ぷるコミチ

だって。
同じ景色が見たいんだ。

そうだ、彼の地へ行こう 旅の終焉

2012-12-30 17:25:34 | 旅して歩く
フェリーが出港し、部屋で食事をして間もなく、ムスコと旦那は船内探検へ。
ところがムスメはぐったりと。
たった10分程度のバスでも酔うムスメ。船酔必死なのは最初からわかっていた。
トイレに篭り、すこし眠り、おもむろに「お腹すいた」と・・・

ちゃらららったらー カップ麺!!!!

(注:太平洋フェリーでは個室内でのみ、お楽しみください)
中野栄の駅前で購入しておいたちいさなカップラーメンは、塩辛くて、あったかくて、なによりムスメはラーメンが好物。
もそもそと食べて、なんとか回復。
ようやく、二人で船内探検に向かう。

日も沈み、福島県沖を過ぎ、レストランでワインを空け、



眠ったり、

オフロに入ったり。
映画をみたり、ロビーコンサートをきいたり、写真をとったり。
しているうちに、船は伊勢湾へ。
以前、この旅の練習とばかりに乗ったランチクルーズの航路に入り、すっかり「ただいま」の気分になる。




私達が乗船したフェリーは、三代目いしかり。
就航は2011年3月。
そう、3月。
2011年3月13日華々しくデビューする予定でした。
そして3月11日。東京晴海埠頭でのお披露目会が行われたその二時間後、東日本大震災が発生。
太平洋フェリー自体が一般旅客扱いの営業を停止し、もちろんデビューも延期。
3月下旬になり三代目いしかりを初め、すべての船舶は災害復興業務を優先することとして運行を再開していました。
豪華なロビーの絨毯の上にビニールシートを敷き詰め、2等和室で寝袋を使って休む自衛隊員さんの写真も、拝見したことがある。
調理施設を利用して炊き出しの用意もしたとニュースで聞いたこともある。
新造船三代目いしかり。
かなり数奇な運命の船なのだ。






船は、静かに側面を着け、開け放った乗船口から名古屋の湿気に満ちた暑さを吸い込む。
見てきた。
ただ、それだけだ。
それだけだけど、ゼロじゃないから、いい。

というわけで、満足感に浸りながら、私だけそのまま職場へ向かう。
日常とは、そういうもので、慈しむべきは、そういう日常なのだ。

そうだ、彼の地へ行こう 第五歩の弐

2012-12-17 01:07:19 | 旅して歩く


陸前浜田駅から、再び松島海岸駅へ。
荷物預かり所のおっちゃんに「来たよ!」って言おうと思ったのに、隣の観光協会のオッチャン曰く「寝坊してまだきてないよー」とのことで・・・おっちゃん・・・笑いをありがとう。

二日続けて足を運んだのは、どうしても、円通院へ行ってみたくて。
前日に寄ることもできたけれど、ゆっくりと見たかったのです。
と、その前に。
天麟院へ。
道を曲がったら素敵なお寺さんがあったものだから。つい。お参りを。

屋根の上に、猫。
歴史の中に、軽やかさがあって、趣き深い。松島全体のイメージに通じるものがあって、ついつい猫を見上げ続ける。

さて。目的の円通院へ。
一見、暗く見える敷地の中に、門をくぐって一歩踏み入れると到底想像できなかった静謐さに包まれる。
朝の空気がまだ降り切っていなくて、いろんなものが注がれる最中。
陽のあたるところ、あたらないところ。
木漏れ日の暖かさ、木陰のひそやかさ。
苔の勇敢さ、バラの優美さ。
見事すぎて、写真がありません・・・
例のごとくダンナに「これ、買ってくれ」って言い「無理」と言われはしたけれど。

ぐるりとゆっくりと回って、社務所で縁結び守りを発見。
境内に縁結び観音があり、そこにもたくさんの願掛けがしてあったのだけれど。
ムスメが「Aちゃんとおそろいで買おうかな」と。
Aちゃんは親の離婚で転校してしまった娘の大親友。この夏、内気で気弱だった彼女が逆らえなかった母親にお願いして、うちへ遊びに来てくれた。
仲良しだった友達も呼んで、校庭へ行って、みんなでお弁当を食べて「またね」と手を振った。「絶対にまたあそぼうね」と。
二つ、ペアになった縁結び守り。
真剣に選ぶムスメに「今日はいろんな色の組み合わせで入荷しているよ」と、お寺の方がダンボールからどんどんと取り出してくださった。
Aちゃんの好きなピンク。
ムスメの好きな紫。
吟味して、二人の関係を鑑みて、10歳の本気を見せられた。
よし、と小さくひとりごちたことは、内緒。

