代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

新しい社会資本整備のあり方 -例:学校の屋上に太陽電池パネルを設置-

2005年03月02日 | エコロジカル・ニューディール政策
 郵貯が必要な理由は、いたって簡単です。社会資本整備のために必要だからです(あるいは昨日の記事で述べたように、「社会資本」というとハード・インフラばかりイメージされるので、環境・教育・医療なども含め「社会的共通資本」といった方が適切だと思います)。民間銀行は、民間の工場や個人住宅など私有財産の整備のために融資をしますが、政府系金融機関は皆が利用する社会資本を整備するための融資を行います。

 そして両者は補完関係にあるので、双方が健全な機能分担をするのが、あるべき姿だと思います。政府が社会資本整備に投資をすることを通して、はじめて民間の設備投資も可能になる場合が多いのです。
 いちばん簡単な例をあげれば、政府が道路という社会資本に投資をし、それで初めて民間企業による自動車工場への投資が可能になる、という具合です。(もっとも私は、これ以上無駄な自動車道路に投資がなされるのを支持しませんが)。
 郵貯は、誰もが利用し受益者となる社会資本を整備するための投資を行う金融機関なのですから、税金も免除されるのが当たり前なのです。郵貯だけ優遇されるのはおかしいという批判は全く不当です。私有財産への投資に比べ、社会資本への投資から利益を上げるのはより難しいのですから、優遇は当然なのです。

 郵貯と簡保の民営化は、社会資本の整備を可能にする重要な原資を私たちの手から奪うということを意味します。「郵貯の民営化で資金が民間に流れる」などという竹中大臣の説明は、全くのデタラメです。社会資本の供給がなくなれば、民間投資もそれにつられてますます冷え込むことは目に見えております。
 民間銀行は貯蓄がジャブジャブ余っているのに、信頼のできる借り手が少ないので、仕方なく米国債や日本国債を買わざるを得ない状況なのです。「郵貯の資金を民間に流す」などという戯言は、せめて民間銀行が国債など買う必要がないくらい資金需要が増大した状況下において述べて欲しいものです。
 もちろん竹中氏は、「こんな見え透いたウソでは国民は騙せないのではないか」と内心ハラハラしながら、ご主人様(米国)に奉仕するために苦しい弁明を続けているのでしょう。(ですから彼の人相はかなり悪くなってきたように思えます。)
 ところが、官民総出の新古典派言説によるイデオロギー支配が10年以上も続いた結果、マスコミや多くの市民が、このような拙劣でチャチ極まりないウソに本当に騙されてしまっているようなのです。
 
 郵貯の民営化によって活発化するのは、ヘッジファンドやハゲタカファンドなどによる投機的資金の流れです。(竹中氏の真の狙いはここにあるのでしょう)。人類にとって必要な技術の開発や、社会の安定のための投資は決して増加しないでしょう。投機的資金は、昨今の原油価格の上昇を見れば分かると思いますが、私たちの生活の安定を奪うだけで、決して幸せをもたらしません。

 日本が得意なのは何といっても「モノづくり」なのですから、郵貯の資金は、投機目的などに使用しないで、世界中の誰もが喜んでくれるような、地道なモノづくりに貢献する分野に投資するのが政府の努めだと思います。
 本稿では、政府による社会資本整備を通じて、どのようにして「モノづくり」に貢献できるのか、新しい技術を開発しながら、民間の設備投資を活発化できるのか、考察しましょう。

なぜ政府が社会資本を供給せねばならないのか? 

