若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

自称・弱者の代弁者 vs 当事者 ~浅い左翼の性産業廃止論と搾取の話~

2020年09月29日 | 政治
「性産業に関わったらダメだよ~」と説教する気持ち悪いおじさんを、逆に叱る女の子。



どうもこんばんは、若年寄です。
今回は、AMEBAの番組のまとめ記事

性産業は廃止すべき?給付金対象外は職業差別? 賛成派と反対派、紗倉まなが激論(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

を読んでの感想です。

【論点整理】

まず、このタイトルからも分かるかと思いますが、この番組での議論には論点が少なくとも2つは有ります。

1.性産業を廃止すべきか否か?
2.性風俗店も持続化給付金の支給対象にすべきか否か?


です。
論点の組合せとしては、


1.性産業を廃止する必要はない。
2.性風俗店も持続化給付金の支給対象とすべき。


1.性産業を廃止する必要はない。
2.性風俗店は持続化給付金の支給対象とすべきでない。


1.性産業を廃止すべき。
2.廃止すべき業種を持続化給付金の支給対象とすべきでない。

( ④
1.性産業を廃止すべき。
2.現在存在する業種なので持続化給付金を支給すべき。

 も考えられるのですが、この論者は居なかったように思われるので除外 )

記事冒頭で
まさにコロナ禍が浮き彫りにした職業差別であると思う。国民感情みたいな非常に曖昧な理由で差別をしてよいのかということに、しっかりと司法は向き合って答えを出すべきだと思う
と主張する、訴訟を起こしたデリヘル経営者の代理人弁護士・亀石倫子氏や、番組に出演したSWASH代表の要氏は、①の論者に位置付けられます。

他方、ひろゆき氏は
性風俗産業自体は“ご自由にやってください”と思う
と述べつつ、新型コロナ感染症対策の観点から
“肉体的接触をすることが商売だ”というビジネスを持続化するために税金を払うのはどうかと思っている。性風俗では必ず接触が伴うわけで、それに国がお金を払って続けてもらうのはおかしいのではないか
と述べており、②の論者であることが分かります。

藤田孝典氏は、言うまでもなく、
性暴力、性搾取を蔓延させている産業が調子に乗って、休業補償しろ、とか恥を知れ
性産業はなくなった方がいい、という認識の広がりが大事
というガチガチの③論者。

私は、①に近い考え方を持っています。
以下、①の立場からまずは②を眺め、③を批判的に見ていきます。
そして最後は、途中で登場する「搾取」の論点についても見ていきましょう。

【性風俗店も持続化給付金の支給対象にすべきか否か?】

②の論者であるひろゆき氏のコメントから、給付金の対象とすべきか、外すべきかを見てみましょう。

今回のコロナに関していうと“肉体的接触をすることが商売だ”というビジネスを持続化するために税金を払うのはどうかと思っている。性風俗では必ず接触が伴うわけで、それに国がお金を払って続けてもらうのはおかしいのではないか。コロナが収まった後で栄えるのはいいと思うが、コロナの最中は止めた方がいいと思う
業種として、体液の交換がある業種はやはり感染リスクが高いので、現時点では国として進めるべき産業とは思っていない

新型コロナウイルス感染症に関して出てきた給付金を、感染リスクの高い業種に交付するのは止めよう、という②論者の主張。

これは一見正しそうですが、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。

肉体的接触を伴う業種は、性風俗に限りません。理容師・美容師もそうですし、鍼灸・按摩・マッサージ店などもそうでしょう。また、肉体的接触だけでなく排泄物処理も行う介護職もいます。利用者客との接触を伴う業種は多数存在します。こうした業種が給付対象となっている中、性風俗産業を除外するのは、本当にリスクの度合いを判断しただけと言えるでしょうか。そこに職業蔑視が入っていないでしょうか。接触を伴う感染リスクの高い業種を給付金対象から外すべきという主張に従うならば、性産業のみならず多くの業種が除外されるはずです。売り上げの減少に加え、感染症対策で他業種以上に神経を使い経費も使ったであろう、という点ではいずれも共通しています。

もし仮に、最初から
「業種Aを対象としたA業持続化給付金」
という制度であったならば、
「A業でない性風俗産業は対象外ですよ」
という対応は適切だったと思います。

しかし実際には、
基本的に全ての業種が対象です。ただ、国・地方公共団体、政治団体、宗教団体、性風俗産業は対象外
という運営基準になっています。税法の関係を見たとき、実質的には性風俗産業だけを除外したものと言っていいでしょう。他業種と分けた基準は何なのか、感染するリスクと感染した際のリスクを考慮した上で設定した基準なのか、訴訟において政府当局担当者がどのように説明するのか見ものです。

以上、②論者に対する反論、疑問でした。
次に、③論者、すなわち性産業廃止論者の主張を見ていきましょう。

【性産業を廃止すべきか否か?】

ここからがメインです。

③論者である藤田氏は、廃止すべき理由として、
女性の弱い立場の性を利用しながら、公序良俗に違反するような形で経営がされてきているので、そこに公金を支給するというのは、社会的にその産業を認めることに繋がってしまうのでやめていただきたいと思う。そもそも性は売ってはいけない
と述べています。
そもそも論として、
「女性は弱い」
「性を売ってはいけない」
という藤田氏の好悪が先行しています。藤田氏のパターナリスティックなおじさん感情に照らして女性全般を一括りに保護の対象とし、藤田氏の正義感に合致しない業種を否定する、という流れになっています。

藤田氏の頭の中には
「女性は弱者であり、主体的に職業選択できず、性産業に従事する人はやむにやまれずそこで働いているのだ」
という固定観念があります。藤田氏は、社会福祉士の業務を通して接した中から、
性暴力、中には年齢を隠して児童が性風俗店で働いているというケースもある。知的障害、精神障害でやむにやまれずそこで働いていて、なかなか自分で判断がつかない方もいる
という、自己のストーリーに合致する事例をピックアップして紹介しています。

通常なら、これで押し通すことができるのでしょう。
弱者である当事者の声を代弁するスタイルで自説を補強する、というのが藤田氏の手法です。

ところが、スタジオにいるのは、主体的に性産業で働く当事者、紗倉まな氏。紗倉氏は、次のようにツッコミます。
藤田さんが仰っている扱われ方が不当だとか劣悪な環境という話は、一部のケースではないか。一部が法を犯しているからといって、全ての性風俗産業に当てはまるわけではないと思う
潰すか潰さないかと言われるとすごく極論だし、暴論だなと思う。例えば職業適性として、自分が主体的にやりたいと思って、自らの意思で選択して入っていく人たちもいると思う。少ない時間で効率よくお金を稼ぎたいとか、目標のためにお金を稼ぎたいとか、多様な意思で働いている方がいらっしゃる中で、なぜ潰すという結論に至らなくてはいけないのか。無理やりやらされている方がいるのであれば、もちろんそういった環境は是正されるべきだと思う。しかし、私のような主体的に働いている人間と無理やりやらされている人間の割合もわからない中で、負の側面だけを誇張して潰すという風に結び付けられることに違和感がある

もう、この議論は終了したようなものです。紗倉氏の完封勝ちです。
「自称・弱者の代弁者」と「当事者」とでは説得力が違いますし、述べている内容も雲泥の差。
藤田氏の主張は、個別に支援や保護を必要とするケースが存在する事を示しているのみで、業種全体を廃止する理由にはなりません。その業種に主体的に、任意に参入している人が一人でも居る限り、その活動を妨げる根拠たり得ません。

藤田氏はこれに対し尚も食い下がり、
社会保障や社会福祉の制度をきちんと充実させて、『本当に選んでいるんだ』と言えるような環境を作らないといけないと思っている。大学生が『授業料のために行かざるを得ない』、シングルマザーのお母さんが『子供を育てるためにセックスを売らないといけない』というような証言ばかりだ
と、「主体的に選んでいる人はいない」という印象操作を試みるものの、主体的に選んでいる人が反証として目の前にいるわけです。藤田氏は、この番組ではいつもの手法が通用しないというのを事前に勉強してくるべきでした。

【主体的な職業選択を妨げる社会福祉士】

ありとあらゆる業種において、
「自分に向いていると思って、好きでこの仕事を選んだ」
という人と、
「その時の人間関係や経済状況では、この仕事しか選びようがなかった」
という人とが存在します。
この中間的な
「いくつかの職業候補がある中で、この仕事が収入面や内容、強度の面で割が良かった」
「遊ぶ金が欲しくて、遊びにいく時間帯と仕事の時間帯とがちょうど良い」
という人もいて、それぞれの要素がグラデーションの濃淡を構成しています。

絶対的貧困の中で生きるためにやむを得ずその仕事を選ぶしかなかったという人に対して、社会福祉士が公営・民間の支援サービスに繋ぐのは良いことだと思います。また、借金の質として親に売られた人、暴力で連れ去られてその仕事に従事させられた人のケースについて、警察が介入し保護するのは有りだと思います。
こうした、貧困や暴力によって強いられる事例は、性産業に限ったものではありません。個別事例に対し支援や保護をするのは結構ですが、業種そのものを廃止する理由にはなりません。絶対的貧困の中で生きる人への支援や暴力で強制された人の保護と、その業種を主体的に選んだ人の職業選択を尊重することとは、矛盾せず両立します。「支援や保護を要する労働者が居るから、その業種を廃止すべきだ」という主張は、全ての業種にブーメランとして飛んでくる可能性がある危うい意見です。

