ぷるコミチ

だって。
同じ景色が見たいんだ。

だって夏休みだもの 旅の終わりもやってくる

2014-12-29 00:22:25 | 旅して歩く
苫小牧駅について、コンビニを兼ねた百均で船旅の支度をする。
飲み物。
カップラーメン。
おかし。
それらをビニール袋に詰めて、タクシーに乗り込む。
丁寧な運転の運転手さんに送られて、フェリーターミナルへ。
そこでまた、お買い物。
電車の中で確認して足りなかったお土産。
サッポロクラッシック。
いろはすのハスカップ味。
また、ビニール袋に詰めて。

きそが、待っている。



「また、来ようね」って子どもたちに言ったら、ふたりとも笑ってた。
ムスコがぽつりと「今度は一人で来ちゃうかも。新幹線で」って、言った。
ムスメに「受験かな」って言ったら、苦い顔された。

こうして子どもたちと旅に出られるのは、あと何度あるだろう。
一緒に笑えるのも、あと何年だろう。

どんどん大きくなってゆく子どもたちが、荷持を持ってくれて家路につく。
ありがとう。
またね。
いってきます。




だって夏休みだもの 私の頭もやすむよ

2014-12-29 00:19:12 | 旅して歩く
ところで。
(いきなり話し戻って)

旅行の最大の目的であるトワイライトエクスプレスのチケットが抑えられなかった時、
「冬休みか春休みに延期する」
という選択肢も、あるにはあった。
けれど、雪の季節はトワイライトの運行中止の確率が上がってしまうし、廃止の直前にとれるとはおもわなかった。
というわけで、トワイライトを諦めて北斗星に乗ったわけだけれど。
この選択が、ムスメの最大の希望であった北海道大学総合博物館にも、影響していたと知ったのは旅から戻ってから。
9月の末から総合博物館の一部は、耐震工事のために閉鎖されたというのです。
HPでこのニュースを見て、ムスメと二人で顔を見合わせて「やっぱり夏に行っておいてよかったねー」とホッとしたのです。

そんな、いろんな運にも支えられた北海道旅行。
終わりまで、あと数時間。

ムスメの最大希望であった北海道大学を後にしたら、次もまたムスメの最大希望であるお昼ごはんに。
そう。
奴の好物。
ラーメン!!!!
どうにもムスメはラーメンが好きで、日々の食事はすべてスガキヤが在ればシアワセだと豪語し(安い!)、各地へ旅行すると必ずその土地のラーメンを食べることを最大の楽しみをしているという。
なかなか、気合の入ったラーメン好きなのです。
そんなムスメは、中学校に入ってから、這々の体で定期テストに挑みながら
「らーめん!らーめん!ソフトクリーム!北海道でラーメンとソフトクリーム!」
と叫んできたのだ。

新得でラーメンを食べる時にも「味噌は、おねいちゃんとたべるから」と醤油を選択したほど。
ただ、らーめん道奥深し。
どんなラーメンを、どこで食べるか。
そこがなかなかわからない。
わからないなら、一任!!!
というわけで(迷惑だな)おねいちゃんのお気に入りのお店に連れいていっていただくことに。

一粒庵さん!!

もうね、写真がない理由は簡単!!
美味しかったから!
こじんまりとしながら落ち着いた色調の店内もステキだし、無口に働く店員さんも好みだし、
出しゃばらないけどかゆいところに手が届く接客も大好物だったけど。
なによりもラーメンが美味しい!
いつもの旅行よりも断然食事が美味しくて安全だったけれど、
長く続いた旅行の最終盤とあって、私も娘のちょっと胃腸がもたれぎみになっていたはずなのだけれど
さらっと食べられて、さらっとなくなってしまう印象。
でも物足りないわけでもないし、コクもある。
ああ。
旅先のものってなんでも美味しく感じるけれど、これは格別においっしーなー!!

