くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

ユニクロコーディネート

2011年09月25日 | ファッション



近くのユニクロで限定価格のヒートテックを買う。安価が売りのユニクロだけど、定価だと結構高くつくのよね。目当てのものは限定価格を狙わないとね。ついでに、セール品のワゴンをがさごそあさって、ボーダーチェニックをみつけた。今季物じゃないから990円なり~。白デニムを合わせるとちょっといいでしょ。アクセサリーは鎌倉シャツさんのもの。

なんか一気に秋モードのなってきた。もうノースリーブは着れないかな。束の間だけどブラウスにカーディガンで過ごせる快適な季節。今年の秋はオレンジとか紫が眼につく。ロングのプリーツなんかも復活してきて昔懐かしい感じ。もちろん、ミニスカも健在みたいだけどね~。


停滞中…

2011年09月25日 | 日常あれこれ

生来、不器用で要領が悪いせいもあり、地道にこつこつやるのが性分に合っている。がっ…、いつまでたっても先に進めないのが欠点。着々とっていうのがないんだよなあ…。だから、何をやっても物にできたものがあまりない。この詰めの甘さ、どうしたら直せるんだろう…。

はい、40代のうちにマラソンを走りたいなんて思ってはいるものの、今のところ足踏み状態なのだ。始めた頃となんら変わりなく、未だ最高記録が10キロのままだ。湘南マラソンにエントリーも出来ず今年も目標達成はならず。でもさ、一応、続けているよ。一週間に2回走って15キロ弱ってところだけどさ。だから、もうそろそろ先に進まなきゃなあ…。気候も良くなってきたから、まだ走ったことがない外を走ってみようかなあ。

ゆるゆると連休が終わっていく。明日からの2週間は運動会に向かって忙しくなるだろう。転職後、初めての運動会だから勝手がわからず緊張するなあ。仕事自体は大きく変わらないけど、やっぱり微妙な違いが多々あって時にそれが足かせにもなる。今まで出来ていたことが出来なかったり、その逆もあったりする。う~ん、やっぱり3年位たたないと本質ってわからないかもしれないなあ。だから…、地道にいくしかない。TVで野村監督がお孫さんに諭していた。「全力を尽くすなんてことは当たり前のことなんだよ。やっぱり努力、努力が大切だ」と。深~~いお言葉です。すぐに辿りつける頂上なんてない。一歩ずつ歩を進めるしかないよね。

な~んてちょっとぼやいてみたが、これからのお楽しみといえば、竜也くんの映画にお芝居だよ~ん
「カイジ2」はまたまた運動会シーズンに試写会があるのね。去年の「インシテイミル」もこの時期で当たったのに行けなかった。今年は…、もろ運動会前日だから行けない。だから、潔く諦めて応募しなかった…。楽しみは後にとっておかなくっちゃ。そのかわりかどうかわからないけど、チケットの女神さまがちょっとばかり私に微笑んでくれて、「下谷万年物語」の千秋楽が当たったよ。
最初から楽が取れるなんて今までなかった。今年は(来年は?)春から縁起がいい~~~やね~~
あとは、ネットを駆け巡る、沖縄ロケ情報。20代のうちに組みたいと言っていた豊田監督作品、ついに実現か?それなら、ギリギリ間に合ったってことだね。情報解禁が待ち遠しいなっ。



4,5歳児がこの曲に合わせてパラバルーンを練習中。かっこよくていい曲だよね。なんか元気になれるよね。
前へ、前へ…だね。


台風直撃!

2011年09月23日 | 日常あれこれ

昔から、関東地方は台風が逸れることが多かった。今回の15号さえ、心のどこかで偏西風に流されるのではないかと思っていた。がっ…、ついに列島縦断コース、我が家上空近辺も通過したようだ。

仕事中、窓の外を見るにつけ風雨が激しくなっていく。道行く人が風にあおられ傘をさせないでいる。お迎えにくる保護者もずぶ濡れだ。仕事が終わる頃、ついに鉄道が全線止まってしまったのでバスを乗り継いで帰ることにした。強風にあおられながらバスは慎重に突き進み40分程で駅に到着した。日頃は渋滞で遅れがちのバスだけどいざというときは頼りになるものだ。再度、家までのバスに乗り換えるのだが、震災の時と同様、JR路線の系統は長蛇の列で乗れそうもない。違う路線に飛び乗り途中から歩くことにした。