藤田氏が、児童やシングルマザー、障害のある人から支援を求められた事は、その人達を支援する理由にはなりますが、しかし、目の前にいる、主体的に職業を選んでいる紗倉氏の仕事を廃止しろと主張する理由にはなりません。
社会福祉士が性産業従事者から「風俗を強要されている、辞めて生活保護を受けたい」と相談を受けたら、その相談に応じたら良いでしょう。しかし、社会福祉士が性産業従事者から「仕事は問題ないが、子供の預け先を悩んでいる」と相談を受けた時に、保育園やベビーシッターの利用方法を教えることなく「性産業は廃止されるべきです。風俗の仕事を辞めて生活保護を受けなさい」と指導するのは大きなお世話であり、その人の主体性や尊厳を踏みにじる高圧的・強権的・パターナリズム的な行為です。

①論者の要氏が
藤田さんはネガティブな事情を背景に働く人たちが多いということをもって、風俗が無くなるべきということをよく言われるが、風俗に限らず一般的な仕事でも『本当はやりたくないけど生活のために』という事情でやっている人は多い。だからといってその産業は否定されないし、廃止論は出てこない。ネガティブな理由でやっている、仕事を選んでいるというのは別におかしい話ではない
と述べているとおりです。
結局のところ、最初に戻るのですが、藤田氏の性産業廃止論の根拠としては、
そもそも性は売ってはいけない
という藤田氏の価値観、嫌悪感、偏見に過ぎません。

私は仕事柄、社会福祉士に接する機会が結構あるのですが、個別の支援ケースを検討している中で嫌悪感剥き出しに「あなたが就いている仕事はまともな仕事じゃありません。調子に乗るな、恥を知れ」なんて言い出す社会福祉士が居たら、その場から追い出しますね。
藤田氏が、社会福祉士の肩書を付けて公の場でこうした発言を発信し続けることで、
「社会福祉士ってこんな偏見を持つ人ばかりなの?相談して大丈夫なの?」
と思う人が増えてしまうのではないでしょうか。

もし、紗倉氏やその他の性産業従事者が、
「仕事の面で困ったことがあります」
と相談に来たのであれば、社会福祉士として藤田氏が応じればよいでしょう。しかし、
「私は自分の意思で仕事をやっています」
という成人に対し、その職業を否定するということは大きなお世話であり、それを公言して回るのは営業妨害であり、ひいては社会福祉士に対する信用失墜行為です。

【搾取?】

最後に、性産業従事者は搾取されている(だから性産業は廃止すべきだ)という流れで、「搾取」の論点が生じます。

性産業は廃止すべき?給付金対象外は職業差別? 賛成派と反対派、紗倉まなが激論(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
要氏の「他の労働も搾取があるのは一緒ではないか」との指摘には、「本人がやりたくないけどお金のためにやっているという状況は、お金がない人の状況を利用してやりたくないことをやらせているので、僕は搾取だと思う」と述べた。
======【引用ここまで】======

労働者が搾取されているのは、性産業だけなのでしょうか。
労働者が搾取されていることが、業種を廃止する理由になるのでしょうか。

いや待てよ。そもそも、搾取とはどういう状態なのでしょうか。
これについて、紗倉氏のコメントがこちら。
搾取というのは、主体と客体を曖昧にする安易なマジックワードだと思う部分がある。一般的に第三者から見て搾取だと思っても、本人が搾取だと思わない限り搾取ではない

搾取」を「安易なマジックワード」と指摘する紗倉氏は鋭いと思います。

これに対し藤田氏は場外戦で

藤田孝典さんのツイート
======【引用ここから】======
セックスワークに限らず、賃労働全般が資本による労働搾取。
搾取とは「階級社会において、生産手段の所有者が、直接生産者からその労働の成果を取得すること」(広辞苑2018)
性労働も例外なく、性風俗事業者の搾取対象。
「本人が搾取だと思わない限り搾取ではない」は根本的に誤り。

======【引用ここまで】======


セックスワークに限らず、賃労働全般が資本による労働搾取
と述べ、反論した・・・つもりになっていますが、これは完全に墓穴を掘っています。

性産業廃止論者である藤田氏は、その廃止すべき根拠として性産業における搾取を挙げていました。ところが、紗倉氏の指摘に狼狽したのか、ろくに考えず反射的に「賃労働全般が搾取なんだ」と述べてしまったのです。しかも、本人が搾取と思っているかどうかは関係ないんだ、というおまけ付き。

さぁ大変。
自発的に契約を締結して賃金を受け取り労働力を提供する労働者の従事する産業全般が、廃業すべきということになります。

藤田氏の主張は根本から間違っています。指摘を受けてもまともな反論ができず、ごまかしと嘘を重ねることに。

藤田孝典さんのツイート
======【引用ここから】======
廃業、廃止を促すのは性風俗産業だけではないですよ。
過去には人材派遣業、外国人技能実習制度、劣悪な無料低額宿泊所、個別にはワタミ、電通、以前のZOZOなどにも、改善不可能なら廃業すべきでは、と意見表明してきました。

======【引用ここまで】======


搾取を理由に業種そのものの廃止を主張し、賃労働全般を搾取と位置付けたのだから、(NPOを含む)賃労働を行う全業種に対して廃業を求めるのが筋です。自分が嫌いな特定の業種・業者に対し廃業を求めたとしても、だからどうしたという話です。

これが、藤田氏のごまかし。

次に、ZOZOについてですが、ネット番組や新習志野駅での街宣活動を通して、派遣社員や非正規従業員の賃上げを要求してはいました。また、ユニオンへの加入を勧めていました。しかし、「ZOZOは廃業すべき」と述べたものがあったでしょうか。

これが、藤田氏の嘘。
(新習志野駅で出勤途中のZOZO従業員に対し
「ZOZOは廃業すべきだ」
なんて主張をして、実際に廃業されたら困るのは従業員でしょうよ。)

支援を求めてきた人の情報をネタにメディアや講演会で喋り、知名度を上げ、気に食わない知名人・業種・企業を「搾取だ」とつるし上げ、社会保障の拡充を求める。マルクス主義華やかなりし頃はこれでいっぱしの社会派学者・活動家になれたのでしょうが、今では「それが搾取なの?」と多くの人が言えるようになったわけでして。

【搾取構造を擁護しているのは藤田孝典氏】

なお、現代日本における最大の搾取構造は、正規・非正規労働者の身分格差にあります。

その職業への適性や能力が無くとも、一旦採用されればろくな働きや成果を出さずとも給料を貰い続けることのできる大企業正社員・公務員と、その正社員の一時的欠員や時期的な過不足を調整するために利用される有期・低賃金の非正規労働者。正社員の地位が非正規労働者の存在によって保障されていて、非正規労働者よりも高給を得ている現状は、身分制度と呼ぶことができます。この身分制度・階級社会の中で、非正規労働者は正社員に搾取されているのです。

藤田氏は非正規労働者の低賃金を批判しているものの、正社員の解雇規制緩和・撤廃に反対しています。搾取側の正社員労組から資金援助を受け、仕事を貰う等、身分制度を擁護する側の広告塔として活動しているのが実態です。

マルクス主義と偏見の同居する藤田孝典氏。彼の職業差別問題については、これからも追及しようと思います。
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税の徴収と配分にまつわる官僚制の非効率を、市場のせいにしようとする不条理 ~グレーバー(酒井隆史)の新自由主義批判~

2020年09月26日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。

ブルシットジョブ(くそどうでもいい仕事)でお馴染みデビット・グレーバーの翻訳者に、酒井隆史氏という人がいます。
今回のお題は、酒井氏のネオリベラリズム(新自由主義)批判について、です。
定義のあいまいなままの新自由主義批判は、中身が・・・といういつものお話。

ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史) | 現代新書 | 講談社
======【引用ここから】======
小泉改革のあたりからだろうか、公務員がムダの元凶、不効率の砦として、攻撃の槍玉にあげられるようになった。マスコミをあげての総攻撃の結果、郵政を筆頭に、それまで公的領域にあったものが続々と「民営化」されていった(民営化はprivatizationの訳語であり、本来、私有化とか私営化といった含意をもつはずだが、日本語の語感はそれがあたかも「民衆」を主体とするものであるかのようなニュアンスをかもしだしてしまい、この訳語自体が、ネオリベラリズムのイデオロギー効果を増幅させてしまうことに注意してほしい)。
======【引用ここまで】======

酒井氏の文章の中で、冒頭のこの箇所は、唯一といっていい有用な内容を含んでいます。

「privatization」は、直訳である「私有化・私営化」のニュアンスで徹底されていません。「民営化」という日本語訳に含まれる「民衆」の語感から、民主主義のイデオロギーに引きずられています。

ネオリベラリズムに基づき市場原理を導入しようとしたものの、市場原理が徹底されず民主政の介入を大きく受けている、そんな公共事業は多い。市場原理の不徹底と民主的介入の余地を残したことが、非効率を生み出す元となっています。その典型が、酒井氏が例として挙げる大学運営です。

【「私営化」されなかった大学運営】

ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史) | 現代新書 | 講談社
======【引用ここから】======
シラバス作成にかんして、「非効率」なはずの伝統的大学では、大学職員から大学教員への通知ひとつでことはすんでいる。実に「スリム」なのである。ところが先端的経営による効率性をうたう大学では、管理チェックのプロセスなどがあいだにはさまって、複雑怪奇なものになっている。これが先端的経営理念による「効率化」の実態である。
======【引用ここまで】======


以前は、シラバスの作成に際し大学教員と大学職員の間で通知一本で済んでいた。それが、「民営化」や効率化の導入によって複雑なやりとり、報告、承認が必要となった・・・と嘆く酒井氏。

