大河ドラマ「青天を衝け」、藍や養蚕を手掛ける江戸時代の百姓(≠農家)の生活がよく描かれていて非常に見ごたえがあります。水戸学礼賛ドラマになったら・・・と危惧していましたが、そういう描かれ方もされていないので、その点も一安心です。幕末舞台の大河ドラマで、百姓が主人公となると、百姓出身の近藤勇や土方歳三を描いた「新選組!」以来でしょうか? しかし「新選組!」以上に、百姓の暮らしが詳細に描かれています。ここまで百姓の暮らしを描いたドラマというのは、これまでなかったのでは? この点、大変に評価できる点です。
さて、本日のストーリーで史実と違っている点について少し書いてみます。まあ、ドラマですから、詳細は端折らざるを得ず、若干は史実と違うのもやむを得ないのですが・・・・・。しかし、私が研究している松平忠固(上田藩主)との関連で、実際のところを少し書いておきます。
松平忠固はまだ登場しませんが、たぶん、チョイ役でそのうち登場するものと思われます。実際には、時代的にはすでに本格的に活躍しています。本来は今日の第3話から松平忠固は登場すべきなのですが、まあ、忠固の存在がほぼ無視されてきたこれまでの研究状況からすると、仕方ないですね。
本日のストーリーで、12代の公方様である徳川家慶が臨終の間際に、徳川斉昭を許し、参与にすることを許可したように描かれていました。実際には、家慶は最後まで斉昭を許していません。家慶存命中は、決して斉昭の参与就任を許可しようとせず、家慶が逝去してはじめて斉昭は参与になることができたのが実態です。実際には、徳川斉昭の赦免には以下のように反対意見が強く、議論は大いに紛糾したのです。
閣内では、当時の老中5人のうち4人が徳川斉昭の参与就任に賛成しているのに、松平忠固(当時の名前は忠優だが、忠固で通します)のみが、斉昭に強硬に反対しました。老中首座の阿部正弘(福山藩主)が斉昭の参与就任を強く主張し、老中の牧野忠雅(長岡藩主)、松平乗全(西尾藩主)、久世広周(関宿藩主)はそれに賛成しました。『水戸藩史料』によれば、このとき老中の忠固のみは以下のように述べて一人で反対の論陣をはったのです。
この忠固の危惧を受けて、牧野忠雅、松平乗全も同調し、反対に回ります。賛成は阿部と久世の2名のみになって逆転してしまうのです。年長の牧野や松平乗全が、老中首座の阿部正弘の意向を退けて、忠固に同調するようになったのですから、いかに忠固の議論に説得力があったかがうかがわれます。また、当時の閣議が、結論先にありきではなく、民主的な討議によって丹念に合意形成が諮られている様子もうかがえます。
徳川斉昭のセクハラ事件や仏教弾圧政策により、大奥は大の斉昭嫌い。大奥と将軍側衆と松平忠固は、結束して徳川斉昭反対の運動を繰り広げます。阿部正弘は、嘉永六年(1853)の6月16日に徳川斉昭を海防参与にしたいと提案したにもかかわらず、半月にわたって紛糾し、ようやく斉昭の参与就任が承認されたのは7月3のことでした。
徳川斉昭の参与就任は、日本史を暗転させる重大な分岐点になったと思います。このとき斉昭が参与になることがなかったら、日本の開国と交易の開始も、もっとスムーズに展開されていたことは間違いないからです。
実際、会議の場で忠固が危惧した指摘は正しく、斉昭は老中の人事にまで介入するようになって、開国派・交易派であった老中の忠固と松平乗全は、斉昭の逆鱗に触れて安政2年に老中を失脚してしまうことになりました。
※ 詳細を知りたい方はよろしければ拙著『日本を開国させた男、松平忠固』(作品社、2020年)を参照ください。
さて、本日のストーリーで史実と違っている点について少し書いてみます。まあ、ドラマですから、詳細は端折らざるを得ず、若干は史実と違うのもやむを得ないのですが・・・・・。しかし、私が研究している松平忠固(上田藩主)との関連で、実際のところを少し書いておきます。
松平忠固はまだ登場しませんが、たぶん、チョイ役でそのうち登場するものと思われます。実際には、時代的にはすでに本格的に活躍しています。本来は今日の第3話から松平忠固は登場すべきなのですが、まあ、忠固の存在がほぼ無視されてきたこれまでの研究状況からすると、仕方ないですね。
