晴れたり曇ったり

夫のステージⅣ 切除不能進行食道癌の闘病記録と旅立ちからの日々

呼吸苦と吸引・・そして眠るお薬

2017年04月30日 | 食道癌と診断されてから12ヶ月目の経緯
旦那の容態が悪化して義父や旦那の次男夫婦が見舞いに来て帰ったあと
個室の椅子は、倒せば簡易ベットのようになるのでそこで寝ようと思っていたら
看護師さんが毛布や枕を持ってきてくれた。

旦那は、なかなか酸素濃度が上がらず70%を切るところまで下がり
絡んでいる痰を吸引すると少しは、改善されるという看護師さんは旦那に
「ごめんね~痰を少し取ろうね」と言って吸引をする。

呼吸苦と吸引で苦しがる旦那。
鼻から管を入れるので鼻血が出る。
少しは取れたようで一時は、数値も上がるがまだ完全に痰は取りきれていないまま喉はゴロゴロしている。

夜中も酸素濃度が下がると看護師さんが何度も病室に来て様子を見る。
苦しそうに息をしながらも自力で痰を出そうと頑張る旦那。
下がっていく酸素濃度の数値を見てやっぱりもう一回吸引しようかと言う看護師さんに嫌だと首を振る旦那。
「うーん・・吸引嫌だよね・・もう少し様子見ようか」と言い病室を出ていく。

再び、看護師さんが病室に来て「やっぱり上がらないから吸引しましょう」ともう一人看護師さんを連れてきて
私は、ラウンジで待っていて下さいと部屋から出される。

二人がかりで何とか吸引かけて痰を取ったが全部は取り切れない。
が、少し呼吸も楽になったのか酸素濃度は安定し始めた。
旦那も疲れたのか寝ると言うので私も椅子で横になる。

2時間ほど眠ると深夜に交代した看護師さんが心配そうに部屋に来て旦那の様子を見ている。
旦那も苦しそうに手足を動かすのを見て「吸引しますね」と言う。
さすがに息苦しいのか旦那も嫌だと言わず3度目の吸引をする。
血痰なのか鼻血なのかわからない血が管を通る。

そのあとは、しばらく眠ることができたが朝6時頃になって再び酸素濃度が低下し
看護師さんがバタバタと出入りを始める。
「咳をして痰を少し上に出せたら口の中から浅いところだけ吸引かけるから頑張ってみて~」と旦那に声を掛け
旦那は必死に咳払いをして口の中を吸引してもらう。

結局また8時頃には、吸引しないとだめだということになり吸引。
涙目になりながら苦しがる旦那。
息苦しさだけでも辛いところに吸引・・見てられない。

あんまり続けてやると疲れちゃうので少し休みましょうね。と言い4度目の吸引を終える。

朝9時頃になると旦那は息苦しさで声も出せなくなる。
身体を擦っていると両足に紫色の斑点ができている。
おそらくチアノーゼ。
そして5度目の吸引をするが思うように痰は取り切れない。

苦しそうに呼吸する旦那を見かねてナースステーションに行き今日は、祭日で病院休みだからK先生は来ないのかと
昼間担当の看護師さんに尋ねると救急当番になっているからもう少しで来るというので
足に出ているチアノーゼのことを話し、先生に診察してもらって相談としたいと告げる。

友人のFも心配して病院に駆けつけてくれて旦那の様子を見て
「だいぶ苦しそうだね・・先生まだ来ないの?」とFも気をもむ。

11時近くになってK先生が病室にやってきて旦那に声を掛ける。
「息が苦しい?」と聞くと苦しそうに頷く旦那。
「どこか他に痛むところはある?」と聞くと首を横に振る旦那。
旦那の身体をあちこち触りながら足を見て「うーん・・」としばらく考えて
「息苦しいね・・少し眠るお薬使うよ?いいかな?」K先生が聞くと旦那は、頷く。
薬の指示を看護師さんにしてK先生は病室を出て行く。

私は、苦しそうに息をする旦那に話しかける。
これが旦那と話す最後かも知れないと思うと涙が止まらない。
涙声になりながら「眠るお薬使ったらもう苦しくなくなるし、痛い吸引しなくていいね」
旦那は、苦しいながら必死に目を開けて私の顔に手を伸ばす。
が・・伸ばした手を支えていられず、声も出せない。
私は、ずっと旦那の手を握って泣いた。