この図には、大学教員、大学職員、大学管理者の三者が描かれています。しかし、この図を幾ら眺めても
「なぜ大学管理者は教員や職員に対し詳細な指示を出し報告を求めるのか」
は見えてきません。なぜかと言うと、この図に、予算配分に携わる政府当局者が出てこないからです。

大学の運営は、税金の配分を受けることで成り立っています。文科省が予算を獲得し、運営費交付金その他の補助金といった形で大学に配っています。税金の配分をとおして、大学は文科省の定めた基準やマニュアルに従属させられています。税金で交付金や補助金をもらっているから政府の定める詳細な基準やマニュアルを無視できない、結果として膨大な書類仕事や報告が増えるという側面に、酒井氏は言及しません。

政府は、徴収した税金を社会保障費や公務員人件費、ダムや道路の整備、国防費、特定産業への補助金などに山分けしています。その中で、文科省は
「各大学はこういう事をやっていてそのための経費が幾ら必要だから、総額としてこのくらい予算を確保したい」
と主張するための材料として、大学からの報告を用いることになります。財務省への折衝や国会論議の中で、大学への予算配分の必要性を説明し説得できなければ、少子高齢化の中で膨張し続ける社会保障費の圧力に押されてどんどん削られることでしょう。予算折衝をとおして、大学は年金・医療・介護・生活保護・保育・警察といった他分野と税金獲得競争をしているのです。

「民営化」と言いつつ「私営化」が不徹底で、大学運営の大きな部分を税金の民主的配分に依存しているからこそ、大学教員は膨大な書類仕事に追われることになるのです。

「民営化」における「私営化」が徹底され、市場原理が浸透すれば、これとは違う状況が生じます。大学管理者の指示に沿って書類的に完璧なシラバスを作ったとしても、その授業を受講したいという学生を集められなければ授業料収入は減少するでしょう。逆に、どれだけ大雑把なシラバスを作ったとしても、学生の人気を得られれば授業料収入を確保できるでしょう。
また、多くの人から馬鹿にされる研究内容でも、ただ一人の資産家から
「あんたの研究は素晴らしい」
と評価され寄付を受けられれば、研究を続けることができます。
人は、お金を払う人の意向や動向を重視します。「私営化」が徹底されれば、授業料を払う学生の動向や、寄付をする資産家の意向が重要になります。おそらく、彼らは書類仕事を要求しません。

【書類仕事を要求するのは、税金配分に手続き的正当性が必要だから】

税金配分の必要性を満たしているかどうかを確認するために、法律・政令・省令で各種報告・届出・申請の制度を設けています。結果、現場は煩雑な手続きに追われることになるのです。
政府権力者と昵懇な者は、制度の枠を越えて税金の配分を受けることができるようにはなります。ですが、これは税金の私物化です。税金の私物化はいかん、予算配分の必要性・正当性を示すべきである、という要請は、民主制から生じます。

税収に余裕があり、社会保障費の膨張圧力が弱かった頃であれば、杜撰な手続きと安易なルールで税金から大学運営費を配分できたかもしれません。しかし、社会保障を始め他分野との税金配分競争が熾烈になれば、より厳格に、基準と手続きを適正にして正当性・必要性を示さなければならなくなります。それが、「民営化」における「民衆」の側面、民主的統制からの要請になります。

ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史) | 現代新書 | 講談社
======【引用ここから】======
このようなことは大学でだけ起きているわけではない。グレーバーがこの事例をあてたわけは、「実質のある仕事(リアル・ワーク)のブルシット化の大部分、そしてブルシット部門がより大きく膨張している理由の大部分は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結」であることをわかりやすく示そうとしてのことである。

つまり、効率化を旗印にし、ムダの削減を呼号するような市場原理による改革がすすめばすすむほど、逆に、官僚制的手続きはややこしくなり、規則はやたらと増殖し、ムダな役職も増えていくことの背景には、このように、数量化しえないものを数量化しようとする「市場原理」の拡大があるということになる。

======【引用ここまで】======

商品やサービスの提供を行う、あるいはその質の向上に直接的に関わる「実質のある仕事(リアル・ワーク)」よりも、手続きや書類仕事の割合が高くなる「ブルシット化」は、「民営化」における「私営化」が不徹底で市場原理が貫徹されず、税金の配分を始めとする民主的統制が大きな割合を占めているからではないか、というのは先ほど述べたとおりです。

もし、税金投入の割合が減り、市場原理による改革がすすみムダの削減が至上命題となれば、
「ムダな書類仕事をする暇があったら、授業料収入を増やすため一人でも多くの学生を受け入れて講義を提供しろ」
となるはずです。講義時間を削ってでもシラバスを作成し報告しろという要請は、手続きに則って税金の配分を受ける必要性から生じるものです。文科省がシラバスの定義や評価基準を定めたとしても、文科省が運営費の配分権限や許認可権限を持っていなければ、誰が文科省のシラバス基準なんかに従うでしょうか。

人間は、お金をくれる人の方へ意識が向きます。利用者が自腹でサービスの対価を払うのであれば、サービス提供側は利用者の動向に注意を払い、満足を向上させる方向で努力するでしょう。しかし、税金の配分を受ける者は、税金の配分を決める政府当局の満足する書類作成に注力するようになるのです。

「民営化」の語感から導かれる「民衆」、そして民主的統制。ここから生じる手続きの煩雑さを、「私営化」のせいにしても解決はしないのです。

【「数量化」は市場原理に特有の問題ではない】

ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史) | 現代新書 | 講談社
======【引用ここから】======
「数量化しえないものを数量化しようとする欲望」は、もともと資本主義に内在するのだが、ネオリベラリズムはその欲望を全面的に解放するものなのである。

それはしかし、ナチュラルなプロセスとはほど遠い。というのも、人間生活の領域は、数量化しえない――市場原理になじまない――膨大な蓄積に根ざしているからである。たとえば、「福祉」と要約されるようなケアの領域、愛情の領域、友情や連帯感の領域、地域性の領域などなどである。

したがって、その領域――これを経済人類学にならって「社会」の領域とひとまずしよう――にまで市場原理が拡張しようとするとき、かならず抵抗や摩擦が起きる。

======【引用ここまで】======

酒井氏は、数量化の問題を資本主義、市場原理特有の問題と考えている節がありますが、これは大きな間違いです。

ケアの領域、愛情の領域、友情や連帯感の領域、地域性の領域・・・酒井氏の挙げる社会の領域は、介護、子育て、公教育、公園や公民館整備などの場面で行政と交差します。行政と交差するということは、どの分野に幾ら税金を配分するかという数量化と無縁ではいられません。

税収・予算が潤沢にあり、各領域からの要望が小さければ、厳密な数量化は必要無いかもしれません。どんぶり勘定でやっていけるうちは、数量化するための膨大な書類仕事に追われることはありません。しかし、税収は伸びない一方で、社会における様々な領域から「金をくれー」「金をくれー」という要望が高まっています。社会の様々な領域からの各要望の優先度を検討し、予算の割合、配分順位を考慮し、配分予算額の決定という数量化をしています。

数量化しえない社会の領域は、税金を配分するために民主的統制の観点から数量化の手続きを求められます。他方、数量化しえない社会の領域に市場原理を拡張することで、対価・利潤をとおして数量化されます。
民主的統制と市場原理とでは数量化の手法や考え方が異なることから、市場原理に軸足を移していく過程で今まで配分を受けられなかった人が配分を受けられるようになったり、あるいはその逆が生じます。民主的統制から市場原理に移行する際には当然ながら摩擦が生じます。

なお、民主的統制に基づく配分においては、説得するための膨大な手続きとルールが必要になり、これに伴って書類仕事が増えます。他方、市場原理においては、「この商品やサービスならこの金額を支払っても満足できる」という手法によって個人個人の主観を金額に変換する数量化が行われます。

「ブルシット化が進んでいる」
「手続きが煩雑になって実質のある仕事のウエイトが下がっている」
というのは、「市場原理」「民営化」と言いながらも「私営化」が進まず、民主的統制の削減に繋がらなかったという事を意味しています。民営化と言いながら運営費を税金で賄っていたり、政府が大株主だったり、法律で事業運営方法を事細かく定めたりしていれば、そりゃあ官僚向けの煩雑な手続きは減りませんよ。

【官僚制は税の徴収と配分の機構】

ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史) | 現代新書 | 講談社
======【引用ここから】======
商業的市場は、そもそものはじまりにおいて国家に密着していたのみならず、その市場の維持と運営にはつねに国家のようなものが必要とされてきた。資本主義社会におけるその未曾有の拡大が、必然的に官僚制の拡大をともなうのはこのためである。

これをグレーバーは、「リベラリズムの鉄則」と呼んでいる。

「リベラリズムの鉄則とは、いかなる市場改革も、規制を緩和し市場原理を促進しようとする政府のイニシアチヴも、最終的に帰着するのは、規制の総数、お役所仕事の総数、政府の雇用する官僚の総数の上昇である」。

ネオリベラリズムは、そのようなリベラリズムの鉄則を極限まで拡張するものである。カフカ的悪夢は20世紀の遺物ではない。官僚制につねにつきまとってきた「非効率」「不合理」そして「不条理」は、未曾有のレベルにまで達しつつある。

