農業政策の論戦がにわかに熱を帯びています。民主党政策の目玉は一兆円を財源として、経営規模を問わずに全ての農家に直接所得補償をするという政策。自民党側は「そんなバラマキ財源はどこにもない」「WTOのルールではそんな行為は許されない」と批判を展開しています。
私の基本的な立場ですが、本来ならば、農村社会と環境と食料生産の持続可能性を守るための最善の政策は、直接所得補償ではなく輸入関税だと思います。関税ならば財源の心配など一切する必要なく、逆に関税収入という財源を確保しながら農業を守ることができます。
もちろん日本のみならず、すべての国々において、農産物については、環境保全と文化と社会の安定、さらに食料供給の持続性と食品の安全性を確保するために、高い関税をかけることが許されるべきなのです。
しかしWTOという名の、世界規模での環境破壊と農村破壊と雇用破壊にひたすら奉仕する巨大な組織が存在し、関税政策を許さないという状況にあります。
本来ならば、ウルグアイ・ラウンドにおいて全ての非関税障壁を撤廃して「例外なき関税化」を受け入れたのですから、関税障壁は引き続き認められるのが論理的な筋のはずです。
しかるに「例外なき関税化」の舌の根のかわかぬうちに「農産物の上限関税率100%」が提起される始末で、高関税率の維持を不可能にしようとしています。このような状況下で、最後に打てる手段としては、農家への直接所得補償制度しかないでしょう。
しかし自民党の言うように、この所得補償行為すらも「生産補助金」としてWTOに提訴される可能性は十分にあります。もっともこの点に関していえば、米国とEUの輸出補助金の問題ははるかに重大なものです。だって、彼らは生産コストの半分くらいを補助金で埋めて、価格を半分近くも引き下げた農作物を輸出し、国際市場を混乱させているのですから・・・・。
私の立場をいえば、内に向かって環境と社会と文化を守るための輸入関税ないし所得補償は許されるべきだが、外に向かって国際市場を混乱させるだけの農産物輸出補助金は決して許されてはならないというものです。
現行のWTO体制は、米国の利害を反映して農産物輸出補助金は大目に見ながら、各国の地域社会を育んできた小規模家族経営農業の破壊につながる輸入関税の削減に血道を上げているから、言語道断であるといえるのです。
もし直接所得補償をWTOに訴えられた場合、堂々と争うべきであり、それはWTO体制の非道さを広く日本人に知らしめるチャンスになるでしょう。
WTOが、雇用や環境や食料生産の持続可能性にあくまでも配慮を示さないのであれば、いずれは理性的な国々が集まって、生産の持続可能性と雇用の保障に配慮を示した別の国際貿易組織を作り、集団的にWTOから脱退してしまうべきでしょう。それぐらいしなければ地球は守れないと私は思います。
農産物貿易自由化で途上国の農村はどうなったのか?
