ぷるコミチ

だって。
同じ景色が見たいんだ。

そうだ、彼の地へ行こう 第二歩の参

2012-09-24 22:43:27 | 旅して歩く
当初、自分でも心配だった。
感情移入が過ぎるというか、精神が弱いというか、影響を受けやすいというか、そういうところが自分にあるのは解っている。歳長けてきてずいぶん制御できるようにはなってきたけれど、強く、大きなものにはやはり揺らぶられる。

三月のあの日。
私も、こどもたちもずいぶんと掴まれ、それ以来どこかを置いている。
だからこそ「行こう」と思ったわけだけれど。

やはり想像は想像でしかなかった。

映像でみる「被災地」は平面で、一方向でしかない。
360度をぐるりと見渡してみて、そこがすべて「被災地」で埋められている現実を、私は覚悟していなかったのだと思う。

ただ訪れただけの私たちが写真を撮り、それを(辺境ブログとはいえ)公開することには抵抗がある。
けれど、私の考え方や捉え方を少しでも理解してくださる方々には、何かを受け取っていただきたいと思う。
なので。
少しだけの解説をいれながら、見ていただきたい。

不快に思われる方がいらっしゃったら申し訳ありません。



陸前高田市へ入ったあたり。



340号を南下。陸前高田市役所仮庁舎を過ぎたあたり。


沿道にはヒマワリが咲き、手を合わせる人々の姿を多く見る。


45号高田バイパスへ右折。
パチンコやさんの跡地が駐車場のようになっていてそこに車を止めさせてもらう。


道を渡ると案内板が。


『奇跡の一本松』
奇跡の意味を、ようやく少しだけわかる。


一本松から国道45号を振り返る。




気仙川にかかる気仙大橋は未だ仮設。

気仙沼へ。

大船渡線の踏切。


気仙沼市内。
JR大船渡線 鹿折唐桑付近。




同じく。
向かいにあったコンビニは仮設店舗。


この日はライトアップニッポンの花火の日。
気仙沼みなとまつりも二年ぶりに開催とのこと。

お祭りの会場に向かって、たくさんの人が歩いていくのを見た。
おばあちゃんもおじいちゃんも、みんな歩いている。
「無料ゆかた貸出所」なる場所もあり、浴衣姿の女の子たちもたくさんいた。
(地図で確かめたところ、2キロ以上歩いている人たちも)


地元の方たちの邪魔になるのでそそくさと気仙沼を抜け、更に南下。


海水をかぶった場所の杉は変色している。






南三陸町 陸前港駅跡


プラットホーム跡。


遡上したであろう川を、今は鴨が泳いでいる。




この後通った、南三陸町歌津地区でも祭りがあり、これもじゃましてはいけないとそそくさと通り過ぎる。

あたりも暗くなった頃、志津川へ到着し、この日の宿となるホテル観洋さんへ。
暖かく迎えていただいた。




写真を選択するにあたって、いろいろと基準を設けたつもりですが部外者の心無い部分があるかと思います。
お気づきのこと、どうか教えて頂けるとありがたく思います。
また、道中のものが沢山ございますので申し付けて頂ければと存じます。


そうだ、彼の地へ行こう 第二歩の弐

2012-09-15 22:12:47 | 旅して歩く
平泉駅前を通過し、車は東へ。
住宅と、工場と、ワンルームマンションと、お店と。生活区域、という風情の道をひたすら走る。
山間に入ったなと思うとすぐに猊鼻渓の案内が。

お土産物屋さんが駐車場を無料開放してくれているので利用させていただく。
当初はふらっと寄って「ああこういうことろなのねー」と納得するだけのつもりだったのだけれど、川下りの船に子どもたちが反応したので、ではとチケットを買う。
ところが船は出発したばかりだったので次の便まで時間があり「じゃあ」とお昼ご飯を食べることに(行き当たりばったり。流されまくり。)。
お土産物屋さんと食堂が一体化したお店で「お団子食べ過ぎてまだお腹すいてないね」とおそばやうどんを軽くいただく。
ついでに、と旦那が頼んだのはおでん。
おでんって地域色がはっきりでたりして面白いから、と。ところがだされたおでんはごくごく普通。醤油味で色も別段濃くも薄くもない。だいこん、たまご、こんにゃく、はんぺんと、いたってオーソドックス。
が。無言で食べていた旦那がそっと私に皿を寄せてきたので、一通り食べてみる。
んなっ!!!!
こんにゃくの歯ごたえがない!!!!!!!

