蜷川さんが演劇界の未来を担う俳優を育成するために結成した「さいたまネクスト・シアター」の「真田風雲録」を観た。大劇場の舞台上に設置された300席あまりの小さな空間。客席の目の前には“泥”が敷き詰められている。
そこに総勢40名以上の役者が戦国武将に扮してなだれこんでくる。たちまちあたりは泥だらけになった。
蜷川さんは、よく役者に負荷をかける。雨ふらし、石ふらし、階段上りなど、見ていて厳しそうだなあという場面に何度が遭遇した。そして、ついに今度は泥。観客にも負荷がかけられている気がした。
足元にボトッとおっこちる泥玉を見ながら、「わお、いい泥だんごが作れそうだな」なんて思ってしまったのは保育士の性だろうか。こういう、泥にに戯れて存分に子どもを遊ばせてあげたいと。80年代から子どもは外で遊ばなくなった。便利さを求めたことが子どもの遊び場を奪った。道路が舗装され、交通量が激しくなり子どもは室内にこもらざるを得なくなり、群れることを知らなくなった。
だから…、感性が育たない。こういう泥に触れない子が多い。砂場で手を引っ込めて泣くのだ。汚れるのが嫌いなんて子どもじゃない。実際、保育園の日常でも、外遊びや給食の後はすぐに“お着替え”だ。汗をかけば、すぐシャワーやクーラーだ。がさつな私は、「ちょっとぐらいの汚れや汗で死にゃあしない」なんて思ったりもする。
ネクストシアターの若者も、最初は躊躇しただろう。泥が張り付く、すべって転ぶ、汚れる、そんな不快な気持ちを肌で感じながら、なおかつ打ち勝って芝居をする。なりふり構わない強さみたいなものがないと、観客に芝居が届かない。しょっぱなから、蜷川さんは、すごい冒険をしていると思った。今の若者に足りないものを見せつけられているような気もした。
ゴールドシアターと違って、彼らには若さという特権がある。台詞覚えもいいし体もよく動く。経験者も混ざっているからおのずとハードルは高くなる。各プロフィールを見ると、大学の演劇科出身者が目立つ。学問的にも真摯に演劇を追及しているエリート。果たして、この中に“野良犬”のような俳優はいるのだろうか…。すべてはまだ始まったばかり。ゴールドシアター同様、どこにどう着地するのかわからない。
そこに総勢40名以上の役者が戦国武将に扮してなだれこんでくる。たちまちあたりは泥だらけになった。
蜷川さんは、よく役者に負荷をかける。雨ふらし、石ふらし、階段上りなど、見ていて厳しそうだなあという場面に何度が遭遇した。そして、ついに今度は泥。観客にも負荷がかけられている気がした。
足元にボトッとおっこちる泥玉を見ながら、「わお、いい泥だんごが作れそうだな」なんて思ってしまったのは保育士の性だろうか。こういう、泥にに戯れて存分に子どもを遊ばせてあげたいと。80年代から子どもは外で遊ばなくなった。便利さを求めたことが子どもの遊び場を奪った。道路が舗装され、交通量が激しくなり子どもは室内にこもらざるを得なくなり、群れることを知らなくなった。
だから…、感性が育たない。こういう泥に触れない子が多い。砂場で手を引っ込めて泣くのだ。汚れるのが嫌いなんて子どもじゃない。実際、保育園の日常でも、外遊びや給食の後はすぐに“お着替え”だ。汗をかけば、すぐシャワーやクーラーだ。がさつな私は、「ちょっとぐらいの汚れや汗で死にゃあしない」なんて思ったりもする。
ネクストシアターの若者も、最初は躊躇しただろう。泥が張り付く、すべって転ぶ、汚れる、そんな不快な気持ちを肌で感じながら、なおかつ打ち勝って芝居をする。なりふり構わない強さみたいなものがないと、観客に芝居が届かない。しょっぱなから、蜷川さんは、すごい冒険をしていると思った。今の若者に足りないものを見せつけられているような気もした。
ゴールドシアターと違って、彼らには若さという特権がある。台詞覚えもいいし体もよく動く。経験者も混ざっているからおのずとハードルは高くなる。各プロフィールを見ると、大学の演劇科出身者が目立つ。学問的にも真摯に演劇を追及しているエリート。果たして、この中に“野良犬”のような俳優はいるのだろうか…。すべてはまだ始まったばかり。ゴールドシアター同様、どこにどう着地するのかわからない。