======【引用ここまで】======

酒井氏のいう「商業的市場は、そもそものはじまりにおいて国家に密着していた」という部分は、貨幣の起源に関するかなり異端な(トンデモ?)考え方に依拠しているので、無視して構わないでしょう。
(「貨幣を兵士への給料として配ったことで市場が成立した」って、その前にその貨幣(かその貨幣に使った金属)を用いての交換が、ある程度慣習として存在していたから、給料として成り立ったと考えるのが自然ではないでしょうか。交換価値の確立していない貨幣を兵士に渡して「これで物資を調達しろ」と命令したところで、「これで何がどれくらい買えるんだ、ふざけるな」と逆に兵士の反乱を招きかねません。)

商業的市場は古くから存在し、そして、政府機構も様々な形で存在してきました。政府機構は、商業的市場から税を徴収してきました。ある時は暴力を背景に、またある時は大義名分を立てて、税を徴収し、配分する。これが官僚制の最大の業務です。グレーバーや酒井氏が非難するお役所仕事の増大、官僚総数の増加、官僚制の非効率や不合理は、税負担額の増加や税目の増加、支出項目、規制対象が多岐にわたることで引き起こされたものです。税の徴収や配分過程に一切触れることなく、官僚制が招く不条理さを嘆く酒井氏の本記事は、長いだけで中身が薄いと言わざるを得ません。

手続きの煩雑さを我慢して税金の配分を受けるか、自分で授業料や寄付を集めるか、先生ならどっちを選びます?あるいは、「社会の領域」という念仏を100回唱えたら、税金を私物化できるようになるのでしょうか。
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県職員をWHOに派遣して、コネが出来て、その代金1億円なり ~ちと高くありませんか黒岩知事さん?~

2020年09月12日 | 地方議会・地方政治
どうもこんばんは、若年寄です。

地方自治体から職員が中央省庁へ出向したり、他の地方自治体へ派遣されることは珍しくないのですが、国連の機関へ派遣されるというのは非常に珍しいケース。
その国連に派遣された職員が、そのまま国連の職員になっちゃったという案件が発生しました。

関連情報は下に掲載しますが、時系列を先にまとめてみましょう。

======
〇2016年6月13日
 角由佳先任准教授が順天堂大学医学部附属浦安病院から、神奈川県政策局ヘルスケア・ニューフロンティア推進本部室に異動となり、神奈川県の技幹となる。
〇2016年12月
 角由佳技幹が、神奈川県から、スイス・ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部の高齢化部局へ派遣される。派遣期間は2年を予定。
〇2017年7月18日
 神奈川県の黒岩知事が、ジョン・ベアード WHO(世界保健機関)エイジング・アンド・ライフコース部長と面談。これに同行したのが角由佳技幹。
〇2018年12月
 派遣予定期間の2年を経過。
〇2019年夏
 WHOから転職の勧誘。角由佳技幹は神奈川県に報告、相談していたとのこと。
〇2020年8月
 WHOの採用試験に合格。
〇2020年9月
 WHOの正規職員となる。

=======

県は角由佳氏に対し、給与負担などで計1億円超を支出してきたそうですが、県にとっての成果は「アプリの開発に助言をした」。
アプリを開発したのではなく、開発に際してWHO職員の立場から助言しただけ。
高い助言料だなぁと思わずにはいられません。

そもそも、神奈川県の「ヘルスケア・ニューフロンティア推進本部室」で勤務したのはわずか半年。
それから3年以上をWHOで過ごしています。

「ヘルスケア・ニューフロンティア」は、黒岩知事の目玉政策。その部署に、わざわざベテラン医師を採用して配置したんですよ。目的があって雇用して、ろくな成果もないまま半年で異動させるというのは非常に考えにくい。
しかも、この手の健康増進事業は、1年や2年で成果が出るようなものではありません。事業を実施し、プログラム実施前と実施後の利用者の健康状態の調査をし統計をとり、利用者の声を聞き、効果の有無を見極め、微調整を繰り返し、ある程度の期間をかけて健康に向けたプログラムを構築していく、そんな長期的スパンで実施する性質の代物です。
それを、しかも知事の目玉施策でわざわざ医師を採用して、半年でその人を外部に派遣する???

ここで、邪推が湧いてきます。

WHOで働きたいなと思った角由佳氏。
WHOで働くことはやぶさかではないが、費用までは持てないよ、という順天堂大学。
何か目立つことをしたいな、と思った黒岩知事。
この三者の思惑の中で、
「一旦、県職員として在籍し、その後に県からWHOへ派遣する形を採ろう。そうなれば費用は県負担」
という絵が出来上がったのではないか・・・というね。

そして、もともと医師であり優秀な能力を有していた角由佳氏に対し、WHOが
「派遣じゃなくて正規職員になりませんか?」
と勧誘するのは、そりゃあ当然の流れですし、角由佳氏がもともとWHOで働きたいと思っていたのであれば、この申し出を断るはずがありません。

問題は県の側です。
半年だけ県職員として働いて、3年間のWHOへの派遣費用を税金で負担し続け、議会に対しては
「派遣期間が終わったら県職員として再び働いてもらいますから」
と説明してきた県担当者、そして黒岩知事の責任が問われます。黒岩知事の見込み・見通しが甘かったのか、そもそもそういう話になっていたことを知っていたのか。

思惑はどうであれ、派遣期間3年について角由佳氏はほぼWHOの仕事しかしていないわけで、実質的には「神奈川県がWHOに運営費を拠出していた」という事になります。黒岩知事のええカッコしいのために1億円使って、それが果たして正当化されるのでしょうか。WHOにコネができたとして、そのコネがなければ得られない情報や技術なんてあるんでしょうか。

〇県が1億円超支出してWHOに派遣の職員、自己都合で退職し転職 9/10(木) 13:31配信 読売新聞オンライン
======【引用ここから】======
神奈川県が、独自の健康増進政策を進めるために必要だとして、2016年からスイス・ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部に派遣した女性技幹(46)が自己都合で退職し、WHOに転職した。県は女性の給与負担などで計1億円超を支出してきたが、目に見える成果は乏しく、「いずれは県に戻り、WHOで得た最新の知見を還元してもらう」という計画も頓挫した。県議会では当初から、派遣の効果に懐疑的な見方があり、それでも推し進めた県の責任が問われそうだ。(佐藤竜一)
 県によると、女性は医師で、16年6月に県に採用され、半年後の12月からWHOの高齢化部門に派遣された。病気になる手前の状態「未病」の改善と最先端医療技術を融合させると掲げ、黒岩知事が力を入れる「ヘルスケア・ニューフロンティア政策」。この独自政策に、WHOの知見を生かす狙いだった。
 ジュネーブのWHO本部への女性の派遣を巡っては、県議会で度々、取り上げられてきた。それだけの効果が見込めるのか、女性が県に復帰する保証はないのではないか。そう懸念する県議もいたからだ。
 18年11月の県議会決算特別委員会では、鈴木秀志県議(公明)の質疑に対し、県は「派遣期間が終了した後は県に戻り、WHOで得た知見、人材ネットワークを最大限に活用していただく」と答弁。県職員として働くのは「規定路線」だと強調していた。
 ところが、女性は先月までにWHOの採用試験に合格。今月から正規職員となった。派遣期間中、WHOの高齢者施策のガイドライン策定などに携わり、WHO側から昨夏、転職の勧誘があったという。女性は無断で話を進めたわけではなく、県に報告、相談しており、県側は本人の意思を尊重せざるを得なかった。
 派遣の成果について県は、3月から一般向けにサービス提供を始めた「未病指標」への女性の関与を挙げる。アプリを使い、自分がどんな「未病」の状態にあるかを数値で確認できるというもので、女性はWHO職員の立場から助言したといい、県の担当者は「それが県民に対する一番のフィードバックだ」と話した。
 ただ、こうした成果は県関係者でも一部しか把握しておらず、ある県幹部は「WHOに行ったことは知っているが、何をしていたかは知らない」と明かす。

======【引用ここまで】======



〇救急診療科 | 順天堂大学医学部附属浦安病院
======【引用ここから】======
お知らせ

2016.06.13
角由佳先任准教授が神奈川県政策局ヘルスケア・ニューフロンティア推進本部室に異動となりました。

2016.11.02
角由佳前先任准教授が、12月より世界保健機関(WHO:World Health Organization,Geneva,Switzerland)に派遣されることが決定致しました。

======【引用ここまで】======



〇神奈川県、WHOに職員を派遣 高齢化対策で連携強化: 日本経済新聞2016年12月20日 7:00
======【引用ここから】======
神奈川県は19日、高齢化対策を促進する狙いで、医師免許を持つ職員をスイス・ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部の高齢化部局に派遣した。県によると、日本の自治体による職員派遣は初めて。
派遣したのは、政策局ヘルスケア・ニューフロンティア推進本部室の角由佳技幹。期間は2年間を予定している。
高齢化に関する調査・分析や、高齢化対策の企画・立案などに携わる。世界各国の最新の知見を、県にフィードバックさせていくほか、県が進める健康関連の施策を、海外へと発信する役割も担う。
県とWHOは10月、高齢化分野などでの連携強化に向けた協定を締結している。

======【引用ここまで】======

〇写真で見る!「黒岩日記」  2017年7月18日 - 神奈川県ホームページ
======【引用ここから】======
平成29年7月18日(火曜) ジョン・ベアード WHO(世界保健機関)エイジング・アンド・ライフコース部長との面談

 WHO(世界保健機関)で世界の高齢化対策を担っている、ジョン・ベアード エイジング・アンド・ライフコース部長と面談しました。ベアード部長の同行者は、神奈川県から日本の地方自治体職員として初めてWHOへ派遣している角技幹です。