さて、ウルグアイ・ラウンドによって農業が荒廃しているのは日本のみならず、途上国も同様です。ウルグアイ・ラウンド交渉よりこの方、長い間、日本のマスコミは、「日本のような先進国が農産物輸入を自由化すれば途上国の農村は輸出利益で豊かになる」というデマ宣伝を繰り返してきました。
「途上国を救うために、われわれは農業でエゴを通さず、妥協しよう」という主張です。ホンネは、日本の工業製品を少しでも途上国に売りつけたいという己の欲望に基づいたものですが、そのホンネを隠蔽して装飾するために考案された苦肉のウソだといえます。
ちょっと調べれば、農産物貿易自由化が途上国の農村を救うという主張が全くのウソであることは明白なのに、彼らはちゃんと調べようともしなかったのです。この点に関しては、朝日新聞の論調がとにかくひどかった・・・。
最近になって、もはや事実関係を隠蔽しきれなくなったのか何なのか、「農産物貿易自由化による途上国農村の疲弊」、つまり貧困や自殺や村の崩壊をリポートする新聞記事がよく目につくようになりました。私の見た範囲では、毎日新聞の報道がよく頑張っていました。毎日新聞は、最近かなり農産物貿易の自由化に懐疑的な報道をするようになってきました。
日付は忘れてしまいましたが、毎日新聞は、インドのアンドラ・プラディッシュ州などの綿花生産地帯は別名「自殺ベルト」と呼ばれていること、農家の自殺が相次ぎ、公式統計でも10万人以上(実際はそれよりはるかに多い)の自殺者が出ているなどの事実を指摘し、自殺や農村社会の崩壊の様子を取材にもとづいてリポートしていました。
インドでは、綿花の価格が高かった当初、農産物貿易の自由化にあわせて、自給穀物から輸出用の綿花生産への切り替えが奨励されました。
しかし、借金をしてまで過剰な設備投資を行って綿花生産をはじめてみたものの、綿花の国際価格はすぐに暴落し、債務の返済ができなくなった農家が次々へ自殺に追い込まれているのです。
輸出農業部門も当初の期待に反してこのようなヒサンな事態になっているのですから、自給農業部門については言わずもがなです。たとえばインドでは80年代末まで大豆油と菜種油などの植物性油を自給していましたが、貿易自由化によって国外から安価な大豆油やヤシ油が流入し、インドでは菜種農家と菜種油の搾油業者などあわせて、かるく300万人以上が職を失い、生活が破壊されたと言われています。(John Madeley, Hungry for Trade:How the poor pay for Free Trade, Zed Books: London & New York 2000 を参照)
植物性油脂貿易による熱帯林破壊
それでインドに大豆油やヤシ油を供給しているのはどこでしょう。大豆に関しては米国やブラジル、ヤシ油に関してはインドネシアなどです。
中国でも同様に植物性油脂の関税引き下げによって、国内農家が困窮する一方で、米国やブラジルやインドネシアなどからの輸入が増加しています。
そして、現時点での世界の熱帯林破壊の二大元凶は、ブラジルのアマゾンの大豆プランテーションへの転換と、インドネシアの熱帯林のアブラヤシ・プランテーションへの転換なのです。いったい、世界が植物性油脂の関税を削減したことによって、どれだけ多くの国々の伝統的な小規模農家の生活が破壊され、どれだけの熱帯林が破壊され、プランテーションに転換されてきたことでしょうか。これがどれだけ地球温暖化に貢献したことでしょうか。
環境を破壊するものが低コストで生産可能であり、国際競争力があるが故に、WTO体制下ではそうした破壊行為が推奨されるのです。
インドや中国が、従来どおり、国内の「非効率」農業を守り、植物性油脂の国産体制を維持していたとすれば、どれだけ多くの熱帯林を救えたことでしょうか。(ちゃんと計算してませんが)。
こんなメチャクチャな事態を引き起こすWTOの、どこがいったい世界の進歩に貢献するというのですか?? 何故日本のマスコミは、この恐るべき組織を擁護できるのですか?
