正しそうに見えても、「私」と無関係に語られる「正解」は、ただの「データ」である。
「こんなことを私は言っているけれど、私自身は、それを守れるだろうか」という
疑いが出てくることで、「私」を組み込んだ考えは、ある種の弱さを持つかもしれない。
しかし、その弱さを含みこんで、その弱さをどうとらえていくのかという
もうひとつ問題を増やすことこそが、考えるということだと、ぼくは思う。
―――『ダーリンコラム』より
ほぼ日手帳(http://www.1101.com/store/techo/)
「こんなことを私は言っているけれど、私自身は、それを守れるだろうか」という
疑いが出てくることで、「私」を組み込んだ考えは、ある種の弱さを持つかもしれない。
しかし、その弱さを含みこんで、その弱さをどうとらえていくのかという
もうひとつ問題を増やすことこそが、考えるということだと、ぼくは思う。
―――『ダーリンコラム』より
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