======【引用ここまで】======




黒岩知事がWHOの部長と面談して満面の笑み。
この笑顔の対価が、県民の税金から投じた1億円・・・高いですよねー。
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共産党は既得権益擁護路線からいつ卒業するのか

2020年09月11日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。

総務省統計局の発表によると、非正規雇用の減少が止まらないとのこと。

○令和2年9月1日 総務省統計局 労働力調査(基本集計) 2020年(令和2年)7月分
======【引用ここから】======
【就業者】
 ・就業者数は6655万人。前年同月に比べ76万人の
  減少。4か月連続の減少
 ・雇用者数は5942万人。前年同月に比べ92万人の
  減少。4か月連続の減少
 ・正規の職員・従業員数は3578万人。前年同月に
  比べ52万人の増加。2か月連続の増加。
  非正規の職員・従業員数は2043万人。前年同月
  に比べ131万人の減少。5か月連続の減少
 ・主な産業別就業者を前年同月と比べると,
  「宿泊業,飲食サービス業」,「建設業」,
  「生活関連サービス業,娯楽業」などが減少

======【引用ここまで】======

この発表を受けて、共産党は次のように論評しています。

○非正規雇用者131万人減 2020年9月3日 しんぶん赤旗

======【引用ここから】======
7月労働力調査
 総務省が1日発表した7月の労働力調査によると、非正規雇用者数が対前年同月比131万人減少しました。新型コロナウイルスの影響が顕在化してきた3月から5カ月連続の減少です。減少幅は、比較可能な2014年1月以降最大です。新型コロナによる経済活動の停滞が雇用環境を直撃し、雇用悪化のしわ寄せがとりわけ非正規労働者へ集中していることが分かりました。

 -----(中略)-----
雇用者数の増加を安倍政権は「アベノミクス」の成果だと自慢してきました。しかし、コロナ危機に直面した3月以降、非正規労働者が真っ先に切り捨てられています。安倍政権が拡大してきたのは、企業にとっての「雇用の調整弁」だったといえます。
======【引用ここまで】======

雇用悪化のしわ寄せが非正規労働者に集中している、非正規労働者が真っ先に切り捨てられている、非正規労働者は企業にとっての「雇用の調整弁」だ・・・という共産党の指摘は、全くもってそのとおり。

そのとおりなのですが、非正規労働者を「雇用の調整弁」にしたのは、正社員解雇規制を求め続けた労働組合、法律の運用面からこれを後押しした政府・裁判所、そして
「企業による不当解雇を許すな、正社員の雇用を守れ」
と正社員保護を要請し続けた共産党です。
労組や共産党らが、政府や裁判所に対し長年にわたり正社員保護を働きかけてきた結果、

 「正社員を解雇する前に新規採用をストップすべし」
 「正社員を解雇する前に転勤、異動で対応できないか検討すべし」
 「正社員を解雇する前にパートやアルバイトを先に解雇すべし」

といった慣行が成立したのです。

正社員保護が、若者や非正規労働者へしわ寄せが集中する原因となっています。
不況期に氷河期世代を生み出したのも、正社員保護による雇用の固定化が原因です。
正規/非正規の身分制を助長してきた側の共産党が、「雇用の調整弁」運用を非難するなんてちゃんちゃらおかしな話ですよ。

(ちなみに、調整弁運用を禁止して非正規労働者も解雇できないようになると、新規の非正規労働者の募集が大幅に減少し、今仕事を探している人の立場はますます悪くなるでしょう。規制の強化ではイタチごっこは終わりません。規制を緩和して、調整弁運用の根本原因たる正社員保護を改めなければいけません。)

【画竜点睛を欠くアベノミクス】

さて。

上記のしんぶん赤旗の記事は、アベノミクスに言及しています。
アベノミクスは、三部構成になっていました。いわゆる「三本の矢」です。

 第一の矢:金融緩和
 第二の矢:財政出動
 第三の矢:規制緩和

でした。
安倍政権は、アベノミクスで挙げた金融緩和や財政出動を実施したものの、本命本丸の規制緩和にほとんど切り込むことなく終わりました。

アベノミクス第三の矢の対象として名指しされた農林水産業や医療、労働市場における岩盤規制改革は、規制に守られていた特権の否定という側面を有します。特権を奪われる側から見たら、これは痛みとなります。
第一の金融緩和や第二の財政出動といった麻薬を鎮痛剤として使用し、一時的に痛みを和らげている間に痛みを伴う第三の規制緩和という外科手術を実施する・・・というのが、私の「アベノミクス」のイメージでした。

しかし、安倍政権は麻薬を注入し続けたものの、手術は行いませんでした。病巣はそのままで、患者は薬物依存に。もうボロボロです。
早く薬をやめた方がいいのに、禁断症状が出るからやめるにやめられない。金融緩和と財政出動でどっぷり薬漬けになっていて、日本経済は自律回復できるのかどうか。

【既得権益擁護の共産党】

この間、共産党が力を入れていたのがモリカケ騒動への追及でした。

共産党が
「獣医学部新設は加計学園ありきではないか?加計学園が新設を認められたのは、官僚が、理事長と総理の友人関係に配慮した結果なのではないか?」
と指摘したのは良いことです。
加計学園だけでなく、獣医学部を新設しようと考える事業者に対し、広く門戸が開かれるべきです。

ところが、共産党は
「文科省の獣医学部新設制限は、既得権を守ろうとする政官業の癒着ではないか?今治の特区に限定せず、他の法人からの申請も許可して新設数を増やしていこう」
とは言いませんでした。

それどころか、共産党は、既得権の象徴たる獣医師会の声をそのまま紹介し、「新設はせめて1校だけにして」という獣医師会の立場に寄り添ってきました。
首相と業者の癒着疑惑を非難しつつ、同時に、長年にわたる政官業癒着構造を擁護していたのです。

獣医学部の新設を非難し参入制限を擁護する共産党。
冒頭で挙げた、正社員保護を求め解雇規制の存続強化を訴える共産党。
いずれも、既に獣医になっている人、既に正社員になっている人の権益を守るものです。

共産党は、しんぶん赤旗で自ら「共産党の論理 保守論客も注目」と紹介するくらいの、既得権益保守政党に堕してしまいました。
もう自由民主党と日本共産党が合併して、「日本国家社会主義党」って名乗ればいいのに。
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国家社会主義雇用保障計画(Job Guarantee Program)

2020年09月10日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。

【議員連盟】日本の未来を考える勉強会
という議員集団があります。


彼らは、減税を掲げつつも歳出の大幅な拡大を求めるという、理解しがたい路線を採っています。
この勉強会では、藤井聡氏、中野剛志氏、三橋孝明氏といった( )方々を理論的な支柱とするだけでは物足りず、あの差別主義者・社会主義運動家の藤田孝典氏を講師に招くほど、道に迷っています。
民族主義的で、公権力による再分配を全面肯定し、どこまでも大きな政府を求める、そんな彼らは何と呼ぶべきでしょうか。国家社会主義・・・でしょうか。

その構成員の一人が、JGPなる聞き慣れない政策を提言しています。

MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
ベーシックジョブは現代的貨幣理論(Modern Money Theory, MMT)によって提案されている雇用保障計画(Job Guarantee Program, JGP)の改良版です。まずは、JGPについて簡単に説明しましょう。
政府による最後の雇い手(Employer of Last Resort, ELR)とも呼ばれるJGPは、働く能力と意思のある全ての人に政府が一定の賃金・社会保障の権利による仕事を提供するものです。JGPの財源は税金ではなく、政府の赤字支出で賄われます。

   -----(中略)-----
具体的には政府の赤字支出によって働きたい人全てに仕事を提供しつつ、キャリアアップのための資格取得の機会を保障し、賃金の継続的な上昇につなげる仕組みまで整備するというものです。人々の生活の可能性を引き出すキャリアラダーを内蔵したベーシックジョブを政府が構築していくことは、これまでの雇用や仕事観を大きく変容させ、より個々人が積極的に社会に貢献できるものとなるでしょう。
======【引用ここまで】======

JGP(Job Guarantee Program)の日本版・ベーシックジョブを導入せよ、という今枝氏。政府が最後の雇い手となって、働く能力と意思のある全ての人に一定の賃金と仕事を提供するなどと供述しています。

人々の生活の可能性を引き出すキャリアラダーを内蔵
キャリアアップのための資格取得の機会を保障
個々人が積極的に社会に貢献できる

等々、必要以上にキラキラしたワードが並んでいて、まるでブラック企業の求人広告のよう。

この日本版JGP・ベーシックジョブでは、具体的にどのような内容・強度の仕事が、どの程度の賃金で提供されるようになるのでしょうか。「具体的には」と言いながら、氏の記事全般を通して具体性がありません。

【利潤はどこから生まれるか】

MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
ベーシックジョブは、景気の安定化を実現するだけでなく、その設計次第では経済全体の生産性を高めることになるため、今までの公共政策にありがちだった「お金を使う」政策から、より積極的な「お金を生み出す」政策になるポテンシャルを持っているのです。
======【引用ここまで】======

とのことですが、「お金を生み出す」という事実をどのように確認するのでしょうか。
今枝氏自身も、
政府が雇用を作ると聞くと、社会主義的なものを思い浮かべる人も多いかもしれません。
と述べているように、政府による雇用創出は極めて社会主義的です。
氏は、「お金を使う」のと「お金を生み出す」の分岐点はどこにあると考えているのでしょうか。