朝日新聞など、「バイオ燃料生産で熱帯林が破壊される心配がある」などと訴える割には、じつに欺瞞的なことに、「貿易自由化によりどれだけの熱帯林が破壊されているか」には一切の関心を向けようとしません。自由貿易を熱狂的に支持し続けてきた同紙は、事実を隠蔽することをいとわないからでしょう。そして「農産物貿易を自由化して途上国の農村を助けよう」などというおバカな説を、いまだに叫び続けているのです。
輸入で社会が崩壊したインドのような事例のみならず、輸出のためのアブラヤシ生産をしているインドネシアにしたって、農村が救われるどころか、プランテーション企業に土地を収奪されて、旧来の農村社会は崩壊するというヒサンな事例が多発しているのです。
新大陸型国家 VS 旧大陸型国家
だいたい、農産物貿易に関しては、日本のマスコミがステレオタイプに報道するような「先進国と途上国」といった図式は当てはまりません。朝日新聞などは、「農業自由化は途上国の農村を利する」などと不勉強なままエラそうにおっしゃってきました。農業問題に関しては「途上国」などというステレオタイプな範疇は存在しないのです。
農産物貿易をめぐる対立は、一世帯あたりの経営規模が数ヘクタール程度の旧大陸の伝統的な農業と、一つの農場の経営規模が100ヘクタールを超えるような新大陸型農業のあいだに存在するのです。つまり「米国、カナダ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチン」にといった先住民族虐殺の上に大規模農業を成立させた新大陸型国家と、それ以外の歴史と伝統と文化のある旧大陸型国家との対立なのです。
インドや中国は途上国であっても、もちろん歴史ある旧大陸型国家という点で日本やEUと同じ範疇に含まれます。逆に、ブラジルやアルゼンチンは、途上国であっても新大陸型国家という点で米国と同じ範疇に含まれるのです。
機械化された石油ガブ飲みの近代農業では一般的に農場規模の大きい新大陸型農業の方が競争上有利なのは言うまでもありません。さらに、歴史と伝統にもとづく社会的規範を持たない新大陸型国家は、文化への配慮も生態系への配慮も何もないから、遺伝子組み換えという恐るべき技術を使うのになんら躊躇しないのです。
新大陸型国家の野望に引きづられて、これ以上、農産物貿易の自由化を進めることは、世界的に、社会の崩壊、食品の安全性の崩壊、飢餓の不安、資源の枯渇、そして生態系の破局をもたらすだけなのです。
米国が輸出補助金をやめても農業問題は解決しない
また日本のマスコミ報道に問題なのは、WTO発足後にアジアやアフリカの多くの途上国の農村が疲弊している原因は、アメリカの輸出補助金にあるという主張をしていることです。米国政府は生産費用の半分ほどの助成金を国内農家に支給し、輸出作物の価格を実際の価格の半分近くにまで引き下げてダンピング輸出しています。この輸出補助金が国際価格を下落させる元凶であり、米国が補助金をやめれば農作物の国際価格は上昇し、それを輸出する途上国の農村は救われるという主張です。ジョセフ・スティグリッツにしたって、基本的にはそういう主張でした(最近、ちょっと変化してきましたが)。しかし問題の構造は、それで解決するほど単純なものではありません。
確かに、世界最悪の米国の輸出補助金がなくなれば、現在のヒサンな事態は、若干改善されるでしょう。
しかしながら、それほど甘くはありません。米国の輸出補助金の撤廃は、根本的な問題解決にはなりません。農産物輸出では長期的には結局のところ儲からず、小規模農家は淘汰され、土地は疲弊し、水資源は枯渇し、国レベルでみても輸出利益は十分には上がらないのです。つまり米国やEUの輸出補助金のない市場競争状態になっても、やっぱり途上国の農家の生活も環境も破壊され続けるだけという事態は変わらないでしょう。
工業と農業を一律に扱って、貿易自由化の土俵に乗せてはいけないのです。
この理由は、農業生産の収穫逓減的性格、さらに農産物需要の価格弾力性の低さといった諸点に起因します。これを説明しだすとさらに長くなります。続きは次回に回します。
