ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

164日目 早朝から三次市内チャリ巡り

2017-02-13 23:55:18 | 山陽
平成28(2016)年9月17日(土)


前回三次(みよし)市を訪れたのは、それはそれは今は遠い昔の20世紀、私が大学生の頃。
学芸員資格を取るべく参加した博物館実習は中国の博物館見学だったのですが、その行き先の一つに「みよし風土記の丘」という屋外博物館が組み込まれていたのでした。

今となってはその時のことは全く思い出せないです。
展示品の高床式建物の下にアリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫)の巣がたくさんあったので、その巣を掘り出して砂を払いのけて「これがアリジゴク。後ろにしか歩けないんだよね、コレ。ほらほら・・・」と一人喜んでいた傍で、ある女のコが興味津々じっと見ていてくれたのだけ覚えております。
勉強しに行って何やっていたんだかね・・・。

そんな三次市に××年振りに帰って参りました。

さてこの日の予定ですが、昼から広島市内でブラブラするつもりなので、三次散策は早々に片づけねばなりません。辛いけど前日に続いて超早起きして5時半頃から行動開始となります。
ラッキーにもホテルに貸しチャリがあったのでそれを借りて。

唸りを上げて頭上を通過する前日乗った三江線一番列車→
この高架線は廃止後どうするのかね?

三次は川の町。
江の川に馬洗川や西城川などが合流していて、そのためか、秋から早春にかけての快晴の早朝に深い霧で覆われ、それを山から見ると実に幻想的な光景なんだとか。
「霧の海」と呼ばれ、霧が出始める時期になると「霧の海開き」というイベントもあるのですが、この年(平成28年)のそれは9月25日。
霧を見るにはちと来るのが早すぎたようです・・・。

ここは江の川と馬洗川の合流地点→

列車が通り過ぎたばかりの三江線の鉄橋→
さっきの高架線と共に歩く人・チャリ用の道路に転用かな?

三次のシンボル・巴橋→
鮮やかな赤に塗装された橋なのでよく目立つのですが、何故かカラスが橋にたくさん集まってカーカー大騒ぎしているので、そういう意味でもよく目立つ。
行ってみる。

彼らは何だか白いものを目当てに来ているようで・・・→
遠くからは何だか分からず、?だったけど、近づいて正体がようやく分かる。
蛾の死骸。せっせと啄んでキレイに掃除しておくれ。

この巴橋は三次と十日市の町を結ぶ橋。
実は三次駅を中心とした三次市の核心をなしている地区は「十日市」と呼ばれる地域で、「本来」の三次はこの巴橋を渡った場所をいうらしい。
まずはその「真正」の三次へ。

↓三江線・尾関山駅のムダに長いホームと駅舎内の張り紙。
 
もう二度と三江線に接することはないでしょう(多分)。永遠にさようならです。

↓「みよし本通り商店街」として売り出している古い町並み。
 



 
三次の売りの一つだと思うんですが、市公式観光サイトでは思ったほどゴリ押ししていないのはちと気になる。
それに「備後の小京都」と呼ばれていて、確かに京風の町並みな箇所はあるんだけど、「京都」を名乗るにはパンチの効きが今一つ。

 
「卯建(うだつ)の似合う町」を謳っているけど、思ったほど卯建はないし・・・。

ところで、この商店街に面してこんなお寺さんがあります→
石の門柱の文字に注目してほしい。
「浄土真宗本願寺派」の下の文字、これにピンと来た方、アンタは素晴らしい!
この選手のご実家でございます(知らんという人やファンでない人は気にしないで結構)→
知る人ぞ知る、珍しいお寺さんの出のプロ野球選手。
我が家の宗派も浄土真宗だし、梵英心、より親しみが湧いたわ!
それはともかく、三次は何故だかプロ野球選手を多く輩出する町でもあります。

巴橋を渡って再び十日市側へ。
馬洗川に架かる水道橋という橋の下流方向→
西城川との合流部。向こうに見える橋は巴橋。

水道橋の上流方向→
ボート場のような場所は、三次名物である鵜飼の乗船場。

(618)広島県三次市役所
そもそも不思議な漢字の当て字。「次」が「よし」だもん、かなりムリがある。
山陽山陰を結ぶ交通の要衝地で、約54,000人が暮らす町。
自然も豊かであることから、近年は農林業実体験ができたり農家民泊したりといった「みよし田舎ツーリズム」にも力を入れているようです。

役所近くの商店街→

苦労して市南部の高台に登る→ 
ここに登ったワケは、開いていないのは分かっていたんだけど、広島県内唯一のこの窯元があって、なんでだか妙に気になったから。
粘土を原料にした人形である三次人形の作業風景を見学できるんだとか。
でも何らの収穫もなく、徒労に終わったのだった・・・。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→