この頃になると台風も離れて雨もやんでいたので助かったが、道路に散乱する木々の量がはんぱじゃない。自動販売機やお店の看板やバス停もなぎ倒されている。こんな風景は、この10年くらい見た記憶がない。ふと、リフォームをしたといえども築30年の我が家は大丈夫だろうかと不安になる。暗い農道に入り、近づいてくる我が家が健在なのを発見し安堵する。でも…、なにかがちょっと違う。門をあけて上をよ~く見ると、暗闇なのに少し明るい。道路側のベランダの屋根がぽっかりなくなり空が見えていたのだ… 両親に聞くと、気がついたらなかったそうだ。その他、TVアンテナもやられてテレビが映らなくなっていた。屋根は近所のお宅にとんでいったようで、翌朝、親切に届けて頂いた。

今日は、朝から工事中…。またまた出費…。

場所的に高台なので、風当たりが強い我が家だが、過去屋根瓦がずれたぐらいでこんなことは初めてた。今年を境に、これからこういうことが起こりうるということを覚悟しておかなければいけなくなっちゃった気がする。1000年に一度の震災から、何かが狂い始めている。一説によると、10年後くらいに、東海、東南海、南海の3連動地震が起こりうるという。はあ、定年するころに震災???と思うと、とても先行き不安になる~~。

穏やかに老後を送りたいよ~


キネマの天地

2011年09月19日 | 観劇



作:井上ひさし
演出:栗山民也
出演:麻実れい 三田和代 秋山菜津子 大和田美帆 木場勝己 古河耕史 浅野和之
紀伊国屋サザンシアター

実は…、これ初演を観ている。私が見た初ストレートプレーはこれだったかも。当時、必殺仕事人で売り出し中の京本政樹が好きで…、その京様の初舞台(だったと思うんだけど)ということで日生劇場まで足を運んだ。まだ、働き始めたばかりだったから、給料も薄給で(ま、今もさほど変わりはないけど)、芝居のチケットはとてつもなく高かった記憶がある。

当時からもちろん井上先生は遅筆で、これも初日ギリギリだったらしい。京様が見れれば良かったから、作、演出なんてあまりよくわからなかったけど、なんと井上さんご本人が演出に関わっていたのね…。今からすれば貴重な舞台を観ていたんだわ~。キャストも豪華で映画と連動していたんだよね。加賀まりこさんとか夏木マリさんとかそうそうたるメンバーだった。だから…、アイドル的売り出しをしていた京様のお芝居が必殺とはまるで違っていて驚いたもんだった。ストーリーテラーな役だから台詞も案外多くて、かなりがんばってるなって思った。

あれからもう20数年もたったんだなあ…。再度めぐりあったキネマの天地は、地味ながらと~っても良かった。4人の女優が役柄にばっちりハマッている。看板女優たちの悲喜こもごも、虚勢を張りつつも影ではいろんな苦労を背負っている。犠牲にしたものもある。み~んなひと癖持っているんだけど、女優であろうとすることで一つになる。井上さんの役者や舞台に対する想いが感じられて、最後、売れない役者役の木場さんがそれをしっかり魅せてくれた。どんな作品でも木場さんは、井上さんのメッセンジャーだね。