私の基本的な立場ですが、本来ならば、農村社会と環境と食料生産の持続可能性を守るための最善の政策は、直接所得補償ではなく輸入関税だと思います。関税ならば財源の心配など一切する必要なく、逆に関税収入という財源を確保しながら農業を守ることができます。
もちろん日本のみならず、すべての国々において、農産物については、環境保全と文化と社会の安定、さらに食料供給の持続性と食品の安全性を確保するために、高い関税をかけることが許されるべきなのです。
しかしWTOという名の、世界規模での環境破壊と農村破壊と雇用破壊にひたすら奉仕する巨大な組織が存在し、関税政策を許さないという状況にあります。
本来ならば、ウルグアイ・ラウンドにおいて全ての非関税障壁を撤廃して「例外なき関税化」を受け入れたのですから、関税障壁は引き続き認められるのが論理的な筋のはずです。
しかるに「例外なき関税化」の舌の根のかわかぬうちに「農産物の上限関税率100%」が提起される始末で、高関税率の維持を不可能にしようとしています。このような状況下で、最後に打てる手段としては、農家への直接所得補償制度しかないでしょう。
しかし自民党の言うように、この所得補償行為すらも「生産補助金」としてWTOに提訴される可能性は十分にあります。もっともこの点に関していえば、米国とEUの輸出補助金の問題ははるかに重大なものです。だって、彼らは生産コストの半分くらいを補助金で埋めて、価格を半分近くも引き下げた農作物を輸出し、国際市場を混乱させているのですから・・・・。
私の立場をいえば、内に向かって環境と社会と文化を守るための輸入関税ないし所得補償は許されるべきだが、外に向かって国際市場を混乱させるだけの農産物輸出補助金は決して許されてはならないというものです。
現行のWTO体制は、米国の利害を反映して農産物輸出補助金は大目に見ながら、各国の地域社会を育んできた小規模家族経営農業の破壊につながる輸入関税の削減に血道を上げているから、言語道断であるといえるのです。
もし直接所得補償をWTOに訴えられた場合、堂々と争うべきであり、それはWTO体制の非道さを広く日本人に知らしめるチャンスになるでしょう。
WTOが、雇用や環境や食料生産の持続可能性にあくまでも配慮を示さないのであれば、いずれは理性的な国々が集まって、生産の持続可能性と雇用の保障に配慮を示した別の国際貿易組織を作り、集団的にWTOから脱退してしまうべきでしょう。それぐらいしなければ地球は守れないと私は思います。
農産物貿易自由化で途上国の農村はどうなったのか?
さて、ウルグアイ・ラウンドによって農業が荒廃しているのは日本のみならず、途上国も同様です。ウルグアイ・ラウンド交渉よりこの方、長い間、日本のマスコミは、「日本のような先進国が農産物輸入を自由化すれば途上国の農村は輸出利益で豊かになる」というデマ宣伝を繰り返してきました。
「途上国を救うために、われわれは農業でエゴを通さず、妥協しよう」という主張です。ホンネは、日本の工業製品を少しでも途上国に売りつけたいという己の欲望に基づいたものですが、そのホンネを隠蔽して装飾するために考案された苦肉のウソだといえます。
ちょっと調べれば、農産物貿易自由化が途上国の農村を救うという主張が全くのウソであることは明白なのに、彼らはちゃんと調べようともしなかったのです。この点に関しては、朝日新聞の論調がとにかくひどかった・・・。
最近になって、もはや事実関係を隠蔽しきれなくなったのか何なのか、「農産物貿易自由化による途上国農村の疲弊」、つまり貧困や自殺や村の崩壊をリポートする新聞記事がよく目につくようになりました。私の見た範囲では、毎日新聞の報道がよく頑張っていました。毎日新聞は、最近かなり農産物貿易の自由化に懐疑的な報道をするようになってきました。
日付は忘れてしまいましたが、毎日新聞は、インドのアンドラ・プラディッシュ州などの綿花生産地帯は別名「自殺ベルト」と呼ばれていること、農家の自殺が相次ぎ、公式統計でも10万人以上(実際はそれよりはるかに多い)の自殺者が出ているなどの事実を指摘し、自殺や農村社会の崩壊の様子を取材にもとづいてリポートしていました。