30分程して看護師さんが点滴台に大きい注射器が横になって付いている装置を着けた。
その注射器から薬(ミダゾラム)を1時間単位で徐々に注入するようになっていた。
意識状態や呼吸苦の状態を見ながら薬を調整していくらしい。

注入が始まって間もなく旦那の呼吸が静かになって目は別のところを見ているようになって閉じた。
先生が来て「私の声聞こえるかい?」と声を掛けるとうっすらと目を開けて小さく一度だけ頷いた。

これで父さんは、もう苦しい思いをしなくて済むんだと思う反面
こんな状態になってまで生きたくないと言っているような
苦しくても感情を伝えられるままで死にたかったと思っているような
そんな気がして心が痛んだ・・

薬を使ったあとの旦那は、2時間ほど静かに眠っていたが
そのうち手を動かして酸素マスクを必死に外そうとしたり、首を振る。

酸素濃度の数値は、90以上になっているのでそれほど息苦しいはずもない・・。
原因を考えてみると酸素を最大まで出しているマスクからはシューシューと音がして強い風が出ている。
口の中も唇も乾燥して酸素マスクをしている周りは、ひんやりしていた。

看護師さんに言うともう安定してきているから酸素送るのも様子見ながら下げていくねと少し下げてくれた。
少し旦那も暴れなくなった。

夕方になって旦那の次男夫婦が来たので薬を使った経緯と状態を説明して
酸素マスクを時々外そうとするので気を付けるように言って
私は親子の時間を持ってもらおうと思い病室を出て夜食べる物などを買いに出かけた。

ちょうど病室を出ようとした時、旦那が動いてマスクを外した。
次男は「とうさん、マスク外れたら苦しくなるからしてないとだめなんだって・・」と言いながら
おそるおそるマスクに手を掛けて旦那の口元に持っていくのが見えた。

思わず微笑んでしまう光景だった。
息子が心配して今日も来てくれて・・父さんよかったね。
心の中でそう呟きながらエレベーターに乗った途端、涙がこぼれた。

今日はずっといてくれな・・

2017年04月30日 | 食道癌と診断されてから12ヶ月目の経緯
28日の朝、ブログを更新しようと書いていたらJ病院から電話が来た。

旦那が朝方、39度近い熱を出し、今は熱も微熱まで下がり落ち着いたが
酸素濃度が上がらず呼吸が荒い状態が続いているので早目に病院に来れますか?というものだった。

すぐにタクシーを呼び病院へ着くと息苦しそうに寝ている旦那。
昨日、病院を出る時にはいつものように笑って手を振っていた旦那が
声を掛けると私のほうを向いて目を開けたが話は出来ずにすぐ目を閉じた。

担当の看護師さんが抗生剤を打ったので効いてくると少し安定するだろうと状況を説明してくれた。
酸素濃度が下がり鼻からの管では、追いつかないので酸素マスクに変わったこと。
心電図や血圧測定器を付けたこと。

夕方になって主治医のK先生から面談の呼び出し。
丁度、義父が様子を見に来ていたので一緒に話を聞きにいくことにした。

肺のレントゲンを見せながら初めて話を聞く義父の為に改めて説明してくれた。
転移した癌の数と肺気腫、ステロイド投与により感染症を起こしやすくなっていること。
恐らく今回も肺炎を起こしての熱だと思われること。

今までも何度か乗り切ってきているので抗生剤で持ち直すかもしれないが
厳しいようであれば、薬で意識を飛ばし眠らせて呼吸苦を取り除くことしか方法が無く
薬を使うタイミングは、奥さんと相談して決めましょうという話だった。

現段階で苦しいのは、痛みよりも呼吸苦だろうということ。

午後になって息苦しいながらも少し話せるくらいになったが
長い言葉を話すと呼吸が苦しくなって続かない。
痰がずっと絡んで喉の奥からゴロゴロと音がする。

私が顔を覗きこむと聞き取りにくい声で
「今日はずっといてくれな・・」と私に言った。
「うんうん、ずっといるよ」そう言って手を握ると旦那の手は握り返してきた。

駆けつけた義父が心配そうに見ていると私や義父に向かって
「まだ逝けないからな」「たくさん話さなきゃならん奴居るしな」と途切れ途切れに言う。
「誰にまだ話あるの?」と聞くと「息子とかさ・・」と言う。

