Sukiyaki 2017 良かったねー Bilan 06 Noura Mint Seymali et la nouvelle tendence de worldmusic.


 面白いのは、ステージ袖ではトルコのガイ・ス・アキョルさん(妖艶なコスチューム・・・)とヌーラさんが案外楽しげに談笑してたりすることです。トルコ人からモーリタニア人を見たら、モーリタニア人からトルコ人を見たら、どういう風に見えるのか・・・ こういうのが世界音楽の場の醸し出す面白さですよね。

 さてパワフルなヌーラさんの歌、ヌーラ・グループの音楽ですが、これが今の世界音楽の、ある意味最先端にあるのです。クロさんはもちろんCDしか売ってませんが(オルゴールは売ってたけど。あれはクロさんにぴったりで、可愛い!)、ヌーラさんの音はCDだけじゃなくて「180g Vinyl. Download Code(付き)」で売ってるんですね。なるほど、彼女の声はDJが扱ってクラブに鳴り響くのにふさわしいパワーを持っているのです。グリオの威厳がクラブ・シーンと合わさります。

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Sukiyaki 2017 良かったねー Bilan 05 Noura Mint Seymali et la Mauritanie. La dignité des griots.


 さて今回のスキヤキでヌーラ・ミント・セイマリさんグループのワークショップ担当をさせていただいたのはたいへん光栄でした。
 よく考えたら昨年はソマリランドのサハラ・ハルガンさんグループを扱ったのですが、今回はそれ以上に難しく、それだけに意義のあるものだったと思います。

 写真はオープニング・ステージのときのもの。土肥さん、お写真、ありがとうございました。

 どうです、右の男はいいとして、民族楽器アルディンを持つヌーラさんはこう、なんというか、すっくと立って威厳が感じられませんか?

 わたしは、モーリタニアのアイデンティティはこのヌーラさんのようなグリオの威厳、威信だと思うのです。どういう意味か、少しずつお話します。

 モーリタニア、って日本では名前しか知られていない国でしょう。たぶん、日本以外でも同じだと思います。なんかアフリカにそういう国があるなあ、というだけ。
 わたくしにとっても同じでした。人口も数百万人しかいないし、地下資源も、たくさんできる農産物もない。行って来たひとの話では「青い空と、赤茶けた大地。ただそれだけ。こんなところに人が住んでいるなんて信じられない」という土地なんですね。
 これでは「モーリタニア人とはこれだ」というイメージの持ちようがなくて途方にくれたんですが。

 オープニングステージ。わたしはステージの袖で見ていました。
 ご主人のJeiche(ジェシュと発音します)さん、ベースのOusmaneさん、そしてドラムスのMatthewさんの三人が先にステージに出て演奏を始めます。その間ヌーラさんはずっと椅子に座ってステージを眺めていたのですが・・・ やおら立ち上がってつかつかとステージ中央に向かって歩み始めました。

 彼女の後ろから見ていたわたしには、それがなんとも「立派」に見えました。

 グリオの権威、グリオ文化の権威というものかもしれません。

 彼らの国にはコーランの古い写本が残されていますが(世界遺産の村とかに)、
 彼らの音楽にはアラブ音楽流にマカーム(旋法)があるのですが、

やっぱりベースは口承文化、グリオの権威ある語りがいちばん大事なものなのだと思います。




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日本はこれでいけばいいのではないでしょうか?


 経済もそんなに調子よいとはいえないし、内向きとか少子化とか、また原発事故のこととか、いろいろ日本は問題をかかえています。

 新興国がどんどんグローバル市場に参入してくる接戦の時代、とくに超大国中国が経済面でもどんどん伸びていく現在、日本はこれから凋落するしかないのか、と絶望する人も多いかもしれません。
 悲観的になるのでなければ根拠のない自信、夜郎自大な自己過信をもつ人ばかりとなって、やっぱり没落が待っている、と見えるかもしれません。

 でもわたくしはこんな風に考えます。

 「経済的パワーは他の国には及ばないかもしれませんが、日本はお互いの文化を理解しあった、息の長いお付き合いをしたいと思います。資源が枯渇するとか、人件費が高騰して工場を作るメリットが無くなるとか、これからいろいろあるかもしれませんが、それは短期的なことで、些細なことです。国民同士が敬意を持ち合って、相手を尊重しあう、そういうお付き合いを続けたいものです」

こういう姿勢で世界の国々と接していくのが日本にとって一番よいやり方ではないでしょうか。
またこういう姿勢をとることが、とくに日本人には可能ではないでしょうか。

 「先進国」の文化ばかり追っていればよかった時代も、もう終わっていると思います。今は先進国もそう先進ではないし、途上国もそんなに途上ではない時代です。
 日本のひとはある程度分担し合って、お互いに敬意を、リスペクトを持って、世界のひとびととその文化に接していけばいいのではないでしょうか。

 ノーベル賞を取るばかりが偉くはないです。
 精神的高みは横方向にもあります。あるはずです。
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