私の知っているこんにゃくの触感は「ざりっ」だけれどこちらのこんにゃくは「にょきゅ」って感じではんぺんと似ている(衝撃を受ける私をニヤニヤ見る旦那は性格悪い)。
どうしても気になって、後でスーパーでこんにゃくの原材料を確認してみたけれど、大して差はなく・・・なんだったのか・・・
いや、全国的にはこんにゃくって歯ごたえがないものなのですかね・・・いまだに大変不思議です。

お腹も激しく満杯になったところで川下りです。
木製の船に乗り、船頭さんが漕いでくるれる川下りといえば日本ラインですね(愛知県民)。しかし猊鼻渓の川下りは、のぼってくだるので同じ場所で乗船下船ができるというのが魅力。
今年四月に入社したばかりだという女性の船頭さんが「行きは謡う余裕はありません。なにせ流れに逆らっているものですから」と竿をこぎこぎお話してくれる通り、のぼって、くだる。
川の深さは浅くて、気を抜くと座礁してしまうほどらしい。「昨日の雨で川が濁ってしまいましたがいつもは鏡のようなんですよ」といわれて初めて、「あのゲリラ的な雨がこんなところに作用してやがったか!!」と驚くばかり。

まわりのお客さんは残念がっていたけれど、雨女×2とその同行者は「今、振っていないだけ奇跡」とやたらと前向き。
行き当たりばったりの旅は期待しないだけにがっかりもないのが利点。

船が進む両側は切り立った崖。
全体的にHPの案内が素敵なのでご覧になってくださいね。


途中、3月の揺れで崩落した個所も、ところどころありました。

船が折り返し地点につくと散策タイム(という名の船頭さん休憩タイム)。
もうこれ以上船が入れないほどに川幅が狭く、ちいさな橋で対岸へ。
崖に穴の開いたところがあり、ここへちいさな石を投げ込めると成就するということで挑戦。うん玉と、いうらしい。

両家両親に長寿ということで寿。私は家内安全の気持ちで福。ムスコが縁で、ムスメが運・・・・そしてなぜか旦那が迷いもせずに愛を選ぶ。
すべて旦那に投げてもらいましたが全滅。声援を送っていて写真を撮り忘れた。

さあ、集合時間になって今度は下り。
船頭さん曰く「川下りですから行きはサービスです」とか。
ゆったりと下る船に、鴨やコイが沿うように泳いでくるので、エサも販売している。
鴨・・・それはダンナが愛でる動物。
「見てよし。愛でてよし。食ってよし。」
だそうだよ・・・・(同じパターンで牛もある)。
必至でエサを追う鴨たちがかわいくて仕方なく、子どもたち(と、旦那)夢中。


こんなすれ違いや、船頭さんが追分を謡ってくれて情緒たっぷりなのに、ひたすらに、鴨・・・


鴨鴨騒いている間に川下り終了。
車を止めさせてもらっているお土産物屋さんを覗くと「げいび和紙」というものを扱っているお店だったので、最近書道を習っている母のために手すきの和紙を購入。
「お団子の一つもお願いしますね」と、控えめに書いてあってのでそりゃそうだとお団子とかき氷(また)食べる。こちらのお団子も味噌あじ。エゴマの味噌らしく、香ばしくておいしー。

と。雨が・・・・さすが!
逃げるように車に乗り込み、「お宿に貼ってあったポスターがきれいだったから」と旦那が提案して幽玄洞へ。
ちいさな鍾乳洞なのでしょう?と思って向かったものの、なぜかいりぐちに化石やらカンブリア紀の記述やらが・・・
なんと化石の宝庫とか・・・
古代大好き!化石大好き!なムスメ興奮。しばし手が付けられなくなるほどに。
さらに鍾乳洞に足を踏み入れてみるとぎりぎり人が二人並べるくらいの幅と、時には身をかがめるほどの高さに、冒険かっこいい!のムスコ興奮。
鍾乳洞といえば秋芳洞しか入ったことのなかった私には衝撃。なんというか、あれですよ、石丸さんが嬉々として進む感じの、そういう、場所。



時折化石があったり、息をのむような地底湖があったりする。本当に、本物感・・・。
なんとか出口に到達して、ようやく私は「ひー」とすべてを吐き出す。
閉所恐怖症だっていってんだろーーーーーーーー!!!!!
パニックに陥りそうになりながら、何度も「平常心」と心の中で誓いすぎてイカリシンジになるかと思ったっつーの!!!!
でも一度恐怖を自覚しちゃったら終わりだと思って押し殺したっつーの!!!
あああああああああああああああっっ!!

