日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
アフリカ・リミックス
「アフリカ・リミックス−−多様化するアフリカの現代美術」展(於森美術館。8月31日まで)。
これはたいへん重要な、意義のある展覧会です。見に行ける余裕のある方はぜったい見に行ってください。
アフリカ=未開、タイコどんどこというステレオタイプ・イメージから同時代、同時進行のものとしての正しい把握への手助けとなるものですから。
要するに、受け身に文化を消費させられること、市場を支配する者の操作でもたされた他者イメージを自分で閉じこもり的に楽しむことだけにとどまらないためには、アフリカが「現代」を生きている、その様相こそをつかんで、そこから生まれている文化を享受できることを目指すべきです。そうでないと現地の血の通った人間との人間的な付き合いなんて無理、でしょう。
会場の森美術館はかの六本木ヒルズの53階にありますが、ひとつ下の階から展覧会場に上るエスカレーターの手摺にブルンジのAime' Ntakiyicaの『WIR』という写真作品がプリントされてました。面白かったんで写真に撮りましたが(上)、あんまりはっきり写ってなくて残念。
作品は多様ですから、いちいちコメントできません。現代美術ですからひとつひとつ楽しみ方(?)の質が違うと思います。わたしはコンゴ(旧ザイール)のCheri Samba とか分かりやすいと思ったけど、やっぱりこの人は相当西洋でも知られている人なんですね。マリの Abdoulaye Konate'が日の丸を使っているのは、どの程度重みのあることなんでしょうか?・・・
アルジェリアからは、フランス国旗の三色を腰にまとって、フランス国歌ラ=マルセイエーズの演奏に合わせてあのマグレブ風の腰振り踊りをするというZoulikha Bouabdellah の Dansonsというビデオ作品(ここでは「国歌」は「国旗」とともに単純に「フランス」を代表していると思います。「国歌」みたいなものはこういうところで使うものなんですね)、Zineb Sediraが父、母の植民地時代のつらい過去の思い出を語るのをじっと聞いているというビデオ作品などが出ています。
中には音作品展示(?)もあります。これが注目!
それは『アフリカ・リミックス展のためのミュージック・バー』というものです。部屋の奥にジュークボックスがあって、なかを覗いてみたらなんとハレド、リミッティや、まことにタイミングのいいことに (^o^)y グナワ・ディフュージョンの曲が入ってましたですよ。今のアフリカを代表する音の例というわけです。
もちろん鑑賞者が無料で自由に選んで聞けるようになってますから、ぜひ聞いてみて下さい。 (^_^)y
展覧会のカタログの解説も実に刺激的で面白く、夢中で読んでます。
80年代末、ワールドミュージックがブームになり、ライでは『クッチェ』という歴史的名盤がフランスで作られたころ、美術の方でも「大地の魔術師」Magiciens de la Terre展という画期的展覧会がパリ・ポンピドゥー・センターで開かれて、アフリカの現代というものに向き合う先駆けとなっていたんですね。
こういうのを知ると一種の世界認識に触れたような気になりますね。
音楽のマーケット、美術のマーケットの中心自体は、現代では当然アメリカにあります。
でもこういう「世界を知る動き」を作り出すためには、世界はフランスに頼らないといけないところがある、というのがわたしの世界認識なんですが、いかがでしょうか。アメリカはあまりに市場システムに支配されていて、こういうイニシアチブがとれないところがあると思うのです。
こういう文化面での動きの背後には、まあ例によってジャック・ラング選手の頑張りがあったわけでしょうが、それだけではないでしょう。
大きなスパンで話をすれば、二十世紀を通じて進行した西洋中心主義への疑問、反発の中で68年をきっかけとしたカウンターカルチャー志向のひとつの流れが80年代終わり頃にワールドミュージックやアフリカの現代美術への開眼みたいなものとして開花しているということなのでしょうが、このタイミングでこれが起こったというのは他にどういうファクターがあったと言えるでしょうか。