インドでは、綿花の価格が高かった当初、農産物貿易の自由化にあわせて、自給穀物から輸出用の綿花生産への切り替えが奨励されました。
しかし、借金をしてまで過剰な設備投資を行って綿花生産をはじめてみたものの、綿花の国際価格はすぐに暴落し、債務の返済ができなくなった農家が次々へ自殺に追い込まれているのです。
輸出農業部門も当初の期待に反してこのようなヒサンな事態になっているのですから、自給農業部門については言わずもがなです。たとえばインドでは80年代末まで大豆油と菜種油などの植物性油を自給していましたが、貿易自由化によって国外から安価な大豆油やヤシ油が流入し、インドでは菜種農家と菜種油の搾油業者などあわせて、かるく300万人以上が職を失い、生活が破壊されたと言われています。(John Madeley, Hungry for Trade:How the poor pay for Free Trade, Zed Books: London & New York 2000 を参照)
植物性油脂貿易による熱帯林破壊
それでインドに大豆油やヤシ油を供給しているのはどこでしょう。大豆に関しては米国やブラジル、ヤシ油に関してはインドネシアなどです。
中国でも同様に植物性油脂の関税引き下げによって、国内農家が困窮する一方で、米国やブラジルやインドネシアなどからの輸入が増加しています。
そして、現時点での世界の熱帯林破壊の二大元凶は、ブラジルのアマゾンの大豆プランテーションへの転換と、インドネシアの熱帯林のアブラヤシ・プランテーションへの転換なのです。いったい、世界が植物性油脂の関税を削減したことによって、どれだけ多くの国々の伝統的な小規模農家の生活が破壊され、どれだけの熱帯林が破壊され、プランテーションに転換されてきたことでしょうか。これがどれだけ地球温暖化に貢献したことでしょうか。
環境を破壊するものが低コストで生産可能であり、国際競争力があるが故に、WTO体制下ではそうした破壊行為が推奨されるのです。
インドや中国が、従来どおり、国内の「非効率」農業を守り、植物性油脂の国産体制を維持していたとすれば、どれだけ多くの熱帯林を救えたことでしょうか。(ちゃんと計算してませんが)。
こんなメチャクチャな事態を引き起こすWTOの、どこがいったい世界の進歩に貢献するというのですか?? 何故日本のマスコミは、この恐るべき組織を擁護できるのですか?
朝日新聞など、「バイオ燃料生産で熱帯林が破壊される心配がある」などと訴える割には、じつに欺瞞的なことに、「貿易自由化によりどれだけの熱帯林が破壊されているか」には一切の関心を向けようとしません。自由貿易を熱狂的に支持し続けてきた同紙は、事実を隠蔽することをいとわないからでしょう。そして「農産物貿易を自由化して途上国の農村を助けよう」などというおバカな説を、いまだに叫び続けているのです。
輸入で社会が崩壊したインドのような事例のみならず、輸出のためのアブラヤシ生産をしているインドネシアにしたって、農村が救われるどころか、プランテーション企業に土地を収奪されて、旧来の農村社会は崩壊するというヒサンな事例が多発しているのです。
新大陸型国家 VS 旧大陸型国家
だいたい、農産物貿易に関しては、日本のマスコミがステレオタイプに報道するような「先進国と途上国」といった図式は当てはまりません。朝日新聞などは、「農業自由化は途上国の農村を利する」などと不勉強なままエラそうにおっしゃってきました。農業問題に関しては「途上国」などというステレオタイプな範疇は存在しないのです。
農産物貿易をめぐる対立は、一世帯あたりの経営規模が数ヘクタール程度の旧大陸の伝統的な農業と、一つの農場の経営規模が100ヘクタールを超えるような新大陸型農業のあいだに存在するのです。つまり「米国、カナダ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチン」にといった先住民族虐殺の上に大規模農業を成立させた新大陸型国家と、それ以外の歴史と伝統と文化のある旧大陸型国家との対立なのです。