と、いうわけで閉所恐怖症の方にはおすすめできません。あしからず。
久々の私の取り乱しように「これは飛行機はむりだな」と旦那はあきらめたようです・・・。

幽玄洞を出たところにはお土産物屋さんが。
ちょうど雨が強くなってきて、駐車場までは距離があったため、お店の方のご厚意で旦那が車を取りに行って店先に寄せてもらうことに。
だからというわけではないですが、このあたりでとれたというコケムシの化石を購入。ムスメのお小遣いで買える500円。素敵。
店内にはなんと、背中に毛の生えたカタツムリの写真が。
ある日、店先を掃除していたら歩いていたのだとか。オオウケマイマイというのだそう。カラに毛が生えているのです。うわー触りたい・・・・
ムスメもムスコも好奇心丸出しでぎゃあぎゃあ騒いだので売店の方も親切にいろいろおしえてくださいました。
帰ってきてから見つけたブログでいろんなカタツムリをみて、また、ぎゃあぎゃあ。


ようやく旦那が車をまわしてくれたので、売店の方にお別れをして再び東へ。
国道343号線今泉街道をひたすら走る(地図等、見ていただくと解りやすいかと思います)。
道並みは山間ののどかな風景。
途中にループ橋もあり、どこか岐阜の山間部を走るときと同じような郷愁と建築への賛美に襲われる。
やがて行き止まり、430号への丁字路となる。
後部座席の子どもたちはお昼寝中。ハンドルを握る旦那は冷静。
しかし、私はその少し手前から変化に気付き始めて、首の後ろがぞくぞくする感覚に襲われ始めていた。
国道430号、高田街道へ入る信号を右折。
思わず「なんで?」と悲鳴を上げたのは、大げさでもなんでもない。

そうだ、彼の地へ行こう 第二歩の壱

2012-09-13 22:49:41 | 旅して歩く
8月11日
旅の間も、朝がはやい(普段はとんでもなく遅い)。
5時にのそのそと起きて、ムスメと二人で朝風呂に。
周囲が森なので朝もやが残り、とーっても気持ちいい。名古屋のじめっとしたあっつーい夏から一気に東北に来たせいか、足先が冷たいほど冷えてしまっていたけれど、温泉でしっかり温まりました。
森の空気もたっぷり吸い、もう一度布団でごろりとしてから、朝ごはん。
お宿の朝ごはんと言えば純和食。
じつはこれが、苦手な私。
だってどうしても作り置きのお惣菜が多いし、これといってメインもないし、山の中なのに干物とか出されたりして、納得いかない気持ちになったりするし・・・
ところが。
おひつを空っぽにするほどたべてしまうとは・・・・
なんというか、炊き立て土鍋ごはん最強!!!おこげのあるご飯もおいしいし、おかずもきちんと地物のもので、おいしい。

ほっぺにご飯粒ついてますよ。
なんて幸せな朝。

ふいに、今朝も給仕してくれているサトちゃんの手に絆創膏を発見したムスメ。それもそのはず、貼られていたのはリラックマの絆創膏。
「これは!!!」
と、彼女が叫んだのは、その絆創膏が箱入りのものではなく、雑貨屋さんで売っている高いほうのやつだから(箱入りは私が買ってやるが、それはこづかいで買わねばならないものと定められていて、いつも手が出ない)。
「けがしちゃったの?」「大丈夫?」なんて、いつの間にかすっかり仲良くなった二人が会話していたのは知っているし「この子、リラックマニアで」って話もして、ご当地リラックマを買いあさってる話なんかもしたのだけれど。
まさか絆創膏を頂くとは!!!
しかも、ムスメがトイレから食事部屋に戻る途中、厨房横に手招きして「どれがいい?」って選ばせてもらったんだそう。
これぞ旅先の素敵なご縁。ありがとうございます。サトちゃんからもらった絆創膏は現在、ムスメの宝物箱に入れられております。