フェリーの出航時間は12:50。
仙台港への移動時間を鑑みてもまだ時間に余裕があったので子どもたちに
「なにか気になったところあった?」
ときいてみると「こけしやさん」とのことで。
松島海岸駅へ戻る途中にある直秀こけしのお店へ。
こちら、前日に前を通ったのだけれど人がいっぱいだったので「へー」と思っただけだったのですが、その土地ならではの体験をするのはすごく好き。
記念にもなるし、やはり楽しいし。
店内には人のよさそうなおばあちゃまがいらして「急いで帰られるなら乾かせるからね」とおっしゃってくださり、その旦那さんとおぼしき方が電動の回転カンナでこけしをつくっていて、即決!


子どもたちが一つずつ、絵付け体験を。
どうやら今日一番のお客さんってことで、ゆったりと体験させていただく。



完成品はこちら。右がムスメ左がムスコ作。
猫と熊だそうです。
「失敗しちゃった」と二人ともいうけれど、それもまた、旅というものだ。

松島海岸駅を後に。

中野栄駅まで。
湾岸にあるアウトレットモールへのバスを目当てにしていたのだけれど、思っていたよりも本数が少なく。
「歩くか」
ってんで、すたすたすたと。
私は駅横のコンビニで買い物を。これがのちに大変に役立つことになるわけで。

しかし、旦那、チビ隊、(コンビニに寄った)私、という編成で歩き、旦那はモールから仙台港へのバス停を確かめるために早足だったために10号線の広い横断歩道を私だけ渡れず、駅側に私、モール側にチビ隊。ダンナはチビ隊を留め置いて(私が来るので)駐車場の係員さんにバス停を尋ねに。
チビ隊の保護者不在、という状況に。
こういう場面で手を振ったり話しかけたりする素振りをしない母親な私。
と。
とりあえず私を待つチビ隊。
だったのですが、道の向こう側でチビ隊の隣にいるご婦人が話しかけているのが見える。
どうやら、おばあちゃんと娘親子。子どもは男の子二人。
そのおばあちゃんがムスメを心配して声をかけている模様。
あとから聞いたところによると「どこにいきたいの?」「えき?」「お店?」と尋ねてくださり、私を指さして説明したところ「何年生?」「どこからきたの?」「旅行楽しかった?」と、信号が変わるまで談笑してくださっていたのだとか。
お兄ちゃんはムスメと同じ5年生で、ムスメと一言二言話していたけれど、ムスコと同じ年だという弟君は恥ずかしくて、一人離れたところにいた。
私からも、反抗期の片鱗が見えて、何だかかわいい。
信号が変わり、さすがにこれは、と私が走っていくとお兄ちゃんが「走ってきた!」と面白そうに言い、おばあちゃんとおかあさんが「おせっかいですみません」「楽しくお話しさせてもらいました」と教えてくださった。
皆さんは買い物を終えて駅へ戻るところ。
また信号が変わっちゃうので長話はできなかったけれど、なんだか。うん。うれしい。
「友達できちゃった」
と、この短時間を前向きに捉える二人と一緒に、4人が見えなくなるまで手を振った。



さあ、アウトレットパークの中でお昼ご飯を調達し、食べたくなっちゃったのでミルキーのソフトクリームを食べ、結局タクシーでフェリー乗り場へ。
「ここにも7メートルのがきてな」
高々と積みあがったぺしゃんこの鉄くずと、運転手さんの言葉がずしんとくる。
そうだ、私たちがここへ来ることを決めたのは・・・・


乗り込んだフェリーが出航する間、デッキに立って街を見ていた。
仙台港は働く港。



津波の到来時、ビルの屋上でスクラムを組んで、誰一人欠けないようにして耐え、雪降る夜を過ごし、自衛隊のヘリコプターを待った、主人の会社の人たち。
ここで、それがあったのか。
きっと、きっと、おなじような話が沢山あったのだと思う。

多賀城の町も、見える。

10年前、新婚旅行で名古屋から苫小牧へフェリーで移動する際、寄港したこの仙台にはさっぱりなにもなく、ただやみくもに歩いてジャスコにまで辿り着いた。
多賀城っていうくらいだから城があるんだろう、って思って、城っぽいものを目指したのに、それがお店だったりして。
ジャスコの食料品売り場で鮭に「煮物に」って書いてあって、鮭って煮るものだったのかとカルチャーショックを受けたり、お菓子を買ったり。
夕焼けの仙台の、のっぱらを二人で歩いた。
確かに歩いた。船酔いでふわふわする足元で。
何気ない光景だけれど、とても記憶に残っている。
それを、テレビで見ることになるとは思わなかった。
ジャスコは避難場所として、被害状況として、再開した物流の現場として。
道のりは、津波の。
そっと「ありがとう」と伝える。
思い出を「ありがとう」。




