等、の墓があります。

こちらにも、美しい紅梅が見事に咲いていました~(^。^)!

千歳烏山という所は~♪

2007-03-13 00:54:49 | Weblog
今回、お散歩した東京都世田谷区千歳烏山(ちとせからすやま)は、江戸時代には純農の地でした。
一帯は、甲州街道からも少し離れていたので、明治期になるまでその面影は変わりませんでした。武蔵野台地のほぼ南端に位置し、平坦な台地には仙川と烏山川の流れが小さな起伏を作っています。
京王線が大正2年(1913)に開通すると、烏山は郊外住宅地として開発されました。
京王線の南側が粕谷で、明治・大正・昭和と文豪の(徳富蘆花)が居住した所の芦花公園があります。
又、京王線の北側には、烏山の寺町と称される寺院群があります。
京王線千歳烏山駅を中心に南北に商店街の「えるもーる烏山」が延長1,7kmと続きます。
この商店街は、日本で初めてスタンプ制度(スタンプを貯めて、金券として使える)を導入したことで知られています。

私も、こういうの大好きで、良く貯めていましたよ~♪、でも、殆ど使いませんでしたね~ザンネン!、もう使える所が無くなりましたね~(苦笑)