「それなら入院してること知らせておかないと、また今朝みたいに高熱出て具合悪くなったら話せなくなるしね」と言い
義父や旦那の居る前で旦那の次男に電話をしたが留守電だったのでメッセージだけ残した。
18時過ぎて次男から電話があり義父も電話に出て「来れるんだな?待ってるよ」と電話を切った。

次男から20時頃、自宅のほうへ行ったがチャイム鳴らしても誰も出ないと電話が来た。
なんと!?慌てて電話してるものだから病院に居ること言ってなかったと謝り
面会時間も過ぎたけど入れるように看護師さんが警備室に連絡を入れてくれて
21時近くにお嫁さんと二人で病室に来た。

途切れ途切れながらも必死に話そうとする旦那の手を次男がずっと握っていた。
目には、うっすらと涙も浮かんでいた。
3/6から入院していることや、昨日まではステロイド剤の効果で安定していたことなど
私から今までの経過を説明してるうち私は涙が止まらなくなる。

連絡するのを迷っていたけど、まだ息子に話さないとならないこともあると言ったので
思い切って連絡したことなど私の気持ちを正直に話した。
私は、憎たらしい病気だけど、この病気のお陰でずっと連絡できなかった旦那も20年ぶりに息子に会えたことをとても喜んでいたと教えた。

次男は、長男の結婚式の写メなど旦那に見せながら
休みなので明日も来ると言って帰って行った。


そろそろ泊り込んだほうがいいのかな

2017年04月24日 | 食道癌と診断されてから12ヶ月目の経緯
ここ数日気温も低く雨が降ったりだったのが今日は快晴。

旦那の状態は、咳や痰が多く、血痰が出たりしてますが比較的元気で
食欲もあり、食べたい物を言うようになっています。
せっかく食欲があるのに詰まることを考えると食べさせられない物ばかりが辛いですね。

前回の面談後、心配して話しかけてくれた看護師さんが
「K先生は血液検査の結果見て今週いっぱい持つかどうか・・って言ってたけど元気だもんね」と言う。
「そうだったんだ~?どおりで土曜日休みなのに回診に来てたのはそのせいか~」と言うと
「たぶんね~」と看護師さんは笑う。

容態を気にして休みなのに様子を見にきて下さる主治医。
そんなに心配してもらって父さんは幸せ者だね。

よくコメント頂くと良いお医者様に恵まれてよかったですねと言われますが
ほんとにその通りだなとしみじみ思います。

看護師さんの話では、酸素も数日前から2にあげているということ。
動くと酸素濃度が一気に下がるのでシーツ交換の時など今までは、車椅子に一旦移動してたものも
移動させないまま交換していると言っていた。

元気に見えるのに・・それ程状況は、悪いんだ・・
状態が悪くなったら泊まり込むつもりでいたけど
急変してそのまま・・ってことを覚悟しないとだめそうだ・・と思った。

昨日は、病状を心配して2・3日おきに連絡をくれている友人のFが病院まで送るからお茶でも飲んでいこうと電話が来た。
Fの父親が亡くなる前日まで苦しい様子も無くいつものように「父さん明日また来るね」と帰った翌日の朝、急変したそうだ。
苦しんでいると早く楽にしてあげたいとか、これでもう苦しくないね、痛くないねって思えるけど
元気なまま亡くなると本人には、良いことだけど、家族には最後を看取れないし辛いよねと言って私のことを心配してくれた。

少し早めに泊まり込んだほうがいいのかな・・

何度かスマホでユーチューブから旦那の好きそうな歌を流していると
昨日は、自分から何か聞きたいなと言います。
「どんなのがいいの?」と聞くと「桑田とかいいな~」と言うので
早速、桑田佳祐オンステージスタート!