 経済学者の野口悠紀雄氏は、なぜ政府が関与して社会資本の整備を行わなければならないか、つまり何故、公共投資と公共事業が必要なのかという理由に関して、次の四点をあげています。(野口悠紀雄1994「社会資本整備の今後の方向性 ―新社会資本、知識資本、人的資本―」、宇沢弘文・茂木愛一郎編『社会的共通資本 ―コモンズと都市―』223-246頁)。

①公共財: 街路、公園、堤防など。多くの人が共同でその利益を享受し、受益者を特定して料金を徴収するのが困難なもの。野口氏は、街路、公園、堤防を例としてあげる。

②費用逓減産業: 初期投資が巨大であり、需要がある程度の水準に達しないと採算がとれないため、一企業が供給することが困難なもの。野口氏は、例として、鉄道、電話、橋、高速道路、空港、港湾、ダムなどをあげる。

③外部経済効果: それを整備することによる社会全体の利益は、それを享受する私的利益の和を超過するもの。野口氏は、下水道、上水道、公園などをあげる。

④所得再分配: 所得再分配上の配慮から公的関与がなされる場合。野口氏は、私鉄への補助金で運賃を低く抑えたり、低家賃住宅を政府が供給する例をあげる。

 政府が関与して社会資本を整備しなければならない理由が、以上の四つの点にあるという考えには、私も全く賛同いたします。とくに、「費用逓減産業」に注目する必要性を訴えているあたりは、「さすがは野口悠紀雄だ」といえるでしょう。

 ただ、野口氏の主張は、私の目から見て疑問点も同時にあります。
 野口氏は、特定業界に発注が集中されるような形態の公共投資はなるべく行なうべきではないと考えています。例えば、1993年4月に政府が立案した「総合経済対策」の中で、「公立小中学校への教育用パソコンの整備」が挙げられましたが、野口氏はこれに対して、「パソコンを『社会資本』と位置付けるのは無理がある。これは単にパソコン・メーカーの不況救済策と割り切るべきものであろう」(野口、前掲書、231頁)と冷ややかに述べています。しかし、建設業界への発注は良くても、パソコン・メーカーへの発注はいけないというのは筋が通らないように思えます。
 
 私は、「費用逓減産業」の側面に注目すれば、政府が勃興期にある産業を積極的に支援することが可能になると思います。費用逓減産業というものは、何も固定資本の初期投資が巨大なものばかりではなく、新しい技術・新しい産業はすべて費用逓減の側面を持つからです。費用逓減産業の育成を支援するためには、政府が公共事業・公共投資による需要を通じて、ある特定業界へ発注を集中させてもよいと私は考えます。

学校の屋上に太陽電池パネルを
 
 一例として、力石定一氏と牧衷氏が、「エコロジカル・ニューディール政策」の一環として掲げている「公立学校の屋上に片端から太陽電池パネルを設置する」という公共事業プロジェクトを考察してみましょう。(力石定一・牧衷編著『発想』No.1、季節社、2000年)

 それによって受益者となるのは、あからさまに太陽電池メーカーのみで、「特定業界との癒着」が大いに懸念されるところです。パソコンの例と似ています。しかし、私は許されるべきだと思います。
 太陽電池パネルは、いまだに一般家庭にまではなかなか普及しておりません。まだ太陽光パネルの価格が高く、電力会社から電気を買った方が得であるという状態だからです。

 ここで注目しなければいけないのが、「費用逓減」の側面です。価格が高いため一般家庭に普及しないのは、まだ年間生産量が少ないため、量産効果・規模の経済が充分に働いていないからコスト高だからです。
 そこで、政府が大規模に発注しましょう。4万校の公立学校に太陽パネルを設置していけば、莫大な需要が発生し、設備投資と量産化による「費用逓減効果」によって、劇的に生産コストは減少するでしょう。そうすれば、価格も下がって、あとは放っておいても(市場原理に任せても)、一般家庭に普及していくことになります。

 つまり、社会資本整備を目的とする政府需要によって、勃興期にある新技術・新産業の育成を助けるのです。それを通して、民間設備投資が活発化しますので、経済全体が活性化します。民間設備投資が増加すれば、その分だけ政府の公共投資も減らしていけるので、財政赤字も自然に削減していくことができるというわけです。民間設備投資が冷え切っている状況下では、政府の公共投資が絶対に必要なものであり、公共投資を民間投資の呼び水にすることが、もっとも大切な戦略なのです。