さあ朝食を終えたらお宿を失礼して、出発。
まずは厳美渓へ。
お宿と中尊寺付近の道すがらにあるし、渓谷は好きだし、事前にさらりと調べた「空飛ぶお団子」というものが、どうしても、気になって・・・

近隣の駐車場に車を止め、しばし散策。

と思っていたのだけれど、最初に見つけてしまった。
空飛ぶ、お団子・・・・
子どもたちには「景色のいい川べりに寄ろうか」なんて言っていたのだけれど、ムスメはすぐにその存在に気づき「なんだこれ!なんだこれ!」と大騒ぎ。
籠の中を覗き込んでいると、親切なおばさまが注文の仕方を教えてくださり、これまた「渓谷に寄ってよ」とだけ言われていた旦那が躊躇もせずに「これはおもしろい」と財布を取り出してしまった。
さっきたらふく朝ごはんを食べたことろだというのに・・・・(注:一時間も経っていません)。

籠の中にお金を入れて。

併設されている板をコーンと木槌で叩くと、川向の建物からお団子屋さんが手をおおきくまるくして「了解」と合図してするするとヒモをひっぱり、籠を引き寄せます(人力)。

スカートを握るほどの気持ちで、見守る。
しばらくすると籠のなかにお団子を入れて、今度は斜度を利用して、すっげースピードでお団子が飛んできます。
ポイントは籠の手前に全員で立っておくこと。お団子屋さんが確認して、人数分のお茶をサービスしてくれます。
こちらがおだんご。

ごま。みたらし。あんこ。やわらかくておいしー。

お茶はなんと淹れたてで「あつ!あつい!」と大騒ぎしながら一つしかないテーブル付のベンチに運んでいると、先ほどの親切なおばさまたちが「私たちはもう食べ終わったから」と席を譲ってくださった。
ありがたくうまうまと食していると、3歳くらいの女の子がじっと私たちを観察していたことに気付く。
ぷる一家、この家族の様子にワクテカ>趣味悪い
お嬢ちゃんはどうやら一部始終を見ていたようで「おとうさんアレやりたーい」と。
ああ。わかるよ、うん。おばちゃんも、これがやってみたくてここに来たんですよ。やってみたいよね。と、私は心の中で激しく同意する。
ところがおとうさんは「お母さんに聞いてみな」と笑って受け流す(この時、両親は遅れて歩いてきた)。
で、お母さんに「あれやりたーい」と籠を指さしてみた少女は、すげなく「ジュースあるから」と却下されるわけだが(お母さんの気持ちも、わかる)。
タイミングよく、他のお客さんが団子を注文し、その運ばれてくる様子をみたそのご両親。
一瞬で顔を見合わせ「あー」とすべてを悟って女の子に400円を渡していらしたwww
お嬢ちゃんを無言で応援していた娘が思わず「よかったねー」とつぶやく。
それほどに、この団子、楽しい!!!!!!
3組くらいお客さんが続くと、籠を引き上げるスピードが落ちてくるというのも、ご愛嬌。

さすがに、お団子は食べすぎだったろう。と、渓谷をぐるり、一周。
吊り橋を発見。

なぜ、こういうポーズをしなければ気が済まないのか・・・

吊り橋から望む。高い・・・


こちらは帰り際、橋の上から車ごしにとったもの。

綺麗ですなー。

で、お腹の中にお団子をためつつ、前日に見残した毛越寺へ。
(達谷窟毘沙門堂は、みちすがらに石仏を拝んで失礼。お腹の中がおもくて・・・)
こちらは中尊寺とは違い、史跡である。
つまり、子どもには猛烈にわかりにくい。
しかし母親の独断と偏見により「曲水の宴」について滔々と語られるかわいそうな子どもたち(母親として反省はしない)。
これまた資料集大好き義務教育中を送った私には、国語の便覧(びんらんって発音なつかしぃ!)に載っていた「曲水の宴」は興味深かった。

曲水の宴(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事である。
(再びWikipediaより)