肝心の娘も大満足で、それはそれは幸せそうにスープを飲んでた。
よかったよかった。

北大に続きラーメンで、娘の北海道リクエストは無事終了。
腹ごなしに、とお買い物に。

リラックマショップに寄ったり、スヌーピータウンへ立ち寄ってしまったり。
楽器店の店先でこっそりと指練習をさせてもらったり。
ふらり、ふらり、と。
ああ。
満足!!!!!
これだけ離れた土地で、心の距離は近い人と、その人が過ごす街で、その人とともに旅の最後を迎える。
こんなに贅沢な時間の過ごし方があろうものか!!
もっと観光っぽいことすればいいじゃん!?って言われそうだけれど、私にとって旅行は日常のための充電。
この時間が、充電に最適なのは私が一番知ってるんだ!!

そして極めつけ!!!

あまとうのクリームあんみつとくりーむぜんざい!!

ずーっと、ずーっと、おねいちゃんのブログで拝見する度に
「食べたいなーあれ食べてみたいなー」
と、指を咥えていたので思い切ってお願いして連れいていってもらいました!!

まんぞくー!!!!!!

旅に行くと、その土地の名産品を食べるのはとても好きなんだけれど、妙に観光地化されたものっていうのも多くて、それも嫌いじゃないけどぷる家はそれよりも本当に土地の人が食べている物が食べたい人なのです。
名古屋で言えば、ひつまぶしよりもスガキヤが食べたいのです。
私にとって旅行は、その土地の暮らしを体験することなんだと思う。
そういった意味で、ほんとうにこの札幌の一日は大満足過ぎる。
たとえば私が札幌近郊に住んでいて、ふと娘と一日を過ごすんだとしたら、こんなかんじになるんだと思うんだ。
その、疑似体験。
ああ。本当にシアワセだー!!!

が。
しかし。(だからこの旅行、この展開多いって)
私はこの後、また時計を見間違える。

うん。
また、なんです。
思い返せば北斗星の乗車前。
「発車までまだ時間があるから」と娘と構内のコンビニで飲み物やサッポロクラシックを購入していたのだけれど。
「まだまだ余裕だけどもどろっかなー」とホームに戻ると、なんと入線中。
ええー!!!
と、焦ってカメラを構えたのですよ。
どうも携帯のデジタルでさえも読み間違えるほど、頭のスイッチが切れていたようで。
その後も富良野でノロッコの到着時間を誤って記憶して「なんで到着しないの?」と焦ったことも。

しかーし。
この時の私の時計読み間違えは、なんと一時間。

この後、名古屋行きのフェリーに乗船予定で、それまでに間違いなく別行動しているムスコと合流して列車に乗らなきゃ、と若干気構えていた、というのも、確かにあるけれど。
ゆるみきった私の脳みそが「気をつけなさい!!」と言いすぎた、というのもあるけれど。
いくらなんでも一時間も時計を読み間違えるのは、本当にどうかと思う。
結果。
苫小牧行きの電車の時間の一時間半も前に「あれ?」と焦り始めてしまった。
・・・ほんと、ダメな脳みそ。
そのせいでおねいちゃんもおねいちゃんの旦那様もびっくりさせてしまったし、さらなるご迷惑もかけてしまった。。。反省。。

でもま。仕方ないんだろうなぁ。
自分のこういう、相反した性格と付き合っていかなきゃいけないんだなぁ。


おねいちゃんになだめてもらって、早々に戻ってきてしまった札幌駅でお土産物を購入。


六花亭さんの和菓子は本州には送ってもらえないので、念願の購入。


こちらは友人のおばあちゃんがお気に召してくれた一品。

他にも牛乳をちいさなパックで購入し、一足早く帰宅している夫へおみやげに。


そうこうしているうちに。
無事、ムスコを小樽まで連れて行ってくださっていたおねいちゃんの旦那様とも合流。
・・・なんだかムスコの顔が清々しい。
けれど、ムスコの顔と頭に「アタラシイジョウホウヲイッパイツメコミマシタ」って書いてあった。
にっこにこの笑顔ってわけじゃなくて、見ようによっては仏頂面なのだけれど、とてもとても満足そうだった。
ムスコの夏休みが、とてもトクベツなものになったんだって、ひと目で分かるほどに。
もう、どんな言葉を選んでお礼を言っても足りないくらい、旦那様に感謝の気持が湧いてきて、けれどどんな言葉も出てこなくって。
舞い上がってしまうくらい、私も嬉しかった。

けれど。

時間が来て。

出会った時と同じように、札幌駅の構内で手を振った。
なんだか、またすぐに逢えるんじゃないかと、会えるに決まってるじゃんという自信があって。
なんなら明日また会えるんじゃないか、くらいの気持ちで。
そんな前向きな考え方を疑いもせずに信じられれるほど、其の時の私は色んな物が満ち満ちていて。
だから、とてもあっさりと手を振った。
「またね!」と。
自分でも、びっくりするくらいに、あっさりと。
約8年を経たはじめましてを、とても大切にしたいがために。
きっと。



夫が「別れを惜しんでギリギリに駆け込んでも大丈夫なように」と号車指定もしてくれて手配してあった特急スパー北斗の車内に乗り込む。
二人並びの席に子どもたちを座らせて、飲み物と、DSを与えて、下車時間を伝える。
その一つ目の席の窓際に、私が座る。
途端に、こみ上げてきた。
なんてシアワセなんだろう。
夫が「楽しんでおいで」と言ってくれて過ごせた札幌での一日は、なによりのプレゼントだった。
そしてそれに付き合ってくれたおねいちゃんと、ムスコの我儘を満たしきってくれた旦那様がくれた一日。
相変わらず自信なんて持てないけれど、こんなに良いことばかりの一日へつながっていたのなら、私がしてきたことや選んできたことも間違いないって思える。
これからもちゃんと頑張ろうって、思える。
シアワセな、シアワセな、一日だった。

本当に、ご褒美の一日だった。

もたもたしているうちに、また歳をとっていた。

2014-12-22 08:27:59 | C&A
あと少し。あと少し。

自分の中の、芯のような部分を覗いてみると、あからさまに欠けて、いやエグれてしまっている部分があって、そこを元通りにするにはあと少しだけ、材料が足りないようだった。
どれくらい、と明確に量を提示することもできない。
其の上、その材料が何なのかもわからない。
そもそも、どうしてこのような有り様になってしまったのかも、わからない。
わからない。
わからない。
わけがない。

エグれた、傷のような部分は、2013年の6月にはもう、あった。
最初は、小さな引っかき傷で、けれど紙で切ったような痛さの傷だった。
その傷が2、3本入ったあたりが、「行間を読む」ことでビキビキと、深さを増していった。
けれど5月17日に、そこは剥がれなかった。
確かに傷は深まったし、自分の芯の、外に触れてはいけないような部分にまで傷が到達した感はあったけれど、ただそれだけの事だった。
6月に「行間を読む」ことを私に教えてくれた人が薬を塗るみたいにしてビートルズを歌ってくれた。
自分が「行間を読む」ことで湧いてしまった疑念が、現実となっていくことでいっそはっきりしたような快感さえあった。
ガザリ、と音を立てて塊が落ちたのは8月だった。
休止という建前のもと発行された、最後のファンクラブ会報。
そこに掲載された記事が、傷を深め、腐らせ、エグルように肉を削いでいった。
  人を死に至らしめるもの
それが、そこにはっきりとした形を持って登場していた。