読者のみなさまのご示唆がいただけましたら幸いです。
これはたいへん重要な、意義のある展覧会です。見に行ける余裕のある方はぜったい見に行ってください。
アフリカ=未開、タイコどんどこというステレオタイプ・イメージから同時代、同時進行のものとしての正しい把握への手助けとなるものですから。
要するに、受け身に文化を消費させられること、市場を支配する者の操作でもたされた他者イメージを自分で閉じこもり的に楽しむことだけにとどまらないためには、アフリカが「現代」を生きている、その様相こそをつかんで、そこから生まれている文化を享受できることを目指すべきです。そうでないと現地の血の通った人間との人間的な付き合いなんて無理、でしょう。
会場の森美術館はかの六本木ヒルズの53階にありますが、ひとつ下の階から展覧会場に上るエスカレーターの手摺にブルンジのAime' Ntakiyicaの『WIR』という写真作品がプリントされてました。面白かったんで写真に撮りましたが(上)、あんまりはっきり写ってなくて残念。
作品は多様ですから、いちいちコメントできません。現代美術ですからひとつひとつ楽しみ方(?)の質が違うと思います。わたしはコンゴ(旧ザイール)のCheri Samba とか分かりやすいと思ったけど、やっぱりこの人は相当西洋でも知られている人なんですね。マリの Abdoulaye Konate'が日の丸を使っているのは、どの程度重みのあることなんでしょうか?・・・
アルジェリアからは、フランス国旗の三色を腰にまとって、フランス国歌ラ=マルセイエーズの演奏に合わせてあのマグレブ風の腰振り踊りをするというZoulikha Bouabdellah の Dansonsというビデオ作品(ここでは「国歌」は「国旗」とともに単純に「フランス」を代表していると思います。「国歌」みたいなものはこういうところで使うものなんですね)、Zineb Sediraが父、母の植民地時代のつらい過去の思い出を語るのをじっと聞いているというビデオ作品などが出ています。
中には音作品展示(?)もあります。これが注目!
それは『アフリカ・リミックス展のためのミュージック・バー』というものです。部屋の奥にジュークボックスがあって、なかを覗いてみたらなんとハレド、リミッティや、まことにタイミングのいいことに (^o^)y グナワ・ディフュージョンの曲が入ってましたですよ。今のアフリカを代表する音の例というわけです。
もちろん鑑賞者が無料で自由に選んで聞けるようになってますから、ぜひ聞いてみて下さい。 (^_^)y
展覧会のカタログの解説も実に刺激的で面白く、夢中で読んでます。
80年代末、ワールドミュージックがブームになり、ライでは『クッチェ』という歴史的名盤がフランスで作られたころ、美術の方でも「大地の魔術師」Magiciens de la Terre展という画期的展覧会がパリ・ポンピドゥー・センターで開かれて、アフリカの現代というものに向き合う先駆けとなっていたんですね。
こういうのを知ると一種の世界認識に触れたような気になりますね。
音楽のマーケット、美術のマーケットの中心自体は、現代では当然アメリカにあります。
でもこういう「世界を知る動き」を作り出すためには、世界はフランスに頼らないといけないところがある、というのがわたしの世界認識なんですが、いかがでしょうか。アメリカはあまりに市場システムに支配されていて、こういうイニシアチブがとれないところがあると思うのです。
こういう文化面での動きの背後には、まあ例によってジャック・ラング選手の頑張りがあったわけでしょうが、それだけではないでしょう。
大きなスパンで話をすれば、二十世紀を通じて進行した西洋中心主義への疑問、反発の中で68年をきっかけとしたカウンターカルチャー志向のひとつの流れが80年代終わり頃にワールドミュージックやアフリカの現代美術への開眼みたいなものとして開花しているということなのでしょうが、このタイミングでこれが起こったというのは他にどういうファクターがあったと言えるでしょうか。
読者のみなさまのご示唆がいただけましたら幸いです。
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