しかし。
私、ずっと、この行事は盃が流れ続けているのだと思っていた。
回転ずしのように流れる盃。権力者の据わる威圧。「ああどうしよう、和歌がうかばない!」なんてすっごく大変なんじゃないか、と・・・。
ちがうのか・・・・。
実際に毛越寺で行われた曲水の宴の写真をみることができたのだけれど、禿(こども)が木の枝で盃をつついていて、ものすごく流れが遅かったんだ、という事実に驚いた。
「昔からパワハラってあるんだなって思ってたんだ」
と正直な感想を述べたところ、旦那には呆れられました。
想像していた曲水の宴の話をしたところ、ムスメに馬鹿にされました・・・・

微妙な失意の中、車に乗り込んで「さあ、次はどこに行くのだろう」と思っていると(プルケテキトラデッィショナル「イキアタリバターリ」)旦那が猊鼻渓のパンフレットを取り出していた。
要は、今夜の宿までの道すがらで、めぼしい観光スポットを巡ればいいわけで。
さっそく向かう。


分割してみるということを覚えました。あしからず。

そうだ、彼の地へ行こう 第一歩

2012-09-11 22:18:44 | 旅して歩く
8月10日
旅行の日の朝は、早い。
どうもこれがぷる家の慣例となってきたようで。今回も然り。
地元の駅から始発電車にのり、豊橋からひかりへ乗車し、とにかく東京駅へ向かう。
(ここらあたり、眠くて眠くて記憶がありませんが、富士山が見えなかったことだけは覚えている)
さて、久々の東京駅。
おりしもお盆なのである。東京駅の、しかも新幹線ホームなのである。
はぐれたら最後、二度と会えないくらいの覚悟で挑め!と子どもたちに含ませ、それでも別行動をする。
乗り換え時間30分の間に、私は朝ごはんを調達し、ムスメはご当地リラックマを物色。旦那がチケットを発券してムスコと新幹線ホームを堪能するという、各々のミッション。
途中、ホームでムスコが迷子になりかけるも、なんとか発見し、なんとか乗車予定の新幹線がやってくる場所でぼんやりと周囲を見やると。
「日本、すげー」
と、思う。
旅行先だったり里帰り先へ間違えず速やかにたどり着きたいと思う人たちがごったがえすなかで、迅速に安全に列車を運行させたいと思い働く人たち。
定刻通りに到着し、清掃され、発車する列車たち。これは思わず「すげー」って思うですよ。
特に素敵だったのは清掃の方々。
列車のドアの前に並んで、一斉にお辞儀をなさる。「ニホンジンワンダフルネー」の世界。
しかもみなさん、ハワイアン仕様。赤と黄色のアロハ風シャツに茶色のお帽子。帽子のふちにハイビスカス。もちろんスパリゾートハワイアンズを応援するものだとか。
車両に貼られた「がんばろう日本!がんばろう東北!」と「つながろう日本」のステッカーとともに、じんわりと、東日本に来ていることを実感する。
(ビジネス路線である東海はもちろん、西日本にも震災のあとなど、ないのです)
さて。
我々が乗車するのは「増発便 はやて73号」

もちろんE5である!!!!こだわって手配してくれた旦那えらーい!!
あくまで私は鉄ではないけれど、乗り込んでみて「視点が低くて広い気がするー」「内装はやっぱり川重のがおちつくー」と発言してしまい、ムスメに呆れられる。
気を取り直して。
初の東北新幹線はさっくり快適にあっという間。名古屋から仙台と検索すると4時間以内だったという驚愕の事実で旅行を決めたこともあって、「近い!」と驚くほど、あっという間。
お天気がいまいちで、車窓からあまりめぼしいものが見られなかったのは残念ではあったけれど。
定刻通り、11:27一ノ関に到着です。