 繰り返し言いますが、政府が民意に立脚して、しかるべき戦略目標を立てて、未来社会のビジョンを指し示し、社会資本を整備しようとしなければ、「民間への資金の流れ」も活性化しません。郵貯という政府資金をテコにして、民間への資金の流れを活性化させることが可能になるのです。郵貯を民営化すれば、未来の方向は何も分からなくなって、民間の活動はますます萎縮してしまうでしょう。
 マスコミの皆さん、お願いですから、竹中平蔵氏の甘言に騙されないで下さい。

 さて、政府が積極的に手助けして、育成をはかるべき新技術・新産業の優先順位は、公共性・外部経済効果・所得再分配機能などを基準に決めるべきでしょう。

 地球の大気は、おそらく、ありとあらゆる公共財の中でもっとも重要なものの一つです。大気の状態を安定化させ、温暖化を防止するための技術は、最優先で、その育成が助けられるべきものです。
 太陽電池パネルの一般家庭への普及は間違いなく、温暖化防止に寄与するのですから、政府が支援すべき産業の上位にリストアップされるのは当然でしょう。
 さらに公立学校に太陽電池パネルがつくのは、教育効果も高いし、同時に震災対策にも寄与します。学校は震災の際に避難所になるので、震災で停電していても、学校に逃げ込めば電気を確保できることになるからです。子供たちは、太陽が全てのエネルギーの源であることを実感するとともに、省エネへの関心も高めることになります。
 こういう、個々の環境保全型公共投資プログラムの具体化が、「エコロジカル・ニューディール政策」なのです。

「癒着」と「腐敗」を回避する方法

 それでも「癒着」の問題を気にする方は多いと思います。私は、納税者が民主的にそれを望むのであれば、全く問題ないと思います。例えば、政府が、社会資本整備の項目として毎年リストを作成し、郵便貯金の利用者に、「どれに一番お金を使って欲しいか」とアンケートを取ればよいのです。公共性と外部経済効果が高い社会資本ほど、当然のことながら高い人気を得ることになるでしょう。
 そして人気が一番高かった項目から、優先的に予算を配分するようにいたします。もし、「癒着」「汚職」が発覚すれば、次の年から人気は下がるでしょうから、その予算は削減されることになります。こうして、財政投融資の「癒着・腐敗・利権」といった問題は回避できるでしょう。
 とにかく重要なことは、人類が生き残るために育てていかねばならない技術・産業は必然的に存在するのであり、市場に任せていてもいつまでたっても伸びないのだから、それを後押しするのが政府の役割だという事です。

新古典派というおとぎ話

 さて、勃興期のあらゆる産業は「費用逓減産業」であると申しましたが、ちなみに新古典派経済学は「あらゆる産業は、費用逓『増』産業である」という仮定を前提に成立しています。
 新古典派経済学の描く世界は、まったくこの世に存在しない、「架空のおとぎ話」だと言われるのは、そういう点にあるのだと思います。

 この新古典派の「おとぎ話」が1980年代から世界中に蔓延し、「民営化=効率化=絶対善」というとんでもないイデオロギーの支配が始まりました。日本のマスコミは、完全に、このトンデモ・イデオロギーに洗脳されてしまったというわけです。経済学を中途半端にしか理解していない人ほど、これに感染しやすいようです。怖いですね~。
 

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
費用逓減産業って (酔狂人)
2005-03-27 08:48:15
勃興期に限らず、ほとんど全ての産業は「費用逓減産業」なのではないでしょうか?