 ♪虹の都光の湊 キネマの天地
 花の姿春の匂い あふるるところ
 カメラの眼にうつる かりそめの恋にさえ
 青春燃ゆる生命は踊るキネマの天地♪

蒲田行進曲の歌もまたいいよね。古き良き時代、蒲田撮影所、大船撮影所…、今はもうないんだよなあ。


嫌われ松子の一生

2011年09月18日 | 映画

だいぶ前に録画しておいた「嫌われ松子の一生」を見た。ミュージカルの様で、絵本の様な鮮やかな色彩で、CGが少女マンガのキラキラの様で中島ワールド好きだなあ。



松子の一生は、「なんで?」の繰り返し。
なんで病弱な妹ばかり可愛がられるの?
なんで窃盗の罪をかぶるために本当に盗んじゃったの?
なんで家を出ちゃったの?
なんで恋人に暴力をふるわれ、不倫相手に裏切られ、ソープ嬢になり、果ては殺人を犯し、服役し、夢破れ、ヤクザの女になって…とすごい展開。
一生懸命やっても裏目に出てしまうことってあるよね。ちょっとしたボタンのかけ違い、気付いた時はすでに遅い。
女を捨てて、太って、病んで、それでもやり直そうとしたのよね。
夜遊びしている小学生に「帰りなさい」って注意するのも当たり前のことだった筈。
まさか、逆切れされて殺されようとは…。
最期まで「なんで?」だった。
なんか「欲望という名の電車」のブランチみたいだなあって思った。

主演の中谷美紀さん、きれいだなあ。一途な松子を演じきっておられる。

「何をしてもらったかではなく何をしてあげたかだ」という台詞が印象に残る。
人間の価値はどこで決まるのだろう。本当の美しさとか大切なものって何だろう。
中身が濃い松子の一生だった。


生まれ育った街

2011年09月10日 | 日常あれこれ

京都旅行で神社仏閣のご朱印をもらってきた。仏教徒でもなく、参拝の礼儀も知らない。どちらかといえば、思春期に影響を受けたのはキリスト教の方だった。キリスト教は偶像礼拝が御法度で、お寺で手を合わせるなんて言語道断という教えだったが、私は日本文化を敬うこととして抵抗はなかった。修学旅行でもちゃんと手を合わせた。最近は、八百万の神々に生かされてもらっているんじゃなかろうかという気持ちである。年取ると許容範囲が広くなりこだわりも消えてくるもんだ。

ふと、自分が生まれた場所にある観音様のご朱印が欲しいと思った。弘明寺観音…、国の重要重要文化財になっている。私は、観音様脇にあった小さな産院で生まれた。

 

平日休みの日、母を誘って訪ねてみた。おおよそニ十数年ぶりだったが、街並みは懐かしい佇まいを残したままだった。産院は内科の病院になっていた。たぶん、誰かが継いでいるのだろう。生を受けた場所が未だに病院として残っていたのが何気に嬉しかった。早速、お参りをしてご朱印を書いてもらった。真黒な墨文字に押された朱印は蓮の連座の形をしていた。

ここから育った街も近い。せっかくだからバスに乗って足を延ばす。開発の波におされ変わってしまったところも多いが、住宅街の輪郭は昔のままだ。新しくなった家の表札に懐かしい同級生の名前も見つけられた。高校生まで住んでいて今は人手に渡った家も健在だったが、とても小さく感じた。家だけじゃない。街並みそのものがとても小さく狭く感じたのだ。こんなにごちゃごちゃしていたっけなあ…。隣は疎遠になっていた親戚だ。のぞいてみると、年とった叔母が出てきた。思わぬ再会…「おまえをお湯に入れたんだよ、大きくなったね」って抱きあった。母の兄でもある叔父は…、5月に逝っていた。叔母は寂しいよと泣いていた。昔は色々仲たがいがあったけど、年月は全てを水に流してくれるもんだね。年を取ると人恋しくなる。母もショックだったようだ。もんぺをはいてよく畑仕事をしていた叔母。この日も草むしりをしようともんぺをはいていた。だけど、小さくなったなあ…。

また来るからねと別れを告げる。
母、78歳、叔母、85歳。
また…という言葉が重い。


京都旅行~上賀茂神社とイタリアン~

2011年09月04日 | 旅行

最終日はちょうど開催されていた上賀茂神社の手作り市へ行ってみた。神社の入り口に所せましと手作り作品の店が並ぶ。アクセサリー、バッグ、洋服、お菓子、調味料、陶器、石鹸…、それぞれ作者の趣向が凝らされたもので本当に一点物ばかりだ。ちょっと足を止めると店主たちは、熱く語り出す。いろいろなものがあって見ているだけでも楽しかった。私は、シアバターの手作り石鹸をお買い上げ~。お友達は手作りのバッグやお茶碗をゲットしていた。