本日のストーリーで、12代の公方様である徳川家慶が臨終の間際に、徳川斉昭を許し、参与にすることを許可したように描かれていました。実際には、家慶は最後まで斉昭を許していません。家慶存命中は、決して斉昭の参与就任を許可しようとせず、家慶が逝去してはじめて斉昭は参与になることができたのが実態です。実際には、徳川斉昭の赦免には以下のように反対意見が強く、議論は大いに紛糾したのです。
閣内では、当時の老中5人のうち4人が徳川斉昭の参与就任に賛成しているのに、松平忠固(当時の名前は忠優だが、忠固で通します)のみが、斉昭に強硬に反対しました。老中首座の阿部正弘(福山藩主)が斉昭の参与就任を強く主張し、老中の牧野忠雅(長岡藩主)、松平乗全(西尾藩主)、久世広周(関宿藩主)はそれに賛成しました。『水戸藩史料』によれば、このとき老中の忠固のみは以下のように述べて一人で反対の論陣をはったのです。
松平伊賀守忠優のみは、これ(斉昭の参与就任)を「不可」として、次のように述べた。「老侯(斉昭)に参与の大権を執らすことは再考すべきである。海防について意見を請いたいのであれば、こちらから彼の邸を訪れて意見を訊けばよい。それこそ目的にかない、旧来の慣例にもそむかない」と。
(中略)
水戸の老侯はなかなかに難しい御方であり、このお方が登城し政務に参与するようになれば、何をなさるかわかったものではない。ついには我々老中の進退さえもご自分で決定しようとなさるのではないか。
(中略)
水戸の老侯はなかなかに難しい御方であり、このお方が登城し政務に参与するようになれば、何をなさるかわかったものではない。ついには我々老中の進退さえもご自分で決定しようとなさるのではないか。
この忠固の危惧を受けて、牧野忠雅、松平乗全も同調し、反対に回ります。賛成は阿部と久世の2名のみになって逆転してしまうのです。年長の牧野や松平乗全が、老中首座の阿部正弘の意向を退けて、忠固に同調するようになったのですから、いかに忠固の議論に説得力があったかがうかがわれます。また、当時の閣議が、結論先にありきではなく、民主的な討議によって丹念に合意形成が諮られている様子もうかがえます。
徳川斉昭のセクハラ事件や仏教弾圧政策により、大奥は大の斉昭嫌い。大奥と将軍側衆と松平忠固は、結束して徳川斉昭反対の運動を繰り広げます。阿部正弘は、嘉永六年(1853)の6月16日に徳川斉昭を海防参与にしたいと提案したにもかかわらず、半月にわたって紛糾し、ようやく斉昭の参与就任が承認されたのは7月3のことでした。
徳川斉昭の参与就任は、日本史を暗転させる重大な分岐点になったと思います。このとき斉昭が参与になることがなかったら、日本の開国と交易の開始も、もっとスムーズに展開されていたことは間違いないからです。
実際、会議の場で忠固が危惧した指摘は正しく、斉昭は老中の人事にまで介入するようになって、開国派・交易派であった老中の忠固と松平乗全は、斉昭の逆鱗に触れて安政2年に老中を失脚してしまうことになりました。
※ 詳細を知りたい方はよろしければ拙著『日本を開国させた男、松平忠固』(作品社、2020年)を参照ください。
ただ、今のところ、「保守的でも平和ボケしているわけでもないが、水戸・斉昭に批判的な開国派」が出てきていないのは、若干不安ではあります。
次週は斉昭が欧米との開戦を主張して反対されるようなので、大丈夫だとは思いますが……。
本来この役割で松平忠固を登場させるべきなのですが、忠固が無名な現状ではムリそうです。多分、この役割は阿部正弘と堀田正睦が担うことになるのでは・・・と予想されます。
しかし、阿部にこの役割を担わせるのなら、何で阿部本人が斉昭の参与就任を強行に主張したのかという矛盾が解けません・・・。
いずれ、正しく忠固を登場させるドラマが出現することに期待します。
阿部については関先生の予想通りでしたが、藤田の描写はあれで良かったのでしょうか?