聞きながら指でリズムを取り、その歌が流行ってた頃にあったことをあれこれ話した。
そのうち私は、ウトウトと椅子で居眠り。
気が付くと旦那も寝ていた。

寝ている間に帰ろうと思ったがこれが最後になるかもしれないと思うと
起こすと可哀そうだけど声を掛けた。
「帰るからね~明日また来るよ~おやすみ~」

旦那は、目を開けずに「おやすみ~」と言った。

あと何回言えるかわからない「おやすみ」

考えたくない・・
時間よ・・止まれ・・

北朝鮮からの攻撃で二人一緒に死ぬのもいいな・・なんて
ニュースを見ながらぼんやり考えた・・


血液検査の結果

2017年04月18日 | 食道癌と診断されてから12ヶ月目の経緯
私は、すっかり風邪引いてしまったらしく、微熱や喉の痛みに咳と胃が再び痛くなりました。

市販の風邪薬を飲んだり色々頑張ってみましたが月曜には結局K先生の診察を受け
下痢のあと一度も便が出てないことを話すと胃痛は、腸の動きが悪くなっているせいじゃないかということになって
腸の動きを良くする薬と下剤と風邪薬を処方してもらい便も出て胃痛も無くなりました。

旦那のほうは、日増しに痰が絡む頻度が増えて咳もしています。
看護師さんから部屋の臭いのことを言われたけど鼻が詰まっているせいか私は気が付かなかった。

K先生からお話があると面談室に呼ばれ今日の血液検査の結果を伝えられる。
毎回、採血の度、全体的に数値は徐々に悪くなっていたけれど今回は、かなり悪いという話。

色々、数値を見せられて説明を受けたが頭に入らない・・。

先週辺りから痰が絡んでいることや臭いのことを考えると肺炎を起こしてる可能性が高い。
血小板の数値もかなり下がっているので出血を起こしやすくなるということ。
ステロイド剤が効いていて元気そうに見えるが状態は、かなり悪いと言われた。

昨日の私の診察時に旦那の話になり、今月いっぱいか来月までもつかどうか・・と言われていたのが
今日の検査結果では、それも厳しいほど悪いということだった。

要するに骨髄へ癌が入り込んでいるか
感染症を起こしてるかのどちらかで、この検査結果だということと
抗生剤を3日間投与するという話だった。

面談室を出ると看護師さんが心配して
「何かあったらすぐ連絡するからね。心配だったら泊り込んでもいいからね」
「明日はお風呂の日だから少しくらい熱があっても絶対入れるからね」と言ってくれた。
面談の間こらえていた涙が一気に溢れ出す。

身体は、もうガイコツが人の皮をつけているようにガリガリに痩せて
どこもかしこもシワシワで
指が長くて大きかった手も、指の長さだけ異様に目立つ。

それでもまだ顔は、痩せたわりにそれほどシワも無くいたのに
この数日で頬の下にたくさんシワが出来て髭を剃るのも大変になってきていた。

皮肉にも抗がん剤(ドセタキセル)の副作用で抜けた髪の毛は、だいぶ生えてきている。
爪もドス黒かったのが徐々にピンク色のが伸びてきている。
あのまま続けていたら、爪は全部剥がれていただろうと思えるほど指先の爪の間は盛り上がっている。
今更・・とわかっていても何の効果も無かったのに副作用だけは強力だったドセタキセルのバカ。


旦那は、また家に帰りたそうに
「このままここに居ても何もすることないし家に帰ってもいいのにな~」
「でもまた来る時はタクシー使わないとならないからお金かかるんだよな~」なんて言うので
「家に帰ってもすぐまた、早く病院に戻って寝たいって言うんじゃないだろうね」
「介護タクシー1回頼むと8000円位かかるんだからね~」とさりげなく釘を刺す。

少しでも粒や固形物が残るようなものは、食べさせられないので
飲み物かアイスクリームくらいしか食べていない。

昨日は、ハーゲンダッツのアイスを美味しいと言って1個ペロリと食べた旦那。
今日は、ソフトクリームを買って行ったら
「さすがに値段の違いだけあるな~ハーゲンダッツのほうが大差で美味い」と言う。

「明日の昼は、ソバが食べたいな~」と言う。
「また詰まるよ~」と言うと
「詰まったら食べるのやめる」と言う。

最近は、アイスが食べたいとか梨が一番美味しかったからまた食べたいとか
K先生の言うような深刻な状況とは裏腹に食欲が出てきているのか食べたい物を言うようになってきた。

