いつも寝不足 (blog版)

動物園・水族館へ行った記録が中心(?)。
他の話題はいつも寝不足 (信州FM版)で。

IDOのケイタイを使用中(トラックバックの練習)

2005年04月29日 | 雑記
今でもIDOのケイタイ(C105P)を利用中。2000年6月に購入したので、もうすぐ満5年。バッテリはへたりつつあるが、まだ大丈夫。

なお、液晶が白黒に見えるがさにあらず。ちゃんと光の三原色(RGB)で発色せることができる。バックライトを。。。



動物園再び

2005年04月27日 | 動物園・水族館
今回は、これという目当ては無しに、とりあえず行ってみた。

この右もしくは上の画像のヤギ。何という種類か忘れてしまったが、まぁ、やる気のない種類で、5~6頭いるすべての個体が、座り込んでジーッとしている。口をモグモグさせているので反芻消化中なのだろうとは思うが。


サカサナマズは、食事の時以外は逆さま。インドシロクジャクはアルビノを人工的に定着させたもの。ペンギンの鳴き声は「グェッ、グェッ、グェ~~」という感じ。見に来ていた園児たちは一斉に「変な声~!!」と叫んでいた。
サカサナマズ インドシロクジャク 鳴くペンギン 飛び込む直前のペンギン


私のお気に入りのトビ。正面からは愛らしいが、横から見るとやはり猛禽であることが分かる。
トビ(正面) トビ(側面)

北信五岳

2005年04月27日 | 外出
天気が良いので散歩がてら撮った写真。

右もしくは上の写真は、小布施駅にある北信五岳(飯綱、戸隠、黒姫、妙高、斑尾の五山)の看板。何でも、小布施駅は北信五岳を望むのに最も適した場所なのだそうだ。
北信五岳
ところで、上の写真には斑尾が写っていない。1つだけ離れているので収まり切らなかった。


おまけ。駅で見かけたソックスとしっぽがきれいな猫。
猫

春たけなわ in 長野

2005年04月25日 | 外出
現在、実家の近辺は春たけなわで花が咲きまくっている。ちなみにこの写真(右または上)は、葛飾北斎の天井画(鳳凰図)で有名な岩松院の入り口近辺。


観賞用だけでなく、畑の中の木々にも花が咲いている。
しだれ桜 桃の花 花桃 プラムの木


もちろん、草花も咲いている。個人的にはこういった花の方が好きかも。
田舎の春 たんぽぽ オオイヌフグリ


以下おまけ。


下の画像はぶどう畑の中に建っている巨大な扇風機に似たもの。周囲にも同じものがいくつも建っている。ぶどう畑だけじゃなく、りんご畑やもも畑にもある。
畑の中の扇風機
知らない人が見たら、「何だろう?」と思うのは間違いなし。実は、これは10年ちょっと前から普及している霜よけ機。昔はタイヤを燃したりしたが、現在はこの扇風機みたいので霜よけをしている。

センサーがついていて、霜が降りそうな時は自動的に動作する。意外に高機能。

杉山隆男『メディアの興亡』

2005年04月25日 | 読書
西山事件(Wikipediaへのリンク)の、西山毎日新聞記者が国を提訴したそうだ。

迂闊なことに、西山事件を知ったのがタイトルの本を読んでだが、この本は第17回(1986年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した傑作。

既に20年近く前の本だが、最近のライブドアとマスコミの対立や、マスコミの体制迎合、第4権力ぶりなどなど現在の問題にまで通底するものがある。

大まかな内容は、戦後の新聞社の興亡を日経・毎日の両新聞社を中心にしながら、印刷現場から活字を追放する技術革新や、4大新聞の全国展開、報道そのものの質などを複雑に絡めながら展開している。

