スタンダール、久々の日本登場。佳作でよかった!


 スタンダールというと、『赤と黒』『パルムの僧院』でなければ『恋愛論』ということになります。こんなクサい題の本を書いているもてない中年男、ってそれだけでユーモラスな存在ですね。

 そのスタンダールをフィーチャーした小説が最近日本で出ました。水野敬也『運命の恋をかなえるスタンダール』というのです。

 読んでみました。

 まあ、誰でも考えるとおり、スタンダールが出てきて、地味な女の子に恋の指南をするわけですが。

 ユゴー『レ・ミゼラブル』からの引用?も大きな部分を占めますが、本当はスタンダールとユゴーというのは犬猿の仲だったんですよ。なんだか可笑しい。

 うん、でも、たしかに軽いけど、佳作でよかったです。いやらしくない。
 それで十分です。
 まあ、世界文学としてのパワーは、本家の『赤と黒』が100とするとこの本はだいたい27くらいか――なんで27だ?根拠はなんだ?――と思えるのですが、好感を持てる作品で、ほっとしました。

 ところどころ、ふいに、何気ないところで、軽くはっとさせてくれたりして。

 「・・・本さえあればどれだけでも楽しい時間を過ごすことができますから、本が好きだという時点で、私たちの人生は勝ったも同然なんですよ」

なんてね(ヒロインの女の子は図書館につとめているのです)。

 そのとおり。

 でもわたしの場合、それに加えて:

 「音楽があれば――というかだいたいいつも頭の中で音楽が鳴ってるんだけど――いくらでも楽しい時間を過ごすことができますから(タワーレコードみたいだな)、音楽が好きだという時点で、私たちの人生は幸福と決まったも同然なんですよ」

と言っておきたいですね。

 ・・・なんだかこの話もクロさんでしめたくなりました。ほんとにこの夏はクロさんの影に支配されたところがありますね・・・

 いやなに、スタンダール研究者の小さなサークルでは、本名を Chloé Pelletier-Gagnon というクロさんは、スタンダールの母方の家系がGagnonといいますから、この氏族からカナダに移民した一族の末裔ではないだろうか、という話がでているのですよ。いや、わたしが出したんですけどね。(汗)
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文学のつながり


 わたくしの恩師、中川久定(ひさやす)先生が6月にお亡くなりになったのですが、先日追悼会が「時計台」の下でありました。
 フツブン界の錚々たる大物先生方が出てこられて、わたくしのごときチンピラは隅の方で小さくなって・・・はいなかったのですが(汗)まあ、あんまり大きな顔はしなかったつもりです。

 中川先生には、わたくしはいろいろご迷惑をかけてしまっているので、お姿をお見かけするといつも這ってでも逃げ出したくなるようになってしまっておりまして。以前、ロトフィ・ブシュナクの京都公演のとき会場に来ておられたときには、逃げるわけにもいかず、冷や汗たらたら、ひたすら恐縮の数時間を過ごす経験をいたしました。もちろん先生の方は関係機関の要職におられる方として顔を出すべきお立場だったわけですが・・・    まあでもわたくしにとって中川先生は、やっぱりちょっと変な人、という印象だったかも。もっとも先生は、九州の小藩の藩主の家のご出身、世が世ならばの方でありましたから・・・

 先生の膨大なご業績のごく一部が会場に展示されていました(写真)。先生のメインのお仕事と言っていいのがディドロ研究なのも、なんだか面白いです。お殿様が「市民劇」の提唱者を研究されていたわけで・・・
 ディドロまでとても手は伸ばせませんからわたくし自身はほとんど先生のご著書はまじめに読んだことがありません。まったく不肖の弟子というか、梯子というか(これは、いしいひさいちのギャグ)。

 それに先生からは「きみも早く本を出しなさい」という身に余る光栄なお言葉を頂戴していたのに、いまだに出した本はフランス語初級教科書だけですから、どうしようもない愚かな弟子でございます。(汗)

 中川先生は岩波新書で『自伝の文学 --ルソーとスタンダール--』(1979)というのも出しておられました(あ、写真の左手前にありますね)。スタンダールはわたくしのメインなので、まあこの本だけは読ませていただいています。でもこれもまあ、中川先生とわたくしでは「切り口」がぜんぜん違うので・・・ その意味では、中川先生には悪いですが、鈴木昭一郎先生からの方が、わたくしが受けた影響が大きいです。鈴木先生はとにかく頭の良い方でした。なにせあの超エリートの集う戦前の陸軍士官学校で学ばれた方ですから。卒業する前に戦争が終わって軍隊がなくなってしまったので、なぜかフランスの、なぜかスタンダールの研究を始められたのですが。先生がなぜスタンダールなど、それも生涯をかけて、研究されるようになったのかは、一度もうかがったことがありません。「そういうものだ」ということでなんとなく納得していただけです。

 ちょうど鈴木先生がわたしたちに教えてくださったように、いまわたくしが若いひとたちにフランスの歴史の流れを教えている、というのは、本当に不思議な気がします。わたしがそんなだいそれたことをやっているなんてね。
 高校のころに木村先生というひとがわたしたちに世界の文学の一通りのお話をしてくれたのと同じように、わたしが学生さんたちに偉そうに世界の文学を語っているというのも、まことに不思議な気がします。柄でもないのにね。わたしは本質は音楽人間なので。

 中川先生から習ったのは・・・浮世離れすることの心地よさ、でしょうかねえ。これはわたしは学生さんには教えてないな。

 会場には三好郁朗先生も来ておられまして、お話をさせていただきました。
 三好先生の「詩」の授業――マラルメとか、ランボーとか読む授業です――を受けさせていただきました。わたしがフランス語のむずかしい詩がいくらか読めるのは、やっぱり三好先生のおかげであります。

 ということで、三好先生にクロさんの『怪物たちの錬金術』粕谷対訳つきを一部進呈させていただきました。
 これ、わたしにとってはとてもうれしいことでした。


 さて、中川先生の追悼の場に集まられた先生方の持っておられる知識量はものすごいものだと思います。
 でも、いまはフツブンとかいってもあまり学生さんは来ないですから、これらの知識の多くは消えていってしまうのでしょうね。

 しかしそれを悲しむことはないと思います。要は、文学は国民文学の時代を抜けて世界文学だけでいける時代になってきた、あるいはそこまでいかなくてもその境地が既に視野に入った、ということを意識することです。フツブンガクの知識は世界文学の大きな枠のなかで生かすことを考えさえすれば、あらたに生命を得て生き続けるはずですね。


 

 
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