駅前でレンタカーの手配をしてあったので受け取り、一路中尊寺へ(自家用車と同じものを借りるとは・・・)
向かう道が上り坂で「ああ、やっぱり中尊寺って高い場所にあるんだ」と実感しつつ、名刹古刹や旧跡は必ずその土地の一番いい場所にある説を思い出す。
おもわず奥州藤原氏の繁栄に思いをはせていると、後部座席から「はらへったー」「ごはんー」という催促が・・・
これが現実。新幹線の中で食べたサンドイッチだけでは物足りなかったらしい(まい泉のカツサンドだったのに)
・・・。
まぁ。待て。
旅の一日目。昼食はわんこそばにすると決めていたのだ!!!そしてそれはちゃんと伝えてあるのだ。
実は私にとってわんこそばは、子どものころから憧れの食べ物。
なにせそばが好き。すこしずつ食べるのも大好き。しかも「わんこ」という発音がかわええ。
東北に行くと決めて、岩手に足を踏み入れると決まった時、どうしたって「わんこそばをたべる!!!!」と宣言せずにはいられなかったのだ。
・・・しかし。しかしだ。店の下調べをしていない・・・。すげぇぞ、このテキトーっぷり。
(この先々、テキトーっぷりが登場します。覚悟してください)
さすがに「それだけ食べたいなら調べておいてよ」と旦那に突っ込まれる・・・
ま、平泉駅周辺にはあるだろう、ということで4号線を北上していると「芭蕉館」というお店の前を通りすぎた。看板には平泉式わんこそばの文字。
見覚えが・・・そうだ!
「八重さんが行きはったお店だ!」と叫び、旦那に車をUターンしてもらう(勝手にお名前拝借失礼します)。
おかげで無事、わんこそばにありつけることに。ありがたや~。

どどーん。

こちらが平泉式わんこそば。
おわん12個を一枚。これを二枚で一人前だそう。
サービスでおかわりもあるとのことなので、子どもたちは二人で一人前を注文させていだくことに。快く相談に乗ってくれた店員さんが「おつゆは二人分おもちしますね~」と言ってくださったり、テーブルを広くしてくださったりで、旅の初めからほんわかとした気持ちになる。
ひとくちずつゆでたてのおそばを食べるのは本当においしい!
私以上にそば好きのムスコは結局おわん15個分を平らげてくれた。
私もムスメも隙あらば旦那にそばを投げ込むことに夢中になりつつ、おいしくいただきました。

さあ。お腹がいっぱいになったところで本日のメイン観光、中尊寺へ。
中尊寺と言えば金色堂。金色堂と言えば(私にとって)社会科の資料集なのです。
社会の授業中、暇に任せてぺらぺらと資料集をめくるのが好きだった私は、金色堂のページがけっこう好きだった。なにせ派手で目に留まるし、阿弥陀如来のお顔がまた好きだった。
浮世離れしていて、本当にこんな場所が実在するのかな?と不思議で仕方なかった。この目で確かめたかった。
と、いうわけで「行きたかった場所!」なのです。
ともあれ、まずは本堂へ参拝。

それからゆっくりと金色堂と讃衡蔵(資料館とおもいなせぃ)をめぐり、ソフトクリームを食べながら一息つく。
いや、すごいわ中尊寺。
まず、でかい。
山を丸ごとって感じで、古いお寺さんって大概はそうだったのだろうけれどいろんな事情があって小さくなってしまっていがちなのに、中尊寺はそのまま。タイムスリップ気分です。
で、必然的に、傾斜がきつい。

ちょっとした登山ですよ(言い過ぎ)。
で。もって、圧倒的な雰囲気。
お盆だということもあって、かなりの人出だったのにもかかわらず、静粛とした空気を失わない。お伊勢さんもどれだけ人があふれていても静かで、喧噪を吸い取ってしまうところがあるけれど、中尊寺は喧噪ごと飲み込んでしまうイメージ。アットホームな空気なのだ。
そして金色堂。
黄金って権力の象徴というイメージが強いから極楽浄土なんて言っていても実は自分の一族の権力誇示なんじゃないの?という疑問が強かった私を、あっという間にからめ捕る、その懐の深さ。夢の世界を目に見える形であらわして、そうしてそこに立つものをすべて掬い上げてしまう。
改めてこの地にあり、三月の出来事を見届けるようにあり続けることを実感。
深く、手を合わせる。

が。
お山を下りる途中で、つい、おもちを食べてしまい、一気に還俗。
五平餅のたれに似た、クルミの入った味噌だれで、旦那とムスコのツボにはまる。
我が家は胃袋が俗にまみれているので、極楽には行けないかもしれない。。。。

さて、そろそろいい時間になってきましたので移動しようと駐車場への地下道を通ろうとすると、お掃除をなさるオバサマたちがいらっしゃる。そろそろ閉門の時間なのだろう。それはそれは丁寧にお掃除してらして、わが身を恥じる(掃除、嫌い)。
しかも、後ろから近付いた私たちにさっと気付いて道を開けてくれて、大変に感激をする。
中尊寺は最後までウエルカムムード。