ノンフィクションを読んでこれだけ昂奮したのは初めてだった。同氏の『兵士に聞け』、『兵士を見よ』も傑作だったが、デビュー作の本書が最も清冽な印象を受ける。

メディアの興亡 (上)』、『メディアの興亡 (下)』(いずれも文春文庫、Amazon.co.jpへのリンク)。

また735点かよ

2005年04月24日 | 受験
去る3月27日、約5年ぶりにTOIECを受験した。

何ら準備・対策をせずに受験してこの点数なら満足すべきなのだろうが、それなりに準備して臨んだ前回と、本当に何もせず受験した今回が同じ点数ってのが納得いかない。

点数が下がっているなら、「ああ、やっぱり勉強しなきゃな」と思えるし、点数が上がっているなら「TOIECは受ける価値がない(少なくとも私には)」と思えるのだが、全く同じ点数でどっちつかず。

まぁ、前回は初めての受験で右も左も分からなくて手をつけられなかった問題があったから、その差を考えると今回の方が点数が低いとは言える。

人権教育って…

2005年04月21日 | 雑記
母親が朗読ボランティアをやっていて、公報などの朗読をしているのを聞くとはなしに聞いていたら、人権教育って、嫌な思いをさせることを言ったり・やったりしない、って程度のことなのね。

モザイクの中の人権を護れ!」などと比べると、何と矮小化された人権なんだろうと思わざるを得ない。

でも、一般的な人権のイメージって、「嫌な思いをさせることを言ったり・やったりしない」程度なんだろうなとも思う。私も、そういった一員であることはなかなか否定できない。

シンガーソングライター (演歌の)

2005年04月21日 | 雑記
風呂場のタイルを修繕しながらラジオを聞いていたら、大沢桃子というシンガーソングライターが出演していた。声から判断すると、20代のようだ。

軽いトークの後に大沢桃子の歌う曲が流れた。タイトルは「おんなの春」。タイトルを聞いた瞬間「若い割に、えらく大時代的だな」と思ったが、流れてきたのは演歌。そう、大沢桃子は演歌を歌うシンガーソングライターだったのだ。

ちなみに、音楽の師匠が寺内タケシで、舞踊の師匠が浅香光代とのこと。

色んな人がいるのだ

2005年04月20日 | 時事
中国や韓国との関係がきな臭くなっているが、こういった場合いつも思うのが、the中国人やthe韓国人なんて存在しないし、同様にthe日本人も存在しないということ。要するに集合名詞的に抽象化された実体としての国民は実在しないのだ。

「中国人は…」、「韓国人は…」、「日本人は…」という言辞は全て過度の一般化であると言って過言ではない。

まだ私が学部生だった頃だから、10年くらい前(1995年頃)の話になってしまうが、キム(金)さんという韓国人学生がいた。彼は韓国の新聞社(名前は失念)の特派員の息子で高校時代から日本に住んでいた。

留学生としてではなく、一般の学生として日本の大学にいるくらいだから、かなり日本に馴染んでいる(『こち亀』で爆笑していた)。それを割り引いても、彼の言葉は衝撃的だった。

曰く、「朝鮮が日本に侵略されたのは朝鮮の責任である」と。

その頃は、誠に単純な左派系(≠左翼)の学生だったので、第二次世界大戦における日本は絶対的な悪で、ありとあらゆる行為は断罪されなくてはならないと思いこんでいた。

そこに韓国人であり、しかも、知的にも高いレベルにある人物から「朝鮮の責任」なんて言われた日には頭グラグラした。一体、連日のようにTVで流されていた韓国人学生による反日デモ(何をネタにしていたか失念)は何なのだろうと思い、キムさんに色々質問して説明してもらったのだが、あの頃はよく分からなかった。

その後、インターネットを利用するようになり、様々な意見が無選別に入るようになったり、右側の言説も真摯に耳を傾けるべきだと思うようになってから、彼の言っていたことが段々分かるようになってきた。

彼の言葉の理由の詳細は措いておくにしても、「韓国人」が単一の実体を持った存在なのではなく、様々な意見を持った有象無象の人々が存在するだけなのだということを思い知った。

それ以前から、社会的原子論者(用語不確か、最近は基本的な用語すら忘れてる)だったのだが、この件で益々確信を深めたのは言うまでもない。ちなみに、キムさんは社会的全体論者だった。何が何やら。

ピーヒョロ (動物園or見せ物小屋?)