ラーメン屋の出店で考えてみましょう。

人口20万人の都市の駅近くという立地で、原価を75万円、家賃を25万円、光熱費やその他もろもろ30万円とします。
一日何人の来客があるでしょうか。一杯800円のラーメン、セット1,000円の設定で良いでしょうか。営業日は月23日にしましょうか。ランチタイム中心の営業にしましょうか、それとも夕方から深夜帯にしましょうか。
この地域におけるこの業種の人件費は、幾らが相場でしょうか。調理、接客、皿洗い、何人雇えばお店を回せるでしょうか。

お客の側から見てみましょう。
お客は、自分でもラーメンを作れないことはありません。自宅で調理すれば、一杯あたり300円で作れる人もいるかもしれない。
でも、
「外出先の駅前で、この時間帯に、この味のラーメンを食べられるのであれば、一杯800円払っても十分に満足できる」
となれば、ラーメン屋に通うようになるわけです。

お客の側にこうした主観的な効用をもたらしつつ、そのラーメンの代金から経費を支払って営業を継続し、相場並みかそれ以上の賃金を支払う雇用を生む。
利潤は、こういうミクロの計算の積み重ねの中から生まれます。
この積み重ねの中で、お客の側の満足、従業員の雇用、事業主の利潤、コスト、こうしたものが調整され改善されていくのが経済成長だと私は考えています。

さて。

利潤が生じ事業を継続できるということは、その料金でのサービス提供に需要があり、そのサービスが無い場合と比べて利用者の生活が向上しているということです。また、そのサービスをある程度効率的に提供できているということです。
逆に、利潤が出ないということは、そのサービスをその料金で提供することが人々の生活向上に寄与していないということか、サービスを効率的に提供できていないか、あるいはその両方ということになります。

こういった事は、市場で試すことで初めてわかります。
そして、新たな事業展開、商品開発、見た事のないサービスの提供などは、ここで生じた利潤を再度投資することで可能になります。

【役所は原理的に無能】

公務員にはこうした能力はありません。能力というか、原理的・仕組み的に無理です。

公務員に求められているのは、予算の配り方を決めてそのとおり使うことです。役所は、予算案を作り、議決を得て、執行する各段階における手続きさえ遵守していれば、継続的に支出できてしまう組織です。
利用者の満足や事業のコストとの関係の中で、利潤は成立します。他方、税金は利用者の満足や事業のコストとは無関係に、お金を持っている人から徴収するだけです。手続きさえ整えば、いかなる無駄で非効率な事業であっても継続することができます。

役所の中に「この料金でこのサービスなら利用したい」という需要を見つけるプロセスや動機は存在しません。むしろ、役所が定める公定価格や補助金の存在は、こうした市場の機能を歪めてしまいます。

【お金を生むのか、ただ使っているのか】

最後の雇い手として役所が具体的に賃金幾らで人を雇って、具体的に何を供給でき、幾らのコストをかけ、どういう状態を実現できたら、旧来型の「お金を使う」政策ではなく、利潤をもたらす「お金を生み出す」政策であると評価できるのか。マクロのふわっとした論議ではなく、具体的な中身を伴った基準の提示が求められます。

MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
一般的なマクロ経済学では失業をゼロにする完全雇用を実現することはできないと考えられています。財政赤字を増大させると完全雇用に達する前にインフレが激しくなってしまうからです。しかし、JGPは働けていない人に仕事を提供し、供給力を強化するため財政赤字を出してもインフレにはならないとされています。
======【引用ここまで】======

政府が国民を雇用し、生産性を高め、供給力を強化するというのは、まさに社会主義国で挑戦し失敗した内容です。

不要な商品や非効率なサービスを提供する供給力を強化しても、需要を満たすことはできません。また、それなりの質の商品やサービスであっても、高いコストをかけて割高に提供しても社会的には損失です。この損失を、税金や国債で穴埋めするようでは、「お金を生み出す」事業とは言えず、ただ単に「お金を使う」旧来型の公共政策をやったにすぎません。

【ベーシックジョブは社会主義】



新型コロナ・パニック:現金給付よりも消費減税よりも財政拡大よりもベーシックインカムよりも「ベーシックジョブ」が優れているのはなぜか | 週刊エコノミスト Online
======【引用ここから】======
ベーシックジョブで提供される仕事はどのようなものがあるでしょうか。
原則的には、それぞれの地域で必要な仕事であればどのようなものであっても良いのです。
例えば、過疎化が進む地域において人手不足で困っているような分野が真っ先に考えられます。
医療・介護・福祉・保育など、こういった仕事がとても大きな価値を持っているのは間違いありません。
農林水産業や地域で重要な役割を果たしている商店やものづくりの中小企業も大切です。当然これは、ベーシックジョブの支援対象となり得ます。
文化財の補修などの希少性の高い技術職を支援することは日本文化の継承の問題です。郷土の歴史研究の仕事を支援することで、地方創生のためのコンテンツ作りに貢献できるかもしれません。
JGPの提唱者であるオーストラリアのビル・ミッチェル氏などはミュージシャンやサーファーなどを上げています。
文化的活動は豊かさに直結しますし、サーファーが多いことは海岸の安全性を高めます。
いかにもオーストラリアらしい提案だなと思いますが、それぞれの地域に必要な仕事を考えていけばいいわけです。

======【引用ここまで】======

「〇〇の仕事は価値があります。」
「□□の仕事は大切です。」
「△△の仕事は必要です。」

・・・・・・それで?
今枝氏のこの文章は、小学生の作文並みです。

ある商品やサービスに対し、幾らまでなら対価を支払おうと思えるか。その利用者の判断が、仕事の必要性の度合を決めています。

Aさんにとって、農業は重要です。
Bさんにとって、音楽は大切です。
Cさんにとって、介護は必要です。
それぞれの業種で提供される商品やサービスには、味、色、重さ、大きさ、時間、丁寧さ、快適さといった無数の組み合わせがあり、これに対し、無数のAさん、Bさん、Cさんがいて、それぞれが幾らまでなら対価を支払えるという自分の中の基準を持っています。

実際に対価を支払う利用者を切り離して、
「社会にとって必要」
「地域にとって重要」
といった謳い文句を幾ら並べてみても、そこから、妥当な対価の基準は導かれません。

ベーシックジョブが実施されることで、政治力の強い業種では、

  業界団体 ⇒ 政治家 ⇒ 行政

と圧力をかけて要請運動をすることで、高い料金が設定され厚遇されることでしょう。
それだけです。

JGPが蔓延する社会では、
「我々の仕事は大事なんだー!」
「いやいや、私たちの仕事は社会的価値があってー」
と主張する団体がベーシックジョブの認定を受けます。そして、ベーシックジョブ従事者は、画一的な、あるいは非効率な方法で商品を提供し、あるいは自己満足のサービスを提供するようになります。
利用者の間で
「別の方法でやってくれたら良いのに」
「彼らのやっている事の意味が分からない」
「もっと違う曲が聴きたい」
といった不満が募っていても、ベーシックジョブ従事者は一定額の賃金を得ることができます。賃金を支払う胴元が政府だからです。
ベーシックジョブ従事者への賃金設定は、利用者の満足や商品・サービスの質、希少性とは無関係に、団体の政治力で政府にどのくらい圧力をかけられるかによって決まります。

商品やサービスの効率化、質の向上は遅くなり、本来であればそこに向けられていたはずのエネルギーが行政や政治家への働きかけに注がれます。

今枝氏は
ベーシックジョブは個人の自由を尊重した、社会主義の仕組みとは全く異なった国家による雇用政策です
と述べていますが、中央政府や地方自治体が適切な賃金を提供し、必要に応じて分野ごとにキャリアアップと賃金アップの仕組みを準備できるという氏の発想は社会主義そのものです。

医療、保育、介護、教育といった分野で、ある場面では賃金が低いと問題になり、ある場面ではブラックな労働が問題になり、ある時は担い手不足が問題となり、またある時は政府の補助によって過大な需要が生じ配給を求める列を生じさせています。これらはいずれも、政府が価格や供給をコントロールしようとして生じた失敗です。
これらを反省せず、
それぞれの地域で必要な仕事であればどのようなものであっても良い
とあらゆる分野・業種で役所によるコントロールを適用しようとするベーシックジョブ論は、始める前から既に
「政府の失敗」
が見えている社会主義政策なのです。
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「高負担」なのに「小さすぎる政府」といわれる謎 ~ バラマキ提言T.D.T ~

2020年09月01日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。

今日のネタ提供元は、藤田孝典氏のお友達でTMM教徒のバラマキ議員・安藤裕氏のツイートから流れてきた「T.D.T」なるシンクタンク。

そこのホームページで書かれている内容が、まぁ酷い。

○脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
様々でかつ深刻な不都合が四方から襲いかかっています。これに対しわが国ではこれまで「小さすぎる政府」(一般的には小さい政府ですが、もはやその域を超えたところまで来てしまったので、本WEBのT.D.T.では小さすぎる政府と呼ぶことにします)「高負担ー低保障」「自己責任」と、あくまで個人の責任とされ、根本的な対応、解決がなされて来ませんでした。

更に生真面目な日本人は、本来の新自由主義であれば「低負担ー低保障」であるはずが、負担は世界的にトップクラスの重い負担で、保障は最も低いという過酷なものです。

======【引用ここまで】======

定義が曖昧な「新自由主義」批判の文章は、たいていの場合中身がない駄文というのは、私の持論です。






・・・で片付けてしまうのもアレなので、ちょっと中身を見てみましょう。

なぜ日本は、「高負担」なのに「低保障」なのでしょうか。
これには、3つ理由があります。

【1.少子高齢化】

一つは、負担する人数が減っていて、保障を受ける人数が増えているということがあります。少子高齢化ですね。

イメージとしては、人口10万人の自治体のうち、

 65歳以上の高齢者   :3万人
 22歳~64歳の現役世代:5万人
 0歳~21歳の子供・学生:2万人


となっているわけです。

高齢者一人について、月平均で、年金9万円、医療費7万5000円、介護費2万5000円かかっているとします。高齢者一人を養うのに、月19万円必要となる計算です。
高齢者が3万人で、57億円。