彼も若い頃は大津浜に上陸したイギリス人の皆殺しを企てていたことを思うと、少し違和感があったのですが、晩年は比較的穏やかな人物になっていたのでしょうか。
ところで、川路聖謨が登場している時点である程度予想できたことではありますが、ディアナ号事件の日本側の人道的対応をきちんと描いてくれたことは素晴らしかったと思います。
(できれば、奇跡的に一人の死者も出さなかったという部分まで、忠実に再現してほしいところではありましたが……)
この件がロシアから感謝され、領土交渉を有利に進められたことや、造船技術を学ぶことができたことも、ぜひともドラマ内でピックアップしてほしいですね。
藤田東湖が「ロシア人も国に帰れば家族もいるでしょう・・・・」と言って、斉昭をいさめていました。晩年は若干は軟化していたようですが、それでも生粋の攘夷論者の東湖がそのような発言をすることはあり得ません。斉昭を止めたとしても、「そんなことをすればロシアと戦争になりかねない」という現実的判断からかと思います。
>この件がロシアから感謝され、領土交渉を有利に進められたことや、造船技術を学ぶことができたことも
そこまでは描いてくれないとは思いますが、ディアナ号のあそこまで描いてくれただけでも歴代大河で初めてではないかと思います。これは評価できますね。
ヘダ号建設の資料など世界記憶遺産に認定すべきではないかと思います。
人気を集めて、国策を誤るのも。
なんか、ああいう「中身がそれほどないのに、男気なり根拠のない強気で、引っ張る」ってのに、日本社会は、弱いようです。
それは、どうも日本社会に「恥部」なり「病巣」に思えます。
心理学者なり精神分析学者なりが、この「病根」を解析してもらえたら良いな~て。
無駄話でした。
コメントありがとうございました。
>石原慎太郎や橋下徹と、徳川斉昭って、似てますね。
橋下とはちょっとタイプが違うかなと思いますが、石原と徳川斉昭は人格的にも政策的にもそっくりですね。斉昭は国防への積極財政派なので、コストカッター新自由主義者の橋下とは政策的には真逆です。
ただ、中身がないのに、強気にまくしたてて、国を誤らせているという点については、三人共通ですね。
この日本の病巣、根が深いです。品性下劣、愚劣で、まともな政策など何一つしていない河村たかしが多選しているのも同じ構図かと・・・・。
日本の病巣、困ったことです。
>この日本の病巣、根が深いです。品性下劣、愚劣で、まともな政策など何一つしていない河村たかしが多選しているのも同じ構図かと・・・
面白い解析をしている人が居ます。
メダル噛み「お騒がせ市長」がなぜか当選続ける訳
https://toyokeizai.net/articles/-/446485?page=2
良くも悪くも「庶民感覚に近づくのが巧い」ての
も大きいかも。
三略や諸葛亮兵書の昔から「兵士と同様な生活をして、その人心を把握しろ」って言われてますが、それの応用なのでしょう。
>将帥というものは、日頃から士卒と飲食を共にし、苦楽を共にするもので、そのようにして敵との戦いに及ぶことができるのです。そうであればこそ兵は勝利し、敵を平らげることができるのです。
{三略 上}
とか
それをどうも日本の知識人は、軽視しがちに思えます。
その辺の対策也をしないと、本当に危険な気もします。
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/1024fe7721a0b6d50fa077674a6df02b
>SDGs(持続可能な開発目標)が学校で教えられる時代になっている。認知バイアスも、小中高で繰り返し教育し、「人間がいかに思考を短絡し、事実認識を間違うか」を、日本人共有の戒めとするべきではないだろうか。イノベーションだの、国際競争力だのと言ったものは、そうした教育が行われれば自動的にくっついてくるものだと、評者は確信する
>(★注、この「認知バイアス辞典」自体には現在の政府やメディアや知的エリートを批判している文言は一つも無いが、はからずも、いかに認知バイアスを使って善良だが愚かな一般市民を騙しているかの教科書的な告発本でもある)
まさに「認知バイアス」による「誤認」が、徳川斉昭や水戸学の跋扈。あるいは河村けんじや石原慎太郎の跋扈の一因かもしれない。
そういう意味で三略等兵書の指摘は、正しいのでしょうかね。
>三略等兵書の指摘は、正しいのでしょうかね。
河村たかしには当てはまっても、安倍晋三や麻生太郎など、庶民感覚など何も分からない、血統だけで生きてますって人たちですから、一概には言えないのではないかと・・・・・。世襲ばかりの自民党見ていると、むしろ逆のケースの方が多いようにも思えます。
共通するのは、良く考えないで、イメージだけに惑わされて投票すると痛い目にあうということでしょうか・・・。