2005年04月19日 | 動物園・水族館
※この項書きかけ

臥竜公園へ行ったので、須坂市動物園へも行った。

まず出迎えてくれたのはトビ。子供の頃、上空を飛び回っているのはよく見たが、こんなに間近で見るのは初めて。トビがこんなに可愛いとは知らなかった。おまけに目を付けられてしまって、こちらが動くのに合わせて首の向きを変えてくれる。

うひぃ。可愛すぎる。ペンギン目当てで来たはずが入り口で早くもノックアウト。

まぁ、ズ~ッと見ているわけにもいかないので奧へ入っていく。下に並べた画像は左からアカカンガルーのハッチ(TV出演で有名らしい)、給餌中のフンボルトペンギン(受け取りに失敗して下に落ちた魚には全く目もくれない)、併設されている淡水魚専門の水族館にいるオオサンショウウオ(体長1mくらいあって、結構グロい、人なつこいのでずっと見ているとよってくるそうだが、ちょっとパス)。

アカカンガルーのハッチ フンボルトペンギン(給餌中) オオサンショウウオ

その他、様々な動物が飼育されている。子供の頃何度も来た思い入れのある動物園なので、あまりネガティブなことは書きたくないが、やはり、狭い。臥竜公園の中心である臥竜山の裾野を取り囲むように造られているので、どうしても細長くなってしまい、そこに飼育スペースと見学スペースを造るので一つ一つの飼育スペースが小さい。

例えば、冒頭に書いたトビ。私の知っているトビはピーヒョロという鳴き声とともに大空に円を書きながら飛び回っている鳥だ。残念ながら、飼育下のトビが円弧を描いて飛ぶことはできないだろう。そういったことを考えるとトビは可愛いのだが、可哀想でもある。

そもそも、地方にある小さな動物園は、その出自が見せ物小屋的で、現在の環境・動物保護に求められるレベルを達成するのは容易ではなさそうだ。もちろん、日本でも動物園に携わる人々はこういった問題に真剣に取り組んでいるはずで、例えば、須坂市動物園でもエンリッチメントに取り組んでいる。下の画像はタイワンザルの獣舎前に掲げられたエンリッチメントの説明だ。

動物園の飼育スタッフのひとくふう


参考: 川端裕人『動物園にできること―「種の方舟」のゆくえ』(Amazon.co.jpへのリンク)


「萌え」とは、あばたもえくぼで、あばたが好き、ってことだった

2005年04月18日 | 雑記
何か、まぁ、地上波のTVニュースでも、萌え萌え、言っていて、これがあの有名な「浸透と拡散」(©筒井康隆)かと思う今日この頃。

今は単なるジャンル名になってしまった「萌え」だが、元々はマンガ・アニメ・ゲームなどの登場人物に対する受け手側の名状し難い「想い」の表現だったように思う(少なくとも前世紀は)。この伝統的な「萌え」に関する考察は、数多の名文を生み出してきたので、ここでは深入りしない。

まぁ、何が言いたいかというと、自分にとって「萌え」とは、「あばたもえくぼ」かつ「えくぼもあばた」かつ「あばたが好き」ってことなのだということ。この価値の転倒に起因する過剰な愛情を「萌え」と表現していたように思う。

ももせたまみ『ななはん (1)』(ワイドKCアフタヌーン)に出てくる(p. 111)遠山兄(※)の「飾りっ気がなくて やぼったくて ちょっと疲れてるトコ 老けてみえるし あとメガネ」という発言は、誠に正統的な「萌え」の表明だ。
※小学生で年増好き

この価値の転倒は、現在のジャンルを指す「萌え」にも引き継がれていて、ドジっ娘やメガネっ娘が基本的要素の一つになっているのが代表的だと思うが、如何。