インドや中国は途上国であっても、もちろん歴史ある旧大陸型国家という点で日本やEUと同じ範疇に含まれます。逆に、ブラジルやアルゼンチンは、途上国であっても新大陸型国家という点で米国と同じ範疇に含まれるのです。
機械化された石油ガブ飲みの近代農業では一般的に農場規模の大きい新大陸型農業の方が競争上有利なのは言うまでもありません。さらに、歴史と伝統にもとづく社会的規範を持たない新大陸型国家は、文化への配慮も生態系への配慮も何もないから、遺伝子組み換えという恐るべき技術を使うのになんら躊躇しないのです。
新大陸型国家の野望に引きづられて、これ以上、農産物貿易の自由化を進めることは、世界的に、社会の崩壊、食品の安全性の崩壊、飢餓の不安、資源の枯渇、そして生態系の破局をもたらすだけなのです。
米国が輸出補助金をやめても農業問題は解決しない
また日本のマスコミ報道に問題なのは、WTO発足後にアジアやアフリカの多くの途上国の農村が疲弊している原因は、アメリカの輸出補助金にあるという主張をしていることです。米国政府は生産費用の半分ほどの助成金を国内農家に支給し、輸出作物の価格を実際の価格の半分近くにまで引き下げてダンピング輸出しています。この輸出補助金が国際価格を下落させる元凶であり、米国が補助金をやめれば農作物の国際価格は上昇し、それを輸出する途上国の農村は救われるという主張です。ジョセフ・スティグリッツにしたって、基本的にはそういう主張でした(最近、ちょっと変化してきましたが)。しかし問題の構造は、それで解決するほど単純なものではありません。
確かに、世界最悪の米国の輸出補助金がなくなれば、現在のヒサンな事態は、若干改善されるでしょう。
しかしながら、それほど甘くはありません。米国の輸出補助金の撤廃は、根本的な問題解決にはなりません。農産物輸出では長期的には結局のところ儲からず、小規模農家は淘汰され、土地は疲弊し、水資源は枯渇し、国レベルでみても輸出利益は十分には上がらないのです。つまり米国やEUの輸出補助金のない市場競争状態になっても、やっぱり途上国の農家の生活も環境も破壊され続けるだけという事態は変わらないでしょう。
工業と農業を一律に扱って、貿易自由化の土俵に乗せてはいけないのです。
この理由は、農業生産の収穫逓減的性格、さらに農産物需要の価格弾力性の低さといった諸点に起因します。これを説明しだすとさらに長くなります。続きは次回に回します。
http://macska.org/article/196
それと、補助金や関税、自由市場については完全に同意できるのですけども、遺伝子組み替えについては決して恐ろしい技術ではありません。現状のGMOの使われ方は関さんがおっしゃる新大陸型農業に利する形で使われておりますが、それがGMOの可能なありようの全てではないと思います。
>遺伝子組み替えについては決して恐ろしい技術では
>ありません。
米国における現状の代表的なGM技術は、殺虫性にしろ農薬耐性にしろ、いずれも新大陸型の生態系を無視した農法によって発生した諸矛盾を、さらに生態系を破壊する方向の技術革新によって矛盾を深めているようにしか思えません。
より少ない水分吸収でも収量を維持できるといった技術の場合、あながち否定できないかも知れませんが・・・・。
>でも、そんな窒素多寡の米食ってていいの?少なくともこの例はだめなGMOの例ですね。
地下水が硝酸態窒素で汚染されて、ますます地下水を飲めなくなりそうですね。
そうなるかもしれないし、そうはならないかもしれません。所詮は他国のことです。私たちにどれだけの働きかけができるか、を考えなければなりませんし、それが出来ないのならば諦める外は無いでしょう。
>米国における現状の代表的なGM技術は・・・
これはそのとおりです。GMというのはつまるところ育種の技術であり、倫理を内包しません。科学者、技術者が倫理を持つよう促す仕組みが必要です。
WRKYがどこまで耐イモチGMO稲創出に貢献できるかは未知数だとは思いますが、そのような可能性が出てきたこと自体は歓迎すべきことと思います。