ソバ・・持って行こうか悩む・・。

食べたいという物を食べさせたいが詰まって食べるの止めても
詰まったものを吐くか通ってくれるまで苦しいわけで・・見てるほうも辛い。
こんなことを考えて頭を悩ませるのもあとわずかなんだなと思えば何とかしてやりたい。

汁だけでも・・いやいや・・麺をすすりたいんだろうし・・
なんとかならないものか・・。

そんなことを考えながら病室の椅子でウトウト眠ってしまい
気が付くと旦那も眠っていたので「明日また来るね。おやすみ~」と小さく声を掛けると片目を開けて手を振る旦那。



トイレのはしご

2017年04月12日 | 食道癌と診断されてから12ヶ月目の経緯
本州では、桜が見ごろだというのに今日の札幌は、雪がチラつく寒さでした。

旦那の状態は、微熱や眠る時間が増えたり過去や妄想は変わらずあるけど
高い熱が出たり、呼吸苦など苦しい様子は無く
ここ数日、痰がよく絡むようで時々、喉の奥からゴロゴロと聞こえてきますが比較的安定しているようです。

今日は、寒い中友人がお見舞いに来てくれて、ちょうど入れ違いになり
エレベーターで私と遭遇して、病状なんかを話しました。

料理人さんなので何か食べれそうなものがあったら何でも作ってくるから連絡してねと
お店と携帯番号を書いたメモを病室に置いてきたと告げられ
1Fの廊下で人目もはばからず泣いてしまった。

一昨日は、銭湯仲間の一人が見舞いに来てくれた。
嬉しそうに話をするが時々、妄想が出てくるので
小声で「薬の副作用らしくて混乱してるんだわ」というと「なるほど・・」と納得していた。

今朝8時頃玄関チャイムが鳴るので、こんなに朝早く誰だろうと出てみると隣に住むおばさんだった。
「旦那さんの様子どうだい?ずっと留守みたいだったから病院に泊まり込みしてるのかと思ってたわ」
「ちゃんとご飯食べてるかい?」と心配して様子を見に来てくれたらしい。

アパート前の雪かきで、よく顔を合わせていたので
旦那の病気のことや入院したこと、雪かきが出来ないことを話してあった。

まだ引っ越して4ヶ月ほどで大した付き合いも無いのにありがたいことです。

朝から頭痛がして鎮痛剤を飲んで遅めのバスで病院へ向かいながら
何となく喉の辺りがイガイガするので風邪っぽいのかな~と思い病室へは、マスク装着で!

面会時間が終わる頃、お腹がゴロゴロしだした。
病室のトイレでピーゴロゴロ・・

帰りのバスに乗る為、駅前のビックカメラへ向かうが
途中、再びお腹が痛くてトイレに駆け込む。
何とかトイレから出るものの、まだお腹が痛む。
トイレのはしごをしながらバス時間まで待っていたけど寒気と脱力感でフラフラになる。

これは・・風邪のせいなのか?と思いながら
バスに30分間乗ってる間、お腹が痛くなったらどうしよう・・と考える。
途中でもバスを降りる?
いやいや・・降りたもののトイレが近くになかったら?

お腹が落ち着くまでここらへんに居て、最悪次のバスにしようか・・?
それとも降りてから歩く距離が長いけど乗ってる時間が短いJRにしようか?
そんなことを悩んでる間もトイレに駆け込み。

こんなに酷い下痢になるのは久しぶり・・一瞬、インフル?と思った。
あ~もうタクシーで帰ろうと決めて乗り場へフラフラしながら向かう。
途中でタクシーを止めてトイレに行けるよう運転手さんには、お腹の調子が悪いことを先に告げた。

運転手さんも出来るだけ急いで行きますねと言ってくれ
途中でトイレを探すことも無く、12・3分で家の前に着いて
またしても家に入るなりトイレに駆け込み。
それが最後で下痢は、何とか治まった。

ご飯も旦那用に小分け冷凍しておいたお粥を食べて
脱水症にならないよう水分を取りながら風邪薬も飲んでおいたからもう大丈夫かな。

いや~駅付近でトイレのはしごをするとは思わなかったわ~。

トイレ待ちしてた人、長くトイレから出れずに申し訳なかったです。
この場を借りてお詫び致しますm(_ _)m