ほとんど全ての産業が費用逓減産業であるという観点から、「費用逓減産業」を社会資本の整備対象にすることには賛成できません。範囲が広くなりすぎます。
返信する
選択基準は民主主義? ()
2005-03-30 15:55:08
 しばらく出張していたので、返信が遅れて申し訳ございませんでした。

 確かにご指摘のとおりかと存じます。費用逓減産業を片端から全て支援することは不可能だと思います。

 あまたある革新的技術と費用逓減産業の中で、何を優先的に取り扱うのかは、やはり民主主義に基づくコンセンサスによって決定されるべきなのではないかと思います。

 「民主主義に基づく選択」という点に関して、近いうちに一つ記事を書こうと思います。よろしくお願いいたします。
返信する
小泉首相の「郵政民営化」を考える (坂 眞)
2005-05-01 12:41:53
TBありがとうございます。

私とは反対の立場からの論陣、なるほど、と思える点もあります。

が、私が[小泉首相の「郵政民営化」を考える]part-1で指摘した点については、どうお考えでしょうか?



(1)国の制度と信用で集められた膨大な資金が国会の審議も承認もなく、政府の思惑で気ままに投資される。相手は、特殊法人である…



(2)これらの法人や機関は、確かに国民生活の向上に役立った面もある。が、いかにも「政治家が自らの利権を確保するために利用しやすい組織」であり、「非効率・不採算の役人天国」…



(3)彼らが(特殊法人が)垂れ流した赤字をぬぐうのは、最終的には国民の税金になる。



(4)このような不合理な仕組みは、まさに自民党のバラマキ政治、利権政治の温床…



(5)それは(郵政民営化は)自民党の旧来の支持基盤を掘り崩し、利権構造を破壊する。…



(6)だから守旧派は反対する。彼らの「郵政は国営のほうが国民のため」という主張は詭弁である。



※公共事業は必要かつ重要です。しかし、それには優先順位があります。また、国民(納税者)の監視下で行われなければなりません。

返信する
コメントありがとうございました ()
2005-05-01 18:41:12
 立場が異なるのですが、思い切ってTBさせていただきました。私のブログも訪れてしっかり読んで下さいまして、まことにありがとうございました。TBをして本当に良かったと思いました。

 私も、郵貯と簡保の資金の現在の使われ方は間違っているという立場です。しかし、それは「使う側」の問題であり、「集める側」である郵政の問題ではない、という立場です。ですので、part1の内容には概ね賛成です。

 かつては役に立った公共投資も、一通り整備が終われば(ダムや道路のように)、その予算は他の部門に転用せねばならないと思います。ところが、利権構造が生まれてしまうと転用できなくなるのが大問題です。

 かつては役に立ち、今は必要性がなくなった予算の配分先に関しては、「ご苦労さまでした」と最大限の敬意を払いつつ、新しい分野(自然エネルギーなど)に転用する勇気が必要だと思います。

 新しい経済循環の波を引き起こし、民間投資を引き出すためには、政府がイニシアティブを取って社会資本整備をする必要があるというのが私の立場です。

 たとえば燃料電池自動車一つを走らすにしても、水素スタンドを整備するなど、政府の手による社会資本整備が必要になります。

 90年代の米国の繁栄を支えたIT革命に関しても、もとはゴアの「情報スーパーハイウェイ構想」にあり、政府のイニシアティブだと思います。つまり市場の力ではないと思います。レーガン革命が90年代の米国の繁栄を生み出したという竹中氏の主張はまったくウソだと思います。

 郵貯によって莫大な資金が社会資本整備のために使えるという日本の制度的条件は、じつは他国に比しても有利な点だと思います。新しい産業社会への移行を、市場に任せた場合より、すみやかに可能にすると思うからです。ただし、それは「政府が利権に縛られていない」という条件の下ではじめて可能になることだと思います。

 本当に、問題は利権構造をどうやって打破するかですね。私は、それはやはり「民主主義の力」が可能にすると思います。私のブログの中の「スウェーデンのバイオガス・エネルギー」というエントリーもご覧くださいますと、嬉しく存じます。

 どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

  

 

 

 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。