他方、窒素の多量施肥は関さんのご指摘の地下水の問題を始め、さまざまな環境問題、特にエネルギー及び二酸化炭素の問題に直結します。100年後も石油漬の米が作られていることは多分無いでしょう。その前に文明が壊滅的な打撃を受けているか、打撃を回避しているか、のどちらかでしょう。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/EustaceMullins.html
(上記より一部引用)
ロックフェラー財団による世界の農業の破壊絶滅工作
ロックフェラー財団が行なっている工作のなかで、重要なのにほとんど知られていないものの1つが、世界の農業を支配する手口である。
財団の理事の一人ケネス・ヴェルニモントは、ロックフェラーの支配する農業計画をメキシコやラテンアメリカのいたるところで実行した。自主独立の農民は、世界権力にとって大いなる脅威である。というのも、独立農民はみずから生産し、その生産物を資本に転化することも可能であり、農民が自主独立することになるからである。
ソヴィエト・ロシアでボルシェヴィキたちは、国民に対する全面的な支配を達成したと思いこんでいた。ところが、頑固に自主独立を守ろうとする小規模農民つまリクラークたちによって彼らの立てた計画が脅かされていることがわかり、愕然とした。そこでスターリンはOGPU(合同国家保安部)に命令を下して、クラークの所有する食糧・家畜をすべて没収し、兵糧攻めにした。1934年2月25日のシカゴ・アメリカン紙は「ソ連で飢饉、600万人が死亡」という見出しを掲げ、「農民の作物が没収され、農民と家畜が飢える」と第一面トップでこの事件を取り上げた。
共産党も農民党も労働党も、農民を絶滅させ、労働者を奴隷にした。全体主義政治体制の多くは、小規模農民こそが体制にとって最大の障害だと思い知らされてきた。
いま合衆国では、それと同じたぐいの絶滅戦争を財団が必死になってアメリカの農民に対して仕掛けている。土地があって労働すればやっていけるという農民の伝統的方式は、農民が感じている購買力の必要性、つまり農作業に必要な工業製品を購入するために、次第に変更されてきた。こうして資本金が必要になったために、農民はやすやすと世界権力の金利操作の餌食となっている。このために農民が破産しているのだ。
いまアメリカの小規模農民は絶滅の危機に直面している。つまり、不本意ながら自耕地を手放し、トラストという名の巨大な農業ソヴィエト(かつてのソ連の政治単位ソヴィエトをもじってこういった)に使われる作男になれと迫られているのである。
(引用終わり)
こういった著作から引用すると、「陰謀論」かよwww等と反応する方々が多いのでしょうが、世の現実とは合致している。
WTOも問題ですが、同様の事はIWCについても言えます。
IWCについては、日本役所も漸く見限って商業捕鯨を再開する国々で新たな資源管理機構を立ち上げる意向もあるようです。
この問題は、究極的には支配と被支配の問題でしょう。
>けができるか、を考えなければなりませんし、それ
>が出来ないのならば諦める外は無いでしょう。
先日、知人の米国人に「日本人はアメリカから大量のバーチャル・ウォーターを輸入していて、米国の水資源の枯渇に貢献している。世界の水資源の保全に日本は財政的にも協力すべきだ」ということを言われました。
私は、「日本は水資源が豊富なのに、自国の農業生産は衰退する一方で、アメリカの水不足に貢献しているというのは事実だ。だったらまず、乾燥地のカリフォルニアで地下水を汲み上げてまでコメを作ろうなんて考えないことだ。乾燥地で水を大量に消費するコメやトウモロコシを作るべきではない。アメリカが日本に要求して農産物市場を自由化させたことが、米国の水資源危機の大きな要因だ。自分が撒いたタネでしょう。日本人が自分たちの食糧を自国で生産すれば、問題の多くは解決する」と反論しました。
そうしたら彼は「日本に交渉力がないのがいけないのだ」と言ってきました(苦笑)。
しかし、大筋として、私の議論に納得してくれました。彼らはとにかく理詰めなので、こっちも理詰めで市場原理主義が環境破壊と資源枯渇を生み出していると説明すれば納得してくれると思います。