晴れたり曇ったり

夫のステージⅣ 切除不能進行食道癌の闘病記録と旅立ちからの日々

どうか・・旦那を家に連れていかせて

2017年03月22日 | 食道癌と診断されてから11ヶ月目の経緯
昨夜は、午前1時には、ベットに入ったのに3時にトイレに起きて
再び眠りにつくと、うとうとと夢ばかり見て結局5時に起きてしまい
家に帰りたいと泣いた旦那のことを思い出してしまって、布団の中で大声出して泣きまくりました。

もう目がパンパンに腫れてどうにもならないので起きて顔を洗い
折角早起きしたのだから、ご飯を炊いてお弁当でも作ろう!と思い立ち
やわらかめに炊いたご飯で旦那の好きな「おかかおにぎり」を小さくして3個にぎり
肉詰めピーマンやクリームコロッケなんかを詰めて早めに病院へ行った。

病室に入ると旦那は、眠っているのに私の足音で目を開ける。
「今日は早く目が覚めちゃったからおにぎり弁当作ってきたよ」と言うと
「おにぎりか~ふ~ん・・」と気乗りしない様子。

「明日で点滴外すから」といきなり言い出す旦那。
「えっ?先生と話したの?」
「いいや、もう先生と話しても意見が食い違うから」と旦那が勝手にそうすると決めたらしい。

病室に入る前、ナースステーションにK先生が居たのを思い出し
話をしてみようとナースステーションに行くとK先生は回診中で今日の担当看護師さんに話してみた。

昨日の一件を看護師さんも知っていて、K先生とも話していたところだということだった。
間もなくK先生が戻ってきたので話をした。

先生の気持ちとしては「いつ何が起きてもおかしくない状況であることに変わりなく
ただ、薬の効果で、このところかなり元気になっているので
何とか無理をしてでも家に帰るとすれば、今しかないかな、とも思う」と言い
「奥さんの気持ちは、どうでしょう」と聞かれた。

私は「今まで抗がん剤や放射線治療を続けて入退院を繰り返し、呼吸がどんなに苦しくなっても
泣き言を言わないできた旦那が昨日、帰りたいと初めて涙を流したのを見て
できることなら、もしも叶うなら・・一時的にでも家に連れてってあげられたらと思います」と泣きながら告げた。

後ろで話を聞いていた看護師さんは「いきなり退院とかじゃなく、段階踏んで、まず外出で大丈夫かどうかやってみてはどうでしょう。
日にちに合わせて訪問看護師を依頼しておくなり、介護タクシーを使えばお家のベットまで運んでくれるし
とりあえず外出ならベットまで運んでもらって、またベットから運んでもらって帰ってくる感じでいけそうですよね」と言ってくれた。

それを聞いたK先生も「酸素ボンベを持ちながら運ぶとなると厳しくなるから、酸素を外してどれぐらい下がるか様子見て
大丈夫のようなら酸素を外しての外出でやってみますか」という話になった。

「緊急で戻ることも考慮して外出は、平日がいいということで24日の金曜か週明け27日月曜かな~」と先生が言うので
私は「遅くなればなるほど体調がどうなるかわからなくなるので、帰ることができるなら早いほうがいいです」と言った。

看護師さんは「それじゃすぐに訪問看護の手配や外出に向けて酸素を外して車椅子に乗ってみて様子をみましょうね」と言ってくださった。

病室に戻り旦那に「家に帰るにも少しづつ段階踏んでまずは、外出からって話になったよ。酸素外して様子も見るんだって」と言うも
眠そうに目を開けたり閉じたりで食欲もない旦那。
ちょっと今日は、だるそうで37.7度と微熱もあり、車椅子は止めてベットの上で酸素だけ外して様子を見た。

看護師さんが酸素濃度を見に来て「意外と下がってないね~じゃついでにパジャマの着替えもしちゃって
動いてみてどうかも見てみましょうね」と着替えを始めた。
身体を起こしたり、横にしたりと動かしても酸素濃度は90%前後から下がらない。

「このまま順調に行けば明後日は、外出して家へ帰れるよ~」と言っても反応が薄い旦那。
まさか段取りしたのに体調不良で・・なんて頭をよぎる。

旦那はうわごとのように「K先生には本当に良くしてもらって感謝してる・・」と言い
「そんなK先生に悪態ついて反省してるのかい?」と私が聞くと
「うん・・」と旦那は、目に涙を浮かべた。

家の中も通りやすいように片付けておかないとならないし
バスタオルなんかの洗濯物もあったし
旦那は、ひたすら眠いと言って寝ているので「早目に帰って外出の準備するね~」と病室を出た。

話がとんとん拍子に進みすぎて怖いくらい。
そして一番は、旦那の体調・・

どうか・・どうか・・
神様、最後のお願いです。
旦那が少しでも元気なうちに
ほんの短い時間でもいいから家に連れていかせて下さい・・・