お土産物を物色していたらあっという間に時刻は四時前(ちなみにこのときムスメはご当地リラックマを8体買っていた)。
流石に毛越寺は明日にしようと通過し、宿をとっている祭畤温泉へ向かう。
「途中でどこかよろうか~?」と地図を広げて、達谷窟毘沙門堂というこれも世界遺産に認定されている場所へ寄ろうと、その駐車場に車を入れた瞬間。
雨!!!!
もうね、わらっちゃうほどの、雨。初めは子どもたちに「カッパ着て~」とか言って用意させていたものの、その雨脚の酷さにドアを開けることもできなくなり、しかも毘沙門堂は岩場だというので足もとが悪いことろでちびどもが転んでも迷惑だろう、と断念。
おとなしくお宿に向かうことに。

この日のお宿は、祭畤温泉。
この温泉名を、わたくしずっと「祭時温泉」と思っておりまして。てっきり「サイジオンセン」と読むのだと思っていのです。
しかしお宿へ向かう途中、「災害復興のため」と書かれた工事現場を何度も見ることになり「あれ?」と記憶をひねりだす。そこには道路の計画や、崖の補強など、図入りの看板がでかでかと、あるのです。
災害、といえば三月のことかと思いきや、こんなに手の込んだ復興計画が進んでいるわけもなく。あれ?と思っていると目の前に黄色い、大きなものが。
祭畤大橋。

でかいサイズの写真でどうぞ。

1978年に完成した全長94m、幅9mの鋼製桁橋。2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震で崩壊した。耐震設計がなされていたため、あり得ない崩壊と注目され、施工中の手抜き工事や設計ミスも疑われたが、その後の調査で橋脚の地盤そのものが約10mにわたり地すべり性の移動を起こしたため崩壊したものと判明した。崩壊した橋は、2代目となる新橋が完成した後も災害遺構として保存されている
(Wikipedia該当ページより)
その時になってようやく「まつるべ」という地名に聞き覚えがあったこと、自分たちが宿泊する場所が「マツルベオンセン」であることに思い当たる(行き当たりばったりすぎる・・・)。
そして実は廃道好きの旦那。
「うわーここの近くに宿とったのかー!!!」と大興奮。
お褒め頂いて光栄です。

そうこうして、本日のお宿、祭畤温泉かみくらさんへ到着。

チェックイン!とドアを開けた瞬間に、アブが侵入してしまい、同時にご到着(その後アブは係の方に・・・・)。
到着時間に遅れてしまったので「橋を見ていて」とお話しすると内陸地震の時のお話をしてくださいました。こちらのお宿も内陸地震の時にはずいぶんとひどく壊れたそう。けれど太い一本柱の構造のおかげで、全壊は免れたのだとか。
意図せず、地震の震源地を巡る旅となっていたことにドキリとしていたら
「昨日、このあたりでくまがでたんですよ」
とさらにドキリとさせられる情報が!!!
「くま!!!!!????」と目を輝かせた男子一名は、その後、暇さえあれば部屋の窓から裏山を見ていたという・・・・・・
館内は木の雰囲気の、ゆったりとしたお宿。

階段付近のお宿を象徴するような雰囲気と読書コーナーのゆったり空間。

お夕飯は別室で。写真を撮ったような気もするのにないのは、たぶん夫婦して地ビールを頂いて気分よくなっていたからかと・・・・
地のものをたくさん食べさせてもらえるメニューで、うれしく満足しきりでしたし。・・・と、誤魔化す。
給仕してくれたサトちゃん(そう呼ばれていた)も感じがよくてかわいらしくて、たぶん未成年だと思うのに一緒に地ビールを選んでくれて、本当に満足。
お夕飯後にお風呂に入り、子どもたちは飽きずに地元でつくっているとい「ジェラートを食べるんだ!」と売店へ勇んで出て行ったので放置しておいたら、お宿の人の計らいでごくごくふつーの銀のスプーンを手に持って帰ってきた。
「ばらばらで悪いけど、このスプーンのが食べやすいよって」
「お部屋に置いておいてくれたらいいからねーって言ってた」
って。本当に、暖かいお宿。
子どもたちがきゃあきゃあアイスを食べているのをしり目に旦那はふかふかのお布団で早目の就寝。
私も洗濯(手洗いです)を済ませて、久しぶりにぐっすり眠れました。