高齢者のための年金・医療・介護だけでこれだけの費用がかかります。
これを全て現役世代で負担するとすると、現役世代一人当たり月額117,000円。
これは重たいですね。

税金を投じているのは、社会保障分野だけではありません。
この他、政府が実施する保育、教育、障害、道路、水道、農業、国防などの事業に要する費用も税金で賄われています。

そりゃさすがに全部は負担しきれないだろうと、高齢者自身にも健康保険料や介護保険料を賦課したり、消費税で全世代に払わせたり、不足分を国債発行で穴埋めしていますが、それでも現役世代の負担は大きいわけです。

これが「高負担」の仕組みです。

他方、保障の面を見てみると、現在の高齢者は月19万円受給しているわけですが、現役世代は将来どうなるでしょう。
少子高齢化の傾向が改善される見込みはないため、現在の現役世代が将来受け取れる給付額は、今の高齢者への給付水準よりも低くなります。2040年には、高齢化率が35%に上昇します。将来の給付水準は、おそらく今より低く抑えられてしまうだろうという予測が人口構成から導かれます。

これが「低保障」です。

なお、年金制度だけでも当初の積立方式を継続できていれば、こうした世代間格差の問題は緩和されたはずでした。自分が払った保険料で自分の老後をある程度保障することができたはずでした。
しかし、
「積立方式ではインフレが進むと価値が目減りするから」
という建前のもと、田中角栄の頃にインフレに適した賦課方式に切り替えてしまいました。(田中角栄は積立方式で運営していた年金を賦課方式に切り替え、それまで積み立てていた金を「福祉元年だぁ~」とバラまいてしまいました。)

このため、自分が払った「高負担」の保険料が将来の「高保障」に結びつかず、どの程度保障されるかは将来の人口構成に依存せざるを得なくなっています。
デフレ脱却・人為的インフレを是とするシンクタンクが、インフレを理由として賦課方式に依拠しながら少子高齢化の中で「高保障」を求めるのは滑稽な姿です。

【2.政府の非効率】

2つ目に、政府の公共事業が非効率的である点が挙げられます。これが、「高負担」を招いています。

国民は、所得税、消費税、住民税、社会保険料等々を支払っていますが、これらは全てが社会保障給付に充てられているわけではありません。上でも述べたように、保育、教育、障害、道路、水道、農業、国防などなどの事業に要する費用も税金で賄われています。

こうした公共事業は、
① 経済活動をより効率的にできるようになるための投資だが、個人や企業に任せていてはその投資がなされない。
② 経済活動そのものには不要で負荷になってしまうが、一定の公益目的のためには仕方ない。
といった理由から実施されています。

まず、①については、本来であれば公共インフラを政府が整備することで、経済活動は効率的に活発に行われるようになり、税率そのままでも税収増につながるはずです。
道路を通すことで渋滞が緩和され、燃費がよくなり、配送時間が短くなる。
様々な面で効率化が図られ、コスト削減が可能になり、この積み重ねが事業者の利益につながる。
税率はそのままでも税収が増える。
その税収をもって新たな施設を作る・・・という再投資・拡大再生産が可能になるはずです。戦争で破壊されたインフラの復旧・整備をしていた頃なら、これは成り立ったかもしれません。

ところが、ある程度インフラが行きわたった時点で、官僚から見ても分かりやすい
「ここにインフラ整備をしたら経済活動が効率化されるよ!」
という場所や種類が減ってきます。
官僚には効率的な投資ができません。

これに加えて、民主制において票を買うために公共事業で利益誘導するようになった結果、誰も通らない農道を整備したり、利用頻度の低い鉄道を補助金出して存続させたり、意味のないモニュメントを石屋に発注するようになりました。これでは税収増につながりません。再投資とはほど遠い、経費を垂れ流し赤字を税金で埋め続けて運営を継続しているだけのような事業が山ほどあります。

また、②については、そもそも利益が出るようなものではないので、赤字前提です。公益目的と言えば聞こえがいいですが、官僚の作文でどうにでもなってしまうものであり、する/しないの基準は曖昧です。その適当さ・曖昧さに付け込んで、必要性や相当性は十分に考慮されず、票になりそうな分野や有力者がバックにいる業者が優遇されてきました。

この①と②が入り混じって、採算性の無い公共事業、必要性の薄い公共事業、規模や費用が不相当に大きい公共事業が実施されてきました。社会保障給付を賄う費用と合わせて、公共事業の開始費用やランニングコストを負担しなければならなず、「高負担」の一因となっています。

この「高負担」を解消、軽減するためには、採算性の無い、必要性の薄い、規模や費用が不相当に大きい公共事業を廃止、縮小する必要があります。この手法の一つとして、公共事業の民間売却があるのですが・・・

○脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
それはイギリスのサッチャー政権誕生に始まる、新自由主義に源があります。その後、アメリカのレーガン大統領、日本の中曽根首相(当時)へと伝播し、わが国でも隅々まで新自由主義の精神は蔓延して来ました。国家が築いて来たインフラを民間に安く売り、一部の金融や不動産市場は潤った時期もありましたが、長い低迷が続き、もう今の日本国民から、しぼり取れるものもありません。
======【引用ここまで】======

必要性やランニングコストを考えず無計画に作ったインフラを処分できれば、「高負担」の軽減に多少なりとも貢献できるのですが、それを維持しろ、民間へ売却するなというT.D.Tの中の人。
彼らの声が、「高負担」、行政の高コスト体質の一翼を担っています。

【雑なマクロ総需要管理政策】

採算性や必要性、相当性を無視した公共事業が蔓延り、後の世代は割高なランニングコストを押し付けられているわけですが、これを容易にした一つの理論があります。

それが、総需要管理政策です。

○TDT20200806_report02.pdf | Powered by Box
======【引用ここから】======
新自由主義政策から脱出への流れは、決して一部の国だけの主張や行動ではない。covid19禍に陥る前に、すでに世界ではSDGs(持続可能な開発目標)として、国連サミットでもその重要さが唱道されている。我々T.D.T.が繰り返し訴える「命を守る経済」対策は、この国際アジェンダに沿った概念であり、世界各国が共有する希望ある未来へ向けての目標である。 そして、この概念は、新しいものではない。経済思想の歴史を紐解くと、ジョン・メイナード・ケインズが総需要管理政策として、非常時の際に政府の役割を強調し、財政出動の必要性を強調している(『雇用・利子および貨幣の一般理論』)。
======【引用ここまで】======

総需要管理政策の下では、需要の全部を足し合わせたものと、供給の全部を足し合わせたものを比較し、総需要が不足している時は政府の支出によって掘り起こそうとします。
この時、
「不足する需要の総額はおよそ幾ら」
という大まかな計算をし、これに見合う予算の規模を最初に見積ります。
個別の事業の中身は後付けです。

例えば↓
○第2次補正予算は13兆円前後か 一律現金給付第2弾は見送りも家賃支援に増額圧力 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
======【引用ここから】======
国民民主党の玉木雄一郎代表などは新型コロナウイルスの影響でGDPの2割が喪失するとの試算をベースに、失われる総需要に相当する100兆円以上の財政出動を国債発行によって実現するよう求めており、与党内でも安藤裕衆院議員など少数派ながら相当数の議員が賛同を示している。
======【引用ここまで】======

まず、マクロで「100兆円の財政出動」という規模ありき、なんです。
その上で、じゃあ具体的に何の事業を積み上げて100兆円に届くようにするか、を考えるため、個別の事業についての採算性、必要性、相当性のチェックがザルになります。

これは中央省庁だけでなく地方自治体でも同じで、国から補助金や交付金の枠が示されると、地方自治体の内部では
「国からの枠を使い切らないともったいない、何でもいいから枠いっぱいになるよう事業を組むぞ」
という指示が出されます。
地方自治体にとって、国の金は他人の金。なので、余計に雑でザルな事業が出来上がります。単年度で終わる事業であればまだ良いのですが、後年度も継続するような事業であれば無駄な事業にランニングコストを垂れ流すこととなり地方財政は悪化します。

【3.累積債務】

高齢化による社会保障給付の伸び、非効率で不必要な公共事業、この2つが「高負担」の要因なのですが、この費用を全てその年度で賄えていたわけではありません。税金と社会保険料では実は足りておらず、この不足分を国債で穴埋めしてきました。
とっても恐ろしい「ワニの口」です。

○どのくらい借金に依存してきたのか 財務省


国債の発行残高は1,000兆円となり、GDP比で250%。
元本が増えれば利払いも増えるわけで、過去の国債からくる利払いが「高負担」となって現役世代を苦しめています。
ケインズ理論で行ったとしても、不況期に赤字覚悟で歳出を増やし好況期には赤字を解消しなければならないはずだったのに、現実は、ワニの口は閉じることなく開きっぱなしです。もはやアゴが外れそうです。

藤井聡や安藤裕らMMT教徒は「デフレの間はそれでいい、むしろ国債発行を増やしていい、インフレになったら止めればいい」などと言いますが、インフレになった後で大幅な増税や給付削減をしなければいけないのは同じであり、結局のところ彼らの主張は将来へのツケ回しでしかありません。

