年末進行もいよいよ大詰めなのだ。
この3週間、激忙し。
でも今週末でそれも終わるよう。
で、今わしは何をしてるかっつーと
新潟市内にある某スーパーの
チラシを作っておるのぢゃ。
もうわしの気分はお正月を通り越して
節分なのだ。
今年の恵方巻の方角は北北西だぞ。
この3週間、激忙し。
でも今週末でそれも終わるよう。
で、今わしは何をしてるかっつーと
新潟市内にある某スーパーの
チラシを作っておるのぢゃ。
もうわしの気分はお正月を通り越して
節分なのだ。
今年の恵方巻の方角は北北西だぞ。
旧新潟税関庁舎と同じ敷地内に
この旧第四銀行が建ってる。
もとは住吉町とゆー別の土地に
建っていましたが、
新潟市歴史博物館の敷地である現在の場所に
移築されたそうでし。
つまりこの敷地には
旧新潟税関庁舎、旧第四銀行、そして新潟市歴史博物館
この3つののっしりした建物が建つ観光スポットでし。
旧第四銀行はすでにその使命を了え、
新しい土地に修復、復元されて
今はカフェ・レストランとして第2の人生を送ってまふ。
資料によると
移築不可能なコンクリート躯体をのぞくもので
再利用可能なものはすべて再使用していまふ。
以前の大理石カウンターも綺麗にして
そのまま間仕切りとしています。
モザイクタイルもかわいいですにゃ。
新潟は柳都(りゅうと)と呼ばれるほど
柳がたくさんある都市です。
わしは「りゅうと」とゆー言葉の響きが気に入ってます。
きっと昔は川べりにたくさん柳が植えられていたのでしょうにゃ。
この万代橋付近を中心に新潟市街は
発展してきたのですにゃ。
で、鉄道はあとから敷設されたのですにゃ。
その証拠に新潟駅は街の中心部から
はずれています。
そして信濃川をはさんで両側に
街が広がっていまふ。
この写真の右手に見えるのが
ホテル日航新潟。
地上129メートルの展望台が最上階にある。
ここを案内してもらった時のはなし。
ここの眺めはかなりよいのですが、
日本海の強風をうけて
なんと窓ガラスにひびがはいったんじゃと!
また、このホテルと中低層の施設を結ぶ
地上3階ほどにかかっていた空中通路が
ある日、突然ガコンと地上に落下したそうな。
幸い、人がいない時間帯だったので
けが人がでなかったらしいが、
こえー!
そんな話を展望台で周囲を見下ろしながら
聞きますた。
こわいよ。
ようやく仕事の合間に見ることができました。万代橋。
しかも夜。
煙のように見えるのは新潟特有の雲でし。
この日は特に寒い日で、小雪の舞う中での
散歩ですた。あううう。
橋を支える橋脚のアーチは中央から端に向かって
徐々に感覚が狭めてあるそうな。
遠近感を見せているのかのう。
1929年完成したこの橋は3代目だ。
感心するのは、古い橋だから、
欄干の高さが低いのだ。
わしの腰くらいまでしか高さがない。
東京なら、必ず別に高い鉄の欄干を安全と称して
くっつけられちゃうんでしょうにゃ。
それを建設当時のまま、外観を変えてしまうような
安易な安全策をつけずにいられるのは
やはり新潟の人達のおっとりさ故かのう。
橋のライトアップもこの万代橋が最初だそうだ。
路上でタクシー待ちをちていると
向こうからお散歩中のパグがおっさんとやってきた。
わんこも好きなわしは
路の反対側から
パグを微笑ましくみていた。
パグもわしの視線に気づいたのか
わしの方を見てる。
が、わしの前を通過するときも
首を横にまげて
わしの方をぢーっと見ながら通りすぎてく。
あれ?
通りすぎても
わしの方を振り返ってみながら歩いてく。
途中、飼い主のおっさんにうながされながら。
パグのやつ、わしに気があるんかのう。
それにしても
ちらっちらっと振り返ってく姿は
かなりあいらちかったぞ。うふっ。
向こうからお散歩中のパグがおっさんとやってきた。
わんこも好きなわしは
路の反対側から
パグを微笑ましくみていた。
パグもわしの視線に気づいたのか
わしの方を見てる。
が、わしの前を通過するときも
首を横にまげて
わしの方をぢーっと見ながら通りすぎてく。
あれ?
通りすぎても
わしの方を振り返ってみながら歩いてく。
途中、飼い主のおっさんにうながされながら。
パグのやつ、わしに気があるんかのう。
それにしても
ちらっちらっと振り返ってく姿は
かなりあいらちかったぞ。うふっ。
ご当地ネタはまだまだ続きますぞ。
(つーか、新潟ネタしか最近でてこない~)
これは新潟行き新幹線から見て
長岡の給水塔以前から
気になっていたもの。
河口堰くさい。
しかも、よーく眼をこらしてみてにゃ。
奥の堰の手前にもうひとつ堰が見える。
つーことは
ここで川がふたまたになってるんだな
と思ってた。
そんな時に
F氏よりもらった1冊の本。
『土木モニュメント見て歩き』土木学会著
なんとこの本をぱらぱらめくっていたら、
あったのぢゃ、この堰のことが!
これは大河津分水といって、
頻発する水害から田畑を守るために
信濃川を分水したもの。
奥の堰が信濃川本流で、手前が分水された支流の堰。
堰は可動堰、洗堰、分水路になってて、
明治42年から昭和6年まで、
22年かけて作られた立派なものじゃった。
すげー。
さすが日本のドボッカー達、やるにゃ。
謎が判明してすっきり。
Fどの、サンキューでし。