この日は朝からかんかん照りで、日陰に入っても汗が出る。近くの河で子どもたちは洋服で水遊びを楽しんでいた。この手作り市、こうやって家族連れで楽しめるのがいいね。

最後のランチは女優羽田美智子さんお勧めのリストランテ愛染舎というレストランでおしゃれにイタリアンを頂く。古い家屋を奈良から移動してきたそうで京都の街に溶け込んでいる。お料理にも新鮮な京野菜がたくさん使われていた。



 

 

 

お値段も4000円余りとお手頃でとてもおいしかった~。

北山から地下鉄で京都駅へもどりデパ地下でお買いもの。あれだけランチを食べたのに、お弁当を買って新幹線に乗り込んだ。



さすがにお腹いっぱいだったけど、静岡近辺で完食したよ。
しかし、良く食べた旅だったな。その分、歩いて汗もかいたけどね。
晴れ女さんのおかげで、見事に雨の合間をぬって、まだ知らなかった京都が見れた。奥深いなあ、京都って。
思いっきりリフレッシュできて幸せ~な旅だった。





京都旅行~川床~

2011年09月04日 | 旅行

宿泊費を節約した分、食事を豪華にということで初川床料理どす~

鞍馬、大原と歩きまわりお腹もぺこぺこ。
雑誌STORYに載っていたという、河久というお店に向かう。



暮れてきた鴨川がいい雰囲気だ~。少し、雲行きが怪しいけどなんとか持ってほしいなあ。

 

 

おいしいお料理が次々登場。



お酒もすすんじゃう~。

 



最後のローストビーフが出てきたところで、雨が本降りになってきた。お店の人が来ないから、みんなで机ごと勝手に室内へ避難しちゃった~。
でも、川床料理の風流な雰囲気は、十分満喫できたよ。お隣のお座敷にいる舞妓さんも見れたしね。

はい、この日も晴れ女パワーが勝って無事だった~。


京都旅行 ~鞍馬から大原へ~

2011年09月04日 | 旅行

行ってみたかった鞍馬へ到着。別に義経ファンというわけではい。なんとなく霊験あらたかな地というところに惹かれたんだよね。

 

駅では天狗さんたちがお出迎え~。

 

噂のパワースポットと大杉権現
自然豊かな鞍馬は、蝉しぐれさえ幻想的で本当に天狗が出てきそうだった。万物を存在させてくれる宇宙エネルギーである“尊天”の力が満ちている場所らしい。そのパワーをたくさん吸いこんで、おみくじをひいたらめでたく“吉”が出た!!

天狗さんに別れを告げ、お次は大原へ向かう。
宝泉院でお抹茶をいただきながら一休み~。

 



稲穂が実り始めたのどかな里の風景。



寂光院は、2005年に放火により全焼してしまったため新しく建て直された。
平清盛の息女にして安徳天皇の母でもあった建礼門院が出家した尼寺で有名だ。一族が滅び、子どもにも先立たれてしまった悲しみは計り知れない。彼女自身も出家後、30代でこの世を去っている。政治に翻弄された短い一生。彼女が自分として生きられた“時”は、どのくらいあったのだろう…。

そうこういしているうちにぽつぽつと雨が降ってきたので足湯つきの喫茶店で雨宿りをする。自家製しそジュースが冷たくておいしかった。足湯の端にすわっていたカエルくん。売り物で13000円なり~。なんか説教されているみたいだった。





京都旅行~市街散策~

2011年09月04日 | 旅行

五条大橋のたもとにある半兵衛麩という老舗でランチ。入口からはわからないほど、お店は奥行きが広い。お庭を眺めながらゆっくりとおいしいお食事を頂いた。

   

京のお料理は薄味で品がある。量はたいしたことなさそうなのにかなりお腹が膨れた。食べている途中、土砂降りの雨が降ってきたけど食べ終わるころにはやんでくれて一安心。晴れ女の勝ち~。

ランチ後、近くにある河合寛次郎記念館を見学。歩くときしむ音がする廊下、急な階段、襖や障子など昔ながらの木造家屋で情緒がある。館内は冷房もなく蒸し暑いが、窓から窓へ通り抜ける自然の風が心地良く束の間の涼を感じさせてくれた。

  
  
  
 
『此の世は自分をさがしに来たところ

 此の世は自分を見に来たところ』

 河井寛次郎