【大きく複雑な政府、過去のツケを払わされる政府】

大きな政府・小さな政府の定義は様々ですが、「高負担」である以上、T.D.Tの言う「小さすぎる政府」という用語は当てはまりません。
公務員数の国際比較を用いて、小さな政府であるとする説明も見かけますが、税金で食べている人間の多さや規制の多さ、税目の多さを考えると、やはり大きな政府であると言わざるを得ません。

もし、20年くらい前に、非効率な事業を一掃して政府支出を給付に結びつけることができていたら、「中負担―中保障」くらいは実現できていたかもしれません。
また、国債発行残高を増やさず、財政余力を残していれば、covid19禍に対し十分な支援策を打ち出せたかもしれません。

しかし、今となっては後の祭りです。

少子高齢化の傾向は変わらず、非効率な事業は温存され、比較的景気の良かった時でさえ財政のワニの口は開き続け、国債発行残高も利払いも増え続けて今に至ります。
今から非効率な事業を整理し、社会保障給付を圧縮できたとしても、過去にバラまいて積み上げた膨大な国債発行残高の後始末からは逃れられません。

そうした中で、「財源論に関しては悩む必要はありません」と述べるT.D.Tの人達の能天気さといったら、もう呆れるばかり。

〇脱新自由主義と消費税減税へ – Think Different TANK
======【引用ここから】======
そして財源論から支出論へ。日本の国家としての経済的なバックボーンは非常に厚いので、財源論に関しては悩む必要はありません。長期的な国債の発行や借り換えという一般的な手法で、日本もこれまで戦後の復興などにも同じように財政を出動し、焼け野原からの復興をしました。
======【引用ここまで】======

戦後の焼け野原からの復興・・・まずは悪性インフレを経る事になりそうですね。

【久しぶりの、あの方】

ところで。

○TDT20200806_report02.pdf | Powered by Box
======【引用ここから】======
そもそも消費税は、導入前・増税前や、選挙前には「福祉目的税」であるかの様な表現の発表や報道ープロパガンダが溢れている。だが蓋を開けてみると、現在消費税のうち2割しか社会保障に当てられていない(*注3:金子洋一)。
======【引用ここまで】======

ここに出てくる「金子洋一」さんって、

「私はリフレ派のエコノミストとして、消費税増税には絶対反対!」

と主張しておきながら、消費税5%から8%に増税する法案を当時与党だった旧民主党が提出し採決する際に、今は亡き旧民主党内での地位確保のために賛成討論までして積極的に増税法案への賛意を求めた、あの、役立たずの前参議院議員の金子洋一さんですかwwwww
久々に名前見たwwww
コメント
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政府は民のお荷物 ~ 軽く、小さく、簡素に ~

2020年09月01日 | 政治
コロナでバタバタ会社が倒れていくのに補償する気配を見せない政府を見た日本人には理解してもらえるでしょうか?

このツイートと画像を見て、ふと疑問に思ったことを。

【仁徳天皇「民のかまど」は超緊縮財政】

○釜戸の煙が少ないのを見て税を免除する・聖帝の世
======【引用ここから】======
ここに天皇、高き山に登り四方の国を見て詔らさく、「国の中に烟發たず、国、皆、貧窮し。故、今より三年に至るまで悉く人民の課役を除け。」 是を以ちて大殿破れ壞れて悉く雨漏ると雖ども都て修理うこと勿し。椷を以ちて其の漏る雨を受け、漏らぬ處に遷り避りき。
後に国の中を見るに国に烟滿ちき。故、人民富めりと爲て、今は課役を科せき。 是を以ちて百姓榮え、役使に苦しまず。故、其の御世を稱えて聖帝の世と謂う。

======【引用ここまで】======

煮炊きをする煙が上がらないほど国民が貧窮しているので、3年間税金を徴収するのを止めた仁徳天皇。その期間中、天皇の御所や役所の建物で雨漏りがしても修理せず、漏れて落ちた雨水を受ける箱を置き、雨漏りの箇所を避けて過ごすようにした・・・そうです。

今の日本で言うなら、

「国会議員の歳費を半減し立法事務費をはじめ各種手当を全廃。国家公務員や地方公務員の給料を半減し家賃手当をはじめ各種手当を全廃。役所の庁舎の修繕費は全カット。公共工事も全部ストップ。パソコンも古いものを使い続ける。」

といったところでしょうか。
仁徳天皇は、反緊縮論者・MMT教徒の嫌う「超」の付く緊縮財政を地で行ったわけです。

もともと、当時の朝廷は今と比べると「小さな政府」でした。
仁徳天皇の頃の正確な「役所の組織図」は分からないのですが、仁徳天皇の後の時代にできた律令制度を参考に見てみると、

○大宝律令と官制 - 歴史まとめ.net
======【引用ここから】======
神祇官(宮中の祭祀)

太政官(最高行政機関)
○太政大臣(非常置の最高位)
○左大臣(常置の最高位)
○右大臣
○大納言
 ・小納言
 ・左弁官
  ・中務省(天皇の側近事務)
  ・式部省(文官人事、大学の管理)
  ・治部省(氏姓の管理、仏事、外交)
  ・民部省(田畑・租税の管理)
 ・右弁官
  ・兵部省(武官人事、兵士・武器の管理)
  ・刑部省(訴訟、刑罰)
  ・大蔵省(財政、物価の調整※2000年まで名称が存続した)
  ・宮内省(宮中の庶務)

弾正台(行政監察)
五衛府(宮中の警護)

======【引用ここまで】======

となっています。

政府が行っていた業務は、今で言うと、天皇・皇室の生活に関する宮内庁の業務を中心に、国家公務員の人事、外務省アジア太洋州局、各地の税務署とこれをまとめる国税庁、市町村の戸籍係、官吏養成学校としての東大法学部の運営、陸上自衛隊、検察庁、国土交通省の道路局や水管理・国土保全局・・・くらい。

元々がびっくりするほどの「小さな政府」なんですよ^^
この「小さな政府」から更に、
「3年間徴税停止、そして大幅な歳出削減」
としたのが、仁徳天皇の「民のかまど」です。

【信長の「功」 税の簡素化】

次に、みんな大好き織田信長です。

彼の活躍した室町時代から江戸時代開始までの間、戦国大名は、朝廷、公家、寺社、守護大名の錯綜した権益関係を整理・統合・廃止し、自身の支配権に組み込む事に腐心しています。関所の廃止もこの文脈で捉えることができます。

織田信長は、寺社や座が個別に設置していた関所を廃止し、結果として流通が盛んになり商業が活発になりました。では、関所を廃止した信長はどこから収入を得ていたのでしょうか。

よく言われるのが、冥加金と、矢銭です。

信長の支配下にある尾張・美濃、新たに代官を置いた堺・大津・草津の商人から上納金を集めるとともに、堺の商人に2万貫の戦費を課したのは有名なエピソードですが、これらは定期的に納められていたというよりも、合戦や大規模工事のために金が必要になった際にその都度献金を募っていたと言った方が近いかもしれません。

平時は年貢で自分と家臣の食い扶持を確保し、合戦や大規模工事の時には商人に課金し不足分を賄う。そして、自分以外の、公家や寺社の複雑な権益関係は様々な機会を捉えて随時廃止し、自身の権力を強化する。その結果、関所をはじめとした各種規制が撤廃され、商業が盛んになり、商人からの献金が増える。
これが信長を始めとする戦国大名の主な経済政策と言えるでしょう。

【信長の「罪」 上京焼討】

ちなみに。

画像にある織田信長の
戦乱で京が焼けたので 税を免除する
についてですが、この言い回しは不正確です。

足利義昭と織田信長が対立していた元亀四年、信長は、義昭に協力的だった京都の上京を焼き討ちにし、その後、上京における地子免除を行っています。

これは、
「住居の焼けた京の民の生活に配慮し、信長は自分が取る税を免除した」
のではなく、
「信長は、自身に非協力的な住民の多い上京地域を焼き討ちにし、この地域で公家や寺社が取っていた税金を排除して公家や寺社の領主権を否定し、自身の直轄地とした」
というのが実情のようです。
信長は、焼討のあった地域で自分が徴税権を持っていた税を免除したのではなく、他人の徴税権を焼却するために物理的に焼き討ちをしたことになります。いくら公家や寺社の徴税権をなくしたいからと言って、焼き討ちはいかんよ焼き討ちは。

反緊縮論者・MMT教徒的には、これが美談になるのでしょうか。

(詳しくは、
○陣取放火と地子免除 織田期京都上京における寺社本所領の解体過程 土本俊和
をご覧ください。)

【古人に学ぶ税の在り方】

税制、税金、政府支出は、民にとっては重荷です。
税は、時代によって現金納付、現物納付、労務の提供、新貨・悪貨によるインフレ税などいろいろな形態をとっていますが、いずれにせよ、民の負担を強いるものです。政府支出が増えても富は増えません。

仁徳天皇の「民のかまど」エピソードは、減税と歳出削減はセットである事を物語っています。
また、織田信長は、複雑な税制を簡素化することで商業を活性化させようとしました。

二人とも、平時における給付事業を災害時に拡大するような愚策は採っていません。
平時に徴収していた税を止め、従来行われていた規制を撤廃することで、民の暮らしが豊かになるようにしたのです。

こうした古人に学び、新型コロナ禍の中にある現代の民を救うため、政府支出を減らし税額を減らし、税の種類を減らしましょう。政府の存在は重荷であり、緊急時こそ、政府を小さくして民の負担を軽くしなければなりません。
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