私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

J・D・サリンジャー『ナインストーリーズ』

2015-09-21 10:12:43 | 小説(海外作家)
 
サリンジャーが遺した最高の9つの物語。35年ぶりの新訳。
出版社:ヴィレッジブックス




野崎孝訳で読んで以来の再読だが、こんなにも繊細で傷つきやすい人物たちが登場する物語だったのだな、と改めて知らされ驚いている。
そしてここまで濃密に戦争の陰が落ちている作品とも思いもしなかった。

個人的には、『コネチカットのアンクル・ウィギリー』『笑い男』『ディンギーで』『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』が好きだ。
だが一個一個簡単に感想を記していこう。



・『バナナフィッシュ日和』

シーモアが戦争でPTSDになっているのはまちがいない。
義母は異常なシーモアの行動を不安視しているけれど、妻のミュリエルはシーモアのことを楽観視して気にも留めていない。
だがそれが悲劇なのだろう。

シーモアはずいぶん神経質な印象を受ける男だ。
会話自体もどこかぎこちなく、こだわりが強い気がする。それでも幼い子供と仲良くなるだけの常識はある。
それだけを見るなら精神疾患には程遠い。
しかし彼は自殺を選んだ。表層に見える以上に、彼の中には苦しさはあったのかもしれない。

バナナフィッシュが何かは結局わからない。
メタファーかもしれないいし、死に向かうにあたっての彼なりのトリガーかもしれない。
ともあれ、何がきっかけで人が壊れるかはわからない。そんな危い傷を見る思いがする。



・『コネチカットのアンクル・ウィギリー』

エロイーズはどうやら深い傷を負っているらしい。
夫との関係はうまくいかないし、娘は空想癖を持っていて、エロイーズをいらだたせるばかりだ。そして戦死した昔の男ウォルトのことをどこか引きずっているらしい。

それは人間的に感性の乏しい夫に対するいらだちであり、そうではなかったウォルトを懐かしむ気持ちと、恋人の無残な死に方に対するショックが強いからだろう。
彼女の中では、まだウォルトの死に対する折り合いがついていない。

最後の方の「気の毒なひねひね叔父さん」と口走る姿があまりに悲しい。
その言葉からはエロイーズの苦しみがあふれ出てきているようだ。
それだけに読んでいるだけでも切ない作品であった。



・『エスキモーとの戦争前夜』

セリーナの兄フランクリンは戦争に行けなかったことに負い目があるように見える。
ジニーの姉を嫌なやつって言っているのは、彼女が結婚相手に海軍の兵士を選んだことに対する嫉妬であり、コンプレックスなのかもしれない。

とは言え、フランクリン自体は親切な男だ。ちょっと空気が読めないけど。
そういう辺り、結局のところ不器用なんだと思う。
そんな彼の姿が悲しく、おかしく、切ない作品だった。



・『笑い男』

「笑い男」の話に対して、チーフは自分を仮託して語っている部分もあるのだろう。
何かしらの醜さをもっていて、それゆえに忌み嫌われる男。ユダヤ人のメタファーだという説があるのもうなずける設定である。

チーフの彼女は何かしらの理由で彼をふった。
泣いていたことからして彼女としても彼を嫌ってのことではないかもしれないし、彼としても不本意なのだろう。

恋人との別れを反映した、ラストの笑い男の話はただただ悲痛だ。
それだけにチーフの苦痛がうかがえて苦い印象を残している。



・『ディンギーで』

非常にわかりやすい話なだけに、すっと心に響いてくる。
ちょっとした言葉で傷つきがちなライオネルは、実に繊細な子供だ。
臭いと言われて、家出をするほど傷つきやすい彼は、女中たちが、父親のことをユダ公と言っていたことに傷つき、心を閉ざしてしまう。

彼自身、その言葉の意味はわかっていない。
しかしそこに込められた悪意に気づくだけのナイーブな感性を持った子だ。
それだけにつらいのだろう。

だが意味がわからないことはある意味では、救いかもしれない。
ライオネルが傷ついたのは、あくまで一対一の人間関係によるものでしかないから。
ユダ公という言葉にふくまれる、社会全体のユダヤ人に対する悪意について、まだ知らないですんでいるのだから。

母親のライオネルに対する態度は非常に深い愛に満ちていて、それも大きな救いになっている。
暗い内容の割に読後感の美しい作品だ。



・『エズメに――愛と悲惨をこめて』

Dデイの影響で「私」も機能万全といかず、心に何かしらの傷を負ったのだろう。
少なくとも文字の意味を追えなくなっている程度には、心に影響を与えている。
しかし昔のつかの間の交流をふと思い出したとき、傷つく以前のなつかしい感情がよみがえってくる。
そこから機能万全だった頃の自分を恋い求める感情もよみがえってくる様が一つの救いとなっている。



・『可憐なる口もと 緑なる君が瞳』

結局アーサーののろけになっているような気がするが、それが皮肉だ。
銀髪の男としては、相手の自殺さえ心配していたのに、それをこんな形で裏切られるんじゃたまったものじゃないだろう。
ある意味、互いの独り相撲で終わった話と見えるかもしれない。



・『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』

ユーモラスな作品で、まずはそこがおもしろい。
彼としてはいろいろ上手くいかない時間があって、ニューヨークでの生活や、義父との生活でなじめない部分があったのだろう。
その中で好きな絵で生活手段を求めるも、それも不本意なことの連続。
そんな中で、芸術の才能を持つ生徒が現れ、興奮するが、それだってうまくいかない。

しかし一つの奇跡を目撃したことで、人生に襲いかかる運命を甘受する、尼僧のような感情が湧き立って来る。
そしてその形態も人生の一つの形なのかもしれないと感じる次第だ。



・『テディ』

哲学的な話である。
テディはいわゆる神童に属するが、彼の理窟は少々特殊だ。

人はとかく論理や感情で物事を捉えがちだけど、彼はそういう方法を否定しているように見える。
彼としては「リンゴ食いたちの集団」とはちがって、論理ではなく、物事をあるがままに見ようとする姿勢を貫いているのだ。
だから感情的な見方や、自分の存在にもあまり価値を置いていない。
それに対する正しさはともかく、ある種の思想の表明としては興味深い事案だ。

だがそれゆえに、多くの場合、周りの気持ちを無視してしまうような気がする。
ラストの悲鳴はそれを端的に表している気がした。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


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