くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

生まれ育った街

2011年09月10日 | 日常あれこれ

京都旅行で神社仏閣のご朱印をもらってきた。仏教徒でもなく、参拝の礼儀も知らない。どちらかといえば、思春期に影響を受けたのはキリスト教の方だった。キリスト教は偶像礼拝が御法度で、お寺で手を合わせるなんて言語道断という教えだったが、私は日本文化を敬うこととして抵抗はなかった。修学旅行でもちゃんと手を合わせた。最近は、八百万の神々に生かされてもらっているんじゃなかろうかという気持ちである。年取ると許容範囲が広くなりこだわりも消えてくるもんだ。

ふと、自分が生まれた場所にある観音様のご朱印が欲しいと思った。弘明寺観音…、国の重要重要文化財になっている。私は、観音様脇にあった小さな産院で生まれた。

 

平日休みの日、母を誘って訪ねてみた。おおよそニ十数年ぶりだったが、街並みは懐かしい佇まいを残したままだった。産院は内科の病院になっていた。たぶん、誰かが継いでいるのだろう。生を受けた場所が未だに病院として残っていたのが何気に嬉しかった。早速、お参りをしてご朱印を書いてもらった。真黒な墨文字に押された朱印は蓮の連座の形をしていた。

ここから育った街も近い。せっかくだからバスに乗って足を延ばす。開発の波におされ変わってしまったところも多いが、住宅街の輪郭は昔のままだ。新しくなった家の表札に懐かしい同級生の名前も見つけられた。高校生まで住んでいて今は人手に渡った家も健在だったが、とても小さく感じた。家だけじゃない。街並みそのものがとても小さく狭く感じたのだ。こんなにごちゃごちゃしていたっけなあ…。隣は疎遠になっていた親戚だ。のぞいてみると、年とった叔母が出てきた。思わぬ再会…「おまえをお湯に入れたんだよ、大きくなったね」って抱きあった。母の兄でもある叔父は…、5月に逝っていた。叔母は寂しいよと泣いていた。昔は色々仲たがいがあったけど、年月は全てを水に流してくれるもんだね。年を取ると人恋しくなる。母もショックだったようだ。もんぺをはいてよく畑仕事をしていた叔母。この日も草むしりをしようともんぺをはいていた。だけど、小さくなったなあ…。

また来るからねと別れを告げる。
母、78歳、叔母、85歳。
また…という言葉が重い。