船は水先案内の小舟にひかれ、やがて別れを告げ、仙台湾を出てゆく。
この旅、唯一の青い空に見送られて。


そうだ、彼の地へ行こう 第四歩の弐と第五歩の壱

2012-12-05 22:43:10 | 旅して歩く
お腹をみっちりお餅で満たしたら、そのまま仙石線へ(痴漢にまちがわれたりはしません>ゴールデンスランバー)。
松島まで、参ります。

松島海岸駅。
この先の高城から不通区間があるためバスが発着しています。

松島と言えば遊覧船(ぷる家基準)。
地名しりとりでみた、あの、ウミネコさんたちへの餌やりです!

さっそく乗船(ちがうな、この時すでに旦那が牡蠣入りのカレーパンを買ってたぞ)。

追加料金を払うと二階部分の席がつかえるとのことだったので奮発。
席もゆったりつかえたし、デッキも二階で占有なので思い残すことなく餌やりを(かっぱえびせん100円也)

何度も映像で見た松島は、本当にきれい。

震災で崩れたり、松が変色している個所もあったり、船の中のアナウンスでも「揺れのあとで乗客を誘導し瑞巌寺へ避難し、津波から逃れることができました」って言っていたので爪痕はあるのですが。船も何隻か流されてしまったそうですし。
以前の風景と比べる方には遜色があるのかもしれなくても、私には充分きれい。
何十年後かにまた訪れたら、きっと、また感動できるだろうけれど。
今はこれで。

船を降りたら五大堂へ。

透かし橋!!!
ハチクロ!しんさんだ!
これはひそかにわたって見たかった!!!!

怖がる旦那(高所恐怖症)とムスコ(ただのビビり)を置いてすたすた渡る私とムスメ。
その先に、五大堂。

海風に磨かれた木目が渋い、お堂。

さらに歩いて福浦島へ。

こちらはコンクリートの橋を渡橋料を払って。

途中、雨が降ったり、崖をおりて海岸を堪能したりしながら松島を見渡せる突端へ。

綺麗。
遊覧船で間近に見た松島の全景をここから見渡すことができる。
と、いうのに子どもたちは松ぼっくり集め。

まったくどこに行っても変わらない行動。安定のマイペース。
ま、こんなもんです。

さて。
小腹がすいた。
松島はたくさんのお店が軒を連ねていて、買い食いのできる雰囲気。
ムスメが「遊覧船で小さい子が食べててうらやましかった!」と言うおせんべいを購入。

でかい。
他にも揚げかまぼこや牡蠣まんを買ってはみんなで分けて口に入れ、堪能。
観光地では観光地なりの楽しみ方をすることも大事とばかりに、気になったものをぽんぽんと買ってしまう、体たらく。
いいんです、旅は後悔すると楽しくなくなるんで。

自己弁護したところで瑞巌寺へ。
時刻は16時前。
日が少し落ちかけてきて、得も言われぬ空気。
瑞巌寺だよ!
ハチクロ!しんさん!(落ち着け)

参道を歩いていくと「ここまで津波がきました」という小さな看板がある。
門の、すぐ手前。
改めてこういった寺社仏閣の建つ土地の意味を感じる。
おりしも瑞巌寺は平成の大修理の最中。
しんさん!(好きすぎる)

全景を拝めはしませんでしたが、庫裡が堪能できて大満足。

こんな場所もあったりして。

宝物館もたっぷり楽しんで「さすが~」なんておもっていたのですが・・・

わたくし無知でして、瑞巌寺の境内にこんな岩室と石仏があるとは知りませんで。


(なぜかカメラを向けるとボケたり、変な光が入ったりするのです)
せり出す岩と削った個所と、日の当たるところと暗い静謐さと。
た、たまらんです。
これは大好物。しばし堪能させていただきました。

気が付けばひんやりとした夜の空気。
「宿の時間が!」
と気づいて松島海岸駅へ。
駅前の手荷物預かり所のおっちゃんが「松島はどうだった?」と聞くので娘が「楽しかったよ~」と答えたらば満面の笑みで「またきてな~」と。
ひそかに心の中で「明日の早朝にこよう」と思っていたので、思わず「来るから!」と答えてしまったじゃないか・・・

お宿は一駅離れた場所。

チェックインしたあとはひたすら荷物の整理ですよ、奥さん。
翌日のフェリーに備えて、とにかく固めておかねばならず。
で、ですね。
ご飯を食べたら、記憶がないんです・・・・