誰だって一度は理想の自分になりたいと願う。
では、どうやって?
手っ取り早いのは、理想的だと思う人間の真似をすることだ。
憧れのアイドルと同じ髪型をする。かっこいい先輩と同じ物を持つ。
あるいは、その人間に近づいてノウハウを学ぶ。
師匠と弟子のように、その人のやり方、考え方を間近で学び、自分にも取り入れていく。
おそらく、前者を選ぶ人はやがて理想と現実の違いを知り、その願いを手放す。
そうして、理想の人間になろうと努力し続ける人間を眺める側にまわる。
後者を選ぶ一握りの人間が、理想の人間になるための努力を惜しまず、進んでいく。
さあ。
その一握りの人間が、師匠を超えた時どうなるのか。
師匠を超えたと感じて独り立ちして、けれど本来の自分と師匠の真似をしている自分との段差につまずいた時、どうなるのか。
私が、理想を具現化した人と出会うことがなかった私が、あこがれと同じくらい同族嫌悪を向けていたのは、その不安定な土台の上に立った姿だった。
段差につまずいて、ついに真似をしていた人に助けの手を求めたのを見たのは一昨年の末だった。
ああよかった。
これで大丈夫だ。
そう、心底思った。
けれど8月。
その、救いを求めて差し出した手が、空中をさまよっていたことを知った。
師匠は弟子の、助けて欲しかった部分を一蹴していた。
助けて欲しいと、つい口からこぼれてしまったほどなのに。
もっと悪いことに、師匠は師匠足り得なかった。
突き進んでいけば、ただただ自分の行きたいと思う方向へ突き進んでいけば道が貫けると思って行動してきただけの人だった。
見つめていたものが虚であったから、ますます立ち位置を失ってゆくように見えた。
そして、墜落していった先でなお、師匠に許しを請うた。
「ごめんなさい」と頭を下げた。
これが、人を死に至らしめるもの、だ。
感情や行為や関係なんかで名前をつけることはできないけれど、人を死に至らしめるものは、こんなかたちをしているんだと強く感じた。
キルケゴールが『死に至る病とは絶望のことである』と記した本質とは少し違う形だけれど、これを言葉のとおりにとるならば、そういうことかと私を納得させるのに十分だった。

私の、人に触れられてはいけない部分を覆った柔らかいところが、壊死した気配が、した。

そして自分が信じてきた文章を作ってきた人が、未だ現実を一つも見ていなかった。
彼らの一番近くにいて、一番鮮度のある情報を伝えてくれる人だと、私が20年以上信じてきた人が最後に記した文章は、幼い子供が「ちがうもん!」と泣きながら否定しているようなものだった。
「彼は元気です」と私達へ言ったのは、私達を安心させるためでもなく、アピールでもなく、ただただ自分がそう信じたかっただけなのだと、そうであって欲しいと、そうに違いないと目を閉じていたのだと、ありありと語ってくれてしまった。
これもまた、人を死に至らしめるもの、だ。
彼を姉と慕った人が目を閉じて「彼は信じるに値する人物です」と広言するのは、罵倒されるよりも、淋しくて、痛かったろう。
私が母にずっとされてきたことと、同じだ。

ごとりと、塊が剥がれ落ちた。

どうしてそうなったのかはわからない。
ただ、私の何かが傷ついて、風が吹くだけで激痛が走るくらいの痛手を負っていることは分かる。
何を失ったのかはわからない。
ただ、私は以前のように動けない。


9月。
深手を負った人間をぎゅうぎゅうに詰め込んだライブハウスで、ステージの上から大黒様のような人がやってきて、真綿で包んでくれた。
11月。
配信された新曲が真綿を剥がして、その激痛のあとで、意外にも膿んでもいない傷跡を見た。
12月。
いつの間にか修復されかけている、けれど不格好でつぎはぎだらけのその部分の、最後の蓋のようなものが、どうしても見つからない。

あと少し。あと少し。
そう、唱えてはいるけれど、ちっとも「少し」じゃないんだろうな、とわかるくらいにはなってきた。
ほんの僅かな時間の昼寝に、彼が密かに寄付をした剣道場を探して回る、というあやふやな夢を見ては動揺するくらいだ。

そうして今朝。
また夢を見た。
来年実際に行われる音楽フェスに彼の名を見つけて、その日のチケットを手に入れている自分。
気持ちの定めどころが見当たらなくて、チケットを握りしめている、自分の夢。

近づいてきた。
きっと、近づいてきている。

あと少し、あと少し。

大丈夫。私には「一緒に歩いていききましょう!」と力強く叫んでくれた、最強の味方がついている。