いや、お布団を敷きにきてくれたおっちゃんがかなりおもしろくて、ムスメとムスコが前転を始めた瞬間にシーツを追加で持ってきてくれて「10点満点!」て叫んで行ったのは覚えている・・・のだけれど・・・
熟睡。
おふとん、気持ちいんだもの・・・・
というよりも、この旅の間、私は寝て居なさすぎて。疲れていたんだと思う。
(なので、旅の四日目になると記憶がすごく箇条書き。はっきり覚えているのだけれど感情が疲れすぎて平板化していた模様です。平にご容赦)。

明けて8月14日。
起きたのは朝食の一時間前。
風呂にさえ、入っていない・・・
「いいんだ!ここには寝にきたんだ!」とまたもや自己弁護して、チェックアウト後に再び松島海岸駅へ。
旅の最終日に到達してしまいました。

そうだ、彼の地へ行こう 第四歩の壱

2012-12-05 09:33:41 | 旅して歩く
8月13日
このたび最悪の目覚めを迎えたお盆。
ベッドの狭い一部と、イスと、スツールをなんとか並べて寝ていたもんだから、腰がいたくて仕方ない。
が。また旅は途中。
昨夜コンビニで買ったジュースとゼリーを口に入れたらさっそく瑞鳳殿へ。
歩くのもいいけれど、時間短縮のためと、周遊バスが長蛇の列だったのであっさりとタクシーに。

瑞鳳殿は言わずと知れた伊達家のお墓。
太い木と、神妙な空間。歴史の重みの中に、なんだか華やかな空気感があって「伊達家!」という抱いてきたイメージそのもの。

傾斜があるのでこんな、で昇ります。
瑞鳳殿は伊達正宗の廟。ようするにお墓。


華やか~豪華~
感仙殿・善応殿。
二代藩主と三代藩主の、相対した廟。
全体的に、すっごい好み!!
黒が艶消しで、色彩が鮮やかで、細工が屋根に隠れる部分に行くほど凝ってる。

いやぁ、いい。
伊達正宗と織田信長が同じ時代にいたら、絶対に惚れてると思う。
・・・いや、負けじとなにかしようとするかもしれないけれど・・・
華やかな廟以外にも、普通のお墓っぽい場所も。
藩主でも代が違う扱いが違う・・・

公子公女のお墓も、ひっそりと。

でも、なんだか日当たりが良くて、すっきりした場所。いいな。

仙台城跡にもいこうかと思ったけれど、満足したのでこのまま仙台駅へ。
途中、けんとで子どもたちとクッキーを選ぶ。
駄菓子屋さんみたいなガラスケースにならんだクッキーを、二人がぐだぐだと選ぶけれど、店員さんが優しく見守ってくれていて、大変にありがたい。
二人それぞれが選んだものを、二人に渡してくれて「また仙台に来ることがあったら、きっとここに来るんだろうな」と思う。
おそらく、この子たちが大人になって、誰かと来ても買うんじゃないかなと。

その、ずっしりとしたクッキーをリュックに入れたら、くねくねした道をまた、歩く。

歩きながら一人「ああ、ここであの人は人生で一番濃い時間を送ったんだなぁ」と哀しいような嬉しいような決して触れられないものを少しだけ感じたり、「あ、ここ、ゴールデンスランバーの映画の道路だ!」とひそかに興奮したり。


そうこうしながら、村上屋餅店!!


旅行前にほけいどうのおねいちゃんが「もちならココ」とおしえてくれていたお店。
ガイドブックにも載っていたし、お土産物も売っていたけれど、ぜひとも本店で食べてみたかった!
朝ごはんのような、昼ごはんのような、そんなもの。
(豪華なお宿のご飯に、贅沢にも飽きてきて、行動がおかしくなってきています)


ダンナと私は三色のおもち。左からくるみ・ずんだ・黒ゴマ。

ムスコはずんだ。ムスメはくるみ。それぞれ直径3センチを超えるおもちが三つ。
うまいの!!これはうまい!
香りのあるずんだ。しょっぱめで口当たりのいいくるみ。甘いゴマ。
そしてなめらかな餅!
わたくし、三十数年生きてきて、自分の好物に餅が含まれていると知らなかったのです。
去年の正月に旦那母から「おもちあるよ」ってやけに言われるなぁと思ったら、その場にいた全員に「おもち好きでしょう?」と言われまして。好物とは気づきませんで・・・・
びっくり。
そんな餅好きの私はもちろん、噛み切りにくいという理由で餅が苦手なムスメも納得のおいしさでした!
ありがとう、おねいちゃん~♪

ちなみになぜか店内に名古屋おもてなし武将隊のサイン発見。
初代信長